杏姫と臆病者
私が学園に入学してから絶対に近づかないようにしていた場所があった……それは花壇である。前の私は図書館の帰りに可愛い花についつい足を止めて見とれている所を話しかけられて彼と出会う事になったからである……それなのに何故今私は彼に呼び止められたのだろう。
この日は移動教室で授業が終わったので教室に帰ろうとしていた時であった、突然後ろから「アン・マクレーン公爵令嬢ですね。」と忘れるはずもない彼の声が聞こえてきたのである。
……恐ろしくて振り返れない終わってしまう、始まってしまった、ずっと恐れていた私の最期のカウントダウンが身近に迫ってきているようだった。ぎこちない動作で振り返る、恐怖で顔も見れずに少し下を見てしまう。
「あぁ失礼突然呼び止めて驚かれたでしょう……どうしました体調が悪いのですか?顔色がよろしくないかと…。」
何とか笑顔を貼り付けて「そんなことはありません」と答えたが全身冷や汗でびっしょりで耳鳴りや目眩がする、心臓がバクバクと強く音を立ててーーー気がつけば意識を手放していた。
目を覚ますとそこは学園の医務室の天井だった、カーテンでベッドの周りは仕切られている。カーテンの向こう側に人影を見つけたので話しかける。
「……あの目が覚めました、申し訳ありませんが今が何時なのか分かりますか?」
「先程はごめんねレディ・アン、今はもう夕方で全ての授業も終わったよ。君の家族がもうしばらくしたら来るそうだから…入ってもいいかい?」
彼の声だった、私は少しだけ落ち着けると「大丈夫です」と声をかけた。カーテンをめくって入ってきた彼は優しい笑顔で私を見つめる…間違いないオスニエルだ、前の私を嫉妬に身を焦がす程に恋に狂わせた彼が私の目の前にいる。
「初めましてオスニエル・ティスディル…隣の王国アルタリアから留学生として来たんだ、一応第1皇子なんだけど大したことは無いから気にしないでくれるかい?」
「お見苦しい所を申し訳ありません、アン・マクレーンです。もしかして医務室まで運んでくださったのですか…?それなら重ね重ねお詫び申し上げます。」
ベッドの上だったが深く頭を下げる、顔を上げるとオスニエルの青い瞳が私の姿をとらえている。
「君はあのリリィ公爵令嬢の妹君かな?とてもよく似ている髪色だからね、綺麗な色をしているからついつい見とれてしまったよ。」
「ええ確かにリリィ・マクレーンは私の姉ですが。」
「やはりそうか、でも瞳の色は違うんだね、まるで杏のような色をしている…温かい瞳のようでとても綺麗だ!そういえば杏は知っているかな?ここらにはあまりないそうだから…。」
再び聞いたその言葉に心臓が握りつぶされそうになる、前の私はそれを聞いてとても嬉しかった。美しい姉と比べることはなく、私を見てくれたことにこの上ない喜びを感じていた。
「ええ知っています、見たことは無いのですが。」
「俺の国には沢山杏の木が生えている、俺は杏が好きだからその瞳を見ると落ち着くよ…」
「そうですか…私は杏が嫌いなので特に興味はありませんし見つめられても困りますので、助けて頂きありがとうございました。」
ベッドから降りて制服を整えてから頭を再び下げて医務室をあとにする。今にも吐きそうな程に気持ちが悪い、怖い、誰でもいいから知っている人に会いたい、私は生きていることを教えて欲しい、大丈夫だよと声をかけて欲しい……お姉様お姉様どこにいるの?助けてお姉様、抱きしめて欲しい、デイジーに気にすることないわと声をかけて欲しい…クロエのホットミルクが飲みたい、キティをギュッとしたい。ケヴィンに本を貸してもらわなきゃ…生徒会のスピーチの練習を、お母様のお墓参りもそろそろ行かないと、お父様…お姉様……。
混乱しながらも早足で歩いていた私は足を止めてその場にうずくまる、さっきから全身の震えが収まらない、大粒の涙が溢れて、唇をかんでひたすら嗚咽を堪える。
「おいお前…アン・マクレーンか?」
少し顔をあげて声の主の顔を見る……最悪だよりにもよってこいつに泣いているところを見られてしまうとは…。
真っ赤な髪と瞳の持ち主である声の主は心配そうに…いや少し面白がっているような表情で私を見ている。
「御機嫌よう…ジル・リンガリー、レディの泣いているところを見たかと思えば面白がっているのね…酷い人。」
「あのお茶会で年上の俺に偉そうに説教してきたお前はちゃんと令嬢だったんだなと感心したんだよ、何があったのか知らないが泣いている所をほっといたらローゼに怒られるんだよ…ほら立てれるか?」
ジルはローゼと婚約を結んでおり、男勝りで気の強いローゼと少しナルシストなジルは性格が合わないのかかなりの頻度で喧嘩をする。
勿論私と姉は例えジルに非が無くてもローゼの味方をする。
「お前面白いことになってるぞ…倒れた杏姫を隣国の王子がお姫様抱っこして医務室に連れていったとか…ブハッ!おいそんなに睨むなよー!それ聞いたリリィの顔…妹が倒れたことについての心配や知らない男に妹が抱っこされた事への怒りとか…色んな感情が混ざってて凄かったんだからな…。」
きっと今ずく医務室に行こうとした姉を2人で(主にジル)止めたのだろう。それについては感謝する、もしあの状況で姉も来ていたらややこしすぎることになっていた。
「でもお前、医務室出てきてもいいのか?リリィ授業が全部終わった途端に医務室に向かっていったから…。」
そういえば彼も言っていた、もうすぐ家族が来ると………全身からサーっと血の気が引いていく…やらかしてしまった、どうするべきだろうか…私はまた間違えたのだろうか。
「おい…!?なんでまだ泣いてるんだ??」
目からさらに涙が溢れる、分からない、未来を知っているだなんて誰も信じないだろう。脳裏に寒い冬の牢屋と処刑台に立つ私とギロチンが見える。……呼吸が苦しくなる、頑張って口を開いて息を吸おうとするが上手く吸えない、ヒュウヒュウと寂しい音がしてさらに自分を追い込めていく。
「おい!?アン!しっかりしろよ!?」
「リンゴリー!何してるの!!!」
ふと大好きな姉の声がする、姉は私を抱きしめると背中を優しくさする、耳元で何度も大丈夫よと声をかけながら。
ゆっくりと落ち着いていく、落ち着きを取り戻すにつれて恥ずかしくなってしまう、申し訳がない…15歳になったのに子供のように取り乱してしまった。
「……ご、ごめんなさいお姉様、わた、私…。」
「今日は体調が悪かったのね?気づいてあげられなくてごめん、医務室に行こうとしたのだけど少し遠くからリンゴリーの声がしたから気になってきてみたの…。」
「俺はリンゴリーじゃなくてリンガリーだ!」
「レディ1人も泣き止ませることが出来ない能無しはリンゴリーで十分よ!!!普段から女の子口説いでる癖に…こんな時にこそ!役立てなさいよ!」
「リリィみたいに俺がアンを抱きしめたらお前絶対に怒るだろ?」
「はぁ?当たり前でしょ!?気安く触ってんじゃないわよ!」
「な・ん・で・だ・よ!!!」
2人のいつものやり取りに落ち着く、私は生きている、大丈夫…姉とオスニエルは接触せずに済んだ。これからはもっと先のことを考えなければならない。
「ありがとうお姉様、ジル…私もう平気よ。」
「私たちのお家に帰りましょう…明日は念の為に休みなさい。」
屋敷に帰ると父にも知らせが届いていたのだろう、体調について聞かれ優しく抱きしめてくれた。姉も眠る前にいつものように抱きしめて額にキスをする…もう2度も失いたくない、やっと手に入れた幸せを、いつか離れて行ってしまう愛を今だけは私のものに…本当になんて私は傲慢なんだろう。怖い死にたくない、ただそれだけの為に私は本当の未来では愛し合った姉とオスニエルを引き離すの?違うそれだけの事じゃない…生きたい、私だけの愛が欲しい。
1人で涙を堪えていると背中に温かい温度を感じる、鈴の音がして少し後ろを見るとキティが体を丸めて眠っている。
昔のように走り回ることも無くなったおじいちゃんのキティ…貴方もいつか私の元から居なくなるのね、と月日の経つことの恐ろしさを実感した。
杏姫はどんなに年月が経とうと何度やり直しても臆病者だった
だから私は愛されないのだ




