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第2話:団長の視線、副団長の秘密

 薔薇の庭園から少し離れた、王国騎士団の重厚な石造りの本部庁舎。

 新米騎士フェリックスが、初々しい恋心に胸を熱く焦がしていたその頃――。

 騎士団を束ねる大人たちの間でも、別の意味で心臓に悪い「火花」が散っていた。

 二階にある副団長執務室の窓からは、王都ののどかな街並みが一望できる。

 だが、その部屋の空気は、窓外の穏やかな春の陽気とは裏腹に、張り詰めた緊張感に包まれていた。

「――以上が、今月の王宮警備に関する予算の修正案です、ギルバート副団長」

 涼やかな、しかし芯の通った声が響く。

 声をかけたのは、王国騎士団副団長の一人、テレーズ・ブランシェットだった。

 三十二歳。流れるような艶のある黒髪をきっちりと結い上げ、隙のない軍服に身を包んだ彼女は、周囲の男性騎士からも「氷の女傑」と恐れられるほどの切れ者だ。

「うん、いつもながら完璧な書類だね、テレーズ。君がいてくれて本当に助かるよ」

 もう一人の副団長であるギルバート・ウェストコートが、書類を受け取りながら大人の色気を帯びた笑みを浮かべた。

 三十六歳。整った顔立ちに、どこか気だるげで余裕のある雰囲気を纏った彼は、若い女性騎士たちの憧れの的でもある。最近、彼はこの有能な同僚――テレーズのことが、公私ともに気になって仕方がなかった。

「職務ですから、当然のことです。……では、私はこれで」

 テレーズは感情を一切表に出さず、踵を返そうとする。

 だが、その胸のうちは、今にも爆発しそうなほどの狂おしい恋心ぞっこんで満たされていた。

(ああ、今日もギルバートは素敵すぎるわ……! あの微笑み、あの声、すべてが私の心を惑わせる。でも駄目よ、私は副団長。みんなにこの気持ちがバレたら、騎士団の規律に関わるわ……!)

 心の中の乙女が大騒ぎしているとも知らず、ギルバートはふと思いついたようにペンを置いた。

「待ってくれ、テレーズ。実はもう一件、相談したい案件があってね」

 ギルバートが立ち上がり、テレーズの元へ歩み寄る。

 彼が差し出した別の書類を受け取ろうとした、その時だった。

 かすかに、二人の指先が触れ合った。

 ピクリ、とテレーズの身体が強張る。

 普段なら気にも留めないはずの、ほんの僅かな接触。しかし、相手がギルバートとなれば話は別だった。彼の指の熱が、まるで電流のようにテレーズの肌を駆け抜ける。

「あ――」

 テレーズは、まるで熱い鉄板に触れたかのように、慌てて手を引き離した。その拍子に、彼女の白い頬が、一瞬にして夕焼けのような鮮やかな赤に染まっていく。

「おいおい、テレーズ? そんなに顔を真っ赤にして、どうしたんだい? 熱でもあるのか?」

 ギルバートが不思議そうに顔を覗き込んできた。その距離が、テレーズにとってはあまりにも近すぎる。

「な、何でもありません! 気のせいです! ギルバート副団長、仕事に戻ってください!」

 テレーズは上擦る声を必死に抑え、ツンとそっぽを向いた。

 ギルバートは、彼女のそんな態度に少しだけ寂しさを覚えつつも、「やはり嫌われているのだろうか」と、見当違いな考察を脳内で展開していた。

「――っははは! 相変わらず、若いのは元気があって良いのう」

 その時、部屋の入り口から、低く地響きのような笑い声が聞こえた。

 振り返ると、そこには豪華な装飾が施された椅子に深く腰掛け、優雅にお茶を啜っている老人の姿があった。

 王国騎士団団長、パーシバル・ラドクリフ。

 六十一歳。白髪交じりの立派な髭を蓄えたその姿は、かつて数々の武功を立てた伝説の騎士そのものだが、今はすっかり「お茶目な好々爺」として定着している。

「だ、団長!? いつからそこに……!」

 テレーズが狼狽えながら叫ぶ。

「ん? 最初からおったぞ? お主たちが、書類一枚で随分と熱烈な『演舞』を踊っておるのを、特等席で見せてもらったわい。いやあ、若い娘の赤面顔は、何度見ても目の保養になる」

 パーシバルは悪戯っぽく目を細め、ニヤニヤと笑った。本気で恋愛をするつもりは毛頭ない老人だが、部下たちの甘酸っぱい人間模様を特等席で観賞することに関しては、人一倍の情熱を持っている。

「団長、からかわないでください。彼女はただ、体調が悪いだけですよ」

 ギルバートが苦笑しながらフォローを入れるが、それが逆にテレーズの心を千々に乱れさせる。

(体調不良じゃないわよ、このド天然! あなたのせいよ、あなたがあまりにも格好いいから……っ!)

「まあ、そう言っておくとするかのう」

 パーシバルは意味深にウィンクをすると、お茶を飲み干して立ち上がった。

「さて、ワシはそろそろ訓練場の様子でも見に行くとしよう。大人たちのダンスも風情があるが、若者たちの青い春も、これまた見応えがあるからのう」

 老練な団長は、すべてを見透かしたような足取りで部屋を去っていく。

 残されたのは、気まずそうに視線を彷徨わせるギルバートと、限界まで赤くなった顔を隠すように書類で顔を覆うテレーズ。

 平和な王都の鉄壁たる騎士団は、その中枢から、すでに恋の嵐に激しく揺さぶられ始めていた。



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