始まり
ヒトリミサキ改
⻆谷 春那
始まり
女が、一人。誰も寄り付かない、池に一人。極めて、不気味な光景である。どうして、其処に居るのか。そんな所に座っていたら、折角の綺麗なロングスカートが、汚れてしまうではないか。そう、気遣ってくれる来客も、居ない。
人が寄り付かないのは、無理もない。此処は、辺鄙な土地にあるのだ。田舎の不気味な池なんて、某国民的映画でもない限り、誰も来ない。しかも、此処では昔、死体遺棄事件があったのだ。そのせいで、変な噂も出来た。
ヘドロまみれで、緑色で。生物の気配は、ちっとも感じられない。実際、碌なものが釣れない。釣り人も、寄り付かない。なら、何故。何故、女は此処に居るのだろうか。
事の発端は、数十年前。ある少女が、当時付き合っていた男に殺され、池に捨てられた事が始まりだ。正確には、彼女を池に捨てたのは、彼女の妹である。その妹も後に、彼女と同じ場所に肉隗で発見されたらしいが、それはまた、別の話である。
勿論、此の国の警察はそこまで、無能では無かった。この国は、人外が跋扈する国なのだ。そんな国の警察だ。人の―科学の力と、人外共の異能力で、すぐに真犯人の目途は立っていた。もっと決定的な証拠を揃え、すぐにでも逮捕状を出そうとしていた時であった。
しかし、男は終ぞ、逮捕される事は無かった。何故か。簡単な話である。逮捕される前に、死んでしまったのだ。変死であった。彼はこの池で、水死体として発見された。さほど深い訳でもなく、遊泳を試みようとするような場所ではなく。まさに、池に入った理由は謎であったが、こうして、事件は幕を閉じた。無事に女と、その妹も発見され、謎は残るが、一応は終結の運びとなった。
女―池の、湿った大岩に座っている―は、全ての事の経緯を知っていた。被害者が殺された経緯。妹が、死体遺棄した経緯。その妹も、殺されたおおよその理由。
そして何より。殺人犯が死んだ、本当の理由。
一部で広まっていた噂が、何故か真実と似通っていた。
殺された女の、怨霊だ。女と、その妹の死体を捨てた池。殺人犯は、其処に戻って来ていたのだ。様子を見に。それを、取り殺した。池に、引きずり込んだのだ。まるで、ワニのように。
別に、今座っている女は、殺された女―千代嬢の怨霊、と言う訳ではない。なら何故、知っているかと言う疑問が残る。
噂は、少し広まり過ぎていたのだ。まるで熱帯魚・ベタのような尾ひれが付いて、広まっていった噂。本当に、突拍子もない噂である。
「自分が取り殺した彼氏のあまりの惨めな最期を信じられず、偽物だと思い込んでしまった。そのため彼女は今も、本物の彼氏を探している。」
とか言う、本当につまらない、噂。しかしこれが、中々に肉付けしやすく、かつ面白いのだ。
噂は広まり過ぎ、やがて本当に、一体の怪異を、生み出してしまった。そんな経緯で岩の上の女―殺された千代の「紛い物」の怪異は、怨霊としての千代嬢の記憶の一部を引き継いでいる。
しかし、何もかも噂通りと言う訳ではない。むしろ怪異は、
「あんな糞男の何処が良かったのか。」
「もっと良い男を捕まえたい」
と、願っていた。
しかし、怪異にその希望を叶えるだけの力は、与えられていなかった。上述の通り、この池に人は来ない。家電を捨てに来る人間も、来ない程の奥地なのだ。襲える人間も居なければ、ただの噂から生まれた怪異。全く、この池から離れられないのだ。池から離れられなければ、襲える人間が来ず、力は衰える一方。しかし、元々池から離れられるほどの力も、無いのだ。
事件は徐々に風化され。人の噂も七十五日。
怪異は、このまま静かに、人知れず。消滅する筈だった。
愉快犯が居た。噂を聞きつけて、遥々やって来た、変わり者。
そいつは、怪異に近づき、こう言った。
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「人を襲いに行ける、力が欲しくはないでしょうか?」
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もはや人も襲えぬほど弱り切った怪異には、願っても居ない事であった。
「天はまだ、私を見捨ててはいなかったのね!」
多少の胡散臭さはぬぐい切れなかったが、背に腹は代えられない。怪異は、愉快犯の手を取った。




