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月下の王城  作者: 香住
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第二十話:彼に言伝を

 ローレンシアは幾度となく外出を望んだが、ヒューイがそれを許さなかった。彼女の傷は予想以上に深く、歩き回れるようなものではない。重ねて問われるその問いに、最後には答える言葉もなく彼は悲しげに眉を寄せた。

「すまない……無理を言っているのもわかってはいる、が、なんとか連絡が取りたいのだ」

「だから言っている。私が代わりに伝えよう、とね。貴方が何故それを拒むのかがわからないけれど」

 予想しているだろう、と思ってはいたが、ローレンシアは『アンシアン』のことをヒューイに告げなかった。ヒューイもまた、彼女が自発的に口にすること以外に言及することはなかった。代理を申し出たのは半分がその真偽を確かめたいという思いであり、もう半分が、きっとローレンシアは自分にそれを望まないだろうという推測の上でだった。

 ローレンシアは一日のすべてをベッドの上で過ごすこの数日、仲間たち――特にヤンに、自分の無事を伝えることすら出来ない現状が歯痒かった。ヒューイに伝言を頼むことも何度も考えたが、決めていたアジトにまだ誰かがいるかどうかはわからないし、命の恩人であるヒューイを危険に巻き込みたくなかった。そんな揺らぐ思いに挟まれた自分に深くを問わず、ただ傍にいてくれるヒューイに好意を感じていた。


 しかし、それも目を覚ましてから五日が限度だった。これ以上何も連絡をしないわけにいかない、とローレンシアは考える。ヤンのことだ、自分を探しに無茶をすることも考えられる。それにテリーとリンティア、あの二人が無事なのかどうかも気にかかる。テリーは妙に責任感が強かったから…自チームのメンバーを最優先にするだろう。その結果逃げるのが遅れれば、リンティアが無茶をしないともいえない。あの若い娘はいつもの素直さとは裏腹に、テリーが絡むとひどく強情だ、と二人に共通した金色の髪を思い出しながらローレンシアは深く溜息をついた。その僅かな動作でまだ脇腹に痛みが走る。そう、ヒューイの指示は正しい。思いのほか深い傷だ、無理をすればまた命の危険に晒されるだろう。

 自分が身動きできないのならば、あとはヒューイに頼むしか術はなかった。彼を危険の道に引きずり込みたくない、というのは最後の最後まで彼女にブレーキをかけたが、それでも最後にはその選択をすることになった。危険なことは、紙などに記さずに彼に口頭で伝える。


「わかった。そこへ行って、ヤン=メイフィールドにと伝えればいいんだね」

 ローレンシアの頼みを聞き終えると、ヒューイはいかにもお安い御用というように立ち上がり、隣の部屋からマントを持ってくるとばさりと身にまとう。

 ローレンシアが簡単に説明したオフォスの『アンシアン』のアジトの場所は、ここに住んでいるヒューイにとっては知った場所のようで、細かな地図は要らなかった。

「夕方には戻れると思う。――そんな顔、しなくていい。私は問題ない」

 心配そうな色がローレンシアの細い瞳に浮かんで、ヒューイは少し笑ってそう答える。ローレンシアはあまり表情を動かさないが、その瞳だけは随分と雄弁だった。まるで小さな幼子のような不安をたたえた瞳に、ヒューイはくすりと笑みを零してそっと頬に触れる。

「大丈夫」

 頬のぬくもりはローレンシアを安堵させるのに充分だった。胸のどこかにつかえていた塊が溶けたような気がして、ローレンシアもつられて微笑む。

 そのままヒューイは、じゃ、ときびすを返すだろう、と考えると、それはこの場合妥当で、それ以外はありえないはずなのに、急にローレンシアの胸には安堵とは別の感情が沸き起こった。彼を危険に向かわせるからか、とその感情に不安という名前をつけようと思ったのと同時に、ローレンシアは無意識にヒューイのマントの裾を掴んでいた。そしてその小さな手の動き――ローレンシアにとっては感情の揺らぎ――は正確にヒューイに伝わり、彼はローレンシアの頬に添えた手をそのままに、自分の身体を二つに折った。

 斜めに傾けられたヒューイの顔がすぐ傍にある、とローレンシアが思ったのとほぼ同時に唇が重ねられ、驚きに一瞬彼女は身を固くする。しかしその柔らかい口付けに、ローレンシアはそっと瞳を閉じた。驚きと一緒に彼女に唐突に訪れたのは、温かな恋、だった。

 二人にとって長い長い時間がそこに横たわり、ヒューイが身体を起こしてゆっくりと離れるのをローレンシアは視線だけで追った。その、無意識に切なげな瞳の色に、ヒューイは身体を興すのを途中で不自然に止めると、ローレンシアの傷に障らないようにそっと両手で彼女を抱きしめ、そしてもう一度、唇を重ねた。

 二人にはそれ以上言葉は必要なく、ヒューイは笑顔とローレンシアを残してオフォスの街へと出て行く。その姿をローレンシアは不安ではなく信頼で見送った。ベッドで横たわっているしか出来ないわけじゃない、と、彼女は天井を見つめたまま胸の上で両の手を組み、ヒューイの無事を祈りつづけていた。

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