第二話 恋人について②
アズとフォスの2人は、ゆったりと馬車に揺られながら平原を駆ける。
がたごとと、車輪が小石を踏み越えるたびに、馬車は穏やかに上下に揺れていた。
窓枠を伝って入り込む朝の冷気は、頬に微かな冷たさを残してから、車内の空気にゆっくり溶けていく。
昇りはじめた太陽はまだ地平線にしがみついているような低さで、遠い稜線からこぼれる光が草の海の表面を橙色に染め抜いていた。
朝露を吸って湿った草葉の先で無数の雫が金色の光を細かく弾き返し、きらきらと瞬いている。
その澄んだ景色の奥に――
ポツンと町が見える。
僕らがいつも活動の拠点にしている街、シルフ街と呼ばれる場所だ。
シルフ街は、王都を頂点とする帝国都市群の中でも、二番目か三番目に大きいとされる平原の大都市である。
日が沈んでもなお人通りが絶えることはなく、夜更けの大通りでも露店の灯りは消えず途切れることがない。
日本でいうところの新宿か渋谷を、雑にひとつにまとめて田舎にぽんと据え置いたような、そんな街並みだ。
都会の世界線の八王子か奥多摩みたいな感じ。
そんなシルフ街からゆったりと離れながら、手に握っていた依頼の紙を見る。
『ウィール地方のグレートボアの住処、十八拠点の撃滅』
グレートボアというのは、平原や森の縁に広く生息する、体長一メートルを優に超える巨大なイノシシのことだ。
気性は荒いを通り越して凶暴の領域で、街道を行く旅商人を轢き潰したり、餌を求めて村の柵を破ったり、最悪の場合は石畳の街道に群れで突っ込んできて死傷者を出す。
日本のイノシシより数倍凶悪で、迷惑Youtuberより面倒な魔物なのだ。
繁殖期となる今の時期は、住処を破壊し討伐することで被害を防ぐ必要がある。
「まさか食い逃げのつけを払うために、こんな面倒くさい仕事をやらされることになるとはね……」
紙の端を指でつまみながら、僕は溜息をひとつ落とした。
「牢にぶち込まれなかっただけ、いいと思いなさいよ。とはいえ……はぁ、本当に面倒くさいわねこの依頼」
向かいの席で、アズも紙片の写しを膝に放り、片頬を窓枠にもたれかかっていた。
語尾が下がりきっているあたり、本人もまったく納得しきれていないらしい。
そう、僕らが今この朝の馬車に揺られているのは……
何を隠そう、昨日の食い逃げの後始末である。
あの食堂はギルドの建物の一階に併設されたもので、料理を出すのも、注文を受けるのも、勘定を集めるのも、すべてギルド職員の管轄下にある。
そのため僕ら所属の冒険者は一般客よりも格安で、食事をすることができるのだ。
その管轄のおかげで、こんな罰で許されたらしい。
一般客であれば間違いなくアズの言うように牢屋行き……
そう思うと本当に食堂で食事していて良かった。
それ以前に、食い逃げは絶対しちゃいけないのだが……。
日本よりも治安が悪く、食い逃げを当たり前に見かけるご時世なので、感覚が狂ってきているのかもしれない。
「ギルドからすれば、金のない僕らがめんどくさい仕事を任せるいい鴨だったんだろうな。まさに鴨がネギ持って進化しただな」
「それは鴨がネギ背負ってやって来たって言いたいのよね?」
「さすが、詳しいね」
「そんなことわざ、知らないほうが笑われるわよ」
ぴしゃりと言い切ってから、彼女は前髪を指で耳の後ろへ流した。
日本のことわざが普及しているこの世界には、つくづく感心させられる。
そのままアズは立ち上がったかと思えば……
窓枠に手をかけて、上半身を半分外へ乗り出すように身体を寄せる。
編み残しの後れ毛が、流れ込む風にすくい上げられて、ふわりと宙に持ち上がった。
「床が固くて疲れるわ。フォス、私の椅子にならない?」
「なんでだよ」
「あっ、言い方が悪かったかしら。椅子じゃなくて敷布団だったわね」
「何も変わってないだろ……」
ようやく窓から手を離して、アズは片手で窓枠をとん、と軽く叩く。
「私がこうして目も合わせないで外の景色を見ながらお願いしているというのに、承諾しないなんて異常者よ」
「その状況で、承諾した奴の方が異常者だろ」
「リーダーである私のお願いに従わないなんて生意気ね」
僕の返答を聞くと、アズは再びこちらを向いて座り直した。
こうして真正面から向き合うと――
やっぱり、認めざるを得ない。
このアズという少女は、完璧な美少女だ。
口を開かなければ、さぞモテモテだっただろう。
黙っていれば美人とはよく言ったものだ。
日本にいれば、写真をネットにあげるだけでバズっていたに違いない。
いいね数は天井を突き破り、フォロワーは雪だるま式に増え、そのまま芸能事務所からスカウトが来て、あれよあれよと漫画の実写映画のヒロイン役に抜擢されたことだろう。
いやもしそうなら、口を開かないほうが得なのかもしれない。
漫画の実写は例外を除いてゴミだ。
「ウィール地方って聞くと、やっぱり酒……いえ、スライムを思い出すわよね。吐瀉物のスライム」
「おいやめろ、思い出すから……」
「まさかなかったことにはさせないわよ。罰金でお金まで吹っ飛んだんだから」
「認めたくないものだな。自分自身の若さ故のあやまちというものを」
「気持ち悪い。なにいきなりカッコつけてるのよ」
「ごめん。人生で1度は言ってみたかったんだ。そうだね……もう、スライムも安酒もこりごりだよ」
「私もウィール酒を飲むの止めることにするわ。だってあの安酒の質が悪いのが原因だもの」
「その原因の大元である場所を今から救いにいくとは、とんだ皮肉だな……」
僕は背もたれにしていた木の壁を滑るようにして、ずるりと座席の床へ横たわった。
木の床板は思いのほか冷たく、後頭部に伝わってくる温度が、体内によみがえりかけた妙な記憶を強引に追い払ってくれる。
「こっちに足向けないでくれる?はしたない……滅よ」
「めっ、を滅っていう人初めて見たよ。鬼でも殺すのかな」
馬車の小さな窓からは、相変わらず朝の光が斜めに差し込んでいた。
平原を駆け抜ける車輪の音、若い草の匂いを乗せた風、頬を撫でていく光の暖かさ――
その明るさに、アズは目を細める。
「あ~、あの時の話をして思い出したわ。あんた彼女が欲しいって話をしていたじゃない?」
「正確に言うと彼女が欲しいじゃなくてハーレムを作りたいんだ。そしてさらに言えば、異世界チート主人公になりたいんだよ」
「あ~それそれ、ほんと汚い低俗な野望ね」
「自分でも自覚はあるよ……。にしてもよく覚えてたね」
あれだけくだらないと吐き捨てていたのだ。
てっきり既に忘れていると思っていた。
人とは他人の話を聞いていても、興味のない話題は聞いた一秒後には忘れているものである。
高校の頃、隣の女の子に話しかけても、三秒後には内容を全部忘れられていたのが懐かしい。
あれこれ……話題じゃなくて、僕に興味がなかったのか。
――悲しい。
「私ね、記憶には自信があるのよ。アルコールが入ってても……ね」
「なんだか覚えてくれていただけでも、嬉しいよ」
「え、何それ、きも……」
あの時、隣の席だった佐々木よりは、アズはいい奴だな。
言葉の棘は、何倍か鋭いが……。
「その……一応あんたは唯一私とパーティを長期的に組んでくれてる珍しい理解者だもの。悩みくらいは相談に乗ろうと思ってたのよ」
アズは膝の上で指を組み直し、ふんと小さく鼻を鳴らす。
「そんなふうに思ってたのか」
「気づかいのできる女なのよ、私は」
思いは純粋に嬉しいが……
すぐにキレて周りも気にせず乱闘を始めるのに、どこが気づかいできる女なのだろうか。
「そうそう、その話を聞いてあんたに聞きたいことがあったのよ。フォスって好きな人いるの?」
「え、えっと……今のところいないね」
「まさにそれが原因だと思うのよね。恋愛の対象もおらず、ただモテたいとか頭おかしいんじゃないの? まさか……自分に誰かが告白しに来て、いつの間にかハーレムになる~だなんて思ってないでしょうね?」
「そうなればいいなって……思ってるよ」
「はぁ……あんたねぇ、はっきり言って不愉快だわ。その考え方。告白もしないで、はたまたそうする相手もいないでハーレムどころか彼女作りたいなんて、酷くおこがましいと思わないの?」
「はい、すいません。正論すぎてぐうの音も出ません……」
まさか、ここまで真面目にド正論を言われてしまうとは。
アズ――
なんて恐ろしい子。
「そこで考えたのよ。あんたがどうやってハーレムを作るかについてね……」
「そんな真面目に考えていてくれてたのか……」
「ハーレムってのは、彼女をいっぱい作るってことよ。つまりフォスは、好きな人をいっぱい見つけていっぱい告白していかなきゃいけないってことになるわよね。そうでしょ? そういうことになるわよね? でゅーゆーアンダスタンッ?」
気色悪い言い方だが……
僕のこんなくだらない悩みに、アズがわざわざ思考のリソースを割いてくれていたかと思うと、なんだか申し訳なく感じて来た。
僕の悩みを心から解決しようと思ってくれるなんて、アズは実は本当に良い奴なのかもしれないと思えてきた。
何か、泣けてくる。
「Yes ma'am」
とりあえず英語で聞かれたので、英語で返した。
ちなみに英語はこの世界の古代語として使われているらしい。
なので教養がある人は、英語が少し喋れたりする。
どういう文化構造なんだろうか。
「はい、じゃあ交際で一番重要になる告白のシーンあるじゃない? それ今からやりなさい。私が点数つけてあげるわ」
「え!? なかなか、唐突じゃない?」
「着くまで何時間もかかるんだから、暇つぶしには丁度いいでしょ」
「まじかよ……」
いきなり告白すると言うのは、めちゃくちゃに恥ずかしいのだが……。
大体、恋愛に欠片も興味のないアズに見てもらったところで、何か変わるのだろうか。
ただこれはきっと、アズが僕のために真剣に考えて導いた答えなのだろう。
そうなると、やらなきゃ寧ろ申し訳なさを感じそうで……
しょうがない。やるか。
よいしょ、と気合の声を絞り出して、僕は固い座席からゆっくり立ち上がった。
向かいの席では、アズが相変わらずだらしなく身を沈めていた。
やばいマジで緊張してきた。
大きく深呼吸、すーはー、すーはー。
その様子を見て本気で実演するのを悟ったのか、彼女も立ち上がると、片手を腰に当てて、僕の真正面に位置どった。
どうやら、一応雰囲気は作ってくれるらしい。
アズと目線がピッタリと合う。
彼女のキリッと鋭い瞳が、真正面から僕を見つめて来た。
数秒の静寂。
車輪がゴトゴトと回る音だけが、馬車の中に響きわたった。
告白独特の緊張感。
体温が上がってきたのが自分自身で理解できる。
心臓の鼓動が早くなり、汗が手に滲む。
やばい震えてきた。
だが、僕はそれでも……
言う以外の道はない。
「えっと、その……あの……、つ、つつ、付き合ってくだひゃい」
緊張の空間は瞬時に消え去った。
「ちょっと、なに今の。ぷっ……何それ、きしょすぎて引くんだけど。なんで噛んでるのよ気持ち悪い、鳥肌が立ったわ。0点を通り越して、マイナス百万点ね」
「そこまでボロくそに言わなくても……」
「こんな告白されたら誰でもそう思うわよ。あれで承諾する女がいると思ってんの? ふっ……ふふっ……いるわけないでしょ! 絶対にいないわよ。向こうから引かれて、どこで会っても無視されて、キモい告白されたって町中に言いふらされてるわよ」
コイツ……
アズがいい奴かも思った僕が馬鹿だった。
他人を一方的に貶して遊ぶだけの、クラスのカースト最上位の女と何も変わらない。
正直、異世界に転生してこんなにも傷ついたことは無いくらい、傷ついた。
言葉の棘が鋭すぎる。
彼女はカミソリか何かなのだろうか?
前世はアンキロサウルスかもしれない。
確かに僕にも非があるが、ここまで言わなくてもいいじゃないか。
悲しみを通り越して、もはや怒りすら感じる。
「いいか、割と演技だと分かっててもめちゃくちゃに緊張するんだ! そんなに言うなら、見本見せてくれよ」
「は? 見本? なんで私がフォスなんかに告白しなきゃいけないのよ」
「へぇ、出来ないのか。はぁ……所詮アズは口だけなんだね。人にやらせといて自分はできないとか、点数をつける資格もないわ~。見本見せられない時点で僕と一緒、いや僕以下だね。マイナス5千兆点~って痛たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたっ!」
アズは僕の耳を握り潰すかのごとく、握ってきた。
ものすごく鋭い眼光である。
これは人を殺す目だ。
きっとジャックザリッパーにも負けていない。
「やってやろうじゃない。そこまで言うのなら、見せてあげるわよ」
アズは叫ぶようにそう言うと、パッと手を耳から離す。
そして姿勢を正して、僕の前に立った。
どうやら本気で告白の実演を見せてくれるらしい。
挑発したら乗ってくるかと思っていたが……
こんなにも簡単に乗ってくるとは思ってなかった。
僕に煽られたのが、よほど堪えたようだ。
ただやってくれるというのなら、やぶさかではない。
お手並み拝見といこう。
再び静寂の時間がやってくる。
アズは、こちらをじっと見つめる。
唇を、薄く開きかけて――
そのまま、止まる。
1秒、2秒、3秒と秒針は刻む。
4秒、5秒、6秒………
……60秒、61秒って長!?
固まったまま、アズはぴくりとも動かない。
唇は半開きのまま、青い瞳は僕の瞳を捉えたまま、アヌビスの像のように静止している。
というか……
見る見る内に顔が赤くなっている。
酒を飲んでいるときよりも、数倍は真っ赤だ。
「……やっぱ、緊張するでしょ?」
「はぁ!? そそそそそんなことないわよっ! こ、これはそうよ!雰囲気作りよ! 雰囲気作り! ちょっと、間を取って、雰囲気を作ってただけなんだから! 告白っていうのはね、勢いだけじゃなくて、こう、ね、空気の作り方が大事なのよ!」
早口、超早口。
彼女を纏う魔力の気配まで、激しく揺れている。
「それで緊張してないは、無理あるよ」
「うっ、う、うっさいわね! もういい、行くわよ。い、言うわよ! 言うの!」
やけくそ気味に叫ぶと、彼女は深く深く息を吸い込んだ。
胸が大きく上下して、肩が小さく震える。
それから、ふっと、息を、吐いた。
そして――
青い瞳の奥に、まったく違う色の光が灯った。
ぎゅっと拳を握り、震える足を力を込めて止める。
決心したように顔を上げ――
僕と再び視線が交わった。
「フォス」
呼ばれた。
「あんたのこと、好きだったの! だから、わ……私と付き合って!」
呼吸が、止まった。
馬車の揺れも、車輪の音も、窓の外を流れる平原の輝きも、何もかもが、その一瞬で消えた。
聞こえていたはずの蹄の響きすら、遠い世界の出来事みたいに思考から抜け落ちていく。
見えたのは、恋愛漫画の1ページ。
頭の中で、脈絡もなく、桜が舞った。
四月の柔らかな陽射し。
花びらが風に乗って、ゆっくり、ゆっくりと宙を泳いでいく公園。
学校帰りの坂道。
桜の木の下に立った美少女が、両手を背中で組み、はにかみながらこちらに微笑む――
完璧だ。
完璧だった。
心臓が飛び出てるのかと錯覚するほど、バクバクと体の中に響いている。
嘘だとわかっていても、心の動揺が抑えきれない。
体温が高くなったのが、自分自身ではっきりと感じる。
この告白で落とせない男がいるなど到底考えられないほどに……。
「っ……くっ、100点」
僕は何とか絞り出して言葉にした。
「はぁ、良かった……って、でででででででしょっ! そうでしょっ! 私が告白するんだから100点に決まってるじゃない! 私が見本見せたんだから、あんたも早くやりなさいよね! ほらっ! 早く!」
言葉が止まらない。
胸の前で組んだ腕の指先が、自分の二の腕の布をきゅうと握り潰し、解いてはまた握り直す。
その仕草の落ち着きのなさとこぼれる笑みだけで、彼女が如何に勇気を以て告白したのか伝わった。
「そっか……僕の告白は間違っていたんだね……」
そう、言葉が漏れた。
間違ってた。
間違ってたんだ。
僕の告白は、根本のところで、間違っていたのだ。
僕には覚悟が足りなかったのだ。
緊張だとかそんなことを言っている場合ではなかった。
たとえ嘘でも、たとえ演技でも、たとえ朝の馬車の中での暇つぶしでも――
目の前の、この、完璧な美少女を、この一回の告白で、本当に、心の底から……
恋をして、恋をさせ、恋に染める。
その覚悟が、僕には欠けていたのだ。
アズに点数がつけられるのかなんて、そんなことどうでもよかった。
どうして、僕は本気を出さなかったんだ……。
恥ずかしかった、笑われたくない、所詮演技……
くだらない。
僕は告白に全力を出すことを、色んな理由をつけて拒んでいただけじゃないか。
ふざけるな……。
何をしているんだ僕は。
「早くしなさいよ! ここまで私にやらせといて、逃げるなんて許さないわよ! 見本見せたんだから次キモかったら、弁慶の泣き所百回蹴りの刑なんだから!」
アズの声がぼやけて遠ざかっていく。
何を言っているのか、今の僕には聞こえてこなかった。
これ以上、アズに醜態を晒すなどという選択肢は、存在しない。
あんな半端で恥をかかされたまま、この告白を終わらせてたまるものか。
今度こそ。
今度こそ、やる気を、両手で掴み直す。
本気だ。本気の告白だ。
自分自身が、本当に、心の底から……
アズのことを好きだと、錯覚するくらいに……。
それに告白の術を、僕はいっぱい知ってるじゃないか。
恋愛小説、少女漫画、青春アニメ、深夜ドラマ、ライトノベル、乙女ゲーム、シミュレーションゲーム。
告白されたことはなくても多くの告白シーンを見てきた。
この世界の誰よりも告白を見てきたはず。
この経験を、思いを、熱意を、
ここでぶつけずに、いつぶつけるのか。
日本人としての二十数年。その全てを、この瞬間、この馬車の中、この相棒の前に、惜しみなく解き放つ。
「――アズ」
――!
僕はアズに勢いよく壁ドンした。
その勢いは馬車が横に揺れるほど。
ドンっと大きな音が、馬車内に響く。
「ちょ、ちょっと……な、何よ?」
アズの瞳が、これ以上ないというほど見開かれた。
眉が困惑で寄り、唇が半開きのまま、次の言葉を見失って、宙で迷子になる。
だが数秒後、僕とアズの目線は真っすぐに交差した。
「アズ、愛してるよ。僕と結婚してくれ!」
短い、たった一文。
余計な装飾を、すべて削ぎ落とした、剝き出しの言葉。
目を一心に見つめて、そう言い放った。
アズの告白には到底叶わないだろう。
それでも言葉に、僕の全力を乗せた。
「え?え、えと、け、結婚!? 何を言って……」
アズの瞳が、いっぱいに開いた。
それから、ふるり、と細かく揺れた。
赤に染まっていた頬の色が、ぐっと深さを増し、首筋の付け根まで、薄紅色が下りていく。
長い金髪の隙間から覗いていた小さな耳が、目に見えるほどはっきりと、紅葉色に色づいた。
唇が、何かを言おうとして、開く。
すぐに、閉じる。
もう一度、開く。
また、閉じる。
その繰り返しの末、彼女の視線は、僕の顔から……
ゆっくりと、ゆっくりと、地面の方へと滑り落ちていった。
「………」
何度目か分からない静寂が僕らを包む。
組まれていた腕がほどける。
両手の人差し指をつんつんと互いにぶつけ……
爪先が、内側にすこし内股気味に寄って、ブーツの先がこつんと床を小さく叩く。
肩は縮こまり、首筋は深く俯き……
唇は、わずかに開きかけたまま、何かを言うのを諦めたように、半ば閉じている。
編み残しの後れ毛がふわりと頬の輪郭に沿って垂れ落ちて――
馬車の揺れが、二度、三度。
その、たっぷりと引き伸ばされた静寂のあと。
彼女の唇が、ほんの少しだけ動いた。
「は、はい……」
アズは小さくか細い声でそう返事をした。
窓の外の風がもう少し強かったら、やすくかき消されてしまいそうな、細い細い音。
俯いたままの彼女の指先が、つん、と最後にもう一度だけ、互いを小突いた。
俯いたまま、一向に顔を上げようとしない。
「えっと……何点なの?」
次の瞬間――
ばっ、と。
彼女の首が、勢いよく跳ね上がった。
「あ、あぁ……」
青い瞳が、ぱちぱちと、せわしなく瞬いた。
その瞳が、僕の顔を捉えた瞬間――
彼女の中で何かが、はっきりと、ぱちん、と弾ける音が、僕にすら聞こえた気がした。
「そ、そそそそそれは、ぜ、ぜぜぜぜ、ゼロっ点よっ! ゼロ! ゼ・ロ! 女性を壁に追いやるなんて不純よ! 野蛮だわ! も、もう……まったく……本気かと錯覚しちゃったじゃない……」
早口でそう言うと、手を激しく仰いで体温をさげようとしている。
最後の方は声が小さくて聞き取れなかった。
僕のことを貶す言葉でも言っていたのだろうか?
瞳にはうっすらと涙を浮かべているように見えた。
「……あ、でもさ、殺気の告白がマイナス百万点だったってことは、百万点も点数上がったってことだよね。何だか告白に対して、自信がついて来たよ」
そう言った瞬間、アズの眼が鋭く僕の顔を睨んだ。
「はぁ? 調子乗んないで! あんたの告白は、その……ダメダメよ。だからもう告白なんてするマネはやめなさい!」
「えっと…最初と言ってること違くない?」
「ち、違くないわよ! あんたには才能が無いのっ! だからあんたは告白するのは禁止なの! もう告白すんな! あんたは告白するんじゃなくて待ってる方がいいわ!」
「え? えぇ……」
「ダメったらダメなのっ! 告白禁止!リーダー命令! 分かった?」
「わ、分かったよ……」
アズの発言には疑問の残ることが多かったが……
もう、頷くしかなかった。
読んで頂き感謝申しあげます。
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2026/5/4更新




