第一話 恋人について①
ここは、中世ヨーロッパの町並みが広がる異世界。
エルフやドワーフといった多くの異なる種族が共生し、魔物が草原や森、洞窟の中にまで跋扈する。魔王はその名を囁くだけで民を震えあがらせ、英雄は魔法と剣技で伝説を刻む。
そんなファンタジー要素満点の世界。
そんな世界の、ある冒険者ギルドの一角。
石造りの壁に背を預けるように置かれた席で、一人の青年が突っ伏していた。
窓から吹き込む気まぐれな風が、彼の白い髪を静かに撫でる。
椅子の脇には鞘に収めた剣が立てかけられ、陽光を鈍く跳ね返していた。
青年の向かい側には、金髪の少女が座っている。
目は青く、鋭い目付き。
腰に短剣を一本。椅子の横には弓と矢筒。
視線は宙のどこかへぼんやりと向けられ、風で靡く後ろ髪を手で軽く払った。
そんな様子の少女を横目に……
青年はゆっくりと顔を上げて――
「……なろう系ハーレムチート主人公になりたい!」
そう叫んだ。
その声はギルドの食堂に響き、周りの人々が一瞬だけ杯を止めた。
そしてすぐに忘れた。
数秒の沈黙。
「……は?」
少女は辛うじて、その一文字の言葉を口にした。
初めて青年を見る。
残念そうな瞳で……。
「いや……なろう系の主人公ってのは、元々日本という異国に住んでいた人間が何らかの因果により、異世界に転移転生してチート能力を授かり、元の世界の知識と感覚を活かして無双する……そんな物語の主人公のことなんだよ。しかも意味わかんないけどモテて、ハーレム作って、英雄になって……」
「……で?」
「えっと、つまり僕もそうなりたいんだよ。圧倒的な才能と実力を振りかざして、人生超ヌルゲーみたいなモテモテ最強主人公にさ」
「……あんた馬鹿じゃないの?」
心底つまらないと訴えるような表情を浮かべる少女。
それだけ言って、アズはジョッキを持ち上げた。
喉が動く。一口飲んで、静かに卓へ戻した。
「いや……その、冗談で言っているわけじゃないんだよ。以前から言ってるだろ?僕は日本から転生してこの世界に来たんだよ。つまりさ、出自だけ見れば、なろう系ハーレムチート主人公になる条件は満たしているんだよ」
「ふーん……」
「なのにさ、僕にはチートみたいな能力も才能もないんだよ。そりゃ……努力の甲斐あって剣や魔法の技術はそこそこある自負はあるよ。けどさ、そうじゃないんだよ。なろう系主人公はもっと規格外の強さをしてるんだ! あと、めっちゃモテる」
「はぁ……」
「僕は転生者だというのに、そんな特別な何かが何もないんだ。モテないし……それどころか彼女ができたこともないし……。これって、おかしくない?」
「どこもおかしくないわよ。はぁ……こんなくだらない話をされるこっちの身にもなってみなさいよ。フォスはアホなの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「アズは相変わらず辛辣だなぁ……。けどそうあって欲しいと、そうありたいと願うのは自由だろ? せっかく異世界に転生して第二の人生送っているのに、特別なことが何も無いなんてすごく嫌なんだよ。チート能力はもう無理でも、せめてハーレムくらいはしてみたいと思うのが妥当だと思うんだ」
「意味わかんないわよ。気持ち悪っ……」
アズ――と呼ばれる少女はそう言葉をこぼすと……
ジョッキをもう一度持ち上げ、残りを一気に飲み干した。
空になったジョッキが卓に戻る、乾いた音がした。
窓の外から、正午の光が真上から降り注いでいた。
影が短く、石畳が白く焼けている。
そう……僕らは真昼間から、酒を飲んでいるのである。
「あんた自分で言ってること分かってる? 本の世界の主人公と同じ卑しい身分だから、同じようにイケメンの王子様が迎えに来て、私もお姫様になれる! て言ってるのと同じなのよ! 子供ならまだしも、その年齢で……ぷっ」
「うっ……その……でもさ、ハーレムくらいなら目指せるんじゃないかと思うんだよ……」
突っ伏した姿勢から起き上がり、僕――フォスは背もたれに体重を預けた。
木の椅子がきしむ音が小さく鳴る。
卓に置かれていた自分のジョッキを引き寄せ、口に運んだ。
冷えた麦酒が喉を通り抜け、苦味が舌の奥に残る。
美味しい……。
「ほら、僕の顔ってそこそこイケメンの部類だと思うんだよ。それにこの世界、一夫多妻も一妻多夫も法律で認められているわけだろ。文化的にも制度的にも、追い風が吹いているんだ。神様が僕にハーレムを作りなさいと言っているとしか思えないよ」
「いえ、無理ね。頭おかしいんじゃないの。逆に、その謎の自信はどこからくるのか問いただしたいくらいだわ。それにあんたは、イケメンでは間違いなくないわ。鏡見てきなさい。それで分からないなら私が殴って価値観を根底から治してあげる」
「た、確かにアズほど顔は整ってないよ。けど日本にいたときに比べれば……かなりイケメンになったんだ!」
「これでかなりイケメンになったとか、前世のあんたはどんだけブサイクだったのよ。もしかして豚だった? イノシシ? ゴブリンとかだったんじゃないの? よほど低俗な魔物だったんでしょうね」
酷い言い草である。
しかしそんな発言をしておいてなお、アズはこちらを見もせずに、空のジョッキを卓の上で指先でくるくる回していた。
「そもそも顔が整ってれば彼女ができるって言う考えが、拙くて愚かよね。イケメンってだけで好きになんのはガキぐらいよ。その考え変えない限り、あんたには一生彼女できないわ」
「この世界はそうかもしれないけどさ……顔からの第一印象は大事だろ? 心理学でも第一印象の何割だっけ、顔の印象は五割超えるんだとか何とか……」
「だから、何なのよ。私レベルに可愛くて美しかったら話は別かもしれないけど、あんたのルックスレベルなら意味を成さないから大丈夫よ。安心しなさい」
「どこにも安心要素なかったんだけど……。と言うかそれ、自分で言う?」
「なによ? 事実を言って何が悪いのよ。私みたいな美しい女性とパーティーを五年も組めていることを誇りなさい。リピートアフターミー、アズは可愛いです。」
「アズハカワイイデス」
「感情込めて言いなさい!」
「痛っ!?」
骨に響く痛みが膝下から上ってきて、僕は思わず椅子の上で身を縮めた。
コイツ……僕の脛を蹴りやがった。
えぐいくらい痛い。
しかし……
悔しいがアズは確かに美少女だ。
その点について反論の余地はない。
このアズ・ライトという少女の容姿は、率直に言ってずば抜けている。
腰まで伸びた綺麗に整った金色の髪も、完璧なまで揃った顔立ちも、小ぶりな胸に引き締まったスタイルも、外見において彼女は非の打ちどころがない。
彼女の外見に騙される人は、今までに何人も観てきた。
騙される人……、
そう騙されるのだ。
彼女はとても短気で、ギルドマスターであろうと気に食わないことがあれば平気で歯向かう。
それにすぐ手が出る性格で、同業者であろうとお構いなしに口論を始め、口論はそのまま殴り合いに発展し、酒場の机を蹴倒し椅子を投げ飛ばすところまで一直線に突き進む。
加えて見ての通り自身に対して揺るぎない自信があり、とても高飛車。
そう、彼女は性格的にとても可愛くないのだ。
おかげでアズはギルド内でとても嫌われており、距離を置かれていることが多い。
多くの古参冒険者は彼女と目を合わさず、新人は彼女に近寄らないよう先輩から教えられる。
今までに彼女とパーティーを組んだ冒険者は彼女から次々と離れていってしまい……
アズとパーティーを組んでいる冒険者は現状、僕しかいない。
それでも五年も同じパーティーにいると慣れてくるもので……
殴られても蹴られても怒りを覚えないくらいには順応してきた。
いやしてきてしまったと言うべきかもしれない。
それに自分が転生してきたなんて突飛な話を信じてくれたり、こんな感じにくだらない話を何だかんだ聞いてくれたりと良いところもあるのだ。
少しでも皆がそういう所を知ってくれれば良いのだが、まぁ無理か。
「アズって、割といいやつだよな」
「何、いきなり? 気持ち悪いんだけど。もしかしたら褒めれば私が意見を変えるとでも思った?そんな軽い女だと思われたのなら心外ね」
褒めても受け入れないところも彼女の可愛さだ。
うん可愛さ、ほらツンデレみたいで可愛いじゃん。
そういうことにしておこう……。
「何だか私の言葉が響いてないようだから、教えてあげるわ。フォスが何故モテないのか、もっと理論立てて話をしてあげる。感謝しなさい。そもそもね……フォスがモテない理由は大きく三つあるわ」
「三つもあるのか……」
アズは人差し指をピンと立てると、僕の顔前に突き付けてくる。
「一つ目は、金銭面ね。あんた、今の貯金いくら?」
「数か月の生活費が賄えるくらいかな」
「あら、意外とあるのね。私なんか、今月の食費がやっとよ。けどね、それも冒険者の中ではあるにすぎないわ。貴族様や騎士団の連中に比べればそんなお金は下の下よ。そんな財産のない男と付き合うもの好きがいると思う?」
「まあ、それはそうだよね……」
所詮、金かよ。
世知辛い話だ。
日本と何も変わらないじゃないか……。
冒険者という職業は、依頼を受けてそれを達成することで、収入を得る仕組みである。
そのため安定する収入源はなく非常に不安定。
依頼が無ければ稼ぎはないし、依頼を受けても達成できなければ逆に金が分捕られる。
何とも夢のない職業だ。
「二つ目に職業ね。彼氏に向かない職業ランキング、前見た雑誌では冒険職がナンバーワンだったわ。仕事は不定期、死とは常に紙一重。さらに収入も不安定といいとこなしね」
「さっきとちょっと被ってない?」
「そこは気にしたら負けよ」
主な冒険者の仕事はいつ魔物に食われてもおかしくない森や、即死トラップがひしめくダンジョンでの活動。
毎年何万と言う人々が命を奪われるこの世界では、一番危険と隣り合わせの職業だろう。
そんな相手を運命の相手に選びたくないとうのも、納得できる話である。
「三つ目に、あんたの恋愛に対する価値観よ。あんたが思ってるほど、恋愛なんていいものじゃないわ。純粋で可憐な恋愛は小説や絵本の世界だけ。私なんて彼氏が欲しいなんて人生で一度も思ったことはないわ。正直言って夢見てるあんたはキモい」
「キモいとは失礼だな。異世界なんだからもっと夢見てもいいじゃないか」
「フォスにとっては異世界でも、私たちにとっちゃ紛れもない現実なのよ。はいっ、終了。よってフォスにはハーレムどころか、彼女一人もできることはないわよ。ありがとうございました」
「くぅ……」
異世界転生、なんて口にする度に思うけれど――
その通りなのだ。
この世界の住人にとっては、ここが日常で、ここが現実そのものだ。
僕にとっての「向こう」が彼らにとっては絵空事であって、彼らにとっての「ここ」は朝起きて飯を食って寝るだけの、何の変哲もない日々の積み重ねでしかない。「ここ」を「向こう」と捉えている僕と価値観が合わないのは当然だ。
「夢を見るの大概にしてほしいわね。もう二十代なんだから、現実を受け止めあるがままを受け入れなさい。あっ、ウィール酒、もう一杯!」
そんなことを脛の鈍痛と一緒に噛み締めている横で、当のアズは給仕に向かって声を張り上げていた。
さっきの僕に負けない大声である。
給仕の若者が「はーい」と気怠げに答えて厨房の方へ消えていく。
アズはジョッキを揺らして残った泡を眺め、薄く口角を持ち上げた。
どうやら今日は気分がいいらしい。
しかし――ウィール酒……か。
ウィール地方産のあれは、とにかく安くて、とにかく強い。
ここから北方にあるウィール地方の痩せた土地で育つ穀物から仕込む蒸留酒で、安価な原料に長期熟成も何もかも省いた荒っぽい製法で作られているらしい。おかげで安価でありながら、冒険者の懐事情とアルコール度数への需要の両方を完璧に満たしているせいで、冒険者からは圧倒的な人気を誇る酒だ。
だが僕は飲むと次に日は必ず、二日酔いで寝込む。
頭の芯にずきずきと響く痛みが朝から夜まで続き、水を飲んでも吐き気だけが残り、その日を棒に振る羽目になる。
値段が安かろうが、絶対飲みたくない。
だから僕は、ちょっと値の張る酒を頼むことにしている。
財布には少し痛いけれど、二日酔いで丸一日無駄にするコストを考えれば、こちらの方が長期的に得だ。経済合理性、ってやつだ。
「あ~そういえば……」
「ん? アズ、どうした?」
唐突にアズが何かを思い出したかのように声をあげる。
「いや、あんたがどうしても彼女が欲しいのなら、魔物って手があると思ったのよ」
「えっと、何言ってるか分からないんだけど。酔ってる?」
「酔ってないはよ! スライムを彼女にしてる男がいるって話を、前にギルドで盗み聞きしたの!」
どうやら『わ』を『は』と発音してるあたり、ちょっと酔ってるらしい。
「スライム……か。確かに『スライムが美少女の姿になりました……やった~ハーレムの仲間入り』みたいな話、読んだことある気がするよ。けど到底それがこの世界で起こり得るなんて、思えないんだけど……」
「けどけっこう信憑性は高いらしいわよ」
「それが本当なら全然スライムハーレムでもいいんだけど……」
「うわ、きも。自分で言っといて悪いけど、想像したらやっぱり気持ち悪いわ。性欲のはけ口を魔物に求めるだなんて、不憫もいいところだと思わない?」
「いや……むしろそういう普通の人間じゃない方が異世界らしくて僕的にはポイント高いね。獣人とかエルフとか……」
「きっしょ……。獣人とエルフを、スライムと同列に並べてんじゃないわよ!」
「なんか、すいません」
スライム……
別にいいけどな。
なろう系なんて魔物だけじゃなく、魔王がヒロインになることだって普通にある。何なら日本は戦艦や刀、国だって擬人化して恋愛の対象とするのだ。
スライムなんてむしろ素朴で、可愛い方だろ。
可愛ければいい。これぞ正義の法則である。
「危ない危ない……仲間を不健全な道に導くとこだったわ」
そこまで言って、アズは届いたばかりの新しいジョッキに口をつけた。
ウィール酒をアズはひと息で半分以上を流し込み、ジョッキを下ろすと、ほうっと熱い息を吐いた。唇の端に泡がついており、払うようにふき取る。
容赦のない単語を並べているくせに、本人の表情は緩んで、目じりが下がって、頬が紅潮している。
いつにも増して、その表情は幸せそうなものだ。
そんな彼女を横目に、僕は卓に置かれた皿に手を伸ばし……
カエルの唐揚げの最後の一つをつまんだ。
カエルとなると嫌悪感を抱くものも多いかもしれないが、食べてみると案外行ける。
衣はからりと揚がっていて、油の香ばしい匂いが鼻先に立つ。
噛むと外の衣がパリッと割れ、中から白くしっとりとした身が現れる。
ほら、美味しそうだろ?
この世界じゃ定番メニューの一つだ。
「……ちょっと今、最後のひとつ食べたわよね」
飲み込んだ瞬間、前の気配が固まった。
「え?……駄目だった?」
「私が一番大きいの取っておいたのよ、それ。最後に食べようと思って」
「そんなの知らないよ。皿に残ってたんだから……」
「ちっ」
「あーっ、ちょっと!」
次の瞬間、アズの手が伸びて、僕のジョッキを攫った。
彼女はそのまま僕の麦酒――
南方産の、ちょっと値の張るやつ――
を一気に呷り、喉を鳴らし、ごくごくと飲み干した。
「お返しよ。だいたい高い酒なんか頼んじゃって、生意気なのよあんた」
中々に身勝手な女である。
唐揚げ一つ食べられただけで、何を怒る必要があるのか。
ちなみに一気飲みは、いい子はしちゃだめだよ。
死ぬから、まじで。
「ん〜……にしてもこのお酒、おいしぃ……特に後味がぁ」
アズは無くなったジョッキを再度傾け、一滴まで舐めとる。
ほんの少しだけ酒が口の端から伝い、彼女は袖でそれを乱暴に拭った。
「変なクセも、ないし……後味、悪くない……ですのね……」
呂律が、回っていない。
後味のこと二回言ってるし……。
あと、ですのってなんだよ。
「ふふ……」
「ふふっ……あはっ……」
何が面白いのか、本人にも分かっていないのだろう。
卓に頬杖をつく腕がずるずると下がっていき、頬が手の甲に押し付けられて、青い瞳がとろんと半開きになる。
睫毛の影が頬に落ちて、その頬は陽光と酒気のせいで桜色に染まり、唇の端は幼い子供のようにふにゃりと持ち上がっていた。
これは……。
これは、なんというか、危険だ。
「フォス、フォス」
「は、はい」
「代わりにねぇ、私の酒……あげる、から」
アズはジョッキを両手で抱え、それを卓の上で、僕の方へとずいずいと押してきた。中身が揺れて、琥珀色の液体が縁の手前まで波打つ。
「私のだから、私のだけど……特別、あげるわよ。あんたは唯一の仲間だし、特別。とくべつ……」
「いや、いやいや……」
ウィール酒なんて飲めるはずがない。
翌日確実に頭を抱えて寝込んでしまう。
「アズ、飲みすぎじゃないか? ほら前だって飲み過ぎて、次の日の昼までこの机で寝てただろ」
「なにぃ、言ってんのよ。これっぽっちも、酔ってない、んだから。それより、ほら……飲みなさいよ。私の酒。あんたに、あげるって、言ってるんだから。せっかく、私が、私の、飲んでた酒、あげるって、言ってるのに……飲まないの?」
「いやちょっと厳しいというか……僕はウィール酒は体質的にあんまり……」
「はぁ!?」
アズの空いた手が伸びてきて、僕の襟元をぐいっと掴んだ。
ぐっ、と引かれて、僕は卓の上に上半身を引きずり寄せられる。
距離が、近い。
陽光に温められた金髪の匂い、酒の匂い、そして一緒に立ち上るふんわりとした花の匂い。卓に乗り上げた肘が皿の縁を弾き、皿が小さく鳴った。
アズの青い瞳が至近距離で僕を見据える。
綺麗な目だなって……そんな場合ではない。
「あんた、私の酒が……飲めないって、いうわけ?」
「いや、そういう話じゃ――」
「飲めないって、いうわけ!?」
ジョッキの縁が、僕の口元に押し当てられた。
まずい、どうやら酔ってめんどくさいことになっている。
さらにその口に押しつけてるそのジョッキの縁、さっきまでアズが口をつけてたところじゃないか。
つまり、これは。
これは、その。
間接キス、というやつに、なるのではないか。
「おらっ、飲めええ!」
ぐ、と縁が押し込まれ、口の中に琥珀色の液体が流れ込んでくる。
ウィール酒の刺すような甘さと舌の付け根を焦がす度数の高さが同時に襲いかかってきて、喉が反射的に動く。せき込みそうになりながらも、僕は半ば強制的にそれを飲み下した。
「げほっげほっ……死ぬ……」
腹の底でぼっと火が点くような感覚があった。
間接キスなんて気にしてた僕が馬鹿だった。
ジョッキが下ろされる――
アズは満足げな顔で僕を見ていた。
「どう? 美味しいでしょ、それ。ね、美味しい、でしょ?」
「う、うん。あはは、おいしいよ……」
不味いとでも言ったら、とてもめんどいことになりそうだ。
ここは嘘をついてでも、この場を乗り切ろう。
「ふへへ、そうでしょ~」
ジョッキを抱える腕の力が抜けて、彼女はそれを卓の上に置くと……
両手を頬に当て、肩を縮こまらせるようにして、えへへ、と笑った。
何が嬉しいのか、本人すらよく分かっていなさそうな、ただの上機嫌な笑い。
卓に映り込んだ陽光が、彼女の頬を桃色に染めて、その色がまた嬉しそうに揺れた。
いつもツンとしている分、そんな表情を見ると何だか可愛らしく思えてくるのが不思議だ。
一気に酔いが体に回ってきたようで、こっちまで頭がほわほわしてくる。
なんだか、少し良い気分だ。
「あ〜……けどねぇ、けどね、フォス。あんたがどうしてもって、言うなら、スライムも、いいと、思うのよ。私はぁ」
「あ、あんだけ、あんだけ貶しといて何言ってんだよ……」
「なんだかぁ、私もぉ、気分がいいし……今から、探しに行かない? 今日はね、私の勘がね、言ってるのよぉ。フォス好みのスライムに会えるって予感がするって。私のね、勘ってよく当たるんだから。当たるのよぉ」
アズはパッと立ち上がり、椅子横に置いていた矢筒を背中に背負う。
「おいおい、いきなりだな……」
「思い立ったが吉日、って言うじゃないぃ。立ったのよ、私はもう。立ったってことは、これは行くしかないってことなのよ! 立ったんだから。立ったんだから、行く!行くの!」
「わ、分かったから。まあ、どうせ暇だし……差し迫った依頼もないもんな」
「そうでしょ! じゃあ行くはよ~!」
アズは僕の手を掴んで引っ張りあげると、おぼつかない足で駆け出す。
僕はその少女の小さくそしてたくましい手に引かれて、走り出すのであった。
その結果、食い逃げして街外の平原まで逃亡したことになった。
さらに酔っていつの間にか吐いていた吐瀉物を、スライムだと思って夜まで攻撃していたのである。
そういう一日もある。
一日もあるのだ。
……あっていいのだろうか。
ご愛読感謝申しあげます。
評価、感想等頂けたならば幸いです。
2026/5/3更新。




