第1話:高井野の雪と、狂おしき怨嗟
信濃国高井野の夜は、骨の奥まで凍てるような静寂に満ちていた。
囲炉裏の中で炭が時折、小さくはぜる音だけが室内に響く。
肘かけに深く体重を預け、濁酒の入った泥盃をあおぐ老翁——かつて「賤ヶ岳の七本槍」の筆頭と恐れられ、安芸広島五十万石の太守にまで上り詰めた猛将、福島左衛門大夫正則である。
「……治部。すべてはお前のせいだ」
正則は、血走った眼光で暗闇を睨みつけ、掠れた声を吐き捨てた。
盃を炉端に叩きつける。鈍い音が響き、濁酒が灰の上に飛び散った。
広島五十万石の大名から、幕府の言いがかりによってこの信州の寒村へ改易され、知行地も削られた。城も、甲冑も、多くの家臣も奪われ、ただの老いぼれとして死を待つばかりとなった己の無惨な境遇。
「あやつのせいだ……! あの小賢しい治部めが、身の程知らずの戦を起こしたせいで、わしはこんなところまで落ちぶれたのだ!」
治部少輔・石田三成。
口先ばかりで戦もできぬくせに帳面の上で威張り散らし、文治の理屈で武者の血汗を鼻で笑った不快な男。関ヶ原で暴走して西軍を率い、あっけなく負けて首を晒された稀代の奸臣。
あの日から二十余年。世間が笑う通り、正則の胸の中にあったのもまた、己の栄達と豊臣の運命を狂わせた三成への烈々たる「嫌悪」と「怨嗟」であった。
「覚えておれよ、三成。お前がいかに愚かで、いかに豊臣を滅ぼした悪人であったか、この正則の手で歴史に書き遺してやる!」
正則は荒い息を吐きながら、手元の白紙へむんずと筆を走らせた。
正則は己の流麗なる書には絶対の自負を持っていた。
(見ろ、三成。俺のこの見事な文字で、お前という奸臣の醜悪さを徹底的に暴いて叩き潰してやる……!)
三成への苛立ちと恨みを込め、我が文字の美しさに酔いしれるように筆を走らせる正則。
——だが。
白紙に向かって筆先を滑らせていた老将の脳裏に、ふと不快な記憶が過った。
かつて京の酒宴で相まみえた、天下御免の傾奇者・前田慶次の不敵な笑い声だ。
『市松、お前の傾きぶりも威勢がよくて嫌いじゃねえが……真の傾奇者ってのはな、派手な兜を被って槍を振り回す奴のことじゃねえ。天下全員から憎まれ、泥を塗られようが、己の通した筋のために知らん顔でその泥をかぶって立っていられる男のことよ。……そうさなぁ、俺より傾奇者と言ったら、あの石田治部くらいなものよ』
(……戯言を! あんな帳面弾きの冷酷な男のどこが傾奇者だ!)
正則は慶次の言葉を不快そうに打ち消すように、乱暴に頭を振った。
あいつは奸臣だ。豊臣を滅ぼした元凶だ。
見ろ、この見事な文字を。
骨太でありながら流麗で繊細な筆跡。粗暴な猪武者と己を嘲笑した者たちを黙らせてきた、己の自慢の書だ。この手で、奴の醜悪さを徹底的に暴いて叩き潰してやる。
ふと、力強く紙の上を滑らせていた正則の指先がピタリと止まった。
正則は息を吐き、握りしめていた筆を眼前に持ち上げ、じっと見つめた。
何十本の槍を折り、あまたの敵を討ち果たしてきた己のゴツゴツと無骨な太い指。その指先になじむ、使い込まれた一本の筆。
黒々と墨を孕んだ穂先を見つめていると、脳裏に浮かんでは消える青白い顔があった。
止め、はね、払い。
美しい文字を一字書き進めるたび、手のひらに蘇る感触がある。
『いいか市松。筆は刀と同じだ。力を込めすぎれば折れ、弱すぎれば刃が立たぬ。……ほら、こうして指を添えるのだ』
幼き日、長浜の寺で、生意気な口をききながら自分の手に重ねられていた、あいつの少し冷たい手の感触。
「……ちっ」
正則は吐き捨てると、筆を握り直したまま、苛立ちを誤魔化すように濁酒を一口煽った。
忌々しい。奴を糾弾するための筆を握るたび、その文字も、筆の持ち方すらも自分に教え込んだ治部少輔の顔が、嫌でも影のようにへばりついて離れない。
「……忘れるものかよ」
正則は眉間に深いシワを刻み、三成の手ほどきによって身につけたその自慢の筆を、二人で泥まみれになって駆け回っていた始まりの地——長浜の記憶へと、引きずり込まれるように再び走らせ始めるのだった。
(第2話へ)
歴史好き、三成推しを拗らせたコアラです。
この度、エピソードごとの流れをAIに出力してもらい、セリフや内情を叩きつけるスタイルで公開させていただくことにいたしました。
史実を基にしたつもりではありますが、こうだったらいいな!成分をふんだんに盛り込んであります。
読んでいただけると幸いです。




