13話 現金な勇者
「こんなに沢山、ルフィリアが釣ったのか?」
俺はエレクトラの街から戻り、足元に置かれたバケツの中を覗き込んで、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「はい! たくさん釣れました!」
ルフィリアは頬を紅潮させ、誇らしげに胸を張る。
バケツの中には、全部で七匹の獲物がひしめき合っていた。
まず目を引いたのは、日本の清流にいるアユに似ているが、どこか高貴な香りが漂う銀灰色の魚が四匹。その鱗は滑らかで、水中で光を浴びれば虹色に反射しそうだ。そして、ウナギのような細長いフォルムをしていながら、雪のように真っ白な肌を持つ奇妙な魚が二匹。神秘的ですらあるその姿は、この世界の生態系の奥深さを物語っている。
だが、俺の目を一番釘付けにしたのは、バケツの底で静かに、しかし圧倒的な存在感を放って輝く一匹だった。
「……ほんと驚きだよ。しかも瑠璃魚まで釣れてんじゃん」
透き通るような青い鱗。まるで深い海の底をそのまま切り取ったような、鮮やかな色彩。
「はい! たしか、和真殿も釣ってましたよね? 凄まじい引きでしたが、教わった通りに竿を立てて、なんとか仕留めました!」
ルフィリアは興奮冷めやらぬ様子で、ロッドを握る動作を再現してみせる。彼女の細い腕のどこにそんな力が、と思うが、そこは勇者ということだろうか。
「そう……。そいつは、さっきギルドで競りに出してもらったばかりの、超高額魚でもあるんだがな」
俺が呆れ半分、感心半分で呟くと、ルフィリアはポカンと口を開けた。彼女の頭の中では、まだ「魚=美味しい食べ物」という図式しか成立していないらしい。
「そういえばそうでしたね。食べることしか考えてませんでした」
屈託のないその笑顔に、俺は苦笑するしかない。彼女にとって、釣りはすでに金に換えるための手段ではなく、純粋な食のロマンへと昇華されている。その純粋さが、かえってこの世界の経済感覚を狂わせている自覚はないようだ。
「そして、その競りの結果がこれだ」
俺は小脇に抱えていた、ずっしりと重い革袋を、彼女の目の前にある平らな岩の上に置いた。
――ジャラァッ!
重厚な金属音が、河原の静寂を切り裂くように響き渡る。その音の「重み」だけで、中に詰まっているものが尋常な量ではないことは、耳のいい彼女なら瞬時に理解したはずだ。
ルフィリアは「まさか」という表情を浮かべ、警戒するような足取りでおそるおそる袋に近寄ってきた。
震える指先で袋の紐を解き、中を覗き込んだ瞬間、ルフィリアは、まるで時を止められた石像のように固まった。その顔は、驚きと混乱、そして未知の強敵を前にした時のような恐怖すら混ざり合った、なんとも形容しがたい妙な表情に固定されている。
直後、彼女は弾かれたように俺に詰め寄り、ガシッと両肩を掴んできた。凄まじい力だ。
「和真殿! 見損ないましたよ! まさか、私が釣りに没頭している間に、街で悪事に手を染めてまでお金を集めるなんて!」
前後に激しく揺さぶられ、俺の視界はぐわんぐわんと高速で回転する。
「おい、揺らすな! 死ぬ! 俺がそんな面倒なことするわけないだろ。さっきも言っただろ、正真正銘、昨競り結果だ!」
俺が必死に叫ぶと、ようやく彼女の動きが止まった。だが、掴まれた肩の震えは止まらない。
「ほんとに……? ほんとですか!? これ、全部……本物のですか!?」
「ああ。金貨、340枚だ。昨日の月光マスと瑠璃魚の結果らしい。貴族や魔道具師たちが血眼になって奪い合った結果が、これだ」
「さんびゃく、よんじゅう……」
ルフィリアの指から力が抜け、そのまま地面へヘナヘナと座り込んだ。
彼女の視線は宙を彷徨い、今まで信じてきた世界が崩壊したかのような顔をしている。
「……本当、私の騎士団だった頃の頑張りって、一体何だったんでしょうか? 毎日死ぬ気で訓練して、国のために魔物を追い払って、それでようやく手に入る給料が、数ヶ月で金貨数枚だったのに……。和真殿と魚を数匹釣るだけで、これ……?」
彼女の呟きには、深い悲哀すら混じっていた。武力で世界を救うことよりも、糸を垂らして魚を釣ることの方が、この世界の経済においては遥かに価値が高い。その不条理な現実に、彼女の騎士道精神が悲鳴を上げているのだろう。
「俺に聞いたってしょうがないだろ。この世界の貴族や魔道具師たちが、競り合った結果だ。需要と供給の問題だよ」
俺は苦笑いしながら、彼女が今日釣り上げた瑠璃魚を見つめた。
これ一匹で、また金貨の山が築かれる。
昨日の俺なら、この金額を聞いて「大勝利だ!」と飛び上がって喜んでいただろうが、あまりにも自分の常識を逸脱した数字を突きつけられると、人間というのは逆に冷静になるものだ。あるいは、この世界の金銭感覚を、もう俺も信じられなくなっているのかもしれない。
「……和真殿。私、なんだか怖くなってきました。こんなに大金を持っていて、私たちは明日からどうすれば……」
「もらえるもんは貰っておこう。それに、これだけあれば、旅の途中で何があっても困らないだろうしな。装備も、宿も、飯も、妥協しなくて済む」
俺が努めて平穏な声でそう告げると、ルフィリアはゆっくりと、まるで深淵から這い上がるような動きで顔を上げた。
その瞳に、先ほどまでの恐怖は消えていた。代わりに、何か新しい、より強固な決意の光が宿っている。
「和真殿。私……もっと釣りの修行をしたいです」
その言葉には、かつて「魔王を倒す」と言っていた頃以上の熱量がこもっていた。
「……お前、現金な人間になったな」
俺は呆れ半分にそう返したが、内心では笑っていた。
金貨340枚。それは、勇者を立派な「釣りバカ」へと変貌させるための、最後の一押しとなったようだった。
バケツの中で跳ねる新たなロマンを見つめていた。明日からの旅が、今まで以上に釣りに偏ったものになることを、俺は確信していた。




