夜の贈り物 壱
自宅に帰り、自炊をして食べる。
梓は東京にいた頃から、自分の面倒は自分でみるものだと思っていたので、自炊もお手の物だ。
やがて日が落ち、梓は自分の部屋で布団に潜り込む。
§ § §
――夢を見ていた。
この村にやってくる前の夢。
あの日は雨だった。
東京の通学路、アスファルトを叩く雨。黄色いビニール傘の内側で世界が円く切り取られて、薄明るい。梓は鞄を胸に抱きしめ、制服の袖で手首を隠すくせを直せないまま、校門をくぐる。
それはまだ梓が中学生の頃。受験まではまだ一年の間があった。
昼の放課、廊下の突き当たりで男子が立っていた。肩越しに雨上がりの太陽が差し込み、顔だけが明るい。
「……好きです」
ぎこちない言い方。
梓は喉がすぼまり、恐怖に似た波が胸の底からせり上がった。
父を知らないせいばかりでもないだろうが、梓は男性が苦手だった。
まっすぐな感情をぶつけられると、どうすればいいのかわからない。
「……ありがとう。でも、ごめんなさい」
梓は相手の目をまっすぐ見て言った。怖かったけれど、曖昧にしたくなかった。
「どうしてかな?」
困った表情。やさしい声。
梓は言葉を選んだ。
「あなたのことをよく知らないし、私も自分の気持ちがよくわからないから」
男子は困った笑顔のまま頷いた。梓は後になって、その生徒がバスケット部のキャプテンで上級生だったことを思い出す。
夕方、教室の空気がざらりとしていた。女子たちの視線が梓に刺さる。「感じ悪いよね」「あれで断るんだ」
その翌朝。
教室のドアを開けると、空気がピンと鳴った気がした。
「おはよう」
机に腰かけると、表面に油性ペンで書かれた字があった。
《どろぼうねこ》
カバンで擦っても、インクは木目に入り込んでいた。
「梓ってさ」
後ろの席から、わざと聞こえる声。
「顔だけいいよね。中身は、人の彼氏とる泥棒のくせに」
「“彼氏”でもなかったじゃん」
「そういうとこ、うざ」
笑いが耳の後ろをかすめる。
彼女は友達だった。放課後の購買でパンを分け合って、「おいしいね」と笑って、お互いの愚痴を橋の欄干で風にさらした。
その日、二人の関係は壊れた。
「……あんた、わかってたんでしょ?」
彼女の目は赤く、濡れたまつ毛が震えている。
「なに、を」
「とぼけないで。あの人、梓に告白したって。知ってる。ずっと、ずっと好きだったのに」
「違うの。私、断った。ほんとに」
「嘘つき」
その一語が、階段の壁にぶつかって反響する。
「前から思ってた。梓、なんか、人の気持ちわかってない。自分が可愛いの、知っててさ。――最低」
梓の胸に怒りがこみ上げた。
「私は嘘なんてついてない。本当に断ったの。あなたこそ――」
言いかけて、友人の涙に気づく。
「……友達だったのに、どうして信じてくれないの」
友人は振り返らず、扉が閉まった。
翌日から、教室は別の国になった。連絡網から名前が消え、「体育のペア、決めて」と言われると視線は足元へ落ちた。




