第二十七話 戦闘について⑥
パラパラと響く残響。
地下施設最奥の資料保管室は壁に穴が開き、瓦礫や書類が散乱して足の踏み場もないほど。
私はそこに槍を握りながら佇んでいた。服は破れ、体の所々から血が朝露の雫のように滴っている。
血を出しすぎたからだろうか?脳がフワッとした感覚に包まれ、私はふと昔の記憶を思い出していた。
「アンドラダイト、シルフギルドギルドマスター就任おめでとう。あなたなら絶対になれると思ってましたよ。」
綺麗に整頓された、シルフギルドのギルドマスターの部屋。今なんかよりもずっと綺麗で、彼がまだその部屋にいることに小さな違和感を感じていた…そんな過去。
私はそこで、一人の青年にそう笑顔で告げていた。
「あはは、クリスタありがとう。けどもう僕はアンドラダイトじゃない。ギルドのしきたりに従い、僕の名前はシルフになったのさ。」
青年はそう言って振り向くと、笑顔でそう答えてくれた。
この笑顔に私は何度救われてきたことだろうか。
彼の笑う顔を見るたび、何だか心がほっこりとする。
「おっと、そうでした。すいません。けれど……本当にあなたがシルフギルドのマスターになれて良かった。あなた以上に適任な人はいませんから。」
「そうかな?別にそう言う訳じゃないと思うけど……。たまたま丁度いい年齢で実績もある人が、僕だけだったからにすぎない。」
「いえいえ、あなたはなるべくしてなった、それだけです。それとも何か心配事があるのですか?」
「おっと…鋭い。そうなんだよね~、僕事務作業とか超嫌いだからさー、この先のこと考えるとけっこう憂鬱なんだよね。それにギルドマスターって責任がすごいだろ?そんな大事なお役目、僕に務まるかどうか」
「あなたなら、必ずこなせますよ。それに私も精一杯サポートします。あなたが名前を変えようと、ギルドマスターになろうと、私は一生ついていきますから。」
「お~、すごいこと言うね。そこまで重く受け止めなくてもいいのに。」
「いえいえ、私があなたから頂いた御恩は、この一生を捧げても返せるようなものではありません。どうしようもなかった私を、こんな白金等級なんていう大層な資格を得られる人間になるまで、見守り育ててくれた。私にとってあなたは命の恩人なのです。」
「いや~、そこまで言われるとちょっと照れちゃうな。けど別に僕はクリスタだから助けたとかじゃないんだよ。そこんとこ分かってる?」
「それはもちろんですよ。私だけが特別だなんて、一度も思ったことがありません。たまたまあなたに出会えて、たまたまここまで来れた、ただ運がいいだけの人間…それが私です。」
「うーん、そこまで卑屈にならなくてもいいと思うんだけど。けどそれが分かってるなら、僕なんかに尽くさずに、君が生きたいように生きればいんだよ。このまま冒険者を続ける必要だって、本当は無い。もう君は自由を得られるほど、十分な力と富を手に入れた…だから……、」
「いいえ。これが私のしたいことなんです。だから無理やりされている何て思ってない。私はこの人生をあなたに捧げると決めた。あなたの命令であったら何だってしますし、あなたのためになれるのであればこの命、惜しみはしません。」
「そうか……そこまで言われては、もう僕がごちゃごちゃ言えそうなことじゃなさそうだね。じゃあ君の言葉に甘えて、これからも存分に頼っちゃおうかな。」
「もちろんです。お任せ下さい!」
私がそう言うと、彼は少し照れるような顔で私に笑って見せた。
あぁ……、そうだ。私はここでそう誓っていたのだ。いや、心の中では彼に救われたあの日からずっとそう誓っていた。けれどしっかりと言葉にしたのは、この時が初めてだったかもしれない。
今になって思えば、こんな宣言をしてしまった以上、彼の分の書類まで毎日追わされている日々もしょうがないのかもしれない。
それに大変ではあるが、彼のためになっているならそれも悪くないと…そう思える。
あの宣言だって嘘じゃない。私は今でも常にそう思っているのだ。この人生は彼のために費やす。彼の命令は何だって聞くし、死ねと言われればきっと死ねる。
私の人生は彼がいなければ始まらなかったのだ。なら、彼にその一生を捧げるのも当然なのである。彼はめんどくさがりで、自由奔放で、いっつも締まりのないフワッとした笑みを浮かべている。きっと何故彼がギルドマスターになっているのかを分かっていない者も多い。それでも私は彼に尽くす。
確かに彼は頼りなく見えるかもしれない。けどそれは見えるだけ…なのだ。彼は本当は誰よりも強くて、誰よりもかっこよくて、誰よりも尊敬できる存在。
彼のことを思い出せば思い出すほど、何故か力が溢れて来るような気がしてくる。こんな出血や痛み、彼に救われなかった人生を鑑みれば無いのも同じだ……
過去に触れている内にいつの間にか、アメトリンがふらふらとしながらも起き上がっていた。少し押せば倒れそうなほどに、脆くバランスもとれていない。だと言うのに彼女から感じる気配は、今まで感じたことがないほど禍々しく迫力があった。
今こそ畳みかけるべく追撃すべきなのかもしれないが、直感的にやってはいけないような気がしてくる。先ほど罠に完全に嵌められたことを考えると、安易に行動することはできなかった。
集中してアメトリンを見ると、彼女から真っ黒な魔力があふれ出しているのに気付く。気配が薄くしっかりと観察しなければ気付けないほどだが、その小さな魔力の靄は彼女の体を包み、羽を黒く染めていた。
朦朧でフラフラした様子を見せながらも、隙を感じさせない。直感的に攻撃してはいけないと感じたのは、この魔力のせいだったのだろう。
数秒後…彼女の羽が魔力を纏って小さく仰ぎ、目がギラリと自分を睨んだ。その瞳は緑色に光っている。
光を発する。その現象は大量の魔力が流動しているのを意味している。私が槍で攻撃するときに光を発したのと同じだ。魔方陣や魔法が光を発するように、アメトリンの眼光が光ったということは彼女の目にそれほどの魔力が流れ込んだことを意味していた。私のことを、ボロボロになった状態にも関わらず、冷静に観察していたのである。
「はぁ…はぁ……おめぇ、変な匂いがするって最初から思ってたんだよ。何度も嗅いだことのある匂い。最初はどっかで会ったことがあると思ったくれぇにな。」
アメトリンはひどく疲れたような様子を見せながら、そう掠れそうな声で言葉を吐いた。
「匂いだと?」
「そう。ただ匂いと言うよりかは、残り香に近い。だからこそ、ずっと気付かなかったってぇ話だ。匂いが薄すぎて、逆に困惑しちまったのさ。だがやっとわかった。」
「ふむ……全く話が見えてこないが。」
そう言葉を返すと、アメトリンの目がカッと見開いた。
「いやぁ、そうだろうな。気づかれたことなんてなかっただろうからよぁ。おめぇが元々、奴隷だったってことに!」
奴隷だった……その言葉を耳にしたとき、私は息苦しさのようなものを感じた。呼吸が荒くなって、うまく酸素が吸えない…そんな感覚。
「っ……、」
私は言葉が出なかった。ただ声のならない喉に引っ掛けたような音が出るだけ。
ふと気付くと、自然に槍を力強く握り締めていた。冷や汗がつぅーっと頬を垂れる。
「やっぱり図星か。この施設で多くの奴隷を扱ってきたってのに、それと同じ匂いだって気付くのにここまで時間がかかっちまったのは誤算だが、分かっててすっきりしたぜぇ。まあ匂いとは言ってるが、魔力の痕跡に近い。気配っつうか…感覚っつうか…匂いって表現した方が分かりやすいだろ?」
「……。」
私は彼女の言葉など、既に頭に入ってきていなかった。忘れるべき記憶、思い出したくない記憶、それが彼女の言葉を引き金に溢れ出し、止まらない。
嫌な記憶というのは、反吐が出るほど鮮明に残っているものだ。とても気分が悪い。それでいて羞悪と怒りの感情がふつふつと心の中を刺激する。
「しっかし、奴隷から解放されれば、この匂いってのは消えるはずなんだがなぁ。それが薄くてもずっと残ってたってこたぁ、おめぇ数年ぽっち奴隷だったって訳じゃぁねえな。少なくとも生まれてから長い年月奴隷だったってこった。どうだ?知られて嫌だったか?辛いか?苦しいか?」
「そんなことは……、ない。」
私は小さな声で、そう言葉を絞り出した。
言葉が出たことをネックに喉は正常へと戻り、心も落ち着いてくる。
「あぁ?小さくて聞こえねぇな。」
「私は確かに、奴隷だった。人権も無ければ生きる価値もなかった。だが今の私にはそれがある。彼から与えられたから……、だからもう過去は振り返らないと決めた。」
私はそう言い切って、アメトリンの顔を真正面から見る。彼女の顔は傷だらけにも関わらず、不敵な笑みを浮かべていた。
「なんだぁ、つまらねぇ答えだな。本気で言ってんのか甚だ疑問だぜぇ。過去は振り返らない?なら、何故そこまで動揺してるんだぁ?」
「君が何と言おうと、私の意志は揺るがない。言葉遊びをしたいなら、よそに行ってくれるか?」
「べらぼうめっ、言葉遊びをしてんのはてめぇもだろ。それによぉ、あたいはもう一つ聞きてぇことがあるんだ。おめぇ、奴隷だったんだろ?なら、奴隷がこの施設で実験体の扱いを受けていることに、何か感情は抱かねぇのか?」
「感情?私は十分、怒りを感じている。だからこそ止めるために、ここに立っているのだ。」
「いいや、違うね。おめぇは何とも思っちゃいねぇ。逃がした二人はひどく怒りの感情を露わにしてたからなぁ、余計に分かるんだよぉ!」
アメトリンはそう言うと、唐突に魔弾を数発手からクリスタに発射した。クリスタは槍でそれを容易に弾いて見せる。
ボンという爆発音が二回ほど響き、再び静寂な空間が広がった。その静けさを破るように、再びアメトリンが声を張り上げる。
「奴隷だったからこそ、同情の感情はおめぇにはねぇのかぁ?全く寒い女だぜ、それともこの素晴らしい実験の被検体になれてるんだから、称賛すべきとでもおもってくれてんのかぁ?ちげぇだろ?」
「……、」
「そうやって黙って、何も答えない。答えるのが嫌なんだろ?怖いんだろ?自分が醜いことをその言葉で証明してしまうことを嫌ってるんだい。」
「何故君なんかに言わなければならないのか分からないが…言わせたいのなら言ってやろう。確かに私は、あの奴隷たちがどうなろうと何も思ってはいない。」
「いいぜぇ、本当に言いやがった。ならなんでさっき嘘をついた?自分を認めたくないんだろぉ?その醜い心内を知られたくねぇから!」
「理屈の感情と、本心の感情は違う…それだけだ。あんな実験…あってはいけないことぐらい、理屈で分かってる。だが、奴隷がどんな扱いをされようと文句は言えない。それは私自身が奴隷であったから、誰よりも近くで死んでいく奴隷たちを多く見てきたから、分かってる。」
「理屈?本心?嘘だな。おめぇの言葉はいつも軽いんだよ。まるで意思がない機械が言ってるみてぇだ、気持ちわりぃ。そういやおめぇが最初に言ってたことも嘘だったよなぁ。」
「確かに私は嘘をつくことが多いと自負しているが、これは嘘ではない。さっきから何だ?人の過去をほじくり返して、意味のわからない戯言を口にして、私を動揺させたいのか?隙を見つけたいのか?それともただただ時間稼ぎがしたいのか?気色悪い。」
私はそう言って、槍を横に振った。衝撃波が発生し、穴が空いていた壁がその衝撃で崩壊する。資料保管部屋とその隣の部屋を分ける壁が完全に無くなり、私とアメトリンが居る空間は、大きな一つの部屋のようになった。
「会話ってのは、それだけで多くの情報を得られる。戦闘で会話をしねぇってのは、余程視野が狭くなっているか、相手を会話するほどの相手だと思ってねぇときだけだ。そういう意味でいやぁ、あたいはおめぇを認めてるってことよ。感謝しな。」
「人を揺さぶろうとして失敗した言い訳がそれか?ダサいな。……そう言えば、私も君のこと認めてるよ。ここで始末しなければならないって思うほどにな!」
私は崩れた壁の瓦礫を、勢いよく蹴り上げた。50cm程の大きな瓦礫はアメトリンに吸い込まれるかのように、飛んで行く。
「そうかい、奇遇だな。あたいもだよ。」
アメトリンは飛んでくる瓦礫を見て、腕を横に伸ばす。すると彼女の指先から魔法陣が生まれ、一本の剣が生まれた。禍々しく感じる漆黒の剣。
彼女はその剣を握ると、一振り……瓦礫を真っ二つに切断した。斬られた瓦礫は彼女を避けるように、横に転がって粉々に砕け散る。
「驚いた、君は剣も扱えるのだな。」
「使いたくはなかったが、使えないとは言っていない。バリアを壊されてしまったからな、苦肉の策だ。」
「壊されたなら作ればいいだろ。魔力が足りないようにも見えないが…」
「あれは事前に準備が色々といるんだい。それともあたいがもう一度バリアを完成させるまで、待ってくれるのかい?」
「いいぞ、待ってやろう。」
「減らず口を!」
アメトリンの言葉を合図にしたかのように、二人は一気に動き出す。距離が一瞬にして縮まり、自身の槍と、彼女の剣が衝突した。そのまま押し合うようにつばぜり合いの状態になる。
強力な衝撃と共に、雷が落ちたかのような轟音。
ただ剣と槍が交わっただけ…だと言うのに地響きが起こり、転がる瓦礫が飛び散った。
つばぜり合いの状況は、単純に力が強い者の方が有利となる。そのため魔力の多いアメトリンの方が有利だろう。クリスタは素早く状況を打開すべく、力抜くことで剣を横に流した。
そのまま体を反転させると、体制が崩れたアメトリンめがけて回し蹴りをかます。
「妖精の忘憂!」
それでもアメトリンは魔法を唱えて、蹴りに反応した。紡がれた言葉と共に、盾を持った妖精が数匹現れ攻撃を受け止める。
だが勢いまでは殺せず、埃や塵を上げながら数メートル後ろに下がった。
「ふぅ……、君はそろそろ力をぬいてもいんじゃないか?もうその体じゃ辛いだろ?」
「辛くなんてこれぽっちもねぇよ。逆にてめぇこそ、そんなに出血しちゃぁフラフラなんじゃぁねぇか?」
「全く。」
私は再び、アメトリンとの距離を詰めようと足を踏み出す。だが彼女の手のひらが光ったのが見えたため、前に進もうとする力を無理やり横に流して壁の方に走り出した。
「おめぇはやっぱり今表面上奴隷じゃなくても、精神は奴隷のまんまだ!その状態は普通じゃねぇんだよ!妖精の児戯!」
アメトリンの手のひらから二匹の蝶が、光を放ちながら私に向けて突進した。だが進む方向を急転換したこともあり、その突進は外れて地面に激突する。すると爆発音とともに小さなクレーターのような穴が出来た。
あれをまともにくらっては、今の状況じゃ危なかったと言える。
「木枯らし…」
壁に足を踏み出して、数分前と同じように壁をぐるっと走りアメトリンの背後に回る。だが一度見せた技は簡単に見切られてしまったようで、直ぐに私のいる位置にアメトリンは振り返った。
「奴隷?そうだな…私は奴隷ではないが、ずっとギルドマスターの奴隷だ。それの何が悪い?私は奴隷だからこそ、彼のために尽くせる。彼がこの施設の違法証拠を掴んで来いと言うなら、私は全身全霊でこうして答えるだけだ!貫け!晴嵐の槍!」
私は壁からジャンプすると、体をひねらせながら彼の頭めがけて槍を突き落とす。槍は何個もの魔方陣に包まれ、青白い輝きを放った。空間が曲がったかのように空気が歪み、アメトリンから見ればその槍は曲がっているかのようにすら見えただろう。
「ちっ、妖精の忘憂!」
アメトリンは素早く、先ほどと同じ魔法を使って彼女の槍を迎い打つ。盾を持った数匹の精霊たちが、彼女を守るようにその槍を受け止めた。
強大な衝撃とともに、風魔法の影響でとてつもないほどの突風が生じる。塵や瓦礫が広がっていたこともあり、私は目に入るのを腕で避けながら両手足で地面に着地した。
衝撃が収まり顔を見上げると、アメトリンは資料保管庫奥の金庫に突っ込んでいた。あれほど頑丈であったはずの金庫は崩壊し、壁が凹んでいる。既にあれほど疲弊していたのだから、この衝撃でもう素直に倒れていて欲しかったのだが……
それでも彼女は口からペッと血を吐き出すと、立ち上がった。足元に転がっていた研究員を蹴り飛ばすと、自分を遠くから見据える。
そう言えば…ずっとあそこで、私が色仕掛けで騙した研究員が気絶していだのだった……忘れていた。
「ちっ、やられたなぁ……。もうここで終わらせるしかぁ、なさそうだ。」
アメトリンは何かを決意したような表情を見せた。
ここで彼女に攻撃の、主導権を握らせてはいけない。
このまま畳みかけて仕留める…そう決意し、アメトリンに近づこうとクラウチングスタートのような姿勢をとる。
「妖精の童戯。」
だがアメトリンがそう言葉を口にした瞬間、彼女から数えられんばかりの大量の蝶が魔方陣と共に飛び出してきた。
今までに見た黒や緑色だけでなく、赤や青など蝶の色は虹の色よりも多く鮮やか。敵の魔法にも関わらず、その色合いと迫力はまるで花火のように美しく感じられた。資料保管庫だった部屋が全て覆ってしまうほどの数の蝶が、空中を飛び地面や壁、天井に飛びついていく。
すると蝶を起点に大量の魔方陣が展開された。
それも一つ一つが複雑で、一人では扱えるとは思えない量と質。私では間違いなく扱いきれない強力な魔法であることを、一瞬で悟った。
私は一つの魔方陣に複雑な魔方陣を加えたりすることは得意だが、大量の魔方陣を一度に操作することは大の苦手だ。これほどの強大な魔法を唱える以上、アメトリンは間違いなく、このとっておきの魔法で勝負を決めに来たのだと確信する。
追撃したいがこの強大な魔法はいつ発動するかも分からない、そう考えると迂闊に近づくことはできなそうだ。
「流転する空、明滅する雲、晴天に轟く風、妖精はここに、咆哮はあそこに、流星はそこに、攻撃するは主導権の意志を込め、仇敵を穿つ焦熱と騒乱……」
アメトリンは魔方陣を展開した上で、詠唱を唱え始めた。複合魔法であるが上に合成魔法。それでいてこの魔力量とこの数の魔方陣…この威力は計り知れない。
ただこれだけの魔法にして詠唱を唱えると言うことは、その分多くの時間がかかると言うことを意味をしている。それに詠唱中は魔法に意識が向かい、一番の隙が生じる間なのだ。
きっと彼女もそれは分かっている…だがそれでも魔法を構築することを選んだ。どれだけの攻撃を受けても、私を倒した後、回復魔法を使えば問題ないと考えているのだろう。
その隙、狙い撃ちしない訳にはいかない。強力な攻撃を加えて魔法をキャンセルさせる、さらに求めるならここで仕留める。彼女の判断、間違いだったことをここで証明しようではないか。
私はクラウチングの姿勢を止めて仁王立ちすると、槍を片手に持つ。魔力を大量に流すことで、槍は再び風を纏い視覚で捉えられない状態となった。白い光を放ち、数個の魔方陣が槍を中心に展開される。
「暴風!」
言葉に魔法が呼応し、さらに大量の魔力を纏うようになる。
私はその槍をアメトリンに向け、精一杯の力で投擲した。
槍は回転し、まるでその槍が中心となって台風が発生したのかと思うほどの豪風が生じる。
空気が揺れ、手が痺れる。あまりの衝撃に腕がふっとぶんじゃないかと思うくらいの反動を受け、私はバランスを崩して尻もちをついた。
これほど本気で攻撃を行ったのは、いつぶりくらいだっただろうか?この体の魔力を全て使ったのかと思うほどの脱傍感と脱力感。とても久しぶりのような気がする。
アメトリンも私も既に満身創痍。だからこそ、最後に残るほぼ全ての魔力を使いアメトリンはこの巨大な魔法を完成させようとしている。私もまた、この投擲にほぼすべての力を乗せたのだ。
槍は白い光の軌跡を残して、アメトリンに一直線に向かう。
アメトリンには多くの選択肢があっただろう。今構築する魔法を中断して対抗する魔法を唱える手段もあれば、諦めて避ける選択肢を取ることもできた。
だが彼女はそのどの選択肢も取らなった。
驚くべきことに、何もしなかったのである。
私は目の前に起こった状況に、ひどく驚いた。
槍はアメトリンの腹部に突き刺さり、大きな風穴を開けたのだ。血がドバっと飛び散り地面と後ろの壁にべたッとへばりつく。
臓器が爆散しもう生きていけるような、状態ではないはずなのだ。
だと言うのに彼女は…詠唱を止めていなかった。
「罪知らぬ心、罪深き体、ここは誰もが望む平涼の地。故にあがて、故に降り注げ、故に捉えろ。星降る音色は永天までに轟き渡る。」
アメトリンはもう詠唱を唱えられるような体じゃない。魔法を制御できるような状態じゃない。
それでも彼女は倒れもせずに言葉を紡ぎ続けている。
尋常ないほどの痛みと、焼けるような感覚が体を包んでいるはずなのだ。なのに何故…何故彼女は魔法の構築を止めないのだろうか?
私は信じられなかった。目の前に起こる現実を、現実であると捉えられなかった。
あんな状態でも魔法を唱えられる……それは彼女の意志故なのか、はたまた魔王に捧げるほどの心故なのか、何も分からない。
そして私は……それと同時にこの勝負に負けたことを確信してしまったのだ。
アメトリンの大量の魔方陣が一斉に光り出し、回り出す。魔法は既に最終段階へと進行していた。
それでも揺れ動く心を何とかまとめ上げ、頭の中を整理する。
残りの魔力は少なく、あの強大な魔法を受けきれるほどの魔法を構築する時間も魔力もない。私に残された選択肢はただ一つ、あの魔法を避けきることだけだ。
一秒も掛からない内に思考を行動に移し、横の壁を蹴り上げて崩壊させる。アメトリンの魔法がどのようなものか分からないが、もし直線的な範囲のものであれば、この崩壊させた穴から廊下に出ることで魔法の範囲から外れるはず。
そう思って私が廊下へと飛び出す瞬間とアメトリンの魔法が完成した瞬間は、ほぼ同時刻であった。
「壊滅、撃滅、破滅の踵を打て!妖精の遊覧流星!」
アメトリンの命をかけた叫び。それとともに出現したのは、大量の光の玉であった。
魔力を多く纏った手のひらぐらいの大きさの魔弾が、一斉に私に向けて放たれる。大きさはそれほど大きくない、だと言うのにその威力と数は防ぎきれる魔法の範疇を超えていた。
私を追尾するように追いかけ壁を壊し、廊下にまで出た私を追って来る。直線的な魔法であると言う予想は外れ、避けきれないことを悟った。
咄嗟に腰のポーチから予備の槍を取り出して、飛んできた魔弾を弾く。だがもちろん威力を殺せる力が残っている訳もなく、弾くのには成功するも槍は衝撃で手から離れ遠方に飛んで行った。
一発目が弾けたからと言って、追って来る魔弾はまだまだある。
残る微かな魔力を右腕に灯し、二発目の魔弾をその腕で弾く。右腕は吹き飛び、弾いた魔弾は廊下の壁に衝突した。腕からは大量の血が飛び出す。それでも唇を嚙みしめて、左腕にも魔力を流した。
三発目の魔弾を残る左腕で弾き、何とか攻撃を受けきる。
左腕は後方に吹き飛び、廊下に転がった。大量の血が噴き出し、視界が暗くなる。
まだまだ飛んで来る視界一杯に広がる大量の魔弾。もう防ぐ術は私には残っていなかった。
光り輝く魔弾が、私に向けて飛んで来る。
あぁ……、どうやら私はここで死ぬらしい。
ふと昔のことを思い出す。これが走馬灯と言うやつなのだろうか?
奴隷の両親から生まれ、どうしようも無かった幼い私。それを救ってくれたアンドラダイト。彼に戦闘の仕方を教わり、社会の仕組みを教わり、そして人の優しさを教わった。彼は私の奴隷の印を外し、人間にしてくれた。彼は私を冒険者にさせ、生きる道を教えてくれた。
今や彼はシルフギルドマスターとなり、私は白金等級の冒険者となった。
彼からもらった多大な恩。私は返すことができたのだろうか?
いや、もちろん…返せてなどいないのだ。こんな場所で死ぬなんて本当は許されない。
これからも私は彼に尽くし、彼を支えていかなければならないのだ。
だと言うのに運命は残酷だ。いやきっと運命などではなく、この戦闘で私は失敗した。
きっとそれだけ、全て私の責任。
それでも…そうだとしても……死にたくない。
ここで死ぬわけにはいかない。私にはやるべきことが多くあると言うのに……
ごめんなさい、ギルドマスター……
私はここで終わりのようだ……
迫ってくる眩いほどの光、体が震えあがるほどの魔力反応。
生きたくても私の体はすでに、避ける体力も受けきる力も残ってなかった。
何もできず死を待つことしかできない…
せめて最後は、最後こそは自らの死をこの目に焼き付けるのだ。
目を大きく見開いて、飛んでくる魔法を見る。
……だがそのとき、私の眼に映ったのは赤い炎の輝きであった。
私を包む燃え盛る炎。赤々と燃えるその炎は、私を焼くのではないかと思うほどとてつもなく熱い。
突如として出現したその赤い光は、飛んで来ていた流星群のような魔弾を飲み込み消滅させた。
それと同時に目の前に現れた、一人の影。
美しいと思えるほどの、赤き紅の髪。その人影は大きな剣を莫大な魔力と共に振るって、飛んできた魔弾を全て破壊して見せた。
耳を寸ざくほどのドドドドドっという音。
「ごめんなークリスタ、遅れたわ。」
その言ってガーネットはニヤリと笑いながら、私の方を振り向いた。
彼女の背中は会った時より何倍も大きく見える。
「ガーネット、君がなぜここに……」
私は反射的にそう言葉を口にしていた。
彼女が何故ここにいるか?思考がまるで追いついていない。
「なんや?そりゃ、クリスタが残してくれた線を追って来たに決まっとるやろ。にしてもなんやこの魔法、結構な魔力使わんと防げんかったで!」
ガーネットはひどく驚いたような表情を見せた。
線!?確かに魔力の線を食堂からずっと記していた。だがそれは帰り道を見失わないためのものであり、ガーネットたちを誘導するものではない。
だと言うのにも関わらず、私たちの異変を察し魔力線に気付いた上で、ガーネットはここまで来たと言うのだろうか?
正直、信じられない。
「うおっ!?クリスタ両手無いやんか!?つか、なんやその出血量!?死ぬで!?」
クリスタはバッとしゃがんで、私に回復魔法をかけようとする。確かにこのままじゃ魔法を構築する魔力も足りてないため、回復魔法をかけてもらわないと私は死ぬ。
意識も既に朦朧としていた。
だが、そうだとしてもその前に、ガーネットにはやってもらいたいことがある。
「いや、ガーネット。私なんかより彼女を…アメトリンを…仕留めてくれ。」
私はそう言ってアメトリンのいる場所を指さそうとするが、腕が無くてそれが出来なかった。
それでもガーネットは理解したようで、くるっと振り向くとアメトリンのいる場所に歩み寄って行く。
アメトリンの魔法のおかげで所々の壁が崩壊し、資料保管室は完全に表に出ていた。
「はぁ…はぁ……おめぇ何もんだぁ?んぁ!?白金等級!?何故そんな奴がこんなところにいるんだよぉ……。」
「なんやクリスタをこんな状態にして、そう言いたいのはうちの方や!…ってなんやその体!?クリスタなんかよりもひどいやないか!?そんな状態で、何で生きとるねん!」
「はぁはぁ…ゴホッ、くそっ、早く治さないと……」
アメトリンはしゃべりながら、血だまりを口から吐き出した。手のひらに回復魔方陣を描き出して、傷を治そうとする。
だがその腕を、ガーネットは大剣で切り落とした。
魔力と鮮血を帯びながら、アメトリンの右腕が床に転がる。
「うがぁ!?」
「よー状況が分からんが、これクリスタがやったんやろ。なら治させるわけにゃぁ、いかんわな。それに死にかけていはいるがこの存在感と、あの魔法の威力。そしてその黒い羽根…帝国軍にはいない種族やな。察するにおめぇ、魔王軍幹部やろ?違うか?」
「ちっ、魔力があればてめぇなどっ!」
「その反応からして図星かぁ、クリスタがあんなになるまでボロボロになってたんや。魔王軍幹部じゃなかったら逆に驚くでぇ。」
ガーネットはそう言いながら、手に持っていた大剣を振り上げる。そして言葉を続けた。
その眼は笑ってたときの眼ではなく、殺すのを厭わないだろう冷徹な眼。
「んで、何か言い残すことはあるんか?君、ここで死ぬで?」
「くそっ……なんであたいが、こんな人間に!?おめぇが来なきゃ勝ってたはずだったんだい、このべらんめぇ…くそっ、何故だ…何故こんなことになったんだ……」
「そりゃぁ、情報が足りてなかったんやろ?君は情報戦に負けていた。それだけの話やで。」
「ぐぎぃ…ゴホッ……おめぇ、うちを殺したら後悔するぞ!私がいなければこの実験は終わっちまう。おめぇはこの何年と続く戦争を終わらせる希望を、その手で摘み取ることにだるんだぞ!それでいいのかぁ!」
アメトリンは既に血色が悪く、いつ死んでもおかしくない。それでも必死に生きようと、必死に生にしがみつこうとそう叫ぶ。
それでもガーネットは、ニヤッと笑ってその言葉を一掃した。
「それが、辞世の句?それでいいんか?」
「はぁはぁ…違う!うちは生きたい!死にたくない!何だってする!救ってくれたら何だってする!だから!」
アメトリンの眼から、大量の涙があふれ出してくる。声も掠れ、唇も黒い。
それでも泣き叫ぶ…生きたいと……
だが……
「じゃぁな、哀れな魔王軍幹部よ。」
ガーネットはその命乞いに反応もせずに、無慈悲にも大剣を振り下ろした。
「魔王様ぁ…ごめんなさいぃ……」
ズバっ
剣が肉を斬る生々しい音が、廊下に響いた。
ガーネットの剣は容赦なく、アメトリンの体を一直線に切った。
彼女の目からは仄かに灯っていた光が消え、体がずれて床に倒れる。
血だまりが跳ね、ガーネットの服と肌に飛び散った。
魔王軍幹部アメトリンはそのとき、戦いに敗れ命を落とした。
読んで頂き感謝申し上げます。




