0. プロローグ
ここは盆地の外側に位置する丘の上。
今は日が出る直前の朝もやの中にある。
眼下には霧の海が広がっていて、この丘はまさに、海に浮かぶ孤島そのもののようだった。
俺は朝の空気を思いっきり吸い込む。
「すーーー」
なんか妙な感じだ‥‥‥。
肺に流れ込む空気の冷たさで、頭は冷静になっていくのに、心臓は熱く鼓動し、身体全体が火照っていく。
この先にいるのは2千の歩兵、3百の騎兵を従える北部都市連合の敵軍だ。
一つの都市で抱えられる兵士が臨時招集兵も含めて、せいぜい2百~5百と言われているので、かなりの規模の軍団と言えよう。少なくとも俺はそんな規模の軍隊を見たことも聞いたこともない。
我々友軍である魔導王国軍の兵の数は歩兵1千、騎兵2百、重装備兵1百である。
規模では圧倒的に劣っているが、この人数の兵士が集まること自体が建国以来初めてのことだと思われる。
兵の招集方式を定めたのもここ最近だったぐらいなのだから。
そんな大きな軍団2つが今、まさにこの盆地で、ぶつかろうとしていた。
我が王国は創成から長年、鎖国政策を実施してきた。他国とは争わず干渉せず、それがモットーであった。
しかし今世の魔導王がその歴史的な政策を撤回し、領土拡大政策に舵を切った。
それは王国の安全のため、同盟都市の救援のためというのがお題目であったが、一つの都市で抱える人口や欲が限界に達しただけだと俺は考えている。
そしてその決断を後押ししたのが、異次元の強さを持つ我々、『魔法軍』だ。
魔法軍は第一王子直属の部隊で、王国軍の指揮命令系統には属していない。魔術師の近衛兵的な存在だ。
そもそも戦いにおける魔術師の役割というのは、兵士の鼓舞や治癒がメインで、魔術師というのはサブ役に過ぎなかった。
魔術師自体の数が少ないというのもあるが、魔法とは本来そこまで遠くに届くものじゃない。
戦場に魔術師が出てきても、弓で遠くから狙えばすぐに倒されてしまう。
それがここ最近、この王国で大きな魔術革新が起こったのだった。
日が昇り、陽光が朝もやに反射してきらきらきらめいている。
日の温かみが朝もやを徐々にとかしていく‥‥‥。
俺は戦いの前というのに、そのきらびやかな美しさに見とれてしまっていた。
それは雲の海が日の光によってゆっくり開いていくかのようであった。
一瞬、天界から下界を眺めている様な気持ちに捕らわれる。
――― もやが消えて徐々に目の前に現れるのは、2千3百の大軍勢という何とも無粋な現実。
「圧巻だな‥‥‥」
眼下の草原にかかるもやの切れ目から、様々な旗が風になびいて揺れている。
北部都市連合5都市の軍勢が、あらゆる名家の軍団が、今ここに集結しているということだ。
俺は意図せずぶるっと身震いしてしまう。今からあの軍勢と戦うのだ。
その時どこかからか、ほら貝の音が聞こえてきた。
「ぶおぉぉぉぉぉ~~」
一瞬どこかの羊飼いが羊を追い立てているのかと、その姿を草原の中で探してしまう。
俺はまだこの非日常の感覚に慣れていない。そんなことがあるわけがない。
これは敵の前進の合図。
ほら貝の音に追い立てられるかのように、大軍勢がこちらに向かってゆっくり動き始める。
敵も我々の動きに気付いて、戦闘の準備をしていたようだ。
俺は自分の頬を二度三度ぱしぱしっと叩いて気合を入れなおす。
これは他人事でも高みの見物でもない、俺らの戦いなんだ!
この時のために訓練を重ね、戦う心構えを刻み込んで来た。
願ったり叶ったり! 今こそ、俺たちの力が試される時が来たのだ。
俺は後ろに振り返り、我らが魔法軍の仲間たちを見渡す。
総勢104名。
敵軍勢に対して、数は一桁少ない。
しかし、これほど優秀な魔術師がこれほどの規模で集まっている場所は、世界中探しても他にないだろう。
自分の父親ぐらいの世代もいれば、俺と同級生の年代もいて、皆選抜試験を勝ち残ったエリートたち!
俺は頼もしい気持ちで彼らを見渡していた。
俺は横にいる第一王子ミディエル殿下に視線を送った。
ミディエル殿下は俺の意図を理解して、軽くうなずいてくる。
そして俺は目の前に兵士たちに大声で呼びかける。
「よしきけぇ~ぃ!?」
「今日ここで! 俺達魔法軍の存在を世に知らしめるんだ!! 練習通りに丸焦げにしてやれーー! 」
『ぉぉ~‥‥‥』
「きけ~」の所が完全に裏返ってしまった‥‥‥。
柄じゃないことを突然やった報いか。ほんとに、掛け声の練習をしておけばよかった。
自分で、顔が赤くなっているのを感じる。
俺は、皆から視線を外し、空咳をして後ろに振り返った。
さっきまで遥か丘の下にいた敵兵は、あっという間に迫ってきていて、一人一人の姿がはっきり見えてくる。
敵兵の先頭は、素早さとその突破力が武器の騎兵集団。
大量の砂埃と共に丘のすそ野を駆け上がってきている。
「ドドドドドドド」
あれは魚鱗陣形だ。
魚のうろこの様な小さな三角形の集団が何個も横に広がっていて、前線を形成している。
この陣形は小さな楔が何度となく押し寄せることで、相手の防衛陣地を破断していく。
砂埃がひどくて全体像がみえないが、三角の小集団が何層も後ろに連なっている。
騎馬隊の接近につれ、地響きが徐々に大きくなってきた。
それはまるで自分の心まで揺さぶり始めているかのようだ。
もうほんの100m先!、敵の顔もしっかり見えるようになってくる。
いよいよだっ!
彼らは敵で、これは本当に目の前で起こっている現実なのだ!
「重装備兵前へ~!」
そのときようやく、王国軍の方から掛け声がかかる。
その声を合図にフルアーマーで身を包んだ長槍兵が、槍を前に掲げ集団体系のまま前へ進み始める。
街の衛兵を中心に編成された王国軍の精鋭部隊、要だ。
彼らの任務は前線の維持。
彼らが敵の騎兵をしのげず、前線を崩壊させてしまったら、俺達はほとんど何もできず蹂躙されてしまうに違いない。
俺は「頼むぞ!」という念を込めてその行進を眺めていた。
そしてすぐに次の掛け声がかかる!
「歩兵ーー! 防御体系のまま前へー!!」
王国軍の強みは兵科別編成だ。
元々一つの都市だった我々は、領地毎に軍を持つという文化はない。
すべてはひとりの将軍の指揮のもと、統一的運用を行っている。
1千もの大軍が一つの指示で一斉に動きだす!
その整然とした動きは、まるで一つの生き物のようで、まさに頭を上げたヘビであるかのよう。
時を待たずしてあっという間にあちらこちらで2つの軍が衝突し、戦いの火ぶたが落とされる!
「ガチーンッ、ギャンッ」「ガチャンッ、ガチッ」
あちらこちらから聞こえてくる金属の衝突音!
重装備兵が騎兵の突撃を真正面から受け止めている。
重装備兵だけで受け止められない脇は、歩兵が束になって敵の動きを押さえ込んでくれていた。
しばらく派手に鳴り響いて金属音は、すぐに馬の鳴き声や人の叫ぶ声にとって代わっていく。
最初の衝突が終わり、戦場は次第に混戦へと移っていった。
こちらの前線はうまく敵の勢いを殺せている。押し負けている箇所はどこにもない。
これは丘の上に陣取れたことが大きかった。
我々の昨晩の強行軍は無駄でなかったということだ。
「このまま歩き続けろ! 一晩中かかっても、明日の朝までに戦場にたどり着く!」
その命令が王国軍参謀から下りてきたときは、皆大いにぶーぶー不満をたれていた。
俺たちは王国軍参謀のことをクソ扱いしながらその命令に従っていたが、結果的にその判断は間違っていなかったということだった。
「ほんと、なんだよっ 笑」
俺は陰ながら最大の賞辞を参謀たちに送る。
ただ、戦いはまだ始まったばかり。
戦いが長引けば長引くほど、数の違い、疲労度の違い、経験の違いが我々を不利にしていく。
我々は短期決戦を狙わないといけない立場だ。
正面からのぶつかり合いだけでは意味がない。なにかの突破口が必要だった。
命を懸けて戦っている王国軍をよそ目に、我々魔法軍は未だに高みの見物を続けている。
皆、目の前の仲間の奮闘を目にして、今か今かと気持ちだけを焦らせていた。
ミディエル殿下は聡明な方で、敵に対してだけでなく、味方に対しても最大の効果を発揮すると判断するまでは決して動かない。
魔法軍参謀長がこちらの様子をイライラしながら見つめている様子が、手に取るようにわかる 笑
敵との前線は度重なり襲い来る騎馬隊の襲撃に、少しずつ後ろに押され始めてきているのだった。
魔法軍団長、第一王子のミディエル殿下が、そのとき万に待った命令を発する!
「よしっ、ファイアーボール用意」
「ファイアボール用意!」
俺はすぐさま復唱し、自分の魔力回路をミディエル殿下と連動させ、そのまま集団魔法のイメージを自分の魔力回路の中に形作っていく。
訓練で散々見慣れた、きらびやかな七色に輝く網目模様のイメージが魔力回路の中に表れる。
いつもならこのまま合図を送るが、初手からいきなり失敗するわけにはいかない。
俺はイメージが出来上がった後も、いつもより綿密にイメージの揺らぎが収まるのを待つ。
よし! いけるっ!
自分の中にこれまでにない高い完成度のイメージが出来上がったの確認して、俺は自分の右手を上げた。
その直後、待ってましたとばかりに、皆の魔力波動が俺とミディエル殿下に押し寄せてきた!
一つ一つの魔力は大きくないものの、百を超える魔力波動を受ける方はたまったものじゃない。
その魔力波の膨大さに押し流れそうになる。
俺は冷静に、どうにか一つの流れに集約するよう必死に耐え続ける。
それは例えるなら川の氾濫みたいなものだ。川の下流へ下流へ、勢いを増し、邪魔するものをすべて巻き込みながら流れていく。
俺に出来ることは、その方向と距離をガイドすることだけ。
その魔力波動の激流を手なずけつつ、遠くにいる敵の頭上へ発現させていく!
それは火の玉だ。
大きな火球が敵の頭上に現れた。
俺は距離減衰を抑えるため、皆の魔力波に旋回をかけて制御する。
皆の魔力波を流しこめば流し込むほど、どんどんその火球は大きくなっていくのだった。
そして最終的に遠く離れたここでも熱さを感じられるような巨大な火の玉になる。
距離が離れている我々ですら熱いのだから、火の真下にいる敵兵はそれどころじゃないであろう。
火の玉の下にいる敵兵が、呆然と頭の上を眺めている姿がこちらから見ることが出来る。
「ファイアボール!」
ミディエル殿下の掛け声とともに、それは地面にいる敵兵に向けて落下し、巨大な爆発を引き起こした!
『ドッグァーーーーン!!!』
その爆発はすさまじく、我々の所にもその爆音と熱風が荒々しく吹きつけてくる!
あまりの勢いに皆思わず顔の前を手で塞いでしまう。
時間にしてほんの数秒ぐらいだったと思う。
ようやく熱風が収まり爆発した地点を眺めてみると、地面にはクレーター跡のような焼け跡が残されていた。
穴の端の方では焼け焦げた死体、クレーターの外には吹き飛ばされた複数の人体が転がっていて、まるで小さな隕石がぶつかったような凄惨な光景であった。
焼け焦げた死体を見ることに何も感じないわけではない。
でも奴らは敵であって人じゃない。襲い掛かってくる動物みたいなものだ。
俺たちは自分の役目をきちんとこなせたんだという興奮の方が何倍も大きかった。
「次準備!」
成功の余韻を感じている暇を与えてもらえず、ミディエル殿下はすぐに次の指示を出す。
大きな戦いは初めてだと思うけどさすが第一王子だ。冷静沈着に追い込みをかける。
「ファ、ファイアボール用意!」
俺たちは慌てて次の魔法に取り掛かっていったのだった。
――――――
この後我々は、魔力がほとんど枯渇するぐらいまで攻撃の手を緩めなかった。
二度目の攻撃のあと、敵の前線はあっという間に崩壊していった。
所詮都市の寄せ集め兵、士気が下がったら一気に統制が取れなくなる。
今は王国軍の騎兵隊が追い打ちをかけているところだ。
敵兵がいた大地には何個ものクレーターが出来ていた。
俺達の攻撃だけで5百はやっつけたんじゃなかろうか。
もっとも、やっつけた数以上に心理的影響の方が大きかったはずだ。
突然頭の上に火の玉現れるのは相当な恐怖だ。
死の恐怖は突然現れ、逃げる猶予を一切与えず、その鎌をふるって一気に命を刈り取っていく。
丘の下から焼け焦げた、色んなものの匂いが風と共に漂ってくる。
俺達は疲れ果てていたが、同時に誇らしさで胸ははちきれんばかりだった。
そんな俺達の気持ちを代弁するようにミディエル殿下が勝鬨の声を求める!
「我ら魔法軍による勝利である!勝どきをあげよ~~~!」
ミディエル殿下の掛け声に、俺達は全力の叫びで応えた。
もうさっきまでの俺達とは違う。
俺達は名誉ある『魔法軍』だ!
『えい、えい、おおおおおおおおおおおおお!!!!!!』
我々魔法軍の初陣は、誰も文句つけようがない大戦果でまさに大金星であった。
――――――
その後我々は、負傷兵の治療を行うためにしばらく留まっていたが、重症の兵士が馬車にのれるぐらいまで回復したので他の王国軍の兵士と共に王都ルクソンへの帰路につくことになった。
最後の小高い丘を越えると、森の先にようやく我らの蔦の茂った街の城壁が見えてきた。
この棘のついた蔦こそがわれらがルクソンの街の象徴だ。
ほんの数日前に出発したばかりなのに、まるで一ヵ月も昔のことのように感じられる。
懐かしい街の姿を見たら、ようやく帰りついた安堵感で、ちょっと涙ぐんでしまう自分がそこにいた。
「はぁ~‥‥‥」
皆に見られない様こっそり、深いため息をついた。
人生初めての大役に思ったより、緊張していたのかもしれない。
一方、王都の方は出立の時とはまるで別の都市になったようだった。
街の城門をくぐる前からその浮かれようは外に伝わってくる。
特に凱旋パレードをするという話もなかったはずだが、誰かが空に小さな花火まで上げている。
先頭を行く騎兵隊が門をくぐった途端、街壁自体が震えているんじゃないかと思うほど、大歓声が聞こえてきた。
俺たちはなんかスゴイことが起きていることは理解していたが、その全容はまるで理解できていなかった。
門をくぐらないと外から街の中の様子をうかがうことは出来ない。
ようやく魔法軍が城門をくぐる番になった。
第一王子のミディエル殿下を先頭にその脇を参謀の俺、少し離れた後ろを若手から順に3列に並んで城門を潜り抜ける、その途端!
『おおおおおおおおおおおおおおっっ』
『わああああああああああああああああああああ』
『きゃあああああああきゃあああああああ』
耳がキーンっとして歓声に吹き飛ばされそうになった!
ひときわ大きな歓声が町中に轟き響いている。
俺たちはあまりの歓声に驚いてひるんでしまう。
「すげーな、これ‥‥‥」
「お、おい、これって現実か?」
後ろで若手の魔術師がおどおど話し合っていた。
「しっかりしろ!皆がわれらを、見ているぞ!!」
ミディエル殿下が前を向いたまま大声で叱咤する。
さすが王族だ。こういう場には慣れていらっしゃる。
街の通りには人が溢れ、通りに面した家々の窓から色んな人が身を乗り出して、笑顔で手を振っていた。
メインストリートと交差している脇道にも、人が集まっていて、後ろの方の人はぴょんぴょんジャンプして我々を見ている。
お祭りでもこんな人が集まったところは見たことがない!
そんな多くの人のお目当てが、そう俺たちだった!
『おおーーー魔法軍だーー! われらの魔法軍が来たぞーーー!』
『きゃあああああああ、ミディエル王子よーーーー! こっち向いてーーーー!』
『きゃあああ、きゃああああああ、アイテール様ぁぁぁ』
元々魔法軍は目立つ存在だ。
第一王子直下、貴族の子息達、一級の魔術師でイケメン揃い。
集団で街に出れば、きゃーきゃー黄色い歓声を受けることは少なくない。
よくミディエル殿下に「自惚れるな!我々はまだ成果を出していない!」と、強くたしなめられていたものだ。
王国軍の連中からは「貴族様はこれだからよー。女に騒がれる以外なにが出来るっていうのかねー」って陰で悪態をつかれていたことも知っている。
だが今日は思う存分、この身にその歓声を受ける。
俺たちはやり遂げた!与えられた役目を、見事に果たしたのだ!
そう我々こそがこの凱旋の主役なんだ!!
初めての大戦で、初めての大勝利をこの王国にもたらしたのは、まさにこの我らなのだから!
この日の歓声、感動、興奮は、皆一生忘れないであろう‥‥‥。
ミディエル殿下が満足げの笑みを浮かべながらも、俺に意味ありげな視線を投げかけてくる。
俺はその視線に違和感を感じながらも、ただこの興奮を心の底から楽しんでいるのであった。
まさかこのあと、この光景を永遠に追いかける羽目になるとは、この時点では思いもしれず‥‥‥。