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1話 始まりはあの日から

遡ること、11年前。私が6才の時である。あの日は急な夕立にあった日だったことをよく覚えている。私はその日、体調を崩していた母の代わりにお使いを頼まれていた。いつものように言われたものをちゃんとお店の人にお願いして、いつものようにお使いを終えた帰りだった。いつものように使っている街の路地裏の近道をしに路地裏に入った。いつもで終わると思っていた。

「…は、はあ…っはあ…」と浅い呼吸音と共に目に映ったのは、血を流して座り込んでいた男の人だった。私は見たことのない人の血の穢らわしさに軽やかだった歩みを止められたのを覚えている。血とは無縁の治安の良い大きな街で育ったのだから自然だったと思う。まだ幼かった私にできたのは、駆け寄って声をかけることだった。

「おじさん…ですか?」最初の私の第一声に気付いたその男の人は私の登場に驚いたのか、今思えば私の斜め上すぎる声掛けに驚いたのか、彼は目を見張った後に軽くフッと笑った。

「お嬢ちゃん、いくつだい?」「…6つ。」「そうか、賢いみたいだね。」そう言いながら私の頭に手が伸びたのだが、私の頭に手が置かれることはなかった。「この手じゃ無理だな。」そう言う彼の手をよく見ると、赤黒い血にべっとり塗れていた。きっと撫でてくれようとしたのだろうがそんなことはその時私の頭にはなかった。「それ、より…いたいでしょ?」そう言うと彼は、「放っておけば治るんだ。僕はマジシャンでね。驚いた_」と私にまるでこの状況をはぐらかすように努めていたようだった。彼の言っているそんなことは関係なかった。今できることを考えた結果、「きずはほうっておいたら大へんってママいってた。…いたいのがまんできる?」「イタタっ!?ハンカチが汚れちゃうよ!?」「いいの!…おにいさんにあげる。」そう言いながらまだ使っていなかったハンカチで傷口を抑えた。お医者さんのお母さんの真似事に近いものだったのかもしれないが母親譲りの人助けの性故の行動だったと思う。

「君本当に_」と男の人が言いかけたところで、しっ。という言葉を皮切りにさっきまでの柔らかい空気が一気に切り替わり、鋭さを含んだ目つきになった。

「…どうしたの…?」「これ握って、静かに。」そう言って彼が自身の襟元を弄って取り出したのは妙に不思議な魅力を含んだ透明なクリスタルのペンダントだった。あまりの美しさに触るを戸惑っていると、早くっ!と小声で迫られたのでしっかりと握った。それと同時に彼の胸に抱え込まれる形になった直後に、「どこだ!」「逃げたのはこっちだぞ!」という荒そうな男達の声が近付いてきた。暫く声を潜めていると、気づかれなかったのかバタバタと複数人の駆け足の音は舌打ちを残して去っていった。

「…行ったか。もう大丈夫、と言いたいところだけど…」そう彼が困ったような声を出しているのを他所に私はペンダントに見惚れていた。子供ながらこれは万人の目に必ず留まる代物だと確信した。「これきれい…これたかかった?」そう聞くと彼はまた柔らかい目つきになり、僕が作ったと柔らかく言った。「すごい…おにいさんお金もち?」「半分正解かな。」答える彼の身なりをよくよく見てみると少なくとも破れていたり血濡れているとはいえ、庶民の服装とは異なった上質そうなシャツとネクタイにスラックスを身にしていた。

「ふく、いいものなのにボロボロ…」「全くだよ。これじゃあ_ってそうじゃないな。」そう言うと彼は真剣な目つきで私を見つめながら言葉を続けた。これは君には如何見える?と問いかけられたので幼ながら見たそのままを私は吐露した。すると彼は口を片手で覆い、少し考えた後に彼は両手を首の後ろに回した。

「なにしてるの?」「…これは君にあげるよ。」「いいの!?こんなにきれいなものほしい人いるよ?」「いいかい。このペンダントの価値が判るのは君だけだよ。価値を測れる“人間”はこの世にいない物だってよく覚えておいてくれ。」「なんで?」「理由は今は言えない。それと、これはいつでも着けてくれるかい?」

私にペンダントを付けながら彼はそう言葉を紡いだ。この時に私の第六感で明らかに何かが変わったのではといった根拠のない確信が私の心の中に棲みつき始めたのをはっきりと覚えている。何を読み取ったのかは分からなかったが、私がペンダントのことで頭をいっぱいにさせていると彼は私を家まで送ってくれると言った。

「ここからとおいよ?おにいさんだいじょうぶ?」「なあに。言ったじゃないか、僕はマジシャンだよ?これを握ってごらん。」

一旦言葉を切って彼が渡してきたのは小さな石が埋め込まれた古びた趣のある鍵だった。金属部分のくすみ具合に似合わないほどの綺麗な石が埋め込まれており、これもまた私の心の中のワクワクの感情を擽った。

「君の家を思い浮かべてごらん。」「できたら…どうするの?」「まずは思い浮かべることに集中だよ。ハッキリ浮かべてもらわなきゃ家に帰れないからね。」「…おうちくらいわかるもん。」「ごめんごめん。そんなに不貞腐れなくてもいいじゃないか。」

そう応じながら彼は口角を緩めて私の頭を撫でていた。何時の間にか血は拭いていたようだった。彼のこの手はなぜだか不思議と心地よかった。私は男の人嫌いなのにだ。

「…出来たかい?」「うん。できた。」「じゃあ鍵を回してみて。鍵穴に使うのと何等変わらないよ。」「ここにかぎあななんてないよ?」「やってみれば分かるさ。」

何を言っているのかさっぱり分からなかった。ここには扉なんてものも、増してや窓すら近くにない路地裏なのだ。何を根拠に言っているのかもう少し大きくなっていたら彼を不審者として認識していたかもしれない。でもその時の私は子どもだったのだ。そんなこの世にはないようなことでも信じられる歳だった。彼の言葉に嘘が滲んでいるとも微塵も思ってなかったので、言われるがままに私は鍵を回した。すると回した鍵の周りからみるみるうちに光の線で鍵穴が出てきたかと思えば、それはあっという間に扉を象った。彼がドアノブに手をかけて開けた先に見えたのは、間違いなく見知った光景だった。長閑な街の外れの郊外の自然に囲まれた風景。そしてそれに溶け込む私の住む家。私が帰りたかった想像した通りの場所だったのだ。

「おにいさん。ほんとうにマジシャン?まほうつかいみたい!」「まさか。これは君の想像が起こしたものだよ。」「わたしまほうつかい?」「今の一瞬だけだけどね。僕と君の力あってこそだよ。」

すごいすごいと夢中になって彼を褒めていた最中だった。しとりとひんやりとしたものが私の頬を伝ったと思えば、やがてそれは量を増してざあざあと地面に容赦なく叩きつける音になった。なのに私は濡れていなかった。上を見上げると、まるで私と彼の頭上だけが()()()()()()()()()()()()ようであったのだ。

「…かさ?」彼が手に持っている小さなスティックを持ち手にしているようなので私はそう聞いた。彼はうーんと一瞬目線を斜め上に上げると、「そうだね、これを使うのは今日のを入れて4度目だ。」と応えた。

「おにいさんかさささないの?」「僕は基本的に外に出ないからね。中でやりたいことに集中する方が好きだよ。」「わたしも中でママといっしょがいい。」「そう言ってもらえる君のママはきっと幸せ者だ。」

彼が幸せ者だと口にしたこの時、彼が私を見ながら何か遠くを見るような目をしていたのを私は見逃さなかった。そう言うと彼は言葉を続けて、扉の前まで送るよと言ったのでお言葉に甘えさせてもらうことにした。家の扉の前に着くと、彼は私と目線をしゃがんで合わせて私にこう言った。

「このペンダントの価値に気付く者が現れた時はこのペンダントを握るといい。そうすれば何時でも何処でも僕が飛んでくる。…これは普通は価値が測れないからね。」

私がうんと頷くと、よろしいと一言言って彼はじゃあねと手を振って彼は行ってしまった。扉を開けて、部屋に行くと母が部屋で寝込んでいた。約束していたものを袋ごと見せると母はありがとうと、それを受け取って台所に行った。私は言わずもがな手伝うために着いて行き、料理を手伝いながら今日の出来事に思考を巡らせていた。今日起こったこと達はコロコロと頭の中の好奇心が矢継ぎ早に移り変わっていくような、言葉にするにはあまりにも鮮やか過ぎる出来事であったと確実に言えた。ご飯を食べて寝る頃には頭の整理が着いたお陰か、比較的興奮のピークを過ぎていたらしかった。閉じた瞼の裏でこんな不思議なことがあるものなんだなと思ったことも眠気の沼は全てを夢の世界に引きずり込んでいった。

思えばこの日の次の日からだった。私が明らかに人とは違うものが見え始めたのは。


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