根元あゆみ 三度の笑み
月の明かりが静かに降り注いでいる。
虫の声も、もう届かない。
あゆみの世界には、あの人の白い衣しかなかった。
村はずれの古井戸の前で立ち止まる。
男の声が低く響いた。
清音の父――清一。そして村医の吉川。梓と清音。
そこは、既に何かが終わった気配がしていた。
何か大切なものが失われた気配。
だが、あゆみには関係がない。
あゆみは霧の中に身を隠し、じっと様子を窺った。
清一が何かを語っている。梓が頷く。清音が震えている。
やがて梓の声が聞こえた。
「……残ります」
その言葉が、あゆみの胸を貫いた。
梓がこの村に残る。清音の隣に残る。
あゆみの視界が赤く染まった。握りしめた包丁の柄が、汗で滑りそうになる。
あゆみは走り出した。
霧を切って、月光の中へ。祈りの声が響く中を、一直線に。
梓がこちらを見た。驚きの色が浮かぶ。
あゆみは息を吸った。そして、包丁を突き出した。
刃が柔らかいものを割く感触。温かい血が手に伝う。
梓の目が大きく見開かれ、口が開いた。白い霧の中に、赤い色が散った。
「これで……これで清音は……」
あゆみの声が震えた。涙と笑いが混じって、息が止まりそうになる。
「清音は私のもんよ……誰にも渡さんけぇ……」
梓がゆっくりと崩れていく。振り返った清音の顔に、驚愕の表情が浮かぶのがはっきりと見えた。
あゆみは笑った。三度、きちんと。
一度、口角を上げる。
二度、目を細める。
三度、喉で息を鳴らす。
神様への、完璧な祈りだった。
「……はっ」
言葉が喉からこぼれた。
「……あははははっ! この泥棒猫っ! 思い知れっ!」




