掟
帰り道、清音と二人で学校からの道を歩く。
舗装されていない道は小さく土埃が舞っていた。
今日一日、清音はまるで姉のように甲斐甲斐しく梓の世話を焼いてくれた。
言葉少ない清音だったが、梓には彼女の静かな優しさが心地よかった。
二人で並んで進み、村の中央、商店がポツポツと立ち並ぶ一番賑やかな通りへ出た。
通りには学校から帰る子供たちや、買い出しに出ている村人の姿がちらほら見えた。
と、見覚えのある老婆が梓に笑みをかける。
胡瓜をくれたあの老婆――お福さんだ。
「おお、弓子さんの娘さん! 村には慣れたかの?」
「はい、いいところですね」
そして当たり前みたいに続ける。
「夜道は中央を歩きんさい。端に寄ったらいけんよ。挨拶は三度な。それから、笑顔を忘れちゃあいけん」
その言葉に、近くを歩いていた村人たちも頷きながら同じ調子で繰り返した。
「夜道は中央」「笑顔は3度」「笑顔を絶やさず」
声が重なり、調子が揃っていく。まるで事前に示し合わせたかのように。
そして、最後にひとりの老人が低く付け加えた。
「忘れたら……にくゑ様が目を覚ますけぇな」
にこやかな顔が一斉にこちらを向いたとき、梓は気づいた。三回の笑みを浮かべる全員の笑顔の角度が、まったく同じだった。
(みんな同じ……仮面みたいに)
じっとお福が見つめる。梓は言葉に詰まり声が出ない。清音がそっと一歩前に出た。
「三回微笑まれたら、こちらも三回で返して。それが決まりなの」
「う、うん」
いわれるがままに梓は三回笑みを浮かべる。
「うむ、清音様が一緒なら、大丈夫じゃ」
村人たちは、挨拶を交わすと去っていった。
「……ねえ、さっきのにくゑ様って、何?」
「……まだ知らんでいい。知らん方が、楽だから」
「でも、みんな普通に言ってた。村を守ってるものなんでしょ?」
「梓……だめ」
深呼吸をして言い直した。
「……あなたはまだ、この村の人じゃない。知らん方がいいことがあるの。だからね――他の誰にも聞いちゃだめ」
梓は頷くしかなく、メモに書き残す。
スマホをメモ代わりに使ってもいいのだが、梓は紙のメモ帳が好きだったのだ。
§ § §
少しの違和感はあったが、村での生活は穏やかに過ぎていく。学校の生活も楽しかった。
放課には皆とおしゃべり。
美穂が話しかけてくれる。
「梓ちゃん、もう慣れたと? この教室、ぎゅうぎゅうじゃろ」
「うん。でも、東京の学校ももっと狭かったよ。朝の電車なんて、押しつぶされそうになるくらい」
「えっ、電車!? ほんとに押しつぶされるんか!」
「立ったまま動けないくらい。駅員さんが後ろから押して、やっと乗れるの」
あゆみも身を乗り出して話してくる。
人懐っこいい子だと思う。
「東京って、原宿ってとこあるんやろ? 雑誌で見たとよ! カラフルな服とか、かわいいカフェとか」
「うん、あるよ。駅前はすごい人だらけ。歩くのも大変なくらい」
あゆみは頬を赤らめ、夢見るように呟いた。
「行ってみたかねぇ」
だが次の瞬間、あゆみの表情は変わらないまま、声の調子だけが少し低くなった。
「でも、夜道は中央を歩かんとね」
美穂が続く。
「笑顔は三度じゃ。忘れちゃいけんとよ」
健太も頷いた。
「笑顔を絶やさんことが一番大事なんじゃ。まあ迷信のたぐいじゃけどな」
三人とも同じ表情で、当たり前のように口にする。あゆみが言葉を継いだ。
「そうじゃ、もうすぐお祭りもあるんじゃよ。にくゑ様をたたえるお祭り」
「そうじゃ、そうじゃ、なんもないこの村じゃけんど、祭りはええよ」
「お祭り、あるんだね」
「そうじゃ、成人の祭りで十七の子供が主役じゃ。ちょうど僕らが主役じゃけん」
美穂が説明を引き取る。
「この祭りが終わると、村の中では一人前ってされるんよ。そしたら外に出て行けるけん」
「それじゃ、皆村の外には出たことないの?」
「じゃから、外から来た梓ちゃんには、色々聞きたいことがいっぱいあるとうよ」
梓は曖昧に笑い返しながら、ノートの端に書き込んだ。
――笑顔は三度。夜道は中央。
――にくゑ?
「メモを取ってるのね」
清音が覗き込んできた。
「うん……忘れないように」
梓が答えると、清音は微かに微笑んだ。
「几帳面なのね。私は覚えてるだけだから」
二人のやり取りを、斜め前に座るあゆみがじっと見つめていた。清音が梓にだけ見せる、特別な表情を見逃さずに。
あゆみは自分のノートを開くと、鉛筆を握った。そして、梓の真似をするように、何かを書き始めた。
でも、書いているのは覚書ではなかった。
それは名前。
あゆみは「清音」という名前を、ただそれだけを何度も何度も繰り返し書いていた。




