16話 待ちの美学?と池の主
森を進んで数時間。湿った土と腐葉土の匂いが鼻につき、足首にはじわりと疲労が溜まってきた。
「ルフィリア~、この森まだ終わらないのか」
「そうですね~もうすぐで休憩はできると思いますが、まだ3分の1くらいですかね」
「まだそんなにあるのかよ」
思わず泣き言が漏れる。今はまだ涼しく、歩きやすい気温だからなんとかなっているが、これが日本の真夏のような酷暑なら、俺は間違いなく一歩も動かずにストライキを起こしていただろう。
「というか、ルフィリアはこの森、結構詳しいのか? さっきから迷わず進んでるけど」
「はい、騎士団の時に何度か、置き去りにされたことがあるのでそこそこ詳しいですよ」
「……なんか、ごめんな」
さらっと言ったが、騎士団での待遇は聞いていたが、まだかそれほどまでとは、そんなことをサラッと言えてしまうメンタルに感服する
「謝らないでください。それに、苦い思い出ではありますが、今では感謝してるくらいです」
「なんでだよ」
「和真殿に出会えて、この森も迷わず進めています! これも運命とかなんとかで、そんな感じなんですかね」
ルフィリアは屈託のない笑顔でそう言った。
「前に俺が適当に言ったこと、覚えてんのかよ」
「覚えてますよ。というか、あの言葉、適当だったんですか?」
「当たり前だろ。大体適当なことしか言ってないぞ、俺」
「まぁ~そんな感じがしましたが。……さぁ、休憩場所が見えてきましたよ」
彼女が指差した先には、小さな池があった。透明度は高いが、底には水草が揺れ、水面には小魚や小さな虫が泳いでいる。中型の魚が潜んでいてもおかしくない雰囲気だ。
「やっとか~……」
「はい! 今飲み水を用意しますね。お皿をお借りしてもいいですか?」
「へい」
「ありがとうございます」
「まさかそこの池の水を飲むのか」
「まさか。生活魔法で飲み水を作るのです」
ルフィリアは皿に手をかざし、集中し始めた。さっき俺が暴発させたような激しい水ではなく、静かに、水が溜まっていく。
「へぇ~、そんな便利なんだな。俺の世界の本だと、魔法で作った水は不純物が多くて飲めない、なんて設定をよく見かけたけど」
「あながち間違ってはいませんね。確かに戦闘魔法の水は飲むことはできません。そのために生活魔法が存在します。少し時間がかかりますが」
「なるほどね。なら俺は釣りの準備をするかね」
万能釣り道具からロッドを取り出せば、その恩恵で体力的には回復する。だが、今の俺にはもうキャスティングを繰り返す気力は残っていない。
やったことはないが、動画サイトで見た仕掛けを試すことにした。
太めのPEラインにリーダーを結束。その先に40グラムの錘をつけ、その少し上にハリスと針。同じ仕掛けを三つ作る。
「食うかわかんないけど、エサはあれにするか」
以前釣って余っていた、この世界のアジのような魚。それを三等分にし、針に深く掛けた。
「和真殿~、水ができましたよ」
「あんがと。そこ置いといてくれ」
俺が作業を続けながら生返事をすると、背後でガシャーン!と皿が落ちる音がした。
「な、な、何を! 何をしているのですか! 和真殿!」
「うおっ、うるさい! 近い! あと、ルフィリアこそなんで水捨ててるんだよ、勿体ない」
「その魚、以前食べた魚ですよね! とても食べられるようにしている感じではありません! 命を、食べ物を粗末にしてはいけませんよ!」
「ちげぇよ、これを餌にして魚を釣るの」
「嘘です! 釣り竿がないじゃないですか!」
「こういうやり方なの。」
そう、確かにこれはルフィリアの知る釣りとは程遠い。大ウナギを狙う時などに使われる、仕掛けを仕掛けて放置するだけの罠に近い釣法だ。
やり方は単純。仕掛けを岸辺の頑丈な木の根に括り付け、池の深場へと放り込む。
「……そんなので、本当に釣れるのですか?」
ルフィリアは地面に落ちた皿を拾い上げ、泥を魔法で払いながら、不満げに唇を尖らせた。その表情には失望がありありと浮かんでいる。
「まぁ見てろって。動くものに反応する魚もいれば、死んだ魚の匂いに引き寄せられる大物もいるんだよ。俺たちはその間、ゆっくり休める。合理的だろ?」
「……私はまだ信じてませんよ」
ルフィリアは不貞腐れたように、プイと横を向いて座り込んだ。納得はいかないが、主導権を握っているのは俺だと言わんばかりの、静かな抵抗だ。
「はいはい。じゃあ俺が先に休むから、ルフィリアは見張り兼『罠』の番をしててくれ。糸がピクピク動いたり、木に結んだ鈴が鳴ったりしたら教えてくれればいいから」
「……わかりましたよ。ちゃんと見ておきます」
彼女は膝を抱え、池に伸びる三本の糸をじっと睨みつけた。その背中からは「絶対に釣れるわけがない」というオーラが漂っているが、彼女のことだ、文句を言いつつも任務は完璧にこなすだろう。
「じゃ、一時間後に交代な。おやすみ」
俺は万能釣り道具を枕代わりにし、目を閉じた。
森のざわめきと、時折聞こえる水音。
ルフィリアの規則正しい呼吸。
……三十分ほど経っただろうか。
うつらうつらとしていた俺の耳に、微かな、しかし確かな音が届いた。
――チリン。
木に括り付けた予備の鈴が、控えめに鳴った。
「…………ッ!」
目を開けると、そこにはルフィリアがいた。
不貞腐れていたはずの彼女が、獲物を見つけた猛獣のような鋭い目付きで、池に引き込まれそうになっている糸を凝視している。その手は、いつでも剣を抜けるように、あるいは糸を掴めるように、固く握られていた。
「和真殿!」
小声だが、その声には隠しきれない興奮が混じっている。
「……ルフィリア、交代の時間か?」
「いえ、まだですが……そんなことはどうでもいいです! 早く、あれを引き上げてください! 早く!」
さっきまでの態度はどこへ行ったのか。
結局、彼女も釣りバカの素質からは逃れられないらしい。
俺は苦笑しながら起き上がり、土に深く沈み込む糸を手に取った。
指先に伝わる、重く、粘り強い生体反応。
「……よし、かかってるな。しかも、かなりの大物だぞ」
俺が糸を引くと同時に、静かだった池の面が爆発したように波立った。
ルフィリアの瞳に、焚き火よりも熱い期待の火が灯る。
魔法の修行もいいが、やはり俺には、この駆け引きの方が似合っているのかもしれない。




