第83話 歓声の裏側
ヨーヘー港は歓声に包まれていた。
波止場に響く怒号にも似た歓喜。
鎧を打ち鳴らす音。
誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが仲間の肩を叩く。
「潮丸だ!」「守護神だ!」
声は重なり、波のように押し寄せる。
その中心で、潮丸は何度も宙へ放り上げられていた。
高く。
さらに高く。
「おい、やめろって! 落とすなよ!」
笑いながら叫ぶその姿は、まさしく英雄だった。
剣を掲げる者。
膝をつき祈る者。
名を叫び続ける者。
――誰もが、この勝利を疑っていない。
歓声の波の中にあって――それに飲まれていない視線もあった。
楼蘭帝国の秘匿部隊――零番隊は、歓声の縁で静かに海を見ていた。
鬼若丸が、低く笑う。
「まこと、あっぱれじゃ」
四郎坊が、静かに続けた。
「……次世代が、育っていたか」
だがその視線は、祝福ではなく――戦場を測る目だった。
この瞬間だけを切り取れば――完全な勝利だった。
だが――
歓声の外。
ただ一人、海を見つめる男がいた。
レシトンは、静かに目を細める。
ヨーヘー港の沖――スエラン海。
まだ《アビス・マウ》の余韻は消えていない。
兵たちは興奮の中にいる。
だが、その熱から外れた一点だけが、冷えていた。
その海面は、異様なほど静かだった。
(……妙だ)
違和感は、消えない。
彼は短く命じる。
「哨戒艇を出せ」
「残骸の回収と、海域の確認を行え」
レシトンは一度視線を落とし、頭の中で情報を並べ替えた。
不要なものを削ぎ落とし、残った断片だけを繋ぎ合わせていく。
「空軍にも要請しろ」
「上空から広域観測を行う。航跡を洗え」
「はっ!」
命令は走った。
海上と――空へ。
それから、しばらくして。
レシトンは微動だにせず海を見ていた。
戻ってきた報告は――静かだった。
「報告します」
「海域における残留物……著しく少数です」
レシトンの目が細まる。
「……具体的に」
「撃沈数に対して、漂流物が足りません」
「船体の破片、油、遺体……いずれも不足しています」
沈黙。
その時――
「空軍より入電!」
「上空観測にて、不自然な空白域を確認!」
「航跡が……途中で断ち切られています!」
空気が凍る。
海と空。
両方が示した、同じ異常。
レシトンは確信には至らないまま、視線を海図へ落とした。
(消えた……? いや、違う)
思考が走る。
「……あの時か」
「霧が、急激に濃くなったタイミングだ」
断片が繋がり始める。
「視界を奪い、航跡を断つ……」
レシトンは一度視線を落とし、頭の中で情報を並べ替えた。
不要なものを削ぎ落とし、残った断片だけを繋ぎ合わせていく。
「……分離行動だ」
まだ仮説。
だが――濃い。
「スエラン海で、左右に割れた可能性が高い」
レシトンは一度息を整え、海図上の線を指でなぞった。判断の根拠を頭の中で再確認する。
「右は……撤退ルート」
「追撃を引きつける囮」
言葉にしながら、確信へ近づいていく。
「では左は?」
問い。
レシトンは、短く息を吐いた。
「……本命だ」
「戦力を温存したまま、別ルートで進軍している」
「進行先は――アルマリク、あるいはフェルメリア」
一拍。
「……だが、直近のアルマリクからの瘴気の報告を考えると、アルマリクの線が濃厚か」
歓声の裏で、戦争は続いていた。
「女王陛下、緊急報告です」
遠話晶が起動する。
『聞きましょう』
セシュリアの声。
「敵主力の一部が消失」
「スエラン海で分離行動を確認」
「右は撤退、左が本命進軍です」
『進行先は』
「アルマリク、あるいはフェルメリア」
一瞬の静寂。
『すぐに警告を送りましょう』
セシュリアはわずかに視線を落とし、水鏡の縁を指先でなぞった。次の言葉を選ぶための、ごく短い思考の沈潜。
だがその声は、明らかに低くなっていた。
『両国へ、そして楼蘭帝国へ』
『……間に合えばいいのですが』
水鏡に映る海を見つめるその瞳に、一瞬だけ影が差す。
小さく漏れた本音。
次の瞬間には消える。
『各軍、警戒態勢に移行』
決断は揺るがない。
戦線は――拡張する。
一方――
楼蘭海南域。
リオたちの船は、ようやく修復を終えたところだった。
新しいマスト。
張り替えられた帆。
だが――その距離は、あまりにも遠い。
「……スエランまで、どれくらいかかりますか?」
リオの問いに、グレイグ准将は短く答える。
「最短でも数日だ。状況次第じゃ、それ以上かかる」
その時、通信が入る。
『……状況が変わった』
クロキリの声――この場にいないはずの上位指揮官の声だった。
一言で、空気が変わる。
その序列は明確だった。
リオ。
グレイグ准将。
そして――クロキリ。
「敵主力が動いた……?」
沈黙。
距離。
時間。
すべてが足りない。
「……急ぐしかない」
だが、グレイグは首を振る。
「風向きと天候次第だな。無理を続ければ、船が先に限界を迎える」
現実。
だが――
「……それでも行きます」
リオは即答した。
だがその拳は、わずかに強く握られていた。
(間に合わないかもしれない)
その可能性を、理解した上で。
それでも。
その瞬間。
「……風、いる?」
アネリアが笑う。
「リオ、アストルも。手伝って」
四人で円陣を組む。
手と手が繋がる。
共鳴。
四人の魔力が同時に立ち上がり、中心へと収束する。
次の瞬間――それは柱のように天へと突き上がった。
光と風が絡み合い、一本の流れとなる。
風が応じる。
船が跳ねる。
速すぎる。
「ロープ張れ! 帆を逃がすな!」
全員が動く。
帆が裂けそうなほど張る。
船体が悲鳴を上げる。
(速い……!)
船が悲鳴を上げているのが分かる。
だが、それ以上に――
(……遠い)
(間に合わないかもしれない)
(このままじゃ、間に合わないかもしれない)
リオは歯を食いしばる。
「……制御が……!」
魔力が暴れる。
「……ミラ!」
ミラが出る。
一瞬、流れを見極め――そのまま輪へと踏み込む。
手を取り、連結する。
「……これが、精霊魔力」
かつてリオに魔法を教えた時とは、逆の流れだった。
教える側ではなく――流れに触れ、読み取り、制御する側へ。
制御。
安定。
だが――限界の上。
「このまま持つか……?」
「……持たせます」
リオは前を見る。
(間に合わせる)
船は、限界を超えて進み続けた。
(それでも――間に合わせる)
楼蘭海北西域。
静かな海。
その上を――
影だけが、進んでいた。
音もなく。
確実に。
敵主力は、すでに動いている。
――そして、その進軍はリオたちよりも、確実に早い。
その影は、スエラン海での分岐を終え――すでにこの楼蘭海北西域へと到達していた。
勝利の歓声は、戦争の終わりを意味しない。
それはただ、次の局面が始まった合図にすぎなかった。
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