吉川直樹 宴の異変
笑顔が幾重にも重なり、広間の熱気はさらに増した。
その瞬間だった。俊夫の手から箸が滑り落ち、盃が卓の上を転がった。大きな音を立て、汁が畳に飛び散る。
「佐藤さん?」
吉川が声をかけるより早く、俊夫は卓に突っ伏した。肩が大きく上下し、呼吸が荒く乱れている。額から大粒の汗が吹き出し、首筋の血管が浮き上がっていた。
吉川は瞬時に医師としての本能が働いた。立ち上がり、俊夫の傍らに膝をついて手首に指を当てる。
脈拍は毎分百四十を超え、乱れている。瞳孔は散大し、ペンライトの光にも反応しない。呼吸は浅く、一分間に三十回を超えていた。
「……頻脈、呼吸促迫、意識レベル低下。急性中毒の可能性――」
職業的な診断が、無意識に口をついて出る。
「危険だ。このままでは——」
言いかけた吉川の耳に、背後から柔らかな声が重なった。
「すぐ元気になるけぇ」
「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ」
笑い声とともに返ってきたのは、村人たちの合唱のような声だった。吉川が見回すと、誰も慌てる様子がなく、誰も席を立とうとしない。全員が笑顔のまま、卓を囲んでいる。
その画一的な表情に、吉川の肌がぞわりと粟立った。
――異常なのは、俊夫か。それとも、この村人たちか。
広間に奇妙な静寂が落ちた。俊夫は卓に突っ伏したまま、肩を上下させて荒い息を吐いている。汗が畳に滴り、赤黒い酒が混じって小さな池を作った。
やがて俊夫の体がぴくりと震え、大きく息を吸って起き上がった。
「はあ……はははっ! いやあ、すまんすまん。体が軽い! 疲れが全部抜けちまったみたいだ!」
吉川は思わず、その手首を掴んだ。脈は毎分七十二、規則正しい。ペンライトを向けると、瞳孔は正常に収縮した。
三分前の所見が、どこにも残っていない。回復というより、なかったことになったようだった。
「にくゑ様のおかげじゃ!」
清一が盃を掲げる。
「先生もご覧になったじゃろう。大人に医者は要らんのです。わしらはにくゑ様に守られとるんじゃ。子どもは先生に任せる。大人はにくゑ様が守ってくれる。これがわしらのやり方じゃ」
外へ出ると、俊夫が追いかけてきた。
「先生! 今日はありがとうございました!」
満面の笑み。だがその瞳孔の奥で、一瞬、血の色をした何かが蠢いたように見えた。
「うちの子をよろしくお願いします。陽一っていうんですが」
「それはもちろん、頼ってください」
軽く頭を下げ、俊夫は軽やかに去っていった。吉川は手帳に震える字で書き加える。
――成人の異常回復、にくゑ信仰との関連、要観察。
この村には、やはり何かがある。
遠くでまだ、画一的な笑い声が響いていた。
§ § §
【筆者後書き】
外からの移住者。佐藤一家の物語です。
この辺りは吉川君の記録が元になっています。
すみません、体調を崩したみたいで、この先の執筆は遅れるかも知れません。
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大長編ですが、追いかけて頂いて後悔はさせませんよ!
全話投稿済みなので、どうか最後までお楽しみ下さいませ。




