第十三節.前半──《 餓鬼 》
禁書に触れて、天使の記憶が頭に流れ込んだ。
天使の記憶。そんなものは明日の私が調べるだろうから、今はなんだっていい。
オルン君が大昔の祓い方を持ち出してきた。だから、私達はソレを悪魔だと仮定して追い払うのだと思っておこう。
「──」
百数十年前に発掘されて、いわく付きと印を押された古書が入った箱の上。
古紙に記された聖文を、レイジィは黙ったまま紙に書き写している。
そのペンの刻み音と、時折混じる靴の擦れる音が、遺跡の壁に当たって返ってくる。
そんな空間に、オルン君とミェルさん。それから私が、静かに沈んでいた。
不意に喉が鳴る。それを紛らわせたくて、私は咄嗟に口を開いた。
「あの、その聖文って、なんて書いてあるんですか?」
それまで殆ど固まったようだったオルン君が私を見た。
「ごめんね神童さん。解読資料は……持ってこれてないんだ」
「あ、ぁ、はい、ごめんなさい」
察しましょう。彼はそれだけ急いでたんだ。
そうだよ。必死になって掴んだ藁に説明書なんか付いているものか。なにを訊いているんだ。
私は目のやり場に困りながら、すごすごとミェルさんの後ろに戻る。
すると、
「──『その時、オマエは天の使いとなる」
ミェルさんが、ポツリと呟いた。
「え……?」
「多分だけど、ウチ読めると思う。それ、故郷の子守唄と字面が似てるんだよね」
その私への囁きは、オルン君にも届いたようで。
「古い魔法使いが伝えてるっていう、アレか?」
「おや、坊ちゃんもご存じか」
「歌詞寄りでいいなら、全文読み上げるけど?」って。
彼女の視線を貰った私は馬鹿みたいに、「聞きたいです!」と答えていた。
「いいよ。じゃあ……コホン」
ミェルさんが背筋を伸ばす。
そして、聖文を見つめて──唄ってくれた。
──
見えるモノが世の全てだと、誰が決めた。
我らの営みを孤独を紡ぐことだと、誰が決めた。
嘆かなくていい。
求める必要もない。
ただ語り継げ。
見ている者がいると。
施しを与える者がいると。
やがて、来るべき時に見えよう。
魔法が消えていようと、栄えていようと、
その時オマエは、天の使いとなる。
──
「……昔、婆様に聞かされた唄だな」
「そ? ウチもお義母さまが何度も唄うから、完全に憶えちゃったわけさ」
わざとらしくお辞儀をしてみせたミェルさんは、チラッと私を見る。
それが、「あなたも聞いたことくらいはないかな?」って窺われた気がして、咄嗟に首を振った。ふと見たレイジィもそう。
「俺とリノンが育った郊外では、特に伝わってなかったと思う」
続けてあの子は、魔法を捨てて技術開拓に勤しんだ地方都市なんて、そんなもんだよと言い加えた。
そうだね。
人伝てからも、都市回線からも得られたことのない唄だもの。思えば、アルヴィオスに来てから初めて知った魔法のことを含めれば、私の故郷は相当に、魔法使いに息がしづらい場所だったんだなと気付かされる。
そうなると、次に私が思うのは勿論──「ああ、早く帰って本を漁りたいな」。
気泡が弾けるようなこの想いに、私は今は眠っててと伝えるように目を伏せた。
「オルン、書けた」
そうするのも束の間。
ペンを置いたレイジィがオルン君を向く。
「……どう、だった? 魔力が落ちた的な感じは……?」
「さあ、ね。あったような、なかったような」
そんな曖昧に落とし込んだような当人の感想に、古代の魔力落としなんていう方法を持ち掛けたお坊ちゃん様は、分かりやすく肩を落とした。
けれど、オルン君はレイジィが書き記した聖文の写しを手に取り、いつもの調子をひり出したように言う。
「なら仕方ないね。一応、これは古書に纏めとこうか」
たとえ科学的な根拠が見つからなくても、習わしには従った方が無難だろうと、オルン君が手をかける箱。
未だに私以外の誰も口にしない、そこから漏れ出す赤い霧のこと。
私が静かに、こくりと生唾を飲みこむ中、箱の蓋が外される。
色濃い赤は、人の手を見えなくさせるほどになった。
これはなに。本当に、なに。
だからと言って、独りで騒ぎ立てられるほどの勇気もないし、場を乱したくもない。
意味あり気にこぼすため息もか細くて、誰も気にしてくれなかった。
そうして、
オルン君は、取り出した朽ちかけの古書を開き、
レイジィが聖文を写した紙を差し込んで、
パタンと── 閉じた。
「……え?」
その音。
本の音が響いた時だ。
周りの景色が、なんの兆しもなく変わった。
「あれ? ……遺跡……は?」
私達がいたのは白亜の遺跡。
人の気配もなく、乾いた空気が満ち、小さな瓦礫が散乱していた場所のはずだった。
でも、
今、私が目にしているのは、どこも崩れてなんかいない建物。
温かみのある光に照らされた街並み。それも、古い歴史書にあるような、無数の彫刻石で築かれた世界が広がっていた……!
「ミェルさん……」
「うん。離れないでね、リノンさん」
彼女も見えてる。
立ち上がり、ゆっくりと周囲を見渡して。
そして、それはオルン君もだ。古書を持ったまま、見開いた目を泳がせながら、言葉を詰まらせていた。
「ねえ、これ仕様じゃないよね……?」
「……まぁ、ここの施設にグラフィックエラーを起こすものはないと、記憶してるから」
ミェルさんに聞かれ、声を宙に浮かせるように応えるオルン君。
彼は言いながら、手元の古書に目を落とす。
原因はコレか。そう言いたげな表情で。
「恐らくは──」
私達が、緩やかに理解の坂を登ろうとしていた時、一人冷静な声色で、レイジィが言う。
「古代魔法王国『 ギン 』。その街並みが見えてるんだろ?」
やっと、みんなも。
その呟きに、オルン君もミェルさんも、私も小さく驚いた。
レイジィは立ち上がる所作の中に、「俺は、最初からこの場所が、そういう風に見えていた」との言葉を混ぜる。
「最初からって……」
レイジィの眠たそうな目に滲む微笑。
気付かなかっただろとでも言いたそうな顔。
それはまるで弟があざけてるみたいで、私の「どういうこと?」なんて疑問も、適当にあしらわれそうだった。
けど、一言だけ投げられる。
「──夢だよ。リノン」
「……ぁ」
パパが魔法は夢だと言う姿が、レイジィと重なる。不思議な説得力。そのせいだろうか。
この子の言葉には私だけじゃなくて、オルン君もミェルさんも、みんな喚かずに飲み込んでしまっていた。
「……カト家の坊ちゃん。責任の所在は?」
「古書を持ってきた奴が悪いって言いたいならそう言えよ」
「本人に言わせるのが心地良いんじゃん」
二人の口は相変わらず。
それでも、夢だとするこの光景に好奇心が湧いたのか、都会に出てきた私みたいに周りを見渡していた。
「──魔法王国ね。絵本に出てくるような、ファンタジーだぜ! って、感じかと思ってたのに」
通りを覗くミェルさんの言う通り。
街並みにはかすかな暖かみは感じられるけど、……どこか怖い。殺伐としているわけではないのに、何故か怒られているような、息苦しさがある。
「……」
オルン君を見れば、さっきの話が湧いてくる。
魔法使いを幽閉して、殺していた国。
そう思って見ると、どうだ。
綿の羽で飛ぶ種子が。
清潔そうな衣服を着て、道端で談笑する人が。
誇らしげに栄華を見せつけてくるような街並みが。
人の営みも、植物の呼吸も、陽の光も……。
全てが、ここは一秒でも居たくない場所に映ってしまって……!
「ねぇ、あれ囚人だと思う?」
「え」
ミェルさんが遠慮がちに指を差した方向。
広い通りの真ん中に、人の列がある。
厳格そうな衣服を着た男の人に連れられて歩くその人達の両手には──枷。
皆、黒い布で目も耳も覆われ、辿々しく足を進めていた。
囚人。
そうなんだろうか。見る限り、華奢な体つきの人が多い。悪いことをして捕まった人達なのなら、いっそ山賊みたいな身なりをしてくれた方がわかりやすいのだけど。
すると、横でそれを見ていたオルン君が、この違和感に答えるように言う。
「魔法使いだ──とか?」
その言葉に、私もミェルさんも氷を割ったような息の飲み方をした。
(じゃあ、あれは魔法使いの迫害……?)
待って私。
迫害じゃなくて、浄化……洗礼と言った方がしっくりくる。
見れば、彼らを見た街人は一様に口を手で隠したり、憐れむように目を逸らしたりしていて──、
忌み嫌われていた?
そうかな。そんな雰囲気には見えない。私の目に映る彼らの姿は、むしろ──。
「……あの人達が、これから閉じ込められるんですよね」
「かもね。そして、子守唄みたいな文章を死ぬまで書かされると」
ミェルさんが街人と同じように目を逸らした。
彼らを憐れむと言うよりは、きっと、私がさっきチリっと胸を焦がした気持ちと近い。
その思いを言葉にしてくれたのは、レイジィだった。
「──あの人達は、なにも悪くない」
「……レイジィ君。それ、見ないフリをしてる人達の中にも、言いたい人はいたんじゃないかな」
「でも言えない。そういう空気にしたのは、恐らく王国側だろ」
魔法とかいう悪魔の所業に畏れを抱いていた人々の為の、クセの強いパフォーマンスだって。レイジィは私の隣にあった柱にもたれ掛かり、人の列に感情の欠片も感じられない視線を向けた。
だけど、少し──。
「レイジィ、暑い?」
首筋に汗が伝っていた。
「……ちょっとだけな。それより、俺よりも暑そうな人がいるの気付いたか?」
「え?」
スッと、レイジィが人の列に指を差す。
それに私達が目を向ける。
……最後尾の人。
目も耳も黒い布で覆われているのは同じ。
けれど、その人が歩くたび、足下には白くて小さな火が起っていた。
(白い……火……)
純粋な殺意。
シィナさんが、そう言っていた火。
なら、あの人も今、そんな想いを何かに対して抱いているってことで──。
微かに感じたレイジィが私に向けた視線。一瞬、私はそれを拾おうとした。けど、それよりも早く、オルン君が『異様』を伝えてきた。
「アイツ、こっち見て……なんか喋ってないか?」




