14.ハイヒールと絵画
初夏のある日、ミラジェーンは自宅の玄関ホールへ向かった。
以前オリン公爵夫人に仕立ててもらったものに似た、ウエストをコルセットで絞ったドレスを身につけていた。靴も、いつもよりヒールが高く、華奢な作りのものを選んでいた。
「ずいぶんと気合いの入った装いだな、ミラ」
なぜかついてきたアドルフが苦笑した。
「別に褒めているわけではないからな」
「承知しておりますわ。嫁ぐ以上、先方の家風に従った方が無難だと判断しただけです」
「聞き分けが良すぎるのも考えものだな。おっと、婚約者殿がいらしたようだ」
馬車が止まる音が聞こえ、やがてエリオットが玄関ホールへ通された。
「お迎えいただき、ありがとうございます、エリオット様」
「かまわないよ、僕は寛大だからね。ごきげんよう、アドルフ殿。わざわざ見送りとは、しっかりしていらっしゃる」
「妹かわいさでね。ミラ、暗くなる前に帰れよ」
「嫌ですわ、お兄様。過保護でいらっしゃいますこと。参りましょう、エリオット様」
エリオットはアドルフに会釈すると、踵を返した。
アドルフはミラジェーンに目配せをした。
ミラジェーンは肩をすくめ、エリオットの後を追った。
アドルフの
「いや、エスコートしろよ……」
という呟きは、二人の耳には届かなかった。
オリン公爵家の馬車に乗った二人は、画廊を訪れていた。
エリオットの友人である伯爵家が、趣味で集めた絵画を公開していた。
「やあ、エリオットくん、ミラジェーン嬢も。よく来てくれた」
画廊を主催する伯爵が、笑顔で二人を出迎えた。
ミラジェーンは穏やかに微笑んで腰を折った。
「このたびはお招きくださりありがとうございました」
「なに、息子の友人であるエリオットくんが婚約したと聞いたときから、ミラジェーン嬢には挨拶させていただきたかったからね。先日のパーティも素晴らしい手腕だった」
「とんでもない。皆様のお力添えあってのことでございます」
「伯爵もお楽しみいただけましたか。僕も尽力した甲斐がありました。」
エリオットが伯爵とミラジェーンの間に入った。
伯爵はそのままエリオットに向かい、パーティを褒めそやす言葉を重ねた。
「おっと、失礼。今日は私が集めた絵画をご覧になるために来てくださったのだったね。よければ紹介させてほしい」
「ぜひ、お願いいたします。友人が常々伯爵のコレクションを自慢していたので、ずっと拝見したく思っておりました」
伯爵は嬉しそうに体を揺らしながら歩き始めた。エリオットもそれに続き、ミラジェーンも楚々として後に続いた。
***
「戻りました」
画廊にて一通りの絵画を見せてもらい、伯爵に勧められた茶を飲んだのち、ミラジェーンはエリオットに送られて帰宅した。
「おかえりなさい。楽しかった?」
ブライズ侯爵夫人が紙束を抱えて通りがかったた。
左右に控える侍女も同様に紙束を抱えていた。
「……ええ。先に湯浴みを済ませてまいりますわ」
「そう。では夕食の時に」
夫人は微笑んで去って行った。
ミラジェーンは側にいた侍女を振り返った。
「……靴、脱いでもいいかしら」
「浴室まで……いえ、どうぞ、お脱ぎください」
侍女は痛ましげな表情でミラジェーンに手を貸した。別の侍女が駆け寄り、食い込んだヒールを脱ぐのを手伝い、代わりに室内履きを履かせた。
「お嬢様、浴室まで歩けますか? 執事かアドルフ様をお呼びしましょうか」
「いえ、大丈夫。ありがとう、気遣ってくれて」
「それがわたくしどもの存在意義でございます。せめてお手を取らせてくださいませ」
侍女は半ば泣きそうな様子でミラジェーンの手を取った。
ミラジェーンもその手を振りほどくことなく侍女に体を預け、ふらつきながら歩を進めた。そのかかとからは血が滲み、室内履きを汚した。
湯浴みの後、ミラジェーンは自室のソファに横たわり、侍女が不機嫌そうな顔で彼女の足に軟膏を塗っていた。
「なんなのですか、あの方は! エスコートもなさらずに行ってしまわれて……!」
「仕方ないわよ、伯爵との話が盛り上がってしまったのだから」
「そういう問題ではございません。それでしたら最初からお一人で行かれるべきです」
憤る侍女に、ミラジェーンはくすくすと笑った。
普段であれば侍女の言葉が行き過ぎるときはたしなめるが、今回ばかりは婚約者への不満をもう少し聞いていたかった。
「ああ、おいたわしい。レディの足がこんなにもボロボロになって」
「いやだわ、泣かないでちょうだい」
「泣きますよ! わたくしが何年お嬢様のお身体を磨き上げてきたとお思いですか」
「あなたが七つになったときからだから、もう十年は超えるわね」
「そうですよ! わたくしはお嬢様に幸せになっていただきたいのに……お父上も、どうしてこのような縁談を受け入れられたのですか」
「はい、そこまで。ところで、今日の飾られていた絵画、どう思った?」
侍女の指摘がブライズ侯爵にまで及び始めたので、ミラジェーンは話題を変えた。
これはこれで、誰かに意見を聞きたかったのだ。
侍女はすぐに口を閉じ、ミラジェーンの足にガーゼを当て、包帯を巻いていった。
「失礼いたしました。わたくしのような学のないものに、絵画の評価はできかねますが……あまり、よい印象は持ちませんでした。もっともお嬢様を気にかけるあまり、偏見があったことは否めませんが」
「正直でよろしい。それに、自身を卑下することはないわ。だって、十年以上も私と共にブライズ侯爵家にいるのですもの。最低限の審美眼は備わっていなければ困るわ。絵画については、私も同意見ですし」
侍女は包帯を巻き終え、新しい室内履きをミラジェーンに履かせた。
「では食堂にまいりましょうか」
「はい、お嬢様。ぜひ本日のお話を奥様やお坊ちゃまにお伝えください。お二方ともそれはそれは、お喜びかと」
ミラジェーンは憤りを隠そうともしない侍女に苦笑し、立ち上がった。
夕食も終わりの頃、ミラジェーンの話を聞き終えたブライズ侯爵夫人は、黙したままコーヒーをすすった。
「そうね、殿方とは得てしてそういう面があるものですから」
「そういう?」
アドルフが険のある声で問いかける。
ミラジェーンは首をかしげながら、まだスープを飲んでいた。
「気を許しているからこそ、ついてきていると思ったり、手をかけずとも自分に都合よく振る舞っていると思っている……ことが多いような……」
「母上、ずいぶん発言が曖昧になってきたけれど、つまり?」
アドルフの口調がからかいを含み、夫人も苦笑した。
「つまり、あなたに対して気を許しているのではないかしら。それはそれで悪いことではありませんけれど、エスコートの一つくらいはしっかりしてほしいわね」
「本当だよ。迎えに来ても、ろくに頭の一つも下げやしない」
「そこはミラ、あなたが手綱を締めなさいな。で、もう一件のほうも気になりますね」
夫人とアドルフが同時にミラジェーンへ視線を向けた。
ミラジェーンはスープを飲み終え、口元を拭った。
「あの画廊に飾られていた作品は、大半が贋作かと。王宮の画廊に飾られていた品も、いくつか見受けられましたし」
「王宮の画廊は王族と招かれた貴族しか入れませんから、知らぬ者も多いのでしょうね。わたくしもお父様に嫁いだ際、国王陛下がお祝いにと招いてくださった折くらいで……」
「俺は入ったことがないなあ」
「私は十歳になった際、エース殿下がお祝いにと入れてくださったのです。誰にも許可を得ていなかったそうで、事後にいたく叱られましたが」
「……当時の殿下は七歳か八歳だろう? そんな前からミラに甘かったのか、殿下は」
呆れ顔のアドルフをよそに、ミラジェーンはブライズ侯爵夫人へ視線を向けた。
「王都に贋作を流布する商人が入り込んでいるのは、看過できませんね」
「ええ、お父様のお耳に入れておきましょう。それに、伯爵が堂々とあなたたちに絵画を自慢されたのであれば、彼も被害者です。対応が必要でしょう」
夫人は侍女を呼びつけ、小声で指示を出した。
ミラジェーンはエリオットにエスコートについてどのように指摘すべきか思い悩みながら立ち上がった。
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