目覚め 壱
梓が目を覚ましたのは、あの夜から数日たった朝だった。
白い天井が視界に入り、消毒薬の匂いが鼻をつく。体を起こそうとすると、お腹のあたりがずきりと痛んだ。包帯が巻かれているのがわかる。
そうだ、あゆみに刺されたのだ。
あの夜のことが、少しずつ思い出されてくる。霧の中での出来事。千鶴と宗次の最期。井戸に消えていく二人の姿。そして、祈りの最中に現れたあゆみの、あの狂気に満ちた顔。
「気がついたね」
振り向くと、吉川が椅子に座ってこちらを見ていた。眼鏡の奥の目に、安堵の色が浮かんでいる。でも、その顔は明らかにやつれていた。目の下には深いくまがあり、頬はこけて見える。連日看病してくれていたのだろう。
「先生……ありがとうございます」
「君は運が良いな」
「刺されてますけど……」
「いや、傷は深かったが、運良く臓器には達していなかった。だから命に別状はない。ただ、出血が多くてね」
吉川は立ち上がり、梓の額に手を当てた。熱はないようだった。
「君が村の人間なら、例の薬ですっかり治るんだろうけどね。どうやら村の秘薬とやらも、君には村の人間ほどは効かないみたいだ」
「あゆみは?」
さすがに自分を刺した人間にちゃんをつけたくはない。梓は痛む脇腹を意識しながら吉川に聞いた。
「清一さんと清音さんが引き取ったみたいだ。多分今は村長の家にいるんじゃないかな? 外の世界なら傷害事件で立派な犯罪だけど、この村では……」
梓は複雑な気持ちになった。あゆみが自分を刺したのは事実だったが、それでもあの子なりの想いがあったのだろう。清音への、歪んだ愛が。
「清音は……大丈夫ですか?」
それが梓にとって一番大切な問いだった。
「無事だよ。君のことを心配していた」
その言葉に梓の胸が温かくなった。清音が心配してくれている。それだけで、傷の痛みも忘れられそうだった。
吉川はそれ以上、清音のことには触れなかった。
テーブルの上に、小さな弁当箱が置かれているのが見えた。きちんと洗って置いてある。
「これは……」
「千鶴さんが、私のために作ってくれていたんだ」
吉川の声が重い。もう彼女がこれの中身を作ることはない。千鶴がいつも気にかけてくれていたこと、あの人の優しさが、この小さな弁当箱に込められていたのだろう。
梓は吉川の横顔を見つめた。彼の肩が小刻みに震えているのがわかる。やるせない思い、自分を責める吉川の気持ちが痛いほど伝わってくる。
「美穂さんも、健太くんも……」
吉川の声は震えていた。
「私は医師として、彼らを救うべきだった。千鶴さんもそうだ。あの人の苦しみを、もっと早く理解していれば」
吉川は弁当箱を見つめたまま、拳を強く握った。
「でも、何もできなかった。ただ見ているだけだった。せめて君だけは……君だけは助けなければと思って」
その言葉に、深い自責が滲んでいた。
「いいえ、今、私を助けてくれているじゃありませんか」
梓は静かに言った。
吉川は弁当箱を見つめ続けた。
「千鶴さんのたどった運命を思うと……あの人は、最後まで宗次さんを愛していた……そんな二人が結ばれるには、あんな方法しかなかったなんて……」
吉川の目に涙が浮かぶ。
「先生は……あの夜のことを覚えてるんですか?」
「ああ」
吉川は頷いた。
「清音さんが、意図的に残してくれたんでしょう。君はにくゑの影響を受けないみたいだし、覚えているんだね」
「もしかしたら、私の出生が関係しているのかも知れません。……父も母も、虚木の血を引いているんです」
吉川は梓を見つめた。
「虚木の血が重なったことにより、君はいわば抗体のような存在になっている……のかも知れない。このことを村長たちは知らない、ということかな」
「はい、その筈です。私が弓子の娘だということは、村長も知っています。でも、父親が誰かは、村長たちは知らない。先代の村長たちしか知らないはず」
梓は自分の手を見つめた。確かに、この村に来てから感じる違和感。村人たちが当然のように受け入れることに、どうしても馴染めない感覚。それが自分の特殊性だったのか。
「先生……私、清音を助けたいんです」
梓の声は真剣だった。
「助けるとは?」
「村から連れ出したい。清音を自由にしてあげたいんです」
梓の目に強い意志が宿った。
「でも、この村から彼女は出ることはできないだろう。彼女は巫女としての役割を果たそうとしている。それに、本当に彼女はそれを望んでいるのかな? むしろ君とこの村で共にあることを望んでいるのでは?」
「それは……わかりません。でも、このままじゃ清音はにくゑとひとつに……そんなのはイヤなんです!」




