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にくゑ【ある世界が終焉を迎えるまでの道程。そして――】終焉の探偵  作者: カクナノゾム
第一部 にくゑ

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居なかった子供たち 参

 清音。


 隣で、あの子は手を握ってくれた。ああ、やっぱり貴方は特別、と。言葉は甘く、肌の上に溶けた。


 同時に、彼女の目の底には膜とは違う何か――静かな水の深みのようなものがあった。そこに蓄えられている秘密の量を、梓は直感で知ってしまった。秘密は、愛情の形をして近づいてくることがある。

 ――知らなければいけない。

 何故、誰も美穂たちのことを覚えていないのか。

 あるいは覚えていない振りをしているのか。


 廊下の端から足音がした。あゆみの笑い声が、誰かの足音と重なる。


「梓ちゃん、一人でなにしよるん?」


 顔だけ出して、あゆみが覗く。いつもどおり、明るい。


「……ちょっと、考えごと」

「考えごと、ねえ」


 あゆみは教室に入ってきて、梓の机に肘をのせた。


「さっきは、ごめんね。なんか、変なこと言ってしもうた」

「ううん」

「でも、清音様がおるけん。大丈夫じゃけん」


 “清音様”。その呼び方に、細い針がまたひとつ刺さる。


「清音は……優しいよ」

「そうじゃろ? 清音様は、うちにも優しいよ」


 言いながら、あゆみは梓の目を見ない。視線は梓の手元に落ちて、そのまま机の木目を追った。


「梓ちゃんも、清音様が好きなんじゃろ」

「……うん」

「じゃあ、ええね」


 あゆみはにこっと笑って、くるりと踵を返した。

 扉まで三歩。そこで一度だけ振り返る。


「梓ちゃん、勘違いせんといてね」


 言葉と笑顔は優しい。けれど、優しさの輪郭は少しだけ鋭かった。


「清音は誰にでも優しいんよ?」


 扉が閉まる。静けさが戻る。

 梓は深く息を吸った。肺の奥が痛い。


 ――信じたい。


 指先が震える。清音の手の冷たさを、皮膚の記憶がまだ正確に辿れる。


 ――でも、確かめたい。


 目の裏で、母の顔が薄く笑う。「いつか、話せたらいいな」。

 いつか、は多分、来ないことがある。来ないまま、誰かがいなくなることがある。

 ――母さん。何故母さんは、この村には戻ろうとしなかったの?

 村の掟って何?

 にくゑ様って何?

 どうして美穂と健太のことを誰も覚えてないの?

 あの子たちは……どうなってしまったの?

 

 梓はゆっくり立ち上がり、椅子の脚を床から離す。音が小さく鳴って、教室の隅で消えた。


 鞄を肩にかける。文庫本の重みが、布越しに背中へ伝わる。角の丸いその本は、たった数百グラムの灯りだ。

 窓の外は、夕暮れの色を濃くしている。山の端に沿って薄紫が広がり、校庭の鉄棒が黒い線になった。

 梓は黒板に背を向け、扉の前で一度だけ振り返る。空の机。呼ばれなかった名前。――消された気配。

 舌の先に、ひとことが乗る。


「逃げない」


 梓は自分に言い聞かせた。


「私は、確かめなくちゃ」


 元々そのつもりでこの村に来たのだから。


 言葉にすることで、心の奥の火が強くなった。誰かに与えられる灯りではなく、自分で燃やす炎を。


 廊下を歩く。踵の音がやけに遠くに聞こえる。

 階段を降りながら、梓は心の中で、清音の名を呼んだ。


 ――信じたい。


 でも、隠していることがあるなら、わたしはそれを知らなければいけない。

 この想いは、わからないまま抱えられるほど軽くない。


 学校の敷居を跨ぎ、夕風に頬を撫でられながら、梓は小さくうなずいた。

 清音を信じたいからこそ、確かめる。隠し事の名前を、光の下に引きずり出す。

 それが、自分の居場所を自分で選ぶということの、いちばん最初の一歩だと感じられた。

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