第一章 勇者は本気だった
――案件No.015 担当勇者:橘ミズキ 状況:政治運動継続中――
橘ミズキは、第三広場に近い市民の家に滞在していると聞いていた。
評議会が手配した宿舎ではなく、市民から部屋を借りている。その一点だけで、この人物の立ち位置はある程度見えてくる。評議会の管理下に入ることを、意図的に避けているのだろう。
路地を進み、扉をノックする。応答は早かった。数秒で開く。
二十六歳の女性が立っていた。
短く切った黒髪、動きやすそうな服装。目に強い光がある。疲れてもいた。目の下に薄いクマがあり、声にわずかな緊張が混じっている。それでも、怯えた様子はない。
「派遣会社の人ですね」
ミズキは言った。
「来ると思ってました」
「神崎です。こちらは宮下、占い師担当です」
「占い師まで連れてくるんですか」
「前回の案件で役に立ったので」
ミズキが一瞬、宮下を見る。値踏みするというより、確認するような目だった。それから扉を大きく開けた。
「どうぞ」
三人で部屋の中に入る。
狭い空間だった。簡素なテーブルと椅子が二脚。窓から午前の光が差し込み、壁に大きな地図を照らしている。評議会の建物の位置、市民居住区の区割り、昇降台の設置場所。赤いペンでびっしりと書き込みがある。
単なる滞在ではなく、調査の拠点として使っている部屋だ。
「本題を聞かせてください」
蓮が言うと、ミズキは椅子を引いた。
「呼び戻しに来たんでしょう」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まず話を聞きに来ました」
ミズキの肩から、わずかに力が抜けるのがわかる。完全に緩んだわけではないが、少なくとも構えるのをやめた、という程度には。
「……何から話せばいいですか」
「なぜ革命家になったのか、から」
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ミズキの話は、一時間かかった。
風竜の排除が終わり、帰ろうとしたとき、一人の老人に声をかけられた。市民居住区の端に住む男で、昇降台の使用料が払えず、十年以上地上に降りていない。病気の息子がいるが、地上の医者に見せる手段がない。
その話を聞いて、街の見え方が変わった。意識して見ると、同じような話がいくつも出てくる。
「そこから全部見えてきた」
ミズキは言う。
「評議会が何をやっているか。市民がどれほど閉じ込められているか」
「その老人は今」
「支持者の一人です。活動を手伝ってくれています」
蓮はメモを取りながら聞く。
「革命を、どこまで進めるつもりですか」
ミズキが少し間を置く。視線が地図に流れ、また戻る。
「評議会の解散と、新しい市民代表制の導入。昇降台の使用料無償化。税制の見直し。それだけです」
「それだけ、というには規模が大きい」
「でも間違ってない。そうでしょう?」
蓮は答えない。ペンを走らせる手だけが動く。
「間違ってないでしょう」
ミズキがもう一度、言う。今度は確認ではなく、確信として口から出てくる言葉だった。
「だからやっています」
部屋に短い沈黙が落ちる。
蓮はメモから目を上げず、最後の一文を書き終える。
反論できない、というのは正確な感触だった。ただそれは、この件が単純だということを意味しない。正しさと、動かせることは、別の問題だ。それがこじれた案件ほど、その距離は遠くなる。
ペンのキャップを閉じながら、蓮は次の問いを考えていた。
## 第一章(中編)
宮下が静かに口を開いたのは、その沈黙が少し伸びたころだった。
「ミズキさん、少し聞いていいですか」
ミズキが宮下を見る。
「評議会の人たちとは、話し合いを試みましたか」
「最初の一ヶ月は試みました。三回、交渉の場を求めました」
一拍置く。
「全部、無視されました」
「三回で諦めた、とは思っていません」
宮下の声は穏やかで、責める色がない。
「ただ、今の方法――演説と署名活動と市民の組織化――これが続いた場合、最終的にはどうなると見ていますか」
ミズキが少し目を伏せる。窓の外、路地に人の気配がある。通り過ぎる足音が遠ざかってから、ミズキは答えた。
「……わかりません。市民が蜂起するか、評議会が弾圧するか。どちらかだと思っています」
「どちらも、誰かが傷つく」
「わかってます。でも何もしなければ今のまま続く」
「そうですね」
宮下は頷く。
「あなたは正しいことをしている。ただし、正しいことの"やり方"には複数あります」
ミズキが宮下をまっすぐ見た。反論しようとして、しなかった。何かを考えている顔だった。
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夕刻の演説を、蓮と宮下は広場から少し離れた場所で見た。
第三広場に集まった人数は、三百人を超えている。老人も、子供を連れた親も、仕事帰りらしい若者もいた。これだけの人間が、自分の意志で足を運んでいる。
ミズキの声はよく通った。感情的な煽りが少なく、内容は論理的で、具体的な政策を順序立てて提示している。聴衆は静かに聞いていた。熱狂というより、共感に近い空気だった。誰かに焚きつけられて集まった群衆ではなく、自分なりに考えて来た人たちの、静かな集まり。
「これは止めるべきではないかもしれませんね」
宮下が小声で言う。
「でも弊社はノアリア評議会から派遣の依頼を受けています」
「依頼主は評議会ですか。それとも都市ですか」
蓮は書類を頭の中で確認する。
依頼主の欄には「ノアリア都市当局」とある。評議会が当局を兼ねているが、厳密には都市からの依頼だ。
「……都市です」
「都市の利益と評議会の利益は、必ずしも一致しませんね」
宮下はそれだけ言って、また演説に目を戻した。
蓮の頭の中で、何かが静かに組み替わる。
依頼主は都市だ。評議会ではない。では都市の利益とは何か。市民全員が安定して暮らせること、ではないか。
ならばミズキを止めることが、本当に依頼の達成になるのか。
答えはまだない。ただ問いの形が変わった。それだけで、明日やるべきことが見えてくる。
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翌朝、蓮は評議会に面談を申し込んだ。
議長室に通されると、七十代の太った男性が椅子にどっかりと座っていた。名前はグルダン。自信に満ちた態度だったが、目の奥に焦りがある。隠しきれていない。
「勇者派遣会社の者か。早くあの女を止めてくれ」
「状況を確認させてください。ミズキさんの要求の内容は把握していますか」
「把握している。無茶苦茶だ」
「具体的にどの点が?」
「評議会の解散など、数百年の伝統を否定するものだ。認められるわけがない」
「税制の見直しと昇降台の無償化については」
グルダンが少し口をつぐむ。
「……財政的に難しい」
「財政の詳細を見せてもらえますか」
「なぜ派遣会社がそれを」
「解決策を作るためです。感情論ではなく数字で話したい」
グルダンが渋々、分厚い書類を机に置いた。
蓮は一時間かけてそれを読む。収入の内訳、支出の構造、昇降台の維持費、税の徴収先。数字は嘘をつかない。読み進めるほど、輪郭がはっきりしてくる。
読み終えて、蓮は書類を閉じた。
やろうと思えば、できる。財政的な根拠はある。問題は意志だ。
書類を閉じて、蓮はグルダンを見た。
「財政を見ました。昇降台の無償化は、現行の税収の四パーセントを充てれば実現できます。税制の段階的見直しも、三年の移行期間を設ければ財政を圧迫しない水準で可能です」
グルダンの目が細くなる。
「……どこでそれを」
「今読んだ書類に書いてあります」
沈黙。グルダンは腕を組み、窓の外に視線を逃がした。外には雲海が広がっている。それ以上でも以下でもない景色だ。
「できるかできないかと、やるかやらないかは、別の話だ」
しばらくしてから、グルダンが言う。
「そうですね」と蓮は答えた。「なぜやらないのか、聞かせてもらえますか」
「秩序の問題だ。一つ譲れば、次々と要求が来る。それが統治というものだ」
「ミズキさんの要求は、最初から今と同じ内容でしたか」
「……変わっていない」
「三回の交渉申し入れを無視した時点では、要求の規模はどうでしたか」
グルダンがまた黙る。
答えを持っていないのではなく、答えたくないのだと、蓮にはわかった。最初の要求はもっと小さかった。無視するたびに、ミズキは声を大きくせざるを得なくなった。そういう経緯が、書類の行間から透けて見える。
「一つ、提案があります」
蓮は言う。
「ミズキさんと、正式な話し合いの場を設けてください。演説の場ではなく、会議として。議題は財政と制度の具体論に絞る。感情的な対立ではなく、数字と事実を並べた上で話し合う場です」
「あの女が応じるわけがない」
「私が段取りします」
グルダンが蓮をじっと見る。品定めするような間があった。
「……あなたは、どちらの味方ですか」
「どちらでもありません」
蓮は答えた。
「弊社が依頼を受けているのは、ノアリア都市当局からです。この都市が安定して機能することが、依頼の目的です。評議会でもミズキさんでもなく、都市全体の話をしています」
グルダンが小さく鼻を鳴らした。不満なのか、納得したのか、判断のつかない反応だった。
「……考えておく」
「明日中に返事をください。時間が経つほど、広場の人数は増えます」
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評議会の建物を出ると、宮下が外で待っていた。
石畳の上で空を見上げている。雲の切れ目から、遠く地上の緑が見えている。
「どうでしたか」
「やる気はあります。ただ、怖がっている」
「何を」
「譲ることで、自分たちが崩れることを」
宮下が少し考えてから、言う。
「支配する側の人間が一番恐れるのは、支配の終わりではなく、支配を失った後の自分たちの姿かもしれませんね」
蓮はその言葉を手帳に書き留めた。
うまく言語化できていなかったことが、一文になった気がした。
グルダンは悪人ではないだろう。ただ、長く守り続けたものを手放す想像ができないでいる。その恐怖は、ミズキの怒りと同じくらい本物だ。どちらも、同じ場所から来ている。変化への恐れ、という点では。
「ミズキさんに話を通しに行きます」と蓮は言った。「一緒に来ますか」
「行きます」
二人で路地を引き返す。
夕方の光が石畳を斜めに照らし、壁の影が長く伸びている。どこかから夕食の匂いがした。この都市にも、そういう時間がある。評議会の書類にも、ミズキの演説にも出てこない、ただの夕暮れが。
蓮はその匂いを確認するように一度だけ息を吸い、また前を向いた。
まだ話の途中だ。




