死の縁を 避けて選びし 別の恋 宮の道へと 花は咲きゆく
朝の光が、白砂の庭に柔らかく降り注いでいた
右大臣家の別邸――
宮中にほど近く、格式を備えながらも、どこか静謐で、風が通るたびに木々がさざめく、美しい邸
私は暁に案内されながら敷居をまたいだ
「ここは…」
驚き、戸惑いながら思わず漏れた声
暁は少し照れたように微笑む
「夕顔のために整えた邸だ
右大臣家の名で正式に用意した」
庭を見渡す
池には蓮が咲き、風が吹くたびに水面がきらりと揺れる
「こんな…綺麗な場所を、私に…」
暁は頷いた
「君が安心して暮らせる場所が必要だ
夕顔が、俺の傍にいると決めてくれたなら…俺も、夕顔の居場所を整えたい
俺は政務があるから、夜に通うことが多くなるけど…必要な時はいつでも呼んでくれ」
胸に、あの夜の抱擁の温もりがふっと蘇る
『…ずっと、こうしたかった』
『離さないよ…
離さない、夕顔…』
『愛してる…』
『好きだ、夕顔…』
『私も暁が好き…』
『愛してます…』
あの夜、二人の間に流れた静かな熱と、言葉にならない想い
それが今、こうして、形になって目の前にある
そっと暁の方へ向き直った
「ありがとう、暁」
夏の光が二人を照らし、庭の夕顔が白く揺れた
まだ新しい木の香りが残る廊下を歩くたび
この家が“私の家”であり、そして“暁と私の家”なのだと、胸の奥がじんと温かくなる
五条の家とは違う
けれど、香を焚く部屋には、あの家で使っていた香炉や几帳がそっと置かれている
夕暮れがゆっくりと落ちていく頃
その部屋で、縁側に座り、私は香炉にそっと火を入れた
沈香の深い香りがふわりと立ち上り、やがて、淡い煙が立ちのぼった
白く、細く、空へ向かってまっすぐに
白檀の柔らかさが部屋に満ちていく
新しい家の空気に、私の香りがゆっくりと染み込んでいくようだった
その香りは、五条の家で焚いたものとも、宮廷で焚いたものとも違うけど…
「いい香りですね、夕顔様」
右近が微笑みながら言った
私も微笑む
「この邸に、馴染む香りを調合してみたの」
右近は嬉しそうに頷く
「夕顔様らしい香りです
優しくて、でも芯があって…」
私は小さく頷いた
ここは、私の家
そして、暁と共に生きる家
香の煙がゆらりと揺れ、天井へと昇っていく
その時、廊下の向こうから足音がした
静かで、迷いのない、私が何度も聞いてきた足音
右近がそっと襖を開けると、夕暮れの光を背に、暁が立っていた
「夕顔」
私は立ち上がり、自然と微笑んでいた
「お帰り、暁」
暁は部屋に入り、香の漂う空気をゆっくりと吸い込んだ
「…いい香りだ
落ち着く」
「よかった」
暁は私のそばに歩み寄り、そっと隣に座った
香炉の煙が私達の間をゆらりと通り抜け、淡い光の中で揺れた
暁の肩が、ほんの少しだけ私の肩に触れる
その温かさが、胸の奥に静かに広がっていく
「夕顔
これからも…共に」
「うん
ずっと…共に」
そのまま動かず、ただ静かに、温かく
お互いの影が寄り添う
私はそっと目を閉じた
私は原典の夕顔ではない
夏に散るだけの儚い花でもない
暁と共に歩む、この宮廷で…
香の煙が、未来を照らすように揺れた
死の縁を避け、選んだ恋と共に歩む道は、静かに宮へと続いていく




