↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
にくゑ【ある世界が終焉を迎えるまでの道程。そして――】終焉の探偵  作者: カクナノゾム
第一部 にくゑ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/185

廃屋へ 弐

 吉川は柱から縛めをほどいた俊夫に肩を貸した。俊夫はよろめきながら歩き出す。


「せ、先生? なんで? 俺は……?」

「安心してください。とりあえず皆で診療所まで戻りましょう」

「梓さんは、沙織さんたちを」

「はい!」


 梓は沙織の側に膝をつき、子どもの体温を確かめる。陽一はまだ震えており、小さな背中が母親の胸に寄り添う。


「何があったのかは後で伺います。今は、ここを離れることが先です」


 梓は囁くように言いながら、沙織に手を差し出した。沙織は眉を寄せ、嗚咽を抑え込もうとして顔を上げる。震える手を梓の指に絡める。


「……どうして……どうしてこんなことを……」

「今は、とにかく動きましょう。先生の指示に従ってください。私も、手伝います」


 沙織は涙に滲む視界で少女を見上げた。若いのに、どうしてこんなに強いのか――その姿が眩しかった。


 沙織を立たせ、梓は陽一を抱き上げた。陽一は身体を小さく丸め、母の胸から離れるのを嫌がった。


「おかあさん……」

「……おとうさん、だいじょうぶ?」


 その問いかけに、沙織の顔が歪む。答えを返せずに唇を噛み、震える手を梓の腕に短く触れた。


「大丈夫よ、陽一。先生が診てくださるから」


 その時――外から、砂利を踏む足音がかすかに聞こえた。風に乗って、松明の匂いが戸の隙間から流れ込む。吉川の目が一瞬だけ険しくなる。


「梓さん、外の様子を見てください。急ぎますが、慎重に」


 梓は静かに頷き、障子の隙間に懐中電灯の光を差し出す。外は月光に照らされた小径が細く伸び、一人の男がこちらを覗き込むように近づいてきた。光が当たるその顔は、庄司――村の猟師だった。手には猟銃を抱えている。


「ここに入ったのは誰じゃ? 村の外のもんか?」


 そのひとことで、室内の緊張が一段と高まった。梓は咄嗟に陽一を胸に抱き寄せる。


 吉川はゆっくりと立ち上がり、廃屋の戸口に向かって歩を進めた。


「庄司さんですか! 私です、吉川です!」


 声は穏やかに見えて、奥に冷たい刃を含んでいる。


「おお、先生じゃったんか。こげなところで何を?」

「こちらの方々は負傷者です。治療が必要であり、今は手当を優先させていただきます」


 吉川の声は丁寧だが、決して退かなかった。庄司は笑みを崩さぬまま、吐き捨てるように答える。


「村の掟がそういうとらんか。ここに置かれたのは、にくゑ様のためのことじゃ。あんたらが余計なことをすれば、事は済みはせん」

「診療所へ移します。手当を続けますが、ここで長居するわけにはいきません。穏便に移動させますので、危害は加えません」


 庄司の影がぴたりと止まった。次の瞬間、障子が大きく揺れ、銃口が月明かりに冷たく光る。


「置いてけ。すりゃ、先生までどうこうしようとは思わん」

「できませんっ!」

「――なら」


 庄司の猟銃が、ゆっくりと持ち上がる。まさか、撃つつもりなのだろうか? そして猟銃は、ピタリと吉川の胸に向かって狙いをつけた。


「あなたはっ! 自分が何をしているのかわかってるんですか!?」

「この人らは、大切な新しい血じゃけんな。置いといてもらわんと困るんじゃ」

「――くっ!」


 梓はとっさに外に向かって駆けだしていた。吉川と庄司の間に両手を広げて立ち塞がる。


「《《やめて》》! 《《やめてくださいっ》》! この人たち、怪我をしてるんですっ! 先生に診て貰わないとっ!」


 梓の声が夜気を切った瞬間、庄司の肩の力がすっと抜けた。猟銃はゆっくりと揺れ、銃口が吉川の胸から外れて下ろされていく。指先が引き金から滑り落ちるように緩み、男の顔がふっと遠くを見つめるように変わった。


「はい……やめ……ます、けん……」


 庄司はその場に崩れ落ちるように膝をつき、握っていた銃が地面に鈍い音を立てて落ちた。彼の目は虚ろで、口がわずかに動いたが、言葉にはならなかった。


「え?」


 庄司の様子に、梓は目を見開く。どうやら彼は意識を失っているようだ。


 ――何が起きたの? あの少女は一体……。

 沙織は胸の奥に恐怖と安堵が入り混じるのを感じながら、その疑問を飲み込んだ。


「一体……何が起こったんです?」

「わかりません……いきなり気絶したみたいになって……」


 梓は自分の喉に手を当てた。必死だった。ただ、この人たちを守りたい一心で叫んだだけだ。

 母の日記の一節が、頭をよぎる。――虚木の強い血。

 これが、その力なのだろうか。


 吉川が庄司に駆け寄り、脈を診る。呼吸は安定し、外傷もない。だが何が起きたのかは不明だった。


「色々気になることはありますが、今はここを出ましょう。私が先導します。外に出たら、走らないでください、静かに」


「おとうさん……いっしょに、いく?」

「ああ、一緒だよ。お父さんも、もうすぐ元気になるからね」


 陽一は小さく頷き、再び梓の胸に顔を埋めた。梓が沙織に歩み寄り、手を差し出す。沙織はぎゅっと梓の手を握り返し、その目にわずかな決意が宿る。


 道を抜ける間際、梓はふと背後を振り返った。廃屋の前に、庄司が猟銃を傍らに落としたまま倒れている。月光に照らされたその姿は、まるで操り糸を切られた人形のようだった。


 佐藤一家を誘導しながら、梓と吉川は夜道を進んだ。ほどなく、診療所の灯りが遠くに見え始める。

 胸の中で祠の名と井戸の戒めが重くのしかかる。だが今は、それを飲み込むしかない。救った命を先に運ぶ――それが今、梓にとって最も大切な行為だった。


 § § §


【筆者後書き】


長い章が終わりました。

次章は「悲劇」

ひとつの物語の顛末を、どうか見届けてください。

夜、誰かが呼んでいるような気がします。

でも、まだ書けます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。