第三十五話:優雅な剣戟
ローレンシアの向けた切っ先を、ロサードは余興でも見るかのように楽しげに笑う。
「無理だ。貴様などに私を倒せるような力はない」
ロサードは一向に椅子を立とうとはしない。ローレンシアは剣を構えたまま間合いの外側をじりじりと、障害物がない方向へと進む。ロサードの余裕ぶった笑みがひどく彼女を苛立たせていた。
執務机の真横で動きを止めても、ロサードは横目で彼女を見るだけで、立ち上がろうとも剣を抜こうともしなかった。それでもこの王の腕をローレンシアはよく知っている――前回、瀕死の重傷を負わされたのだ、さすがに警戒するに決まっている。腰の位置に携えていた剣へロサードが手を伸ばす。しかしその動作は軽く、腰ベルトから鞘ごと外すと無造作に執務机の上に置いた。ゴトリ、という重々しい音が響く。
ローレンシアはあっけにとられてその一部始終を見ていた。最初剣に手が伸びた時はさすがに緊張したが、その後のこの様子はいったい……?
「貴様など、剣に頼らずとも」
そしてゆらりと立ち上がるとローレンシアを斜めに見てもう一度にやりと口角を上げた。
その瞬間、ローレンシアの背中を悪寒が走る。相手は丸腰だ。剣を向けられているわけでもない。それなのにこの殺気――ぞくり、と冷たさの中に放り込まれた彼女の判断能力が一瞬でパニックになったのも仕方ないだろう。ローレンシアはくっと顎を引くとそのままロサードへ向かって斬りかかる。
その動きは大振りで、ロサードはやすやすと軌道を避けた。そして空を切った身体のバランスを整えるよりも早く、一瞬縮めた右脚を勢いよくローレンシアの脇腹にめり込ませる。柔らかい肉が痛みをストレートに内臓へと伝えるのと同時に、蹴り飛ばされて身体が壁にぶつかってじんと痛む。身体を起こして睨みあげれば、ロサードは楽しそうに笑んでいる。
「私は情けをかけるのは好まぬ」
「承知している、そんなこと」
ローレンシアは咳き込みながらもそう毒づいた。事実、ロサードの政は情け容赦がないのは承知していたし、それが反乱軍たる所以でもあったのだから。
「愚かな女だ、私の言葉を良く考えろ」
すい、とロサードの表情から笑みが消える。そして非常にゆっくりとした動作で執務机へと向かう。ローレンシアに背を向けて。彼女はその大きな隙をわかってはいたが、剣を手にする気になれなかった。ロサードが次にどんな行動に移るのかをただ、見つめていた。この王はその政の非情さはともかくとしても、人を惹きつける力が強いのはこの瞬間、ローレンシア自身が感じていた。
ロサードの右手は壁にかけられた飾り剣のひとつを手にする。そんな僅かな仕草さえローレンシアは目を逸らせない。彼の手が装飾の施された鞘から剣を抜き、くるりと彼女を振り返るその姿を優雅だと感じもした。
「貴様に情けをかけぬ、と言う意味だ――わかるな? 反乱軍の愚か者」
真顔のロサードは美しかった。剣がきらりと月光を反射させる。ローレンシアはゆっくりと壁伝いに身体を起こす。ただそれだけの動作のひとつひとつが、爪先から頭のてっぺんまでを剣で突き通されるような激しい痛みを感じさせる。