6.敵意と違和感
ケイトは非常に困っていた。
確かにカイル・ヒューズは変装していた。
染め粉なのか鬘なのかわからないが、輝くような金髪はありふれた茶色になっていたし、大きな眼鏡もしている。服装も質素で、城下の人間がよく着ているようなものだ。
けれど隠れてないのだ。きらきらが。
遠目からでもわかるスタイルの良さ。顔は小さいし、手足は長い。眼鏡なんてなぜか逆に似合ってしまっている。意味が分からない。
幸いディケー派の担当者との待ち合わせまで時間があったため、ケイトは渋るカイルを連れて近くの古着屋に行き、体の線が出ないような大きめの衣服に着替えてもらった。
それとカイルに断りを入れて眼鏡にもわざと汚れをつけておく。ガラスが曇れば多少はあの魅力的な目元がわかりにくくなるだろう。
「なんか俺しなびてない……?」
「いえ、最低限このくらいはしておかないと」
「えー……? いやそれにしてもさあ……」
「目立ちたくないんですよね?」
もしやこの人は鏡を見たことがないのだろうか。
困惑が顔に出ていたのか、カイルが不満そうに唇を尖らせる。
「あのね、俺、これでも一応こういうことには慣れてるんだよ。歩幅も声色も変えてたし、よっぽど親しい連中以外にはまず俺ってバレない変装だと思うけど」
「確かにヒューズ中尉だとはわからないかもしれないですけど、目立つことには変わりはないので……」
キンバリーも言っていたではないか。その無駄に目立つ顔を隠せと。
「でもさ、ケイトちゃんだってどこからどう見ても育ちの良さそうなお嬢様じゃん。髪の色をちょっと暗くしてるくらいで全然変装してないじゃん。それはいいの?」
「私は一応、男爵令嬢のままなので」
今回の潜入にあたり、キンバリーから偽の身分が与えられていた。
カイルは辻馬車の御者で、ケイトは両親の代からエウノミア派を信仰している男爵令嬢だった。貴族であればケイトのような若い娘が交流会の代表になっていてもおかしくはないということだろうが、それだけでなく、おそらく余計な演技をしなくてすむようにというキンバリーの配慮だろう。
そもそもカイルとケイトでは前提が違う。
どんなに地味な格好をしていても人目を引いてしまうカイルと違い、ケイトはどんな派手な衣装を着ていても空気のように周囲に溶け込める自信がある。
そう、問題は目の前にいる無駄にきらきらした男なのだ。
「……ヒューズ中尉、ちょっと背中を丸めてもらっていいですか?」
「こう?」
「できればもうちょっと肩を竦める感じで……あと目線はなるべく下向きにして、声も抑えてもらって……」
服を変えても手足の長さが目立ってしまうので、仕方なく物理的に縮めることにした。
それでも無駄にきらきらした顔面は隠しようがないので、極力見せないようにするしかない。
「……これさ、怪しすぎて逆に目立たない? 大丈夫?」
「確かにちょっと印象は悪くなるので、この際ディケー派に偏見を持っている陰険な男という設定で行きましょう」
やけくそ気味に言えば、カイルはなぜか表情を明るくした。
「あ、それいいかも。それなら嫌味の振りして突っ込んだ質問もできそうだし」
「え……?」
過激な発言が聞こえた気がしたが、確認する前に待ち合わせ場所についてしまった。
ここは貴族がお忍びで使うような古めかしい外観のサロンだ。
立場上お互いの集会所には行きづらいだろうということで、人目を避けられる個室を予約していたのだ。
ケイトたちが到着してすぐにディケー派の担当者たちもやってきた。
ケイトたちと同じく二人組で、細身で背の高い中年の男と小柄で目つきの悪い青年だ。
「ケイティ・ローレンです。今日はよろしくお願いします」
架空の名前なのにどこか聞き覚えがあるのもおそらくケイトがヘマをしないようということだろう。
少し緊張したが、普段通りに挨拶をする。
隣でカイルがぼそぼそと「……トッド・ブラウンです」と呟いた。
こういったことには慣れていると言っていた通り演技力はなかなかで、いかにも偏屈そうな男になっている。
(でも、ちょっとやりすぎなような気も……)
俯きながらもあからさまに険のある視線を相手に向ける様子に、慌てて「ブラウンさんは人見知りで……!」と取り繕った。
細身の男性は気にしてないように微笑むと、「王都東地区長補佐のハリー・ギリアムです」と名乗る。
けれど小柄な青年の方はむすりとした表情のまま思い切り舌打ちをした。
ハリーと名乗った男がすかさず「ジェイド!」と窘めたが、本人は眉を寄せたままそっぽを向いている。
「すみません、ジェイドは私が手伝いとして連れてきたんですが、彼も少し人見知りで……」
決まり悪そうな表情で謝罪する細身の男に、「い、いえ、お気になさらず……」と応じていると、ジェイド、と呼ばれた青年が低い声を出した。
「――どういう魂胆だよ」
警戒するような口調にケイトは思わず「え?」と聞き返す。
「しらばっくれんじゃねえ。交流会だあ? 信徒数が多いからってで偉そうにしやがって。今まで異端児扱いでこっちには近づこうともしなかったくせに急に何なんだよ……! 上の連中は騙せても俺は騙されないからな! どうせ何か妙なことでも企んでるんだろ!?」
目を瞬かせていると、カイルが相手に聞こえないような小さな声で「そりゃそっちだろ」と呟く。
(こ、この流れは予想していなかったわ……)
交流会でディケー派の人間から情報を聞き出すなんて無理じゃないかと思っていたが、そもそも交流会が開かれないかも知れない――という可能性は考えていなかった。
「ええと……」
ちらり、とハリー・ギリアムに視線を向ける。先程からずっと気まずそうな顔はしているものの、ジェイドをとめる様子はなかった。
あまりの剣幕にとめられないのか、それとも何か考えがあるのか。
(……もう少し様子を見た方がいいかな)
そう判断すると、ケイトはわざと困惑したような声を出した。
「企むも何も、エウノミア派はこれまで何度もそちらに交流の場を提案したのに無視されてきたと聞いていたんですが……」
「はあ? そんな話聞いたこともねえよ! でまかせ言ってんじゃねえぞ!」
もちろんでまかせである。エウノミア派の事情なんてケイトが知るわけない。
(でも、嘘も方便というし。そもそも最初に無作法なことをしたのはそちらだし)
「ということは、ジェイドさんが今までエウノミア派との交渉役をされていたんですか?」
「っ、それは……俺じゃねえけど」
「なら、窓口になられている方と直接お話ができる関係とか?」
「だから、それは、噂で……」
ジェイドはそう口ごもると、苛立ったように声を荒らげた。
「なんだよお前! 俺が嘘ついてるとでも言うのかよ!」
「そうは言っていませんけど」
「ふざけ――え?」
「きっと、何か行き違いがあったんですよね」
そう言うと、ケイトはにっこりと笑って見せた。
「い、行き違い?」
「はい。お互い嘘をついていないんですから、ちょっとした誤解があったという可能性だってありますよね?」
「それは……そう……かも知れないけどよ……」
ジェイドは振り上げた拳をどこに下ろしていいのかわからないような、どこか釈然としないような面持ちで呟いた。
「ジェイドさん」
「な、なんだよ」
「私、今回こうやって親交を深める機会を頂けて本当に嬉しいんです。だって、私たちもジェイドさんたちも聖女様を信仰する仲間には変わりないですから」
「はあ!? 俺らがお前らと仲間なわけっ……」
「――言葉とは人と人とを繋ぐ橋である。私の好きな聖女様の言葉です。私は聖女信仰の信徒のひとりとして、ディケー派の方々との架け橋となるために交流会を成功させたいんです。もちろん私たちの間に深い溝があることは知っています。でも、せめて私たちだけでも仲良くしてみませんか? 交流会の間だけでも」
「え? いや何言って」
「それが真に聖女様の御心に従うということではないでしょうか? どう思われますか? ジェイドさんの意見もぜひ知りたいんです」
ジェイドはパチパチと瞬きをすると思い切り顔を顰めた。
何か言おうとして、けれど何も言い返す言葉が出てこなかったのか、絞り出すような声で「は、ハリー……」と口にする。
すると今まで事態を静観していた細身の男は小さくため息をついた。
いつの間にか気まずそうな表情は消えていて、どこか冷淡にケイトとカイルに視線を向けている。
「実は、私たちは今日、あなた方に懸念をお伝えしに来たんです」
「懸念……?」
「ええ。ジェイドの態度は極端な例ですが、それでも我々の中にはエウノミア派によくない感情を持つ者は多いんです」
「よくない感情、ですか」
「はい」
「それは、ギリアムさんも含めて?」
ギリアムは答えなかった。
その代わり、別の言葉を口にする。
「このまま交流会を開くと、我々の間にある埋められない溝がさらに取り返しのつかない亀裂になってしまうかもしれません。それはお互い避けたいでしょう?」
「取り返しのつかない、って……」
ケイトが言葉を詰まらせていると、カイルが口を開いた。
「――ああ、怖い怖い。脅しは犯罪ですよ」
明らかに皮肉めいた口調に、ぴくり、とハリーの表情が強張る。
カイルは畳みかけるように言葉を続けた。
「交流会を中止しなければ俺たちが問題を起こしてやるって言ってるんですよね? さすがディケー派だ」
カイルの攻撃的な口調に思わず「ヒュ、……トッドさん!」と声をかけると、眼鏡の奥でウィンクを返された。どうやらわざと挑発しているようだ。
(でも、こんなに怒らせたら本当に交流会がダメになりそう……。そうしたらディケー派の人から話を聞けなくなるわよね……。だって他に機会がないわけだから……)
そこまで考えると、ふとあることに気づく。
(……待って。ということは、機会さえあれば別に交流会にこだわる必要はないのでは?)
ケイトははっと息を呑むと、言い争いをしているカイルとハリーの間に割って入っていった。
「ええと、ギリアムさんたちの考えはよくわかりました。でしたら一度、上の人間に相談してみます」
カイルが驚いたような視線をケイトに向ける。こちらの真意を問うような眼差しに小さく頷くと、「ですが――」と続けた。
「私たちとしても、おふたりだけの言葉で動くわけにはいきません。なので、他の方にもお話を伺いたいのですが」
要はディケー派の人間から話を聞ければいいのだ。
「誰に聞いても同じ意見だと思いますが」
「だとしても、です。あなた方は交流会を中止にしたいんですよね? なら、こちらとしても上を納得させるくらいの声が必要なんです」
ハリーは何かを考え込むように眉をぐっと寄せると「……わかりました」と頷いた。
「ありがとうございます。それで、改めて場を設けて頂くのも大変でしょうから、できればそちらの『集会』に参加させて頂きたいのですが」
『集会』というのはディケー派が月に一度行っている教義を深める会のことで、情報収集には打ってつけの機会である。
噂によれば儀式めいたこともしていると聞くが――
「それは……」
男が言い淀むと、間髪入れずにカイルが煽る。
「悩むなんて怪しいなあ。集会で何かやましい話でもしてるんですか?」
「やましい話?」
「過激なことはそちらの専売特許でしょう?」
「……あなた、さっきから一体何が仰りたいんです?」
「いいえ、別に? ただ最近色々と物騒ですからね。ほら、つい先日も新聞に――」
カイルがそれとなく例の連続不審火事件の件を仄めかす。すると次の瞬間、室内に怒鳴り声が響き渡った。
「俺たちは関係ねえ!」
声の主はジェイドだった。
その表情からは先程よりもよほど強い怒りが見て取れる。
「そういうことかよ、畜生! 俺たちを貶めるのもいい加減にしろ! 永遠の命だとか神の代理人だとか俺たちが本気で信じると思ってんのか!? いいか、あれは――――」
「ジェイド!」
この場でハリー・ギリアムが声を荒らげたのは初めてだった。
ジェイドがはっとしたように口を噤む。
予想外の反応にケイトとカイルはわずかに視線を見合わせた。
「……その、集会後に少しだけお時間を頂く形でも構いませんので」
張りつめた空気に気づかない振りをして告げると、ギリアムは小さくため息をついた。
「では、何人かに声をかけておくので集会が終わる頃に来て頂けますか?」
今度はジェイドが焦ったように「おい!」と声を上げる。
「少し話すだけだ。そのくらいは問題ないだろう」
「でも、こいつら今、ディケー派があれに関わってるって――」
「ジェイド」
(あれっていうのは、連続不審火事件のことよね……?)
けれど、だとすればジェイドはなぜあんなに怒ったのだろう。
かすかな違和感を覚えていると、ハリーがケイトたちに告げた。
「明後日――九日の夜八時、モニーク通りのアザレア会館にいらしてください。念のためエウノミア派とは言わないで。私の客人ということで話を通しておきます」
「あ、ありがとうございます」
「いえ。では、私たちはこれで」
そう言うと、ハリーはジェイドとともに部屋を後にした。
※
扉がしまると同時にケイトは詰めていた息をゆっくりと吐いた。だいぶ気が張っていたようだ。
するとカイルが労わるように話しかけてくる。
「お疲れ、ケイトちゃん。さすがの機転だったね」
それから独り言のようにぼそりと呟く。
「あのふたり、不審火事件について何か知ってるみたいだったな」
ケイトはわずかに眉を寄せた。
「ケイトちゃん? どうかした?」
「……実は、そのことで少し引っかかっていて。あの状況で誤魔化したり知らない振りをするならわかるんですけど、どうしてあんなに怒る必要があったんでしょうか」
カイルも違和感を覚えていたのか「確かにね」と頷いた。
「まあ、その辺りも含めて集会で確認しよう」
「はい」
どことなくすっきりとしない気持ちを抱えつつもケイトは頷いた。
きっと九日の夜にはこの厄介な仕事は終わっているはずだと言い聞かせながら。
ハリー・ギリアムが他殺体となって発見されたのはその二日後のことだった。
というわけで本当は昨日更新するつもりだったのですが年を忘れる会的なやつで調子に乗ってしまいまして今日になってしまったことを心よりお詫び致します(爆) ちなみに調子に乗りすぎて気づいたら肋骨を骨折しておりましたので皆様も健康にはどうかお気をつけください(めっちゃ痛い)。酒は飲んでも飲まれるな(真顔)
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