プロローグ ―今回は少し、難しい案件かもしれない―
宮下さんが来て二週間後のことだった。
占い師としての初仕事の報告書を提出した翌日、蓮はいつも通り定時に出社した。
鞄を置き、コーヒーを淹れ、トレイに積まれた書類の束を取り上げる。
上から順に処理する。それが自分のやり方だ。
三枚目を手に取った瞬間、「難しいかもしれない」と感じた。
根拠はない。感覚だけだ。
書類の文面は、過去の案件と変わらない形式で印刷されている。
フォントも余白も同じ。それでも、何かが引っかかった。
紙の重さではなく、内容の密度、とでも言うのだろうか。
蓮は椅子に座り直し、書類を最初から読んだ。
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*【緊急案件】派遣先:天空浮遊都市ノアリア 担当勇者:橘ミズキ 問題:当該勇者が「勇者を引退して革命家になる」と宣言。住民の三割が支持している。なお本人は「革命を起こすことが今の自分の仕事だ」と主張。依頼人:ノアリア評議会議長アシュル。*
備考欄にはこうある。
*「橘ミズキ、二十六歳。派遣歴十ヶ月。元活動家。社会問題への関心が強く、スキル特性は戦闘よりも演説・扇動系が高い。なお戦闘スキルも標準以上。評価:問題を起こしやすいが本人は至って誠実」*
演説・扇動系スキル、という分類があることを蓮は今日初めて知った。
そういう分類があるのか、と思いながら、「本人は至って誠実」という一文に目が戻る。
問題を起こしやすいが、誠実。
その二つが並んでいることに、妙なリアリティがあった。
悪意があれば対処は単純だ。
難しいのは、いつだって誠実な人間が起こす問題だった。
蓮はコーヒーを一口飲み、立ち上がって社長室のドアをノックした。
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「社長、こういうタイプは今まで扱ったことがありますか」
室田社長が書類から顔を上げた。
「革命系? 一件だけある。十五年前」
「どう解決しましたか」
「……解決できなかった。それが唯一の失敗案件」
蓮は少し間を置いた。
「原因は何でしたか」
社長がカップをソーサーに置く、小さな音がした。
「担当者が勇者の言っていることを聞かなかった。正論を押しつけようとして、関係が壊れた」
「担当者は、自分が正しいと思っていたんですか」
「正しかったよ。正しかったから余計に聞かなかった」
そうですか、と蓮は言った。
正しいから聞かない、という構造を、この仕事で何度か目にしてきた。
依頼人側にも、勇者側にも、どちらにも起きうる。
そして大抵、こじれた案件の根にはそれがある。
「今度はうまくやってよ」
社長はそう言って、コーヒーカップを持ち、自分の席に戻った。
それ以上は言わなかった。
言わないことが、この人のやり方だと蓮は知っていた。
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自席に戻り、備考欄をもう一度読む。
「本人は至って誠実」。
*(誠実な人間が革命を起こそうとしている。それは、何かが本当にまずい状況だということだ)*
言い換えれば、ミズキが間違っているとは限らない。
むしろ、正しい可能性が高い。
正しい相手を動かすのは、間違った相手を諭すより、はるかに難しい。
説得できないからではなく、説得しようとすること自体が、関係を壊す引き金になりうる。
蓮はしばらく書類を見つめ、それからファイルに挟んだ。
荷物は軽い方がいい。着替えと、筆記用具と、白紙のノートを一冊。
現地で何が起きているかは、現地で見るまでわからない。
想定を固めすぎて行くと、見えるものが見えなくなる。
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翌朝、蓮は転送地点に向かった。
空は晴れていた。
地上の景色が遠くまで続いていて、その先に雲があり、雲の上にはまだ何も見えない。
まず話を聞く。どちらの話も。
それだけを決めて、蓮は天空に飛んだ。




