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「オレを巻き込むな」
「仕方ないだろ。ああでも言わなきゃ、匠実が警察に突き出されそうな勢いだったんだから」
クラスメイトが二人も意識不明で、しかもその前日にその二人と会っていたとなれば疑われても仕方がないが、当の本人は必死に無実を訴えている。
すべてを無条件に信じるつもりはないが、一応本人の話もきちんと聞くのは筋だろうと思った。
甘楽も迷惑そうな素振りを見せるが、なんだかんだ味方してくれている――と思う。
だから、今もこうやって匠実の話を聞こうとしてくれているに違いない。
「で? どこまでがホントでどこまでがウソ?」
甘楽がこともなげに匠実に聞いた。
「俺はウソなんかひとつもついていない!」
珍しく匠実が声を荒げた。
「でも、あの画像は明らかに藤原、お前だよな」
匠実とはうって変わって、どこまでも冷静な甘楽の声。
白川と一緒に歩いていた画像は確かに匠実だった。これは抗いようもない事実。
けれど、匠実はこれにも首を振る。
「覚えていないんだ」
先ほどの勢いはない。ただ静かに呟くように吐き出した。
すると、甘楽が鼻で笑う。
「うさんくさい大臣の常套句だな。いつからお前は政治家になった?」
「バカにするなッ! そんなんじゃない!」
強い口調だけど、何かに怯えたようなそんな声だった。
けれど、甘楽は容赦なくさらに匠実を追い込んでいく。
「じゃあ、何だ?」
まっすぐに見つめる甘楽の視線から逃れるように、匠実は下を向き押し黙る。
俺は何て声をかけていいのか分からず、ただ、二人のやりとりを眺めている事しかできなかった。
すると、匠実がボソリと呟いた。
「誰かと一緒だったような気もするけど、それが誰なのか、どこに行こうとしていたのか、まったく思い出せないんだ。学校から家に帰るまでの記憶がなかったり、家に居たはずなのにコンビニにいたり、最近なんだかおかしいんだ。俺、何かに憑りつかれているのかな。もしそうなら宗介、お前には見えるだろう?」
小さい頃から人ならざるモノが見え、そのせいでいじめられてきた経緯を知っている匠実がそう聞いてくるのは無理もない。
確かに、匠実に何かが憑りついているとすれば、俺が真っ先に気付くはずだ。
けれど、匠実からはまがまがしい空気すら感じない。
甘楽も日常的にそういうモノが見えるらしいから、もしかしたら俺に見えていなくても、甘楽には見えているかもしれない。
そう思って甘楽を見たが、甘楽は小さく首を振った。
やっぱり匠実には何も憑いていないのだろう。でも、匠実の様子が少しおかしいのは確かだ。
「何も憑いてないけど……匠実、お前どこか具合でも悪いんじゃないのか?」
橋本の意識が戻らないと聞いた日から、匠実の顔色が優れない。目覚めなくなる前日に自分と会っていたなどと責められれば、普通の神経の持ち主なら気を病むところだ。
軽口をたたき平然としていたように見えたが、割と気にしていたのかもしれない。これまで匠実のことを、心臓に毛が生えていそうなくらい図太い神経の持ち主、と思っていたが、意外にも繊細な部分があるのだと認識しなおした。
「うーん。特に調子が悪いところは、……な……い……」
え?
スロー再生の画像を見ているような、そんな感覚だった。
目の前で匠実の身体が大きく傾いで、後ろに倒れていく。
俺はその光景をただ見ている事しかできなかった。もしここに俺しか居なかったら、匠実は確実に床に倒れていた。
そうならなかったのは、甘楽が匠実の体を支えたからだ。
「お、おい、藤原ッ! 大丈夫か?」
緊迫した甘楽の声に、周りにいたクラスメイトたちがざわつき出す。
「とりあえず保健室に運ぼう。お前は先生に報告して」
甘楽がひとり冷静に対処する。
「わ、わかった。先生に報告したら俺も――」
俺も保健室に行くよ、と言おうとした。
けれど、俺がすべてを言い終わらないうちに、甘楽が冷たい視線を投げてきた。
「お前は来なくていい。ってか、お前のトゲトゲが原因だから来るな」
それだけ言うと、甘楽は匠実を担いで部屋を出て行った。
何?
俺が原因?
どういうことだ?
俺が何をした?
トゲトゲってなんだ?
甘楽が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
目の前で起きた出来事と、甘楽の言葉でパニックになった俺は全く動くことができなかった。
「私、先生呼んでくる」
呆然と立ち尽くす俺を見かねてか、先ほど匠実を追い詰めていた女子が、先生を呼びに行った。
俺は一歩も動くことができなかった。
少し遅れてホームルームが始まったけど、先生の言葉は一切入ってこなかった。
何事もなかったかのように先生は匠実のことに触れない。それが我慢ならなかったのか、匠実を責めていた女子の一人が先生に質問した。
「藤原君はどうなったんですか? 橋本さんと白川さんのことと何か関係があるんですか?」
問い詰めるような厳しい声に、先生はしばらく沈黙したのち重い口を開いた。
「何人かの女生徒が意識不明になってはいるが、それに藤原が関与しているかは調査中だ」
「藤原君と一緒に歩いている写真まであるんですよッ!」
「その写真を見させてもらったが、それだけで藤原のせいにすることはできない」
「じゃあ、なんで藤原君は逃げたんですか」
「藤原は逃げたわけじゃない。食欲がなく朝食を取らなかったから貧血を起こした。顔色も優れなかったので、今日は家に帰ってゆっくり休むように帰らせただけだ。いろいろ思うところはあるだろうが、藤原も精神的にかなり参ってる。あんまり責めるな」
そう言うと、これで話は終わりとばかりに、あれこれ質問する生徒を無視して先生は教室を出て行ってしまった。
俺は慌てて教室を飛び出し、先生を呼び止めた。
「甘楽は……甘楽はどうしたんですか?」
匠実を保健室に連れて行った甘楽も、未だ教室に戻ってこない。
「ああ、織田か……。家から連絡が来てな、今日は早退した」
はぁ~? 早退?
マジかよ……。甘楽に言葉の意味を聞こうと思っていたのに……。
頭の中をグルグル回っている疑問を、俺は一日中抱えていなきゃならなくなった。
何故?
俺の何が悪い?
俺のトゲトゲってなんだよッ!
疑問を解決するカギも見つけられないまま、足取り重くトボトボと歩いていた。
最悪な一日だった。
甘楽のせいで何ひとつ言葉が入ってこない。
おかげで授業でさされても答えることもできず、移動教室の時もうっかりしていて授業に遅れてしまったり、何もしていないのにすっげー疲れた。
明日こそは甘楽を捕まえて、言葉の意味を聞いてやる。そう決心したとき、散歩中の犬が電柱に立て掛けてある人形に向かって、懸命に吠えているのが目に入ってきた。
飼い主も突然犬が吠えだし、リードを引っ張っても動こうともいない犬に困っている様子だった。
「やだ、この子ったら電柱に向かっていきなり吠え出して、ほら行くわよ」
ん?
飼い主の言葉に違和感を覚えた。
犬は『電柱』ではなく『人形』に向かって吠えているように宗介には見えた。
ペットボトルくらいの大きさだろうか。
頭には竹笠、着物を身にまといちょっと古めかしい豆のような人形だ。
けれど、どうやら飼い主には人形は見えていないらしい。だとするならば、あれは人形ではなく人ならざるモノということになる。
よく見てみれば、人形だと思ったそれは、犬に吠えられ小刻みに震えている。これまで人ならざるモノといえば、害をなすモノでしかなく、見た目もこんなに可愛いらしくない。
しかも人ならざるモノにはさんざん嫌な思いをさせられてきた。そんな奴を助けてやる義理も、情けをかける道理もない。
知らんぷりして通り過ぎようとしたが、小刻みに震え瞳いっぱいに涙をためている姿に、放っておくには後ろ髪を引かれる。
犬を惹きつける術は知らないので、飼い主の怪訝な顔を無視して、おもむろに電柱に近づくと、震える小さな人ならざるモノを、素早くブレザーの内側に隠した。
姿が見えなくなると、犬が吠えるのをやめた。
突然、電柱に近づきしゃがんだ俺を飼い主は不審な目で見ていたが、犬が何食わぬ顔で散歩の続きを催促しだしたので、促されるままに俺とは逆の方向へ行ってしまった。
犬が見えなくなるのを待って、俺はブレザーの内側から外へ出してやる。出した途端にパタッと倒れ、ピクリとも動かない。
心なしかひと回り小さくなったような気もするが……。
そうっと手を伸ばすと、いきなりムクリと起きだし、その人ならざるモノは、一目散に走って逃げだした。
助けてやったのに礼も無しかよ。と、ひとり愚痴ったところで、なぜかソレの行く先が気になり後をついて行った。
でも、思いのほか足が速くて見失ってしまった。
ホント、今日はついてない……。