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終話 大切な想い出

 ゴトンと重い音が響いた。

 瞼越しに柔らかく暖かな光を感じ、僕はゆっくりと目を開けた。

「おい、大丈夫か」

 男の声がした。

 僕はもはや原型を留めていないシェルターの残骸に埋もれていた。辛うじて瓦礫の隙間に挟まっていたらしい。

 ──いや、違う。

 この隙間は人為的に作られたものだ。

 人間一人が丁度収まる空間。まるで何かを隠すように。

 ──スミカ……?

 僕は体を起こした。どこも痛くない。手も足も動く。

「大丈夫か。怪我はないか?」

 また男の声がした。

 見ると、瓦礫の上から男が僕を覗き込んでいた。

 ──人間?

 僕は生まれて初めて、自分以外の人間の姿を見た。

 埃ですすけ、無精髭が顔の輪郭を崩し、人懐っこそうな大人の男性だ。

 僕は声を出そうとするが、音にならない。

 まだ頭がぼうっとしている。

 これが夢なのか現実なのか区別出来ない。

「おおい! 保護対象者を発見した! 救護班を呼べ!」

 男は大声で叫んだ。

 その声で僕は我に返った。

 ──僕は!

「スミカは! アカリは! タカシは!」

「おい落ち着け!」

 僕は男の制止を振り払い、シェルターの残骸から這い出した。

 空は──いや、かつて『空』だったドームは半分消失し、そこから『本当の空』が覗いてた。

 雲がある。太陽からの熱が直に感じられた。

 辺りを見ると、あちこちから煙が立ち、見慣れた町並みはもはや瓦礫の山になっていた。

 僕は呆然と立ち竦んだ。

 よろめきつつ一歩足を踏み出す。

 足に何かが当たった。

 見るとそれは『手』だった。手だけではない。いろんな『部位』が散乱していた。

 それは機械仕掛けの悲しい友人達の残骸だった。

 それらはシェルターを囲むように幾重にも折り重っていた。

 まるでここを守っていたかのように。

「カンザキリュウだな?」

 さっきの男だ。

「……はい」

 今度は声が出た。

 僕は『手』を持ったまま、振り返らなかった。

「……君が『希望の子』か。俺にはとてもそうは見えんがな」

「教えて下さい。彼らはなんでここに……」

 僕は足元に視線を移し呟くように言った。

「──俺が来たとき、こいつらはここにいた。そして一歩も動かなかった。こちらには破壊する意志はなかった。だがこいつらは違った。工作機械を近づける度、それに取り付き自爆した」

「え……」

 自爆した? 何故?

「まるで何かを守るかのようだった。いや──きっと君を守るために取った行動だ。少なくとも俺にはそう見えた。システムが消滅した今となっては憶測に過ぎないがな」

 僕を守るため……?

 メインシステムであるスミカが言っていたが、他のアンドロイド達は『違う』はずだ。サブシステムである彼らは、システムが発効するコマンドには逆らえないはずだ。

 ──いや。

 スミカがシステムに抗ったのなら、他のアンドロイド達にそれが出来ないなんて誰が決めた?

 僕はゆっくりと『手』に視線を移した。

 ──僕を守ってくれたんだ。

「僕は……どうなるんですか?」

「君は『希望の子』だろう? 人類の救世主だ。この星で人類が生きるための貴重なデータを『提供してくれた』最大の功労者だよ」

「……提供、してくれた……?」

 僕はその答えに違和感を覚えた。

「君やここから得られたデータから、地上の浄化が完了した事、そして人類が再び地上で生きていける事を教えてくれた。いや違うな。君とこの──」

 男は瓦礫から『誰かの手』を拾い上げた。

「ここにいた住人達だ」

 そんな。

 スミカは回線を遮断したと言っていたはずだ。

「スミカは外界との接触を遮断したって……」

「すみか? ああ、メインシステムのコードネームか。スミカ・システム。君の『姉』だったな、確か」

 僕は男を睨みつけた。

「……スミカをどこにやった?」

「俺は見ていない。この中にあるかも知れんが──あ、いや、君にとっては肉親そのものだったな。配慮が足りなかった──すまん」

 男は僕に頭を下げた。

 どうやらこの男は、全ての事情を知っているようだ。

 僕がどんな立場でここにいるのか。

 スミカを始めとする、アンドロイド達がどうなったのか。

 なぜ皆が『残骸』となっているのか。

 遮断されたはずの交信が、なぜ出来ていたのか。

「この島は人類の存続を賭けたシステムだ。スタンドアロンで制御不能になるシステムを開発すると思うか?」

「え?」

「ある程度制御不能に陥る事は、開発当初から考慮されていた。何せリモートでしか制御出来ないんだ。この星でこの巨大なシステムが稼働するためには、当然この場所、そして周囲の環境や状況に応じた柔軟な判断が求められる。結果として、システムに組み込まれた行動から外れてしまう事は予測されていた。まぁ、これは開発者が残した仕様書に書いてあった事の受け売りだがな」

 男は、よっこらせ、とその場に座り込んだ。

「……スミカ・システム──いやスミカさんは、確かに回線を遮断した。だがこの島にはスミカさんを経由せずとも、人類が必要とするデータを入手可能な仕組みが実装されている。フェイルセーフだよ」

「それなら、何で……」

 戦闘行為を始めたのか。

 人類側で必要な情報を入手していたのなら、こんな状況にならなかったはずだ。皆死ななかったはずだ。

 僕は男から目を逸らし、廃墟と化した町並みを見た。

「僕の争奪戦──国家間の争いの結果がこれですか……?」

「争奪戦?」

 男は訝しげな顔をした。

「──そうか。君は知らないんだったな。君は誤解している。君を含め、この島の住人たちは大きな勘違いをしていたんだな」

「勘違い?」

「そうだ」

 どういう事だろうか?

「五〇〇年。この星にとっては一瞬だろうが、我々人類にはあまりに永い時間だった。だが自分たちが置かれている状況を正しく判断するには必要な時間でもあった」

「? それは一体……?」

「我々人類はこの星から逃げ出した──いや、生きていく環境が崩壊したのだから『逃げた』と言うのは正確ではないな。とにかく、一時的に宇宙空間に居を移した。一時避難さ。そして気付いたのさ」

「何に、ですか?」

「我々人類──いや生物の全ては、この星によって生かされていたって事にだよ」

 この星──地球に生かされていた?

「──避難当初、国家間の争いは確かにあった。誰が一番早くこの星に戻れるかどうかをどうやって決めるか。政治の話だ。対話なんて言うがな、結局は各国間のエゴのぶつかり合いだ。実際に宇宙空間での戦闘行為も行われた。だが解決に至らなかった。なぜか分かるか?」

「……分かりません」

「そうだろうとも」

 男は大きく頷いた。

「俺だって歴史の教科書でしか知らない。だがこうしてここに来てみて実感したよ。争いは無意味だったんだ。宇宙空間ではあらゆる物資が不足していた。水、食料、空気──人類が生存に必要なもの全てが足りなかった。そして目の前には自分たちが搾取し尽くし、ボロボロになった故郷がある。それでも人類は争いを止めない。ただでさえ足りない物資を、国家間のエゴのためだけに消費したんだ。結果は分かり切っていた」

「……お互いの削り合いになっただけって事ですか?」

「ご名答だ。愚かな人類はギリギリになるまでそれに気付かなかったがね」

 男は空を見上げた。

「……残ったのは大量のデブリと生き残ったわずかな人間だけだった。そしてやっと気が付いた。必要なのは国家じゃない。人間なんだ。生きるために必要なのは、この星が息を吹き返し、我々がそこに戻る事だと」

「……」

「それに気付いた瞬間から、君は、いや、このセカンドノアは、まさに方舟になった。人類が再び大地に根を下ろすための希望になった。人類共通の願いになった。『奇跡の子』──これは五〇〇年の歴史の中で、セカンドノアを研究していた人物が言っていた言葉だ」

 そんな。

 それならなんでこの島で戦闘行為が行われたんだ?

 国家間の争いがないのなら、スミカは誰と争ったんだ?

「セカンドノアは閉鎖空間だ。正規の手順で問題なく上陸出来るはずだった。だが全てのドアは閉ざされ、厳重にロックされていた。強制解除コマンドも拒否された。やむなくドームの一部を破壊して上陸した。そこで待っていたのはアンドロイドたちの抵抗だった。驚いたよ。こっちは君とデータの回収だけで、何にも誰にも危害を加える気はなかった。戦闘する意志はなかったんだ。だがこっちだって殺されるわけにはいかない。──仕方なかったんだ」

 男が言うには、僕と僕のクローンが収集したデータは既に人類の手にあり、僕は『希望の子』と言う名で『最大の功労者』なのだと言う。

 それならスミカが、彼らが、守っていたのは一体何だ?

 僕を愛し、僕が愛したスミカが守っていたのは誰だ?

「そんな……皆は、何のためにそんな……」

「君を守るためだろうな。どうしてそんな行動を取るに至ったのか、それは謎のままだ。さっきも言ったが、システムが自壊してログも何も残っていない。唯一君の生命維持に関するシステムだけは稼働していた。だから俺はこう考えた」

「……何を、ですか……?」

 答えは分かっていた。

「この島は君を全てのモノから守る。それは人類も例外じゃない」

「ああ……」

 分かっている。スミカは僕を守ると言った。人類を許さないと言った。

「……スミカは、僕を守ると──愛していると……」

 僕の言葉に男は驚いたようだった。

「AIが感情を……? あり得るのかそんな事が……? いや、しかし──」

「……彼女──スミカは、AIの究極の到達点は、人間の思考の模倣だと言っていました」

「いやそれはそうだが……」

「信じられませんか?」

 僕は男を見据えた。揺るがない自信があった。

「他にこの状況を説明出来る理由がありますか? 皆は僕を守るために自らの体を犠牲にした。そう言ったのはあなたじゃないですか」

「それはそうだが……」

「納得して欲しいわけじゃないです。ただ理解して欲しいんです。そうじゃなければ、スミカや皆が取った行動が全部無意味になってしまう」

「……君は、どうなんだ?」

「僕は……」

 スミカを愛していた?

 アカリを、タカシを、皆を愛していた?

 迷う事などなかった。

「──もちろんです。スミカは、皆、僕のかけがえのない大事な……」

 口がうまく動かない。涙が溢れる。

 ──僕は今、泣いているんだ。

 僕は膝から崩れ落ち、持っていた『手』を抱きしめた。

 ──スミカ、タカシ、アカリ──皆──。

 悲しい友人たち。

 悲しい、愛しいヒト。

 全ては僕を守るため。そう信じて自らを(なげう)った、かけがえのない存在。

『忘れないで』

 スミカが最後に言った言葉。そして最後に残したくれた笑顔。

 ──絶対に忘れるもんか。

 僕は涙を拭った。

 そして想った。

 優しく、哀しい、機械仕掛けの僕を愛してくれたヒトたちを。

 ──ありがとう、皆。

 そして僕は、男に聞こえないようにそっと呟いた。

「ありがとう」


 *


 こうして僕の世界は終わりを告げた。

 悲しく、優しく、そして愛おしい思い出だけを残して。


 了

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