第13話:12:00 - 孤独の地下室と、電子の霧
【2026年6月20日 12:05 - 日本・東京 首相官邸 地下危機管理センター】
すべての電源が落ち、外界から完全に遮断された官邸地下の危機管理センター。
電磁パルス(HEMP)攻撃の直撃により、空調システムも完全に停止した密室には、数十人の官僚と政治家たちの体温によって、じっとりとした不快な熱気と二酸化炭素が充満し始めていた。
「誰か……誰かいないの!? 扉を開けなさいよ!!」
『立憲民政党』の白いスーツの女性幹部が、非常灯の薄暗い赤い光の中、分厚い防爆扉を両手でバンバンと叩きながら金切り声を上げていた。
「息が苦しいわ! 外のSPは何をしているの! 自衛隊を呼びなさい! 私たちは国家の指導層なのよ、ここで死ぬわけにはいかないのよ!」
しかし、外からの応答は一切ない。
扉は電子ロックで制御されており、EMPによって基盤が焼き切れた今、外から重機でこじ開けない限り、この地下室は文字通りの「巨大な棺桶」と化していた。
「ああっ、クソッ! 電波が立たない! SNSが更新できない!」
『令和新風会議』の元俳優の熱血党首は、完全に文鎮と化した自身のスマートフォンを床に叩きつけ、頭を抱えて座り込んでいた。
「僕のフォロワーが待っているんだ……! 今こそ、消費税ゼロと反戦のメッセージを発信しなければいけないのに! なんで電波が通じないんだ! アメリカの陰謀だ、アメリカが僕の声を封じているんだ!」
恐怖で狂乱する二人をよそに、日本の首相は、オーバルテーブルの真ん中で、一人静かに座っていた。
彼の目の前には、完全に冷え切り、表面に薄い膜が張ったほうじ茶と、床にこぼれて乾き始めたコーヒーのシミがある。
「総理……何か、何か指示を……」
疲労困憊した外務官僚がすがるように声をかけたが、首相はゆっくりと首を横に振った。
「……指示、ですか」
首相のねっとりとした声は、もはやただの掠れ声になっていた。
「電話も通じない。テレビも映らない。……私が得意としてきた『論理的な説明』も『対話』も、伝える手段がなければ、ただの空気の振動に過ぎない。我々は……法理という名の、無力な幻影を追いかけていたのでしょうか」
日本の最高権力者は、暗闇の中で初めて、自らの政治信条の完全な敗北を悟っていた。
平和は、話し合いだけでは守れない。相手がテーブルをひっくり返し、銃を突きつけてきた時、自分たちにはそれを跳ね除ける「力」も「覚悟」もなかった。自衛隊の手足を縛り、同盟国を冷遇し、ただ言葉遊びに興じていた結果が、この暗くて息苦しい、巨大な鉄の墓標なのだ。
「……誰か」首相は虚空を見つめ、力なく呟いた。「誰か、この国を……頼む……」
その声は、泣き叫ぶ女性幹部と党首の声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
【2026年6月20日 12:20 - 中国・北京 中南海 中央軍事委員会作戦室】
東京を原始時代へと叩き落としたEMP攻撃の成功は、北京の作戦室に一時の安堵をもたらすはずだった。しかし、現実は全く逆であった。
「主席! 米軍の戦略原子力潜水艦が、次々とミサイルハッチを開放しています! さらに、アメリカ本土のICBMサイロ、および戦略爆撃機部隊が『DEFCON 1(最高度の戦争準備態勢)』に移行しました! 奴ら、本気で我が国との全面核戦争を辞さない構えです!」
作戦参謀の悲鳴のような報告に、作戦室の将軍たちは一斉に息を呑んだ。
中国の絶対的指導者である国家主席の顔から、ついに余裕の笑みが完全に消え去っていた。
「馬鹿な……。たかが極東の島国一つのために、アメリカが自国の消滅を賭けてまで核のボタンに手をかけるというのか!?」
国家主席はギリッと奥歯を噛み締めた。
EMP攻撃は、あくまでアメリカの戦意を挫くための「脅し」であった。しかし、ワシントンの狂犬たちは脅しに屈するどころか、逆にリミッターを完全に外してしまったのだ。
「主席、さらに最悪の報告があります」
情報局のトップが、震える手で資料を差し出した。
「日本の自衛隊ですが……EMP攻撃によって彼らの指揮系統が崩壊し、動きが止まると予測していました。しかし、彼らは止まるどころか、攻撃のピッチを極限まで上げています! 官邸の政治家たちとの通信が物理的に切断されたことで、逆に現場の部隊が『完全な自由裁量』を得てしまったのです!」
「なんだと……?」
「日本政府という『最大の足枷』が消滅したため、自衛隊は一切の政治的躊躇を捨てました。彼らは今、米軍と完全に一体化し、我が軍の揚陸艦隊を容赦なく沈めにかかっています。……我々は、自らの手で、眠れる日本の軍部を『解き放って』しまったのです」
皮肉。あまりにも残酷な戦略的皮肉であった。
日本の政治家たちの「お気楽な平和主義」こそが、自衛隊の猛攻を防ぐための中国にとっての「最強の盾」だったのだ。それを、自らのEMP攻撃で焼き切ってしまった。
「……ええい、泣き言を言うな!」
国家主席は激しく机を叩き、自らの失策を怒鳴り声で誤魔化した。
「アメリカが核を撃つ前に、既成事実を作ればいい! 台湾本島に我が軍の旗を立て、数万の兵力を上陸させれば、アメリカとて台湾の民間人ごと核で焼き払うことはできまい! 戦略支援部隊の電子戦機(Y-9G)を全機投入しろ! 台湾海峡に強力な電波妨害の傘を展開し、日米の索敵の『目』を潰せ! その隙に、何が何でも上陸部隊を西海岸へ押し込め!」
【2026年6月20日 12:35 - 台湾海峡 洋上空域】
北京からの命令を受け、台湾海峡の上空には、無数のアンテナを機体に生やした中国人民解放軍の電子戦機「Y-9G」や「Y-8Q」が編隊を組んで飛来していた。
彼らが搭載する大出力のジャミング・ポッドが起動した瞬間、台湾海峡一帯の電波空間は、完全な「ホワイトアウト」状態に陥った。
レーダー画面は無数のノイズで真っ白に染まり、日米連合軍の戦術データリンク(Link 16)の通信速度が劇的に低下する。GPSの誘導信号も乱され、空を飛ぶミサイルの命中精度が著しく落ち始めた。
「こちらアルファ1! レーダーに強力なジャミング! 敵艦隊のロックオンが外れた!」
上空を飛ぶ航空自衛隊のF-15Jパイロットから、焦りの声が無線に響く。
「米海軍のイージス艦からも報告! 中国軍の電子戦網により、トマホークの精密誘導が困難になっている模様!」
日米の「目」が霞んだその隙を突き、生き残っていた中国の揚陸艦やエアクッション揚陸艇(LCAC)が、凄まじい水飛沫を上げながら台湾本島の西海岸――新竹、そして台中周辺の砂浜へと猛スピードで殺到し始めた。
「見ろ、日米のミサイルが逸れていくぞ!」
中国軍の揚陸艇に乗る兵士たちが、空を見上げて歓声を上げる。
「電子戦部隊が目隠しをしてくれた! あと数キロで上陸だ、台湾の陸軍など、我々の数の暴力で一蹴してやる!」
しかし。
彼らは理解していなかった。台湾軍が、最新の電子機器に依存した正規戦をすでに放棄し、「泥臭いプランB」へと移行していたことを。
【2026年6月20日 12:45 - 台湾・台中市沿岸 防風林帯】
「敵の上陸艇、距離3000! 肉眼で確認可能!」
海岸線に広がる鬱蒼とした防風林の中。カモフラージュネットを被った台湾陸軍の将兵たちが、双眼鏡を覗き込みながら叫んだ。
彼らの傍らには、大型トラックに偽装された自走式の対艦ミサイル「雄風II型」及び「雄風III型」の発射機が、静かに砲身を海へ向けていた。
地下バンカーにいる台湾総統からの「分散抗戦フェーズ」の命令に従い、彼らは中央のレーダーサイトからのデータリンクを自ら切断していた。中国軍のサイバー攻撃や電子妨害を無効化するためである。
「通信はすべて有線電話、あるいはオートバイの伝令に切り替えろ! レーダーは使うな、敵の対放射源ミサイルの的になるだけだ! 誘導は光学(赤外線)照準と、事前に入力した海面の座標データのみで行う!」
台湾軍の指揮官は、砂まみれの顔にギラギラとした闘志を浮かべて部下たちを鼓舞した。
電子戦というのは、相手がレーダーやGPSの電波を使っていなければ、何の意味もない。
台湾軍は、徹底的に「アナログ」な待ち伏せ戦術に切り替えていた。
「距離2000! 敵の揚陸艇群、射程に入りました!」
「台湾の土は、一歩たりとも踏ませるな! 雄風ミサイル、全弾発射!!」
ドバババババンッ!!!
防風林の中から、突然数十発の対艦ミサイルが火を噴いて飛び出した。
光学シーカー(赤外線画像誘導)で飛翔するミサイル群は、中国軍の電子妨害を一切意に介することなく、海面を滑るように進み、接近していたエアクッション揚陸艇の横腹へ次々と突き刺さった。
「な、なんだ!? どこから撃ってきた!」
「台湾軍のレーダー波は探知していなかったはずだぞ!」
パニックに陥る中国兵たちを乗せた揚陸艇が、凄まじい爆発と共に空中に放り出され、バラバラの鉄屑となって海面へと降り注ぐ。
台湾軍の決死のゲリラ戦術が、中国軍の上陸部隊に血の代償を強いていた。
【2026年6月20日 12:50 - 新宿区市ヶ谷・防衛省 地下中央指揮所】
「台湾西海岸にて、台湾陸軍が局地的な迎撃に成功。しかし、中国軍の電子妨害により、米第7艦隊と我が自衛隊の長距離打撃力が著しく低下しています!」
市ヶ谷の地下指揮所では、戦況の推移を知らせる報告が次々と上がっていた。
『国民民主連盟』の冷静沈着な幹事長は、ホログラムモニターに広がる「電子の霧」の赤い表示を、鋭い目で見つめていた。
「統幕長。このまま中国の電子戦機を野放しにしておけば、日米のミサイルは当たらず、いずれ物量で台湾は押し切られます。何か、あの『目障りなジャミングの傘』を突破する方法はないのですか」
幹事長の問いに、統合幕僚長は不敵な笑みを浮かべた。
「幹事長。我々自衛隊の索敵能力を甘く見ないでいただきたい。電波がダメなら、電波を使わない領域から『目』を繋げばいいのです」
統幕長はコンソールを操作し、モニターの表示を「海中」へと切り替えた。
「海上自衛隊の潜水艦部隊は、海中の『音紋データ』を使って敵艦の正確な位置を把握しています。これを、海中音響通信を使って、上空を飛ぶ最新鋭の『P-1哨戒機』へと送信させます」
「しかし、空中のP-1もジャミングの影響を受けるのでは?」
「P-1哨戒機は、光ファイバーを利用した『フライ・バイ・ライト』システムを採用しており、強力な電磁パルスやジャミングの影響を極めて受けにくい構造になっています。P-1が海中から受け取ったデータを、妨害電波の届かない高高度の衛星回線、あるいは指向性の強いレーザー通信を使って、米海軍のイージス艦へ直接流し込むのです」
幹事長は、目を見張った。
「……海中の潜水艦から、空中の哨戒機を経由して、米軍のミサイルへ。見事な連携だ。日米の長年の訓練の賜物ですね」
「ええ」統幕長は力強く頷いた。「政治家たちが『日本は戦争をしない』と寝言を言っている間も、我々はただひたすらに、同盟国と共にこの日を想定して血の滲むような訓練を積んできたのです。その真価を、今こそ見せつける時です」
統幕長は指揮マイクを握り、全軍へ号令をかけた。
「作戦名『クリア・スカイ』を発動。海自の潜水艦隊、およびP-1哨戒機部隊は、直ちに音響・光学データリンク網を構築せよ! 目標は、台湾海峡上空に展開する中国軍の電子戦機(Y-9G)部隊! 米海軍のSM-6ミサイルを、我々の『見えない糸』で誘導しろ!」
【2026年6月20日 12:55 - 東シナ海・上空】
電波が乱れ飛ぶ空域のわずか外側を、海上自衛隊の純国産哨戒機「P-1」が悠然と飛行していた。
機内の戦術オペレーターたちは、海中の味方潜水艦から上がってくる微弱な音響信号を瞬時に解析し、敵の電子戦機の正確な三次元座標を弾き出していた。
「データリンク統合完了。指向性データ送信、米海軍イージス駆逐艦『アーレイ・バーク』へ転送!」
「ターゲット・ロック。米艦より、SM-6発射されました!」
フィリピン海の洋上から、再びアメリカの長距離艦対空ミサイル「SM-6」が放たれた。
ミサイルは自らのレーダーを使わず、自衛隊のP-1哨戒機から送られてくる「座標データ」だけを頼りに、盲目のまま超音速で空を切り裂いていく。
そして。
台湾海峡上空で、優越感に浸りながら強力な妨害電波を垂れ流していた中国軍のY-9G電子戦機のパイロットは、警報すら鳴らないまま、突如として自機の右翼が巨大な爆発によって吹き飛ばされるのを見た。
「な、被弾!? どこから……!」
言葉を発する間もなく、機体は錐揉み状態となって真っ暗な海へと墜落していった。
一機、また一機と、中国の電子戦機が、自衛隊の「見えない誘導」を受けた米軍のミサイルによって次々と撃ち落とされていく。
作中時間、13:00。
空を覆っていた電子の霧が晴れ始めた時、極東の海は、日米連合軍による「容赦のない狩り」の狩り場へと変わろうとしていた。
残り35時間。絶望的な戦力差を覆すための、最前線の兵士たちの執念の反撃が続く。
※本作はIFシミュレーションであり、実在の団体・個人・国家に対しての誹謗中傷を目的としたものではありません。




