28. 男
[注意喚起事項]
PTSDをお持ちの方はこの先の閲覧はご注意ください。
読み飛ばしても話の流れを追えるようにします。
それは夜中だった。
今晩は満月だ。空のてっぺんにかかっている。
焚き火はほとんど灰になっており、芯だけ赤い燃えかすが、ほんのりと照らしているのが見える。
静かだった。
静かすぎるほど、静かだった。
目が覚めたら自分の上に何か黒い影がいた。
その影の手が俺の胸をまさぐっている。
「(え゛っ!?)」
声にならない。
口の中に布が詰め込まれている。
吐き出そうにも別の何かで口を塞がれていて。
声を上げようにも、うなり声にしかならない。
どこかで見た光景。まだ服は着ている。
目の前の大きな影は俺を腕ごと抱きしめる。
反射的に硬直する身体。身体が凍る。
身体全体に恐怖と嫌悪がかけめぐる。
全く知らない感覚。
触れられることが、こんなにも恐ろしいなんて。
密着されることが、こんなにも気持ち悪いことなんて。
こんなにも、こんなにも、自分を奪われるような感覚だなんて。
なに!? 怖い! なに!?!?
頭の回転がまだ追いついてこない。
獣の匂い。
男の匂い。
その瞬間、はじめて「男」という存在が、恐怖として立ち上がる。
違う。
何かの間違いだ。
頭の中がまだ半分夢のままで、現実を拒否している。
俺の身体は、必死に暴れる!
でも、びくともしない。
「ううううっ!!」
必死に突き放そうとするがまるで動かない。
なんなんだっ!クソっ!
その手は下がっていき、服の上から尻をまさぐる。
ゾワワワワワワワワッ!!!
それは気持ち悪いというレベㇽじゃない。
神経を直接撫でられているかのような、吐き気がするほどの嫌悪感。
同時にこの理不尽さに、怒りの感情が噴き出してくる。
俺は ――― 俺だ!
俺は物じゃない!
「ううっ!!ううっ!」
思いっきり蹴りあげようとするが、相手はビクともしない。
無我夢中で暴れているのに相手にはなにひとつ効かない。
クソっ! 何だよクソっ!
その手はさらに服を脱がせようとしてくるっ!
カサカサでざらついた男の手が、俺の太ももに直に触れ、
そのあまりのおぞましさに全身の毛が逆立つ!
ヤダヤダヤダヤダヤダヤダーーーッ!!!
なんなんだこいつは!
どうしてこいつは俺を痛めつけようとするんだ!
俺はこんな理不尽な扱いを受けるいわれはない!
俺はまだやり遂げることがある!!
こんなところでどこかの誰かに壊されたりしない!!!
怒りが最高潮に達し、思考が極限まで加速する。
『(パラライズ!)』
それは音にはなっていない。
でもイメージは鮮明に描かれ、金色の魔力がそのイメージ通りに流れる。
魔法は魔力回路のイメージで発動するものだ。
高位な魔法であれば声で発して自分自身のイメージをはっきりさせないと難しい。
でも簡単な魔法なら練習すれば、頭の中のイメージだけで発動できる。
それは、あの宿から、何度も、何度も、練習した緊急脱出用の魔法。
その魔法は瞬間的に働き、俺の上の影は手足をピンと伸ばした緊張状態で硬直した。
俺はそいつの下から転がるように抜け出す。
口を覆っている布と口の中の布を引き抜き、空気をむさぼる。
「ゲホッゲホッ、ハー、ハー、ハーー」
たすかった。
助かった‥‥。
大丈夫、俺は大丈夫。
大丈夫だ‥‥‥。
まずは息を整え、周りの状況を把握する。
まだ終わってない。
何が起きているのか。
馬は2頭とも近くの木に繋がれたままである。
馬はキョトンとした顔でこちらをうかがっていた。
俺たちの荷物は寝付いたときと同じ位置にあった。
他に周りには人影はない。
何か争ったような形跡も周りにはなかった。
――― 悪い予感しかしなかった。
「女なんてやっちまえばこっちのもんだろー」
酔った席での、軽口。
男ならこういう強がりは耳にすることはある。
でもそんなの本気で考えている奴なんていない。
少なくとも俺はそう考えていた。
確かに男には、女を獲物として見る本能は存在する。
純粋にやりたい!って思う性欲だ。
でも相手の気持ちを無視してまで、やることじゃないのは当たり前だ。
俺たちは動物じゃない、理性がある。
人間なんだから。
そこには境界がある。
踏み越えてはいけない線がある。
違ったのか?
俺が、知らなかっただけなのか?
――― 震える指で、影の顔を確認する。
違っていてくれ。
ヤダッ。
お願いだから。
嘘であってくれ。
笑い話にしてくれ。
「何やってんだよ、バカ」って言わせてくれ。
お前はそもそも俺の ”兄貴” だろ?
ソンナノヤダッ。
――― ゲイルだった。
時間が、止まる。
「‥‥‥なんでだよ」
『なんでなんだよおおおおお!!!』
ただただ悔しくて、
悲しくて、
つらくて、
切なくて、
苦しくて、
ただただ打ちのめされる。
叫びが、喉の奥で砕ける。
怒りでも、恐怖でもない。
それよりもっと深い。
裏切られた、という感覚。
信じていた世界が、一瞬で崩れる音。
俺の兄貴だった。
一番信頼していた。
背中を預けてきた。
抱き上げてくれた腕。
守ってくれた手。
その全部が、今、俺の気持ちと共に全て壊れる。
理屈が追いつかない。
心が、ぐしゃぐしゃに裂ける。
『わあああああああああ!』
『こんなのうそだあああっっ!!』
泣き喚く。
泣き叫ぶ。
泣き狂う。
この世の終わりが突然訪れたかのように。
こんなの現実じゃないと訴えるかのように。
俺の信じていた世界は突然 ――― 崩壊した。
――――――
それからは俺は驚くほど冷静だった。
まだ体は震えている。でも頭は澄んでいた。
まずは2頭の馬のうち1頭の縄をほどき、思いっきりその尻を叩く。
驚いた馬は元来た道へ走り去っていった。
持っていたロープでゲイルを縛る。
生半可な縛り方だとゲイルはロープを引きちぎるか縄抜けする。
魔法の力も借りて思いっきり縛り上げる。
その作業をしている間もゲイルの顔を見ることはできない。
怖かった。
どんな表情をしているのか見るのが怖かった。
どんな表情をしていたとしてもそれはもう俺の知っているゲイルじゃない。
見たら、何かが壊れる。
街道そばの目立つところまで引きずって持っていく。
そのあと馬の所まで戻り、自分の荷物を馬に乗せ、街道まで馬を引き連れてくる。
「人通りが多いから‥‥‥日が出れば誰か見つける‥‥」
声が、自分のものじゃないみたいに乾いている。
馬に飛び乗って、駆け足で、急ぎその場を離れる。
そこにあってはならないものがあるかのように、馬を前へ前へと、急がせる。
なんでこんなことになっちまったんだろうな。
もっとちゃんとした格好をしていればよかった?
あの時チャームなんてかけたのが悪かった?
そもそも女なんかにならなければ?
そしてあんな親しげにしていなければ誤解されなかった?
そうしていたら、友達のままで、笑顔で別れられたのに‥‥‥。
とめどもなく後悔なのか、なんなのか分からない自分を責める言葉が、頭の中で回り続ける。
もうなにも考えたくないのに、なにか考え続けないと自分がどうにかなってしまいそう。
ちょうど魔法の効果範囲が外れるぐらい、
はるか遠くの方でなにか男の叫ぶ声がする。
俺はその音にビクっと体を震わせて過剰に反応してしまう。
振り返ったら後ろから、その暗闇が襲ってきそうで、怖くて身体を強ばらせるしかできない。
その瞬間、なにかが懐から落ちていった。
それは風に吹き飛ばされて後ろに流れていく。
それは月明かりに照らされた真っ白な想い。
それは読み手を失った、最後の一通の手紙だった‥‥‥。
本章は以上で完結です。
最後までお付き合いいただき有難うございました。
次章は現在執筆中です。
完成しましたらまたこちらで公開させていただきますのでその際はよろしくお願いいたします。




