令和二年の変貌
令和の世界に戻った八十島たちです。
八十島は、隠れ家レストランに戻って来たその日、昭和十七年九月二十五日の午後五時から午後十一時までを繰り返す隠れ家レストランで散々飲み食いした後、昭和十七年を脱ぎ捨てるように着替えて、令和のイナバビルヂングのホテルの宿舎に戻った。
その日というのは、八十島海人、奥山紅葉、元中佐に因幡姉妹の五人が隠れ家レストランに戻って来たその日の体感の日付で、である。隠れ家レストランは相変わらず昭和十七年九月二十五日の午後五時から午後十一時までを繰り返していたのだから、なんとも表現しずらい。
八十島が令和のイナバビルヂングのホテルの宿舎に戻った時、部屋のデジタル時計は令和二年十一月二十六日の午後六時六分を指していた。
振り返れば、八十島が初めてイナバビルヂングを訪ねたのは令和二年十一月二十三日。その三日後の二十六日に昭和十七年に旅立った。そして紅葉が失踪した後、大急ぎで紅葉解放のために一度隠れ家レストランに戻ってきたが、その時は、隠れ家レストランで元中佐と因幡姉妹に会っているだけで、隠れ家レストランを出ていない。したがって、令和の世界に戻った日はやはりイナバビルヂングに泊まって三日後の十一月二十六日なのである。
ただ、令和に戻って、隠れ家レストランに入店後の時間に二分が経過している。
隠れ家レストランからホテルのフロントロビーの前を通り、部屋まで戻る時間は四~五分かかる。宿舎にしている部屋に到着した時に、令和二年十一月二十六日の午後六時六分なのだから、逆算すると、直前に隠れ家レストランに入った時間は午後五時五十九分~午後六時ということになる。
午後六時は寝るにはまだ早すぎるが八十島は眠たくなった。
九死に一生を得た前日(昭和十七年十一月二十二日のこと)にピーンと張っていた緊張の糸が、隠れ家レストランに戻って英霊や亡霊たちとの宴会で、緩んでしまったせいだ。無理もないだろう。
だから寝ることにしようとベッドに横になっててみると、今度は、久しぶりに令和の文明の利器を使ってみたくなった。
部屋の机の上にあるスマホが目についたからだ。
起動してみようと手に取って、どのアプリにも奥山紅葉を登録していなかったなと気付いた。
『そういや、スマホのことなど、完全に忘れていたな。明日にでも登録しておかないとな』
スマホは、宿に置きっぱなしだった。隠れ家レストランに初めて行った時にはズボンのポケットに潜ませて持ち込んだが、その他の日には持って行かなかった。レストランの異次元空間では電波は届かず、置いて行った方が不在の間にメールやSNSの更新が可能だからだ。
『おやすみとか、おつかれとか、他愛もない連絡を入れとこう思うただけなんやけどな』
さっき別れて、どこかに向かったばかりの紅葉と連絡が取りたかったが、明日には会える。
しょうがなく、SNSのニュースアカウントで最近のニュースのチェックでもしとこうとアプリを立ち上げた。
タイムラインには「新型コロナ」のことが、たくさん書いてあった。
そうコロナが蔓延していたのだ。
「新型コロナってなんやろう?、それにしても仰山書き込みがあるなぁ」
それらを眺めているうちに、誰かが新しいチャットを入れていると気付いた
「Patrick Murphy 10分前」とある。あらためて八十島がスマホの現在の時間を見ると18:10だ。
八十島が時間旅行決行のために隠れ家レストランに行こうと部屋を出て行った直後らしい。
『パトリック・マーフィー、聞いたことがあるな』
チャット文は、日本語でこう書いてあった。
「仲間に手加減してくれて助かった。礼を言う。君の奥様にもよろしく」
『意味不明や。何のことや・・・。あの時の英国人か?すると・・・どうなっているんやろう。やはりわからん、緊張が解けたその体に酒を入れたもんやから頭が回らへんわ』
そこで考えて分からないことは相手に聞こうと、こう書き込んだ。
「やあ!パトリック・マーフィー;昔々、11月3日に会ったパトリック・マーフィーかい?あの時分は手向かって来るみんなに手加減したんだ。それがどれだか分からないが、とにかく気に入ってもらえて嬉しいよ。君が何者なのか分かればもっとありがたい。教えてもらえるかい」
書き込みが終わって、時間旅行前にはそんなものはなかったので、八十島は、情報をアップデートしておこうと「新型コロナ」について色々調べているうちに寝てしまう。
翌日の二十七日朝、といっても10時過ぎだ。遅い朝食に出かけるまでには、パトリック・マーフィーからの連絡はなかった。
それでとにかく朝飯を食べようと隠れ家レストランに向かった。
ホテルロビーの裏にある階段を降りて、ドアノブに手をかける。
と、後ろから風が吹いて、吸い込まれるように砂浜に到着した。
いつもの通りや。
天井が天空に溶け込み雲が浮く。
床と壁が砂浜や松林と一体化して、空と海が青く細い線で繋がっている。
いつもの通りや
「八十島様、いらっしゃいませ。こちらへ」
と声をかけたのは、奥山紅葉ではなく、50代前半くらいのイケおじ姿の小野寺征人元上等兵。
白いシャツと黒ズボンの上にソムリエエプロンが良く似合っている。
「小野寺さん、レストランの雰囲気、変わりましたよね?」
「さすがですね。オーナーが『もう昭和十七年には行く必要がないし、行けなくなったから』という事で・・・」
「それで・・・」
「今度は昭和29年1月19日の午後5時から午後11時です」
「それ、どういう意図で選んだ日付なんやろ」
「皆目わかりません。今後は時々模様替えするようです」
「模様替えか、軽いなぁ。そんなに簡単に出来てしまうんだ」
八十島は思わず身震いした。
八十島は因幡姉妹の異能力に恐怖を感じているのだ。
『部屋の模様替え感覚で、時間の流れを切断して、レストランにその切断面を持って来ているんやな。時間軸を横からぶった切って、その切断した部分の情景のみをスクリーンに映し出すように、気軽にって、ホンマに怖いなぁ』
と勝手に想像して、もう一度身震いした。
テーブル席に着くと八十島はキョロキョロと周りを見渡した。
「お父さま、どうしたんじゃ、紅葉、いや、お母さまはおらんぞよ」
「うおー、びっくりした」
中空の暗闇の真ん中がピカリと光って、しゃべりながら、いきなり現れたのは因幡槙葉だ。なんとミニスカのメイド姿だ。
「ど、どうしたんや、そ、その恰好は」
「よく似合っとるじゃろう。この服を着てると英霊たちが喜ぶのじゃ。いわばファンサービスじゃな。なんてたって英霊たちのアイドルじゃからな、十七歳のやまとなでしこの」
「似合ってる、よう似合ってる、で、でも短すぎへんようにな。で、いま『お父さま、お母さま』って言った?」
「そうじゃ、昭和十七年から離れて部屋で最近の流行りをアニメを見ておって、姉妹で考えたのじゃぞ。日本に帰って、日本の学校に潜り込んだ時にも、おかしくないようにな。浄瑠璃モードよりこっちが受けが良いであろうとな」
『このしゃべりはラノベ原作のアニメやろうな。あのアニメの魔法師団の見た目ぇ幼児の団長の口調にも似てるな。でもお父さま、お母さまとは、いったいなんやろ』
「お父さま、お母さまも、新鮮じゃろう、最近は、誰も使っておらんようやからな。風さまや給仕長には、懐かしーい響きと感じられるのではなかろうかと思うてな。もとをただせば二人は親王家じゃからのう。実際、『懐かしい感じがする』いうておったぞ」
『こやつら、心が読めるのか?』
「まるで心を読んでいるかのようじゃろう、実際には読めているわけではない、うっすら感じ取れるだけじゃから、お父さま、安心なされよ」
「怖いワ、ますます」
「そう言われると娘として、とっても悲しいのぅ、お父さまに悪気が無いのは、重々、感じ取れるのじゃが」
「それで、結枝のほうは、どこで何をしている」
「お姉さまは、風さまにべったりくっついておる。一緒に働くつもりで妾とおなじくメイド姿になって、厨房の方に居るはずじゃよ」
「北村風さんは厨房に?」
「そうじゃ、若きシェフぞ、辺見殿と一緒にな」
厨房を覗いてみたら、入り口で、給仕姿の西谷一誠とシェフ帽をかぶった辺見照がいて話をしている。
「『磐代の岸の松が枝結びけむ 人は帰りてまた見けむかも』が、松風の結枝さんの名前の由来で、『村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ』が、村雨の槙葉さんの名前の由来でしょう」
西谷が辺見に講釈しているところだった。昨日、酒を飲みながら話していて分かったが、西谷は旧制中学の国語の教師だったという事だ。
『結枝の前世は松風、槙葉の前世は村雨、風さんは在原行平、給仕長が在原業平。その説明をしているようやな』
「いらっしゃいませ。八十島さん、西谷さんから色々教えてもらっているところです」
辺見が八十島に気付いて声をかける。
西谷がこちらを向いて
「おはようございます。八十島様、朝食ですよね。それとも、こんばんわの夕食でしょうか?」
「おはようさん。朝食をお願いします」
「八十島様の名は『わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよ海人の釣舟』と関連がありそうですね。で、紅葉さんが『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の声聞く時ぞ 秋はかなしき』」
「この異次元ではいくらでも時間があるさかいに、給仕長らから話を仰山聞かれはったんやな」
「結枝さんと槙葉さんからも色々話を聞きました」
「その結枝と北村風さんがこっちに居ると聞いたんやが」
「いらっしゃいますよ、あの奥に」
奥にはイナバビルヂングに通じる従業員用通路と階段、それに八十島がまだ知らぬ何処やらへの出入口がある。
八十島は大声を上げた。覗いたらベタベタ、ベッタリの男女があられもない格好でいるかもしれん・・・そんな姿は見たくないと恐れたのだ。
「結枝、ゆえー!風さんをずうっと困らせておったらあかんぞー!」
ピョンと小動物のように結枝が飛び出した。
なるほどミニスカメイド姿だ。十九歳なのに妙に大人っぽいので可愛いというより恐ろしいほど妖艶だ。
『これは槙葉と比べて大人の雰囲気があだっぽい、危険なほどあだっぽ過ぎる』
そう思った八十島は
「結枝は、クラシックなひざ丈のメイド姿の方が似合うのではないんかなぁ」
「それはないですよ。皆さんにご好評なのに!」
八十島はびっくりした。八十島のその言葉に辺見シェフが叫んだからだ。まるで悲鳴だ。
辺見にびっくりさせられたことが前にもあったなと思い出した。
「せっかく明るく健康そうに振舞っているのに!」
と西谷給仕が追いかけて叫ぶ。
「私も明るい方がありがたいよ。シックな装いはかえって妖艶が過ぎる」
遅れて結枝の横に出て来た若き北村風シェフが呟く。コックコートが良く似合っている。口の横に口紅の赤が滲んでる?
『妖艶が過ぎる!言い得て妙や。そうか、フォーマルでシックというんは、結枝にはまるで逆効果になってしまうんか?! ありえそうや』
レストランから給仕長が入って来て
「お客様の英霊からの熱狂的支持があるさかい、そんなんしたら皆はんがっかりしなはるやろう」
給仕長に続いて入って来た小野寺給仕も
「そうです。そうです。歌って踊れる美人姉妹の人気は凄いんです」
と言って頷いている。
「わかった。わかった。降参や、あまりに似合いすぎて、お色気満点過ぎると思うただけや」
「お父さま、心配しとるの? 娘が魅力ありすぎてお母さまが嫉妬するかもしれへんと思うてるのやろ。大丈夫や、お父さまを誘惑することはあらしません。風さま命やから」
と結枝が言う。上品な関西弁になっている。槙葉のような、あの幼児の姿をした魔法団長の口調ではない。安心した。
「なんとでも、僕と紅葉との関係は勝手に思えばええけど・・、えっ!歌って踊るの?」
「そうや、試しに槙葉と一緒にやってみたら大うけしたんや、なんなら、いまから、も一度やってみよか。槙葉!まきはー!」
「いや、いや、いまはええ、朝飯を食べて外に出るさかいに、また、帰って来てからな」
八十島は、レストランに戻り、いつもの席についてから、令和の世界でパトリック・マーフィーから連絡をもらったことを給仕長に伝えた。
槙葉が、コップに水を入れて持ってくると、給仕長の横で科を作っている。十七歳のくせに五十代の風貌の給仕長に?と思うと心穏やかではない八十島だが無視して給仕長と話をする。
給仕長が言う
「実は戦争終わってから気付いたんどすけど、パトリック・マーフィーはアイルランド革命党員を装うた英国のスパイやったんどすえー。八十島様。どうやら彼も時の旅人やったようどすなぁ。これで腑に落ちました」
「『八十島様』は止めて下さい。昭和十七年に行っていた時のように八十島君か八十島と呼び捨てにしてもらった方が気が楽です」
「いや、このレストラン内ではお客様。八十島様で通します。神戸港で謎の男たちと一戦しましたけど、あら、F少佐時代のインド独立工作を潰そうとする英国の差し金なんどす。けどな同時代の英国のスパイに漏れるわけがあらへんのどすえ。少佐時代のわては何をやっている人か、皆、日本人すら知らんのですから。時の旅人なら、時間を遡って存在できるんどすからね。そら分かることも、あるかも知れへんし、できることもあるかもしれまへんどすなぁ」
「終戦後分かったというと」
「GHQが教えてくれましたんや、昭和二十二年に英国によるF少佐誘拐計画があったと。位置情報、F少佐の消息情報の出所がパトリック・マーフィーという英国の大尉で帝都物産に潜入していたと」
その後も朝食を食べながらF少佐時代の工作活動を聞かせてもらった。
隠れ家レストランは夜が更けるにしたがって、英霊の数が増えみんな大忙しとなった。八十島が朝食を終えて部屋に戻る頃には、看板となった『因幡姉妹ショー』が始まる直前であった。隠れ家レストランは大盛り上がりである。
大盛り上がりで沸く夜の隠れ家レストランを出ると、ライラ・マーのスマゴトは真っ昼間だ。
感覚が狂う。
部屋に戻るとイナバビルヂングの中を歩いた時間と時間旅行の二分だけ経っている。合わせて五、六分だ。
その間にパトリック・マーフィーからの返事がスマホに入っていた。
「八十島さん;早速返事をいただいてありがとう。F少佐を1942年9月29日に誘拐しようと画策した張本人です。元中佐でなく、現役のF少佐と話をする日本の諜報員の動きを見て、日本政府が歴史を大転換しようとしているのではないかと疑いを抱いた私が、所属する英国情報部に命じたものです。これは誤った活動でした。お詫びします。また、同年11月22日の襲撃も同じ意図によるものです。こちらも現役のF少佐と変装した元中佐を誤認したことによるものです。重ねてお詫びします。なお、英国政府内の『日本政府が歴史を大転換しようとしているのではないか』という疑いが終局的、完全に晴れましたことをお知らせいたします。また、当方も当初より誘拐の目的はあったものの殺害の意図はありませんでした。その旨ご理解いただきたい。今後とも良き関係を継続させていただきたく、お願いいたします。よろしく」
『この文面は、日本の諜報部の責任者の誰かに送るべきもんや。僕は日本の諜報部の代表でも何でもあれへん。明らかに宛先を間違えてるな。紅葉に会うてから、このことを知らしとこう、SNSのアドレスも交換しとかないとな』
八十島は大学の研究室から帰って来る予定の紅葉に会うべく、夕方5時頃になって、イナバビルヂングを出た。
目的地は帝国物産ビルだ。そこで待ち合わせて、イナバビルヂングまで戻って来る。
スマゴトの市内に出るのは体感では数か月ぶりだが、実際には4日ぶりなのが不思議だ。
時間旅行の前に比べて、スマゴト市内は活気がなくなっていた。
現時間は、令和二(2020)年11月27日午後5時20分。帝都物産ビルの入り口に着いた。
その年に行われたライラ・マーの総選挙は11月15日までに全議席が確定していた。
民主勢力の地滑り的大勝利だった。
だがこの世界は疫病に覆われていた。
新型コロナウイルスのせいだ。
ひょっとしたら、これは八十島たちの時間旅行のせいかもしれない。八十島らの時間旅行前には新型コロナウイルスの影も形もなかったのだ。
いわゆるバタフライ効果のひとつだろう。他にも蝶の羽ばたきが何かを変えているかもしれない。
八十島が時間旅行する前の令和二(2020)年11月23日は、街の喧騒と川の湿気で作る陽炎で街が揺れていた。
民主勢力の選挙での勝利は、さらに街に活気を与えていた。
音や声が街の道路に溢れていた。タクシーが次々にエンジン音を響かせ、サイカ―を呼ぶ声が満ちていた。
あの騒がしい女学生たちもいない。
その街が、熱狂ではなく、コロナ禍で抑制された静かな抑制された喜びの街に代わっている。
赤地に鳥のマークの旗が盛んに降られているが、声は小さい。
若者たちが赤いマスクをしている。そのせいかもしれない。
街の角々を守る検問の軍人たちの表情が硬く、嬉しそうではない。
全てが、八十島の知っている時間旅行する前の令和二(2020)年11月23日ライラ・マーの延長線上の姿とは言えない。
店頭に並ぶ軍系の新聞には選挙への批判、不満、不正が論じられている。
八十島の胸を漠然とした不安がよぎる。
その不安はさらにかき回された。
奥山紅葉が、向こうの方から急いで駆けて来て、僕の胸に飛び込んできた。
「ザウンサン・スージーさんが、私のハンドラーが、私の教授が・・・」
その時、八十島の脳に新たな記憶が急激に入り込んできた。
『異なる八十島がこの時代に時間旅行しているんや。多分、未来の僕や』
(了)
「まんまと戦場に行かされた件」は一旦ここで終了します。
隠れ家レストランシリーズとして、第二弾を発表予定ですが、できれば、その前にこの「まんまと戦場に行かされた件」をストーリーの変更なしで、もうちょっと簡略化したいなと思ってます。
なお、「まんまと戦場」で、八十島Aが隠れ家レストランに戻る話を、第二弾の話の中に入れる予定です。
すっきりしないと気持ち悪いですからね。




