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オペレーションくしなだ  作者: 木葉
オロチの耳飾り、再び
10/31

第6章 <1>

 掌の下がざらざらする。おかしいな、雨の音もしない――。

 りらが身を起こすと、ざらざらの正体が砂であることがわかった。海だ。ずぶ濡れだったにもかかわらず、水滴一粒すらついていない。それどころか、白い妃の衣装ではなく、出雲大社に行った時の服装そのままである。ご丁寧に荷物まで揃っている。

「長柄くん!」

「怪我してない?」

「うん」

 傍に陽一の他に、美輝と潤もいた。皆が立ち上がると、すぐにここがどこだかわかった。美輝が捕えられていた岩、弁天岩が見える。そして、海岸に沿って県道二十九号線が走り、自動車が行き交っている。戻ってきたのだ、現代の稲佐の浜に。

 浜に四人が現れたところを誰かに見られていたら大ごとだ。しかし、幸い海岸には誰もいなかった。しばらく呆然としていたが、四人は現状を把握するため、県道と交差するバス通りを歩いて出雲大社方面に向かうことにした。大社に近づくにつれ、警察や消防関係者、それに米軍などで混雑していた。バス通りは車両通行止めだ。

 出雲大社の上空には雲が立ち込め、広範囲に雲が出現していた。出雲大社の中には入れそうにない。陽一はスマホでニュースを検索していた。現時点でわかるのは、米軍機が出雲大社の本殿を直撃し、大破させてしまった後にわかに雲が湧き出て広がり始めたこと、そしてこの雲は東京にも出現し、強い地震が発生して皇居の堀やいくつかの神社の鳥居が壊れたということだった。ネット上の掲示板を見ると、テロではないか、いや、祟りではないかなどと憶測が飛び交っている。

「とにかくどこか落ち着いたところに行くべきだな」

「レンタカー、回収できるかな」

 駐車場も関係車両で埋まっている。ダメもとでそこにいた警察官に事情を話してみると、免許証を確認した後、場内に入れてくれた。交通整理に従って外に出ると、ひとまず国道を南下して混乱の地を脱出した。

「宿に帰った方がいいね。竜成と潤の彼女の行方をつかまないといけないし」

 同意を得ると、陽一は玉造温泉へ車を走らせた。

 紅玉亭に着いた頃には完全に日が暮れていた。りらの祖母豊子が心配そうに出迎えてくれ、優しい言葉を聞くとりらと陽一はようやくほっとした気持ちになった。

「えらいことになっちょーね。あの友達はどげしたや? あら、そちらはあたぁし友達かいね?」

「あ、鄭くんはちょっと仕事の都合で今日は一緒じゃなかったんだ。それから、同じ部屋でいいからこの人たちも泊めてあげてもいい? 観光で来てて、途中で知り合ったんだ」

 りらは適当にごまかしたが、豊子は笑みを浮かべて承諾してくれたので潤と美輝は簡単に自己紹介をした。

 到着が遅くなってしまったので、豊子が差し入れてくれた夜食をいただきながら、四人は今後のことを話し合った。結局、竜成は紅玉亭に戻ってきていない。潤は貴子に連絡してみたが、「現在電波の届かないところにいます」とアナウンスが流れるだけであった。つまり、二人とも一緒にいるかどうかはわからないが、この世界にいない可能性が高いということになる。

「ねぇ、今日はもう休んで、明日、八重垣神社に行ってみない? 何かわかるかも」

 りらが眠い目をこすりながら提案した。しばらく戦時中でぐっすり眠ることができず、疲労が溜まっていた。陽一が賛意を示すと、四人は二手に分かれて床に就いた。

 翌日は大雨だった。だいたいこの時期は台風の影響で曇りだったり雨だったりすることが多い。レンタカーに乗り込み、国道九号沿いを進んで二十分もすれば八重垣神社だ。タケミカヅチとの最後の戦いを思い出させるような大雨の中、鏡の池へ向かう。参拝客はまばらで、本殿にお参りをすると早々に立ち去っていった。

 地面のぬかるみに気を付けながら鏡の池にやってくると、若い女性がしゃがみこんで池の中を覗いている。驚いたことに、彼女は傘を差しておらず、それなのに全く濡れている様子はなかった。足音に気づいたのか、その女性は四人の方を振り向きにっこりと笑った。

「こんにちは。私たち、会うのは三度目ね」

「え…… 初めてお会いしたと思うんですが」

 女性がこちらに近づくと、その付近だけ大雨が嘘のように止み、明るく薄日が差してきた。

「大丈夫よ、他の人には見えないから。傘、しまったら?」

 怪しげな女性だが、ここは従うほかあるまい。四人は傘を閉じた。すると女性は意外なことを告げた。

「最初に会ったのは、この神社の本殿ね。次は、ここで。私は老女の姿をしていたでしょう?」

「あのお婆さんなんですか!?」

「待って。本殿ってただ拝むだけで誰もいなかったと思うんだけど」

 女性はふふとおかしそうに笑い、こう尋ねた。それじゃあ、あなたたちが拝んだ相手は誰だった?と。

「えっと、八重垣神社の主祭神は…… あ、クシナダヒメ!」

「あなたが、クシナダヒメなの?」

 りらはまじまじとその女性を見つめてしまった。これが本当に神さま? だって、髪の色はちょっと明るく染めてるみたいだし、青いミュールにトリコロールのチュニックワンピを着ていて、ファッション雑誌のモデルかと思うようなスタイルだったからだ。

「ええ、私が授けた勾玉はちゃんと持ってる?」

「あ、はい。持ってます」

「今後も絶対に手放しちゃだめよ。ねぇ、もしかして私の姿、おかしい? ちゃんと雑誌を見て変身したんだけどなぁ」

 そういうことか。クシナダヒメは雑誌に載っているスタイルそのものをコピーして、若い女性の姿で現れたのだ。

 クシナダヒメは意外とさばさばした話し方をする。スサノオにオロチから救ってもらったという神話を聞いて、勝手に淑やかな女性を想像していたのだが、それは間違いだった。「俺たちは、どうしてあなたに会うことになったんですか? なんでイズモに――」

「順番に話すわ」

 潤の質問を遮り、クシナダヒメはこれまでに起こったことについて話し始めた。それによると、最近、各地の神社が自然災害で破壊され、神々の御霊が不安定になり騒がしくなっている。米軍のヘリが落ちたのも神の荒ぶる魂のせいだったが、出雲大社に落ちたのは偶然ではなく、オオクニヌシを幽界から目覚めさせ、再び神々の大戦争を始めるためであった。

「戦うって、天つ神と国つ神が?」

「そう。中つ国の統治を巡ってね。あなたたちはイズモがヤマトに滅ぼされたのを見てきたでしょう?」

「ヤマト…… 高天原じゃなくて?」

 クシナダヒメは高天原の天つ神がイズモを征服し、その子孫が中つ国にヤマトを創ったのだと説明した。そして長い間、イズモの力は杵築宮つまり現在の出雲大社によって封印されてきていた。アメノホヒがオオクニヌシを祀るためにあのキヅキの櫓をさらに高くして杵築宮とし、アメノホヒの子孫が祭祀を司ってきたのだ。

「私からするとね、中つ国はずっと天つ神に支配され続けているのよ。国つ神はそれが悔しくてたまらない。オオクニヌシの子孫が…… 私の夫スサノオの子孫でもあるわね。彼らが守るべきこの国を取り戻したいと思ってる」

「だから御霊が不安定になってる今、また戦いが始まってしまう……」

 神々がその力を爆発させて戦うことになったら、日本中が天変地異に見舞われてしまうだろう。りらは天つ神の破壊力を思い出し、身震いした。

「戦いを防ぐには、過去においてイズモの力を復活させるしかないわ。そして中つ国の統治の正統性がイズモにあることを確立させてしまうの」

「そんなことできるのか?」

「あなたたちがやるのよ。後の時代に、いえ、あなたたちからしたら過去の時代に、イズモを勝利に導く可能性があるわ」

「どうして私たちがイズモを復活させることができるの?」

「勾玉を持ってるからよ。勾玉は持つ人を選ぶの。他の誰も勾玉に気づかなかったし、気づいても手に取ることはなかった。だけど、あなたたちは違った。イズモを助ける力が備わってるからとしか言いようがないけど、他の人にはできないことよ」

 なんだか話がややこしく、大きくなってしまった。うっかりこの池で勾玉を拾ったばかりに神々の戦いに巻き込まれ、今度はイズモを復活させなければならないという。関係ないと言って離脱することはできそうにない。尻込みしている四人を無視して、クシナダヒメはミュールのまま鏡の池に足を下し、まるで階段でも備え付けられているかのように池の中へ入っていく。

 すると、池の水がさっと左右に引いて、地下への道が現れた。クシナダヒメは地上で逡巡している若者たちを見上げると、ダメ押しするように言った。

「来ないの? あなたたちの仲間が待ってるのに」

 それを聞くと、意を決して潤が鏡の池に入っていった。貴子に会わなければ。大切な恋人を過去に置き去りにすることはできない。

「俺は行く」

 潤の声に美輝が反応し、後を追った。ここまで来たら陽一もりらも引き返すことはできない。竜成の身も案じられたし、また四人、いや六人一緒なら心細くはない。全員が地下に入ると、空洞を少し進んだところでクシナダヒメは何かを取り出して見せた。

「それ、オロチの耳飾り!」

「あなたたちが仕えるべき人物がもう片方を持ってるから、助けること。いい? その人物の敵を排除するのよ」

 コトシロヌシから片方の耳飾りを預かったことがあるりらが再びその飾りを譲り受け、右耳につけることにした。

「その人物の名前は? どの時代にたどりつくんだ?」

 潤が尋ねた時、クシナダヒメの姿は揺らめく煙のように消えかかっていた。クシナダヒメは口を動かしているがよく聞き取れない。

「……アマ、じん……の年」

「ちょっと待って! これから俺たちはどこに行けば――」

 クシナダヒメは蝋燭の炎が消えるようにふっといなくなった。振り返ると、下りてきた道が塞がれ、左右に分かれた池も空も見えなくなっている。要するに、前に進むしか道はないのだ。

 湿った涼しい地下道を手探り状態で歩いて行くと、頭上にひときわ明るい光が見えた。人が通れるくらいの穴が開いていて、青い空が顔を覗かせていた。梯子がついているわけではないので、自力で這い上がるしかない。潤が先頭になり、岩壁を慎重によじ登った。高さがあるわけではないので、女性でもなんとか行けそうだ。陽一はりらと美輝がある程度上ると、下から支えて彼女たちを潤に引き上げさせた。陽一が地上に出ると、またしても潮の匂いが鼻腔をついた。海だ――。


 早朝に大津宮を出立してからひたすら琵琶湖を北上し、日が落ちてから数時間後にようやく陸地に上がった。東京からヨーロッパの都市に飛行機で行くよりも長い船旅に、竜成と貴子は疲れ気味だったが、ハルネはまだ少女のくせに疲れを感じさせない足取りだった。

「うわー、俺もう、くたくただ」

「まだ半日しか経ってないよ。しっかりして、まだ先は遠いんだから」

 船が着いた先は琵琶湖北西部、現在の高島市マキノ町である。ハルネに従って歩いて行くと、役所が見えてきた。入口には鞆結ともゆい駅と木の看板が掲げられている。ハルネは物怖じせず、携行していた札を門番に見せると二人を手招きして中へ入っていった。そして、今日はもう遅いからと、宿坊らしき建物に入り、二人に休むよう指示をした。

 この時代、既に全国的に駅道などの交通網が整備されつつあり、定期的に駅家という役所が配置されていた。通常は公的な出張などをする官人しか利用できないのだが、ハルネは特別にオオシアマの通行許可証を持っており、各地の駅家や駅馬を使用することができた。ただし、食事は自分で調達しなければならなかったが。

 朝早くまだ薄暗いうちにハルネに起こされ、寝ぼけ眼で身支度すると、今度は船ではなく陸路を行くため馬をあてがわれた。

「ちゃんとついてきてね。がんばればお昼にはつくと思うから、そしたら船に乗る前に美味しいもの食べようね」

 ハルネはオオシアマの前では大人ぶった口調だが、貴子や竜成しかいないと少女らしい物言いなのだった。

 駅家からつながる道路はずっと山中を通っている。今で言う国道161号線、西近江路を北上するというルートで、終点は敦賀である。

「驚いたなぁ。こんなちゃんとした道路が通ってたなんて」

 旅に慣れていないように見えた貴子を気遣って、ハルネはところどころ休憩を取って比較的ゆっくりと馬を進めることにした。それでも昼過ぎには目的地に着くはずだ。山道とは言え、結構往来が激しいようで道はよく踏み固められ、それほど馬を走らせるには難しくはなかった。西近江路は敦賀に集められた米、海産物やその他の交易品が大津宮に運ばれる重要なルートであった。

 少し道幅が広くなり、人や馬が行き交う場所に出た。大きな役所も見えた。

「ここは? 通行できるの?」

愛発あらちの関よ。出入りを管理するのと暴徒の抑制のためにカヅラキ大王が設けた関所なの」

 関所ということは交通の要所なんだな。確かに厳重に柵が巡らされ、左右の端には兵士たちの詰所が設置されている。人や荷物が順番にチェックを受けて許可を得られたものだけが関所を通過することができた。こういう場合、ハルネが携行しているオオシアマの通行許可証の威力は抜群で、官吏に見せるとすぐさま別の通路に連れて行かれた。テーマパークの優先チケットみたいで、並んでいる人々を横目に通過するのはちょっとした快感だった。

「ハルネは一人でこうして大津宮まで来たのよね?」

「うん」

「ご家族は心配してない?」

「いつも兄さんのお使いで遠くに行ったりしてるから平気よ。トヨカネ王の印を持っているとどこでも丁寧に扱ってくれるし、今なんてオオシアマ様の許可証まであるんだから。タカコはあんまり遠くに行かないの?」

「大津宮を離れたことはないわね。でも、私は美濃の出身だから大津宮だけしか知らないわけじゃないけど」

 貴子が美濃出身ということを知ると、ハルネは目を輝かせた。凡海郷の海人族は美濃や尾張にも散らばっており、中でも尾張氏はよく交流をしている同祖同族であるし、この地域は全体的にオオシアマの経済的かつ人的支持基盤なのだ。今も美濃の使者が凡海郷を訪れているという。

 愛発の関を難なく抜けるとほどなくして平野に出る。さらに馬を走らせると敦賀湾沿いの駅家である松原駅に着いた。ここも交通の要所ということで、比較的規模が大きいようだ。その名の通り海岸沿いにはたくさんの松が生えていてゆるやかに弧を描く湾に美しい景観を作り出していた。駅家の前はちょっとした市場が開かれており、そこで昼ご飯におにぎりと魚介のお吸い物、それにかぶらの漬物を食べた。

「敦賀の魚もいいけど、凡海郷も御馳走がたくさん食べられるよ!」

 ハルネはお供の二人にそっと耳打ちした。

 ここからはまた船に乗り、入り組んだ若狭湾を西へ。日本海側を定期的に航行している中型船が各地に寄港しながら人や物資を運んでいるのだった。最終目的地の凡海郷に近づく頃には夕日が茜色の光を振り撒きながら水平線に隠れ、港に着岸した時には真っ暗な海がひっそりと広がっていた。

 凡海郷は舞鶴湾を挟んで東西に分かれており、西は由良川を少し超えたあたり、東は青葉山付近までが領域となっていた。

「お帰り、ハルネ」

 船着き場には若い男性が三人、ハルネたちを出迎えていた。

「兄さん、ただいま。この人たちはオオシアマ様の代理でトヨカネ王のお弔いにいらっしゃったの。舎人のタツナリに、女官のタカコよ」

「お初にお目にかかります、凡海のアラカマと申します。長旅でお疲れでしょう。今日はよくお休みになってください」

 アラカマは豪族の息子だが、自分より身分の低い竜成たちにも丁寧な口調で話す感じの良い人物だった。海人族ということだけあって、海で鍛えられているのだろうか、肩幅ががっしりとして日焼けをしている。アラカマの後ろに立っている若者たちは、護衛の兵でオオトとナガトと言った。こちらの二人もサーファーのように日焼けをし、腕には入れ墨が施されていた。

 ハルネが言った通り、豪勢な食事が竜成と貴子を待ち受けており、美濃からの使者も食事に同席した。県主都野あがたぬしのつの県主津真利つまりという青年戸主だと紹介された。彼らは表向きは商用で凡海郷を訪れていることになっていたが、実際は情報収集・交換が目的で、凡海郷あるいはオオシアマを害するような情報があればすぐに対応できる態勢を常に整えていた。

 トヨカネ王のもがりは渚のすぐ近くで営まれており、連日多くの人々が別れを惜しむために列をなしていた。遺体は棺に仮安置され、かなり長い期間が殯に費やされる。竜成と貴子は一緒に参列した都野や津真利の所作を見よう見まねで亡き王を弔った。遺体の臭いを消すためか、周りでは大量の香が焚かれていた。

 今日の弔いが終わると、竜成らはアラカマの屋敷に呼ばれた。

「本当はオオシアマ王子がいらっしゃることができればよいのですが、今の身分では代理を遣わすのが精一杯なのです」

 竜成はそう言いながら、オオシアマから預かった木簡をアラカマに手渡した。厳重な包みをほどき、アラカマは初め黙読をしたが、次に声を出してその場にいる者たちに聞かせた。

「王の死去に際し、私オオシアマが凡海郷の王位を継承す。次期王位は長子タケチに継承させ、海人族の娘を妃に迎えることとする――」

 数多くの子供たちの中から、オオシアマは凡海郷の時期王としてタケチを選んでいた。同時に大和の大王としても君臨する可能性がないわけではないが、それについては何も書かれていないので直接オオシアマに聞くしかない。なぜタケチが凡海郷の王に相応しいかと言えば、母のアマコが宗像氏の出だからだ。それだけでなく、タケチは子供ながらに落ち着きがあって文武両道の才を見せているし、異母弟のクサカベの世話を焼くことができる度量もあった。

 オオクニヌシの末裔で広大な海域を支配する海人族の宗像氏の血を引くタケチは凡海郷の王として申し分がなかった。オオシアマが最初にアマコを娶ったことは、オオシアマの念頭にはまず凡海郷の王位継承が最重要のものとして置かれていたということだった。

「これでしばらくは凡海郷は安泰ですね。オオシアマ王がこちらにいらっしゃることができないのであれば、早い段階でタケチ様を凡海郷にお迎えするのが良いかもしれません」

「なるほど。そのご提案、オオシアマ様には私から伝えておきます」

「タケチ様はまだ十ばかりでいらっしゃいますが、妃を探す必要がありますね。各地の海人族から候補を何人か見つけておきましょう」

 こういう場合、定期的に行き来している各地の使者の情報網が生きてくる。アラカマは早速、都野と津真利にも相談するつもりだった。ハルネはまた情報収集、それも次期王の妃探しという楽しい目的のために遠方へ行けると胸を躍らせていた。

 竜成たちの凡海郷滞在は一週間を予定しており、毎日、トヨカネ王の殯に参加しつつ、ハルネの案内で郷を見て回った。早朝から漁に連れて行ってもらったり、塩の精製を見学させてもらったり、大津宮とは違う動的な生活が楽しめた。竜成は古代の人々の生活を記録しておきたいと思ったが、書きつけるものがない。ある時、食事の場でその話をすると、アラカマが紙の束を竜成に渡してくれた。交易によって大陸からもたらされた貴重な品々の一つだった。

「高価なんじゃないですか?」

「だからといって、その束を枕にするわけにはいかないでしょう。あなたの記録に使われるなら紙も本望ですよ。まだたくさんあるので、土産に持って帰ってください。大津宮でも役に立つと思いますから」

 これはありがたい。何かと記録をつけたがるチトコにも、分けてやろう。ついでに細い筆と墨までもらうと、竜成をそれらを携えてハルネや貴子と出かけるようになった。

 今日は水軍を見せてくれるという。古代から発展してきた水軍は、後に丹後水軍と呼ばれるようになり、戦国時代には織田信長の越前一向一揆攻めにも参加している。現代でも凡海郷が存在した舞鶴は海上自衛隊の地方総監部が置かれ、日本海側の重要拠点なのである。

 船乗りたちは皆、上半身裸で腕や肩に入れ墨が施されていた。あるグループは何往復も泳いでおり、別のグループは二手に分かれて船の競技を行っている。訓練ではごく小型の船が使用されていたが、停泊している実戦用の船は中央に帆柱が、両側に櫓が取り付けられ、漕ぐ兵士が座る台座が横についていた。天井は空いているのだが、大きな長方形の盾が格納されており、それらを左右一枚ずつ隙間なく並べると防御用の屋根にもなる。

 屈強な男たちが掛け声を出しながら訓練をしている様子を見ていると、貴子は恋人を思い出さずにいられなかった。

「貴子!」

 あぁもう、あんまりにも会いたいから潤くんの声が聞こえた気がしちゃったじゃない。貴子はため息をついた。

「聞こえるか、貴子っ」

 再び潤の声が聞こえた。おかしいなと首をかしげていると、竜成に腕を掴まれて揺さぶられた。

「黒部さん、あいつらがいるよ!」

 振り返ったその視線の先をはっきりと見る前に、視界が涙で曇ってしまった。本当に、目の前に潤があの日の格好のままで立っている。

「お前らどこ行ってたんだよ」

 竜成と陽一は肩を叩き合って喜んでいた。見知らぬ不思議な姿をした若者たちと再会を喜び合っている竜成と貴子を、ハルネがきょとんと見つめている。

「誰なの、その人たち?」

「ごめんね、ハルネ。私の恋人と、その友達よ。ちょっとお屋敷に一緒に行ってもいいかな」

 貴子が飛び跳ねるほどうれしそうな顔をしているので、なんだかよくわからないがハルネまで嬉しくなってしまい、好奇心もあり、水軍の見学を切り上げて屋敷に戻ることにした。あの若者たちは入り江の岩場からひょっこり出てきたように見えた。あんなところにどこかと繋がっている通路があるのだろうか。

 屋敷の客間が空いていたので使わせてもらうことになり、この時代の衣服に着替えると六人は改めて互いの無事を喜び合った。知らない者どうし自己紹介をし終わると、次は長い時間をかけてイズモ王国での出来事と大津宮での出来事を語り合った。そして、陽一らが凡海郷に来ることになった理由が、八重垣神社に現れた老女、つまりクシナダヒメの意図であることも明らかにした。

「う~ん、何で俺たちなんだろ。お前たち、死にそうな目にあったんだよなぁ」

 高天原との激戦を経験した陽一たちと違って、今までのんびりと過ごしてきた竜成と貴子にとってイズモの話は信じがたいものであった。

「神さまって怒らせるとほんっとに怖いんだよ……」

 真顔でりらが力説すると、陽一は思わず笑ってしまった。まぁ、実際に死にかけた身としては笑い事ではなかったのだが。

「そうそう、クシナダヒメがね、この耳飾りの片方を持ってる人に仕えて助けなさいって言ってたんだけど、貴子ちゃんたち何か知ってるかな?」

 右耳を隠している髪を耳にかけて、りらはオロチの耳飾りを竜成と貴子に見せた。貴子が近づいてよく見ると、それはオオシアマがいつも身に着けているものと瓜二つである。

「それ、オオシアマのだよね?」

 念のため確認すると、竜成も頷いた。

「オオシアマって、さっき言ってたここの王のこと?」

「そう。あと大津宮のカヅラキ大王の弟でもある。オオシアマを助けるって具体的にどうすればいいのかな」

「敵を排除しろって言ってなかった?」

「オオシアマの敵ねぇ。いるのかな」

 竜成はしばらく考え込んだ。オオシアマの敵を排除するということだが、あからさまに敵対してくる人物や勢力などいないのではないか。次期大王はオオトモに決まっている。オオトモの方が権力闘争に巻き込まれる可能性が高い。あくまでもオオシアマはカヅラキの弟として大王を補佐する立場であって…… ここまで考えて、竜成は大津宮を出発する前にカヅラキがオオシアマの意向をほとんどと言っていいほど無視した外交政策を取ろうと、大臣らと共に着々と準備を進めていたことを思い出した。

「どうした、竜成?」

「いや、オオシアマの提案を全く受け付けない人物がいないでもない。最近ではオオシアマを軽んじてるようにも思える。他ならぬ兄の大王だよ」

 詳しい説明を求められ、竜成が順を追って話そうとした時、アラカマとハルネが客間へやってきた。内容が内容なだけに、大津のオオシアマの私邸に戻ってから説明した方がいいと思い、竜成はいつもの明るい調子で豪族兄妹を迎え入れた。

「こいつら、俺の友人なんです。オオシアマ様からしばらくお暇をいただいてたみたいで。あと数日したら一緒に大津宮へ帰ります」

「厄介になってすみません」

 竜成の調子に合わせて皆が頭を下げると、アラカマは「かまいませんよ」といつものように穏やかに答えてくれた。

「うちは父母は他界して、妹と二人暮らしみたいなもので部屋は空いてますし、使用人も客人が来た方が仕事ができていいんじゃないですかね」

 早速、使用人がお茶を入れ替えに来た。今度は菓子もふるまわれ、それをいただきながら自己紹介をすることになった。ところが、一通り名乗り終わると、アラカマとハルネはびっくりしたようにこう言ったのだ。

「皆さんそれは芸名ですか?」

「すっごく古風な名前だわ」

 ナガツヒカリサキヒコ、タカハネイカリヌシ、スオウフサミミヒメ、そしてナガスソノイオリというイズモでつけてもらった名前は、アラカマたちにとっては仰々しい神話的なものに聞こえたのだ。おまけに竜成には「どんなキャラだよ」と突っ込まれる始末だ。そこで四人は改めて本名を名乗り、普通にファーストネームで呼ばれることになった。

 その夜、アラカマが気を利かせて四人に凡海郷の名産品を使った夕食を出してくれた。喪中のため大騒ぎができる宴を開くことはできないが、新鮮な海産物をたっぷり味わい、十分満足のいく食事であった。

 殊のほか貴子は嬉しそうに潤の隣に寄り添い、いつもより饒舌で笑っていたが、潤はろくに貴子の顔も美輝の顔も見れずに気まずい思いをしていた。貴子が美輝に「ダンスできるの素敵ね。今度見せてほしいな。潤も見たいよね? 私たち武道にしか縁がないものね」などと言った時は冷や汗ものだった。貴子に他意がないのは明らかだが、美輝との関係が見破られてしまった気がしてならなかった。

 それにもかかわらず、少し酔いが回った貴子がぐっすり寝てしまった後、潤は美輝を屋敷の外へ連れ出し、入り江に立っていた無人の小屋で明け方まで過ごした。

「貴子さん、一人にしていいの……?」

 横になりながら美輝が上目づかいで訊いてくる。貴子を放置していいわけがないのだが、美輝と離れることさえ今は苦痛となっていた。

 二人は別々に時間をずらして屋敷に戻り、何事もなかったかのように使用人が洗面具を持って起こしに来るまで眠った。

 残りの滞在日もいたって穏やかに過ぎていった。陽一たちも毎日トヨカネ王の殯に参列し、それが終わるとアラカマかハルネが一緒に外出して凡海郷を案内してくれる。途中で見学を止めてしまった水軍の訓練にもまた立ち会い、潤が武人だとわかると突然水泳の競争に参加させられるといったおまけもついていた。当然、海人族に勝てるわけはなかったのだが。

 ハルネと女性たちはすっかり仲良くなり、ハルネは姉さんが三人もいるみたいと喜んでいた。もうすぐ十四になるのに、女性の仕事を教えてくれる母はいないし、兄の使いで伝令ばかり務めてきた。だから、りらや貴子が裁縫や化粧のことを教えてくれたのはとても新鮮だった。美輝はハルネに踊りを披露し、少しばかり手ほどきしてやった。

「本当に名残惜しいわね」

「また大津宮へ遊びにおいで」

 別れの日、桟橋の上で涙ぐむハルネを女性たちは一人一人抱きしめていった。

凡海郷はどことなくイズモの面影があり、海と山に包まれているような安心感があった。大津宮に戻れば再び政治と行政に触れる日々だ。それに、オオシアマの“敵”のことも考えねばならない。

 アラカマはオオトとナガトを帰路の護衛につけてくれた。

「では、オオシアマ王によろしく伝えてください。困ったことがあれば何なりと。全国の海人族がお味方いたしますよ」

 力強く握手を交わしていき、アラカマとハルネは大きく手を振って見送った。たくさんの土産の品を積んだ船は東の敦賀湾へと出航した。


 次第に夏の香りが濃くなる中、往路と同じ行程をゆっくり戻り、琵琶湖の南端に到着したのは三日後のことだった。昔の琵琶湖は現在よりも大きく、波打ち際のすぐ傍に大津宮の境界があり、南下するにつれて湖上からも大津宮の姿を見ることができた。大津宮内裏の北側にある桟橋は大王家や関係者専用の船着き場となっていて、陽一たちを乗せた船もそこに停泊した。

 荷物を全て下し、一部を雑役に従事する直丁じきちょうたちに預けると馬を借りて大津宮から西に少し離れたオオシアマの私邸に向かう。竜成は門の近くで待つよう指示すると、屋敷の中へ入っていった。相変わらず庭は手入れが行き届いていて合歓の木や末摘花が植えられている。

 ほどなくして竜成が戻ると、屋敷の一番広い部屋に通された。この屋敷の主人たちとの面会のようだ。

「あ、来たよ」

 竜成が形式的に礼をする。大津宮での仕事が終わり、簡素な私服に着替えたオオシアマとサララが正面に座った。舎人のヒロとチトコ、それに二人の息子たちも現れた。

「みんな、凡海郷の王オオシアマ様とその妃サララ様だ。隣はご子息のタケチ様とクサカベ様」

 どうも、お初にお目にかかりますと挨拶をすると、オオシアマは「かしこまらなくていい」と制した。

「タツナリもいつも通りに話してくれよ。様なんてつけて呼ばれたことはないぞ」

 オオシアマは現代の平均的日本人男性よりも背が高く、精悍であった。よく通る声で明快に話し、時に豪快に笑う姿は確かに人を惹きつける力があった。実はオオシアマと潤と貴子は同じ年なのだが、オオシアマは若さの中にもどことなく何かを超越した、悟ったような雰囲気を醸し出している。妃のサララはたっぷりとした黒髪を後ろでまとめ、涼しげな大きな瞳を際立たせていた。若竹色の衣に朱、白、緑の裳が鮮やかだった。この若い女性が子供の頃から修羅場を経験してきたことなど、決して見かけではわからないほど生気に溢れていた。

「タツナリとタカコの知人なんだそうだな。遠いところ、というか未来からどうやって来たんだ? まさか淡海の湖で溺れかけてたんじゃないよな」

 簡単に自己紹介をすると、早速、オオシアマは本題に切り込んでいった。無駄なことは嫌いな性分なのだ。

「話すと長くなるんだけど、竜成から不思議な勾玉の話は聞いてる?」

「あぁ、老婆からもらった……」

「俺たちは一度、イズモに飛ばされて―― 遥か昔のイズモってことだけど、それで何かの力が働いてまた未来に戻ってきたんだ。そしたら、その老婆がクシナダヒメだったことがわかった」

 陽一の説明を、りらが引き継ぐ。

「クシナダヒメは私たちに、ある人物に仕えて助けるように、その人の敵を排除するようにってこれをくれたの」

 りらが自分の耳から黄金のオロチの耳飾りを外し、オオシアマとサララに見せると、二人はあっと声を上げた。それはまさにオオシアマが常に身に着けている飾りと同じ大きさ、デザインのものだったからだ。

「どうしてこれを――」

 オオシアマは片方の持ち主のりらを真剣な眼差しで見つめた。サララだけはもう慣れっこになってしまていて例外だが、彫の深い顔立ちのオオシアマに見つめられると、たいていの女性は落ち着きをなくす。以前、あまりにも女官たちがオオシアマに黄色い声を上げていたので、「女官がたくさんいる場所ではこれでも被ってたらどう?」とサララが夫にお面を渡したほどだ。

 りらはその眼差しをしっかりと受け止めた。女官たちが騒ぐような気持ちではなく、この人にはほんの少し影があるけど秘めた情熱があるのではないかという好奇心のような気持であった。

「イズモではこれはオオクニヌシが持っていたんだけど、コトシロヌシに譲られて、片方を私がもらうことになったんだ。私が持っていたのは戦いの最中に壊れちゃったんだけどね」

「つまり、オオシアマが受け継いできた耳飾りは本当に出雲のものだったのね。オオシアマ、あなたは正真正銘のオオクニヌシの末裔なのよ」

 サララは興奮しながら夫を見つめた。オオシアマは今まで伝承として受け継いできた耳飾りの存在を心のどこかで半信半疑の目で見ていたのだった。しかし、失われたと言われてきた片方の飾りが、未来からやってきた奇妙な若者たちによってもたらされ、それがオオクニヌシからコトシロヌシへと譲られてきたものだということが判明した。

「ねぇ、父さんは凡海郷に帰っちゃうの? 僕は大津宮で一人で大王になるの?」

 大人たちの会話を聞いて、クサカベが不安そうに眉を八の字に寄せて尋ねる。隣に座っている長男のタケチが父の代わりに答えた。

「ばかだなぁ。お前を置いて父さんがどこかにいってしまうわけないじゃないか」

「そうね、父さんも母さんもずっとここにいるわ」

 サララがクサカベの手を握って言った。しかし、クサカベの質問はオオシアマにとって、実に悩ましい本質的な問題であった。凡海郷の正統な後継者でありながら、幼い頃に大和に人質として送られ、大和の大王家の子息と同じように育てられた。それにもかかわらず、大王になる道は閉ざされており、異父兄カヅラキの手足となって働き、いずれ大王になる子供たちの後見人の重責を担ってきた。

 大和に滅ぼされた出雲の王の末裔が王として凡海郷に戻ることもできず、大和の大王を支え続けるという現状に、オオシアマはいかんともしがたいもどかしさを抱えていた。もし今、オオシアマが凡海郷に戻り、王位を継承したことを公式に宣言すれば、カヅラキは容赦なく攻めてくるだろう。この結果は避けなければならない。それに、十代半ばから大王家の一員として常に兄の政務と軍事を補佐してきたという大和での実績と誇りは否定できない事実である。この国を強く豊かにしていくという大きな理想は兄とも共有しており、そのために積極的に協力してきたではないか。

 だが、一度は大和の人間として固まっていたアイデンティティは、このところ静かに揺さぶられつつあった。強く豊かな国を作るという理想は同じでも、内政や外交方針について、兄のやり方に疑問を抱かないわけではない。急に租税を増やしたり、新規に課税したり、何事にも百済人を登用し、あるいは優遇する。政策を無理やり実施させるために大王家に近い豪族たちには金品をばら撒くが、地方豪族らを取り込むことができていない。それどころか、遠方の開拓のために負担を強いており、結局、民衆にしわ寄せがきている。

 それもこれも、カヅラキが百済との関係を何よりも重視し、白村江の戦で手痛い敗北を経験したにもかかわらず滅亡した百済を再興する準備を進めているためである。今は大陸に関与すべき時ではない。内政に特化し、全国的に豪族を手懐けながら民を食わせるための食糧生産高を上げ、徐々に周縁を固めていくという方法が、先の戦で弱った大和を強くする近道なのだ。

「どうしたの、オオシアマ? 具合でも悪い?」

 オオシアマは優しい妻の声に我に返った。しばらくぼうっとしていたようだ。

「いや、ちょっと考え事をしてただけだ」

「オオシアマ、君の次の王位のことでアラカマから言付けが」

「何だ? タケチに不満でもあるのかな」

「そうじゃなくて、オオシアマが凡海郷に来ることができないなら、早めにタケチを凡海郷に送ったらどうかって。早いところ慣れた方がいいし、妃候補も探しておくってさ」

「ははは。アラカマのやつ、気が早いな。まぁ、見聞を広めることになるからな。考えておくよ」

 ハルネが伝令として大津にやってきた翌日、タケチとクサカベは父から凡海郷の存在を聞かされた。実は父がその王であり、次の王がタケチであるということも教え諭された。賢いタケチは何となく父が元々大津の人間ではないような気がしていて、突然の話に驚きはしたが、海人族に非常に興味がわいていた。だから凡海郷に行くことはかまわない。だが、妃候補のことを聞いた時、タケチは心の中で全力で「そんなのいらない」と拒否していた。タケチの妃はトオチでなければだめなのだ。タケチ少年の辛いところは、トオチが既にオオトモの妃となっていて、「トオチと結婚したい」などと口が裂けても言えないことだった。やっぱり、さっさとオオトモ兄さんを倒さなきゃ……。タケチは改めて決心し、まだ小さな拳をぎゅっと握った。

 引き続きオオシアマはイズモの様子や高天原のこと、どのように戦が始まり終わったのかなどの質問をし、多くのことをりらが答えていった。りらはイズモに飛ばされ初めてコトシロヌシたちに出会った時から、櫓の上でオオヒルメがタケミカヅチの攻撃を受けた時まで、はっきりと記憶していて、まるでたくさんの写真が詰まったアルバムを見ながら説明しているかのようだった。

「イズモは言い伝え通り滅ぼされたんだな。それが真実ってことだ」

「巷では高天原の要請を受けてオオクニヌシが国譲りをしたという話も広まってますけどね」

「え、イズモ神話は複数あるの?」

「俺は凡海郷にいたガキの頃から、先祖の国は一方的に攻め込まれて滅びた、そしてオオクニヌシの子孫や生き残りが凡海郷にたどり着いて静かに生きてきたって教えられてきたけど、俺が飛鳥に来たらイズモと高天原は交渉をして国譲りをしたということになってた」

「私もオオクニヌシはタカミムスヒの威光に怖れをなして国を奉ったと聞いてきましたからねぇ。オオシアマ様に会うまではそれが当たり前だと思ってましたし」

 同席しているヒロとチトコもイズモ神話が複数あることを認識していた。しかし、イズモが滅ぼされたということは事実なのだ。

「どうして本当の話が広がらないの? というか、そういう認識に改めるようにしないの?」

「兄は…… いや、大和の大王は絶対に認めないだろうな。自分たちの先祖である高天原の神々が中つ国を治める前は別の土地にいて、突然、中つ国のイズモを侵攻したとは公には言えないよ」

 オオシアマは今や大和の大王家の一員であり、公然とイズモの国譲りの真相を語るわけにはいかなかったし、それを口にすればカヅラキだけでなく重臣たちからも睨まれるに違いなかった。

「カヅラキ大王はどんな人? 弟のオオシアマの出自を知ってるのなら、イズモのことにも理解があるんじゃ……」

 美輝が尋ねると、陽一ははっきりと否定した。

「遠慮なく言わせてもらうけど、客観的立場から見ると、二人はむしろ敵どうしと言っていいと思うよ」

 あまりに露骨な言い方に、オオシアマの部下たちはぎょっとしたが、陽一はオオシアマが止めようとしなかったので、話を続けた。

「カヅラキ大王は大和の王者なんだからその正統性を揺らがせる言動は禁物だ。それに、オオシアマが弟といっても、父親が違う。どっちの父親も別の国の王だった人だよね。戦いに敗れた国はいつか牙を剥くかもしれない。敗者を中に取り込んだとしても、不安だ。まして、その敗者がある程度独立性を持って動くことができる上に、理想や国づくりについて自分と違う意見を持ってたら……」

「たとえ俺が恭順の意を示しても?」

 オオシアマは面白そうに陽一の見解に耳を傾け、意地悪く口を挟んだ。陽一は頭を横に振った。

「それが本当かどうか、外からはわからないからね。ついでに言うと、兄弟とか親子とか親族っていうつながりも、何の意味もないよ」

 陽一は源頼朝と義経の兄弟の末路を念頭に置いて、そう言った。自分と違う権力構造に組み込まれ、異なる方針で動く者は、危険な要素でしかないのだ。

 第三者に鋭い指摘を受けて、サララは夫が思いのほか危険な立場に置かれているのではないかと寒気がしてきた。今まで、カヅラキは自分の父で、オオシアマの義理の兄であるということから、過去の経緯から父を憎みこそすれ、警戒したことはなかった。甘かったと言われればそうなのだ。

加えて、オオトモの後継者問題のこともある。トヨカネ王の崩御を受けて、タケチは次の凡海郷の王となることが決まり、大和の大王を継ぐ可能性は限りなく低くなった。現時点で有力なのは実子のクサカベと、姉の子オオツである。カヅラキと正妃ヤマト姫はオオツがお気に入りでクサカベを軽んじているように感じられる。オオシアマにとってはどちらも実子なので、大王に相応しい方をじっくりと見極めたいといったところだ。サララは姉の子を嫌っているわけではなかった。本当は自分の元で、オオクもオオツも育てたいと思うくらいには愛情はあった。だが、何よりも父が孫を平等に扱っていないことが許せなかった。

 サララはふと思いついたことを口にした。

「ねぇ、オオシアマ。みんなに出仕してもらったらどうかしら? 直接、大津宮のことを知ることができていいんじゃない?」

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