論理エラー(神の概念)と、仮想環境(サンドボックス)の罠
「ブハッ……! ぐ、ガァァァッ!!」
新宿の南ゲート上空。蒼太の『Ver3.0』権限によって突如出現した巨大な水塊の中で、十枚の光の翼を持つ聖帝・神宮寺は無様に溺れ、もがき苦しんでいた。
神の依り代として極限まで強化された白磁の肉体も、呼吸という物理的なプロセスを封じられればただの重りだ。水中に放電された彼の魔力は、ただ虚しく泡となって消えていく。
「……あり得ない。神の与えたもうた絶対の肉体が、このような……三次元の物理干渉ごときで……ッ!」
水底へ沈みゆきながら、聖帝の黄金の瞳に「絶望」と「狂気」が入り混じった光が宿った。
(物理法則そのものをリアルタイムで書き換えるバグ。ならば、もはや肉の器に意味はない。私自身の存在を『純粋な悪意(論理エラー)』へと変換し、奴の精神を直接焼き切る!!)
『ピガガガガガガッ!!』
聖帝の白磁の肉体が、水中で激しいノイズを上げて自壊し始めた。
物理的な存在を完全に放棄し、自らの魂を圧縮して、蒼太のシステムネットワークの深層部へ、光の速さでダイブ(特攻)を仕掛けたのだ。
「蒼太様! 奴の姿が消えました!」
地上で天使兵を蹴散らしていた凛が、上空の水塊を見上げて叫ぶ。
「……来たか。特大のマルウェア(ウイルス)が」
フラミンゴの浮き輪の上で、蒼太はサングラスを外し、ポツリと呟いた。
その瞬間、蒼太の視界が激しくグリッチ(明滅)し、世界の色が反転した。
――次に目を開けた時、蒼太は真っ白で無機質な『デジタル空間』に立っていた。
そこは新宿の空ではなく、蒼太自身の精神と直結した【アーキテクト】のシステム深層部だった。
『……捕まえたぞ、相田蒼太』
真っ白な空間に、耳をつんざくような神の合成音声が響き渡る。
見上げれば、聖帝の姿はすでに人間の形をしていなかった。無数の真っ赤なエラー文字列で構成された「巨大な目玉」のような概念体となり、蒼太の精神領域を汚染しながら見下ろしていた。
『私のデータ容量(質量)は、もはや神の本体から流し込まれた無限のバグそのもの。貴様の脳髄に直接インストールし、その自我を1ビット残らず消去してやる!!』
赤い文字列の触手が、四方八方から蒼太に襲い掛かる。
現実世界の物理バフが一切届かない、純粋なデータ同士の殺し合い。コンマ一秒で脳が焼き切れる絶対の死地。
しかし、蒼太はスウェットのポケットに手を突っ込んだまま、呆れたようにため息をついた。
「……お前さ。俺がわざわざ、お前みたいな『身元不明の怪しいデータ』を、自分の大事なメインサーバー(脳)に直接ダウンロードすると思うか?」
『……何?』
巨大な目玉の動きが、一瞬ピタリと止まる。
「お前が今いるここは、俺の脳じゃない。マルウェアの挙動を安全に調べるために俺が隔離して作った、『仮想環境』の檻の中だ」
『ガッ……!? バ、馬鹿な! 私の神聖なアクセス権限が、ただのダミー領域に誘導されたとでもいうのか!?』
赤い目玉が慌てて空間からログアウト(離脱)しようと暴れ回るが、見えないデジタルの壁に激突して火花を散らす。
「俺は元SEだぞ。セキュリティの基本中の基本に引っかかるとか、マジでマニュアル通りにしか動けない無能ボットだな」
蒼太が指を鳴らした。
『ピイィィィィン……ッ!』
真っ白だった空間が、突如として「見慣れた景色」に書き換えられた。
和牛の焼ける匂い。ヒノキの香りが漂う温泉。そして、豪華なペントハウスの風景。
「え……?」
聖帝(目玉)が混乱する中、その隔離空間の壁を『物理的』にブチ破って、三つの影が乱入してきた。
「見ぃぃぃつけたわよぉぉぉッ!! アタシの可愛い和牛を焦がそうとした、ふざけた目玉野郎ォォッ!!」
真っ赤なオーラを纏ったカーミラが、空間のコードを引きちぎりながら飛び込んでくる。
「蒼太様の脳内に土足で踏み込むなど、万死に値する!!」
白銀のプラズマ刃を輝かせる凛。
「……ゴミ箱へ移動させます。永久に」
漆黒の影を広げるルシス。
『な、なぜだ!? ここは物理干渉が不可能な精神世界のはず! なぜ、肉体を持つお前たちがここにいる!?』
聖帝がパニックを起こして絶叫する。
「言っただろ。ここは俺が設定した『仮想環境』だ」
蒼太はポテチを齧りながら、容赦なく言い放った。
「俺のVer3.0の権限で、この仮想空間内に『こいつらの物理攻撃が通る』っていうローカルルール(特例パッチ)を当てたんだよ。お前はもう、まな板の上の鯉だ」
「「「オラァァァァァァァァッ!!!」」」
三幹部の、容赦のない「物理デバッグ(フルボッコ)」が始まった。
カーミラの質量攻撃が目玉の眼球を陥没させ、凛のシステムブレードが赤い触手(実行ファイル)を次々とタスクキルし、ルシスの影がバックアップデータごと完全に拘束する。
『ギ、ギィィィィィァァァァァァァァッ……!!』
神の端末が、ただの物理的な暴力と、システム的な理不尽の前に、無惨な悲鳴を上げて崩壊していく。
「さて、トドメといくか。こんなキモいデータ、残しておいてもストレージの無駄だからな」
蒼太は手元の仮想キーボードを叩き、最後にして最悪のコマンドを実行した。
【対象マルウェア(聖帝)の圧縮(ZIP化)を開始】
【圧縮率:最大。実行ファイル(自我)を完全に凍結します】
『や、やめろ……! 神よ、私を、ルートサーバーへ帰還させ……ア、アァァ、ァ、ァ……!』
ズギュゥゥゥンッ!!
聖帝の巨大な目玉の姿が、凄まじい圧力で一箇所に吸い込まれ、最終的にたった数キロバイトの「ZIPファイル(ただの石ころのようなデータ結晶)」へと圧縮されてしまった。
「よし、駆除完了。ゴミ箱にポイ、と」
蒼太が仮想空間の「ゴミ箱」アイコンにその結晶を放り込み、『完全に削除する』をタップした瞬間。
東京湾エリアを支配していた七大帝の一角にして、神の直属のスパイであった聖帝・神宮寺は、この世界から跡形もなく、完全に消滅したのだった。
――数分後。現実の新宿ペントハウス。
「……ふぁ〜、終わった終わった」
蒼太が現実世界で目を覚ますと、すでに南ゲートの天使軍勢も、聖帝の消滅に伴って機能停止し、莫大なAPの結晶へと変換された後だった。
「蒼太様! ご無事で何よりです!」
凛、カーミラ、ルシスも現実に戻り、蒼太の無事を確認してホッと胸を撫で下ろしている。
「あー、お疲れ。まさか休日にこんな大掛かりなウイルス駆除やらされるとは思わなかったわ」
蒼太は大きく伸びをすると、再びフラミンゴの浮き輪の上で横になった。
「権田! 落ちてるポイント(魔石)全部拾っとけ! あと、今日がんばった市民たちには、今夜は特上すき焼きの配給と、温泉の時間延長サービスだ!」
「ハハァッ! 蒼太社長、万歳!!」
下界から湧き上がる一万人の大歓声。
神の直接の刺客すらも「ただのスパム処理」として片付けた相田蒼太の新宿セーフゾーンは、もはや地球上で最も安全で、最も理不尽な要塞国家として、完全な盤石の体制を築き上げたのだった。
しかし、この圧倒的な敗北のデータは、宇宙の彼方にある『神の本体』へと確実にフィードバックされていた。
残された猶予は、半年。
最強の引きこもりによる、本当の「神との最終決戦」の足音が、静かに近づきつつあった。




