愛してる
長いお辞儀の後,奈加子は俺への説明を再開した。
「Aという前提条件の下で,Bという現象が起きるかどうかを確かめるのが実験だよね。今回の実験で,Aに当たるのが,『仁君が人を殺してもバレない』という前提条件。まずは,これを作らなければならなかった」
奈加子の説明は淡々と続く。
「そのためにまず必要だったのが,いわゆる『クローズドサークル』という舞台設定。警察を含めた外部の者と連絡が取れないという状況設定よ。そのために,私はアイジャンガリ島という無人島を結婚式の場所に選んだ」
無人島での挙式を強く望んだのは奈加子だった。
当時,女性の憧れの大きさは理解できない,と俺は呆れていたのだが,まさかその裏に思惑があったとは思いもしなかった。
「そして,酒井さんに一芝居を打ってもらって,ロッカーに入れていた携帯電話が盗まれた,ということにした。実際は,私の携帯電話も仁君の携帯電話も,私のカバンの中に入れておいたんだけど」
今奈加子の手に携帯電話が握られていることからしても,ロッカー窃盗が虚構だったことは明白である。
「さらに,『仁君が人を殺してもバレない』という前提条件のために必要だったのは,仁君が人を殺したとしても,それが仁君のせいではなく,別の誰かのせいにされる,という状況。このために3つの工夫をした」
奈加子が人差し指を立てる。
「はじめに,1つ目の工夫。それは,先立つ2件の『殺人事件』が,ともに仁君にアリバイのある状況で起きること。マリアンヌさんの『殺人事件』が起きたとき,仁君は教会のホールにいて,無人島にいる全員に目撃されていた。ホプキンさんの『殺人事件』が起きたときも,仁君は男性キャスト控え室にいて,これまた無人島にいる全員に目撃されていた。第1,第2の事件でアリバイがある以上,仁君が第3の事件を起こしたとしても,仁君が疑われる可能性は低い」
さらに奈加子は中指も立てる。
「次に,2つ目の工夫。それは,2件の『殺人事件』での具体的な犯人像の提示。2件の『殺人事件』,特にホプキンさんの『殺人事件』は,この無人島にいる全員にアリバイが成立する状況で起きている。そのため,犯人は,予め無人島に潜んでいる第三者しか考えられない。さらに,その第三者は,紙片の文章からして,来栖房子の娘としか考えられない。そこで,私は,仁君に対して,実在しない姉の存在をでっちあげたの」
「…伽倻子は存在しない,ということなのか?」
「うん。仁君も以前からご承知の通り,私は一人っ子だよ。実は,伽倻子の存在をでっちあげたのには別の目的もあったわけだけど,それは後で説明するね。とにかく,仁君が犯行をなすりつけることの可能な第三者として,来栖伽倻子という明確な犯人像を作り上げた。しかも,伽倻子は私の姉で,ママの自殺に疑問を抱き,その周辺者である私や仁君を疑っている,という設定だから,伽倻子が,『パパの愛人の子』である酒井さんを殺害しても何ら不思議ではない。仁君が酒井さんを『殺し』ても,伽倻子に罪をなすりつけることができるわけだ」
「…ちなみに,奈加子のママの自殺は単なる自殺なのか…?」
「私の知る限りではね」
奈加子はさらに薬指を付け足す。
「最後に,3つ目の工夫。それは,2件の『殺人事件』の凶器をギイヌクサにしたこと。酒井さんがピンピンしていることから気付いているとは思うけど,ギイヌクサには,棘はあるものの毒はない」
俺は震える唇を何とか動かして言葉にする。
「…ギイヌクサが猛毒ではないとしたら,マリアンヌの腕やホプキンのお腹はどうなってたんだ? かなり赤く変色してたよな?」
「特殊メイクデス。コノ島ニ来ル前カラメイクヲシテイマシタ。ソシテ,死体トシテ発見サレル時ニ,腕捲リヲシテ,メイクガ見エルヨウニシタンデス」
そう答えたのはマリアンヌだった。
それぞれの衣服を捲り,マリアンヌは腕を,ホプキンはお腹を俺に向けて見せた。そこにはまだ特殊メイクの跡が残っている。
「マリアンヌさん,ホプキンさんには,死体役を演じてもらいました。マリアンヌさんには『死亡後』に長い間物置で待機してもらい,ご迷惑をお掛けしました」
マリアンヌが「イエイエ。大シタコトアリマセン」と恐縮する。
「ホプキンさんには,ものすごい機転を利かせていただきました。裏庭で一人になるために男性キャスト控え室を怒って飛び出すシーンは,台本にはなかったのですが,リアリティーがあってお見事でした」
「元々,タバコヲ吸ウトイウ口実デ外ニ出ル予定ダッタンデスガ,藪坂サンガテレーゼニ突っカカッテ行ッタノデ,チャンスダト思イマシタ」
ホプキンが誇らしげに胸を張る。
奈加子が2人に対して改めて深いお辞儀をする。
「仁君,アイジャンガリ島に自生する植物であるギイヌクサが猛毒であるとでっち上げ,それを『殺人事件』の凶器をしたことには3つの意味があるんだよ。1つ目は,2件の『殺人事件』を特殊な手口にすること。手口の特殊性ゆえ,ギイヌクサを使って第3の事件を起こせば,それも第1,第2の事件と同一犯によるものと見せかけられる。2つ目は,模倣しやすい手段とすること。ギイヌクサはこの島中に生えているから簡単に採取ができるし,触れさせるだけでお気軽に人を殺せるという設定でもある。仁君が手段を真似ようと思えば簡単に真似ることができる。3つ目は,酒井さんが仁君に『殺さ』れても死なないため。仁君が包丁で酒井さんを刺しちゃったら取り返しがつかないからね」
奈加子が酒井の方を振り向く。
「酒井さん,ごめんなさい。毒はないとはいえ,首に棘が刺さって痛かったですよね…?」
たしかに俺がギイヌクサを押し当てた酒井の首筋は,今になって赤く腫れている。
「少し痛かったですけど,平気です。血も出ませんでしたし」
酒井が気丈に笑顔を見せる。
「仁君,話を戻すね。私は,『クローズドサークル』と『仁君が罪を伽倻子に押し付けることができる状況』を作ることによって,A,つまり,『仁君が人を殺してもバレない』という実験のための前提条件を作った。これによってようやく実験ができるようになったの。B,つまり,仁君が,『私の『異母姉妹』と名乗る女性を殺すかどうか』という実験が」
奈加子が再び酒井の方を向く。
「酒井さんには感謝してもし尽くせないほどのご尽力をいただきました。私の異母姉妹というもっとも重要な役どころを演じてもらったのですから」
相変わらず笑顔が顔に貼り付いたままの酒井に対して,奈加子が今までで一番深いお辞儀をする。
「奈加子,どうして異母姉妹を演じさせたんだ? 俺にはよく意味が分からないが…」
「仁君,意外と往生際が悪いんだね。もうトボけても無駄なのに」
「…いや,別にトボけてる訳じゃ…」
「嘘つき」
奈加子が俺を睨む。
「私は決して仁君に釣り合う女じゃない。器量も良くないし,顔だって別に可愛くない」
奈加子の目は大きく,クリクリとしている。
しかし,鼻から下はお世辞にも整っているとはいえない。頭が上方を向いた低い鼻も,口角が下がった分厚い唇も,異性を魅了するものではない。奈加子は,俺が今まで付き合ってきた女性の中でも,もっともルックスで劣っていると思う。
「しかも,私は仁君よりも5つも年上で,もう33歳。対照的に,仁君はカッコイイから,私なんかを選ばなくたって,私よりも若くて可愛い女の子から引く手数多なはず。それでも仁君が私を選んだことには,何か裏があるはず,と私は最初から疑ってた。私のお父さんの財産が目当てなんじゃないか,って」
「…そんなわけないだろ」
「仁君はこの期に及んでもまだ否定するんだね。だからこそ,私には実験が必要だった。私と2分の1同士の相続分を分け合う,私の異母姉妹を登場させることによって」
「…どういう意味だ?」
「仁君もご存知の通り,私のパパは起業家で大金持ち。だけども,会社の経営の方は最近は安定していない。社内では早く事業を畳むべきだという意見もある」
会社の経営が傾き出したのは,房子が自殺し,陸夫が脳梗塞で倒れてからである。
元々社長である陸夫のカリスマ性によって保っていたような会社だ。その陸夫が不徳によって妻を自殺に追い込み,さらに自身も植物人間状態となってしまったということで,今まで築いてきた会社の信頼は一気に吹っ飛んだのである。
「この状況の中,仁君のような賢い人だったら,会社の経営権ではなく,パパ個人の預金や株式,不動産に目を付けるに違いないの」
陸夫個人の資産額を明確に認識しているわけではない。しかし,云百億という位になることは間違いないはずである。
「仁君がパパの資産を我が物とするためには,私の夫となり,私が相続したパパの財産を実質的に支配するしかない。私は,しっかりしてないし,資産運用のノウハウもないから,相続した財産はまるごと仁君に任せるだろうからね」
「…まさか,そのために俺が奈加子と結婚しようとしているとでも言うのか?」
「ええ,そうよ。それまで単なる顔見知りだった仁君が私にアプローチをかけてきたのは,去年。つまり,ママが自殺し,パパの相続人が私だけになり,なおかつパパも病気で倒れて,パパの死期が一気に近付いたタイミングよ」
「そんなの偶然だ。その時期,たまたま俺は奈加子に惹かれたんだ」
奈加子は俺の言葉に向き合うことも,俺に目を合わせることもしなかった。
「だから,私には仁君が遺産目当てなんじゃないか,ってずっと思ってた。トントン拍子で結婚まで話が進んだときには,なおさらその疑念が強まった。そこで,実験によって白黒付けようとしたの。まずは,ちょっとした探りを入れてみた」
「ちょっとした探り?」
「ええ。探りとして,私は,姉として伽倻子の存在を示唆した。私に姉がいたとしたら,当然,私と同じ相続分を持っている。突然の姉の登場によって,私がもらえる遺産が半分になると知ったときの仁君の反応を見たかったの。結果は,私の思った通りのものだった。私に姉がいると聞いた途端,仁君は焦り出した」
「待ってくれ! 婚約者に突然姉妹がいることを聞かされたら焦るのは当然だろ!?」
「仁君は,姉が失踪によって法律上死亡していることを確認し,ようやくホッとした顔をした」
「…そんなの,気のせいだよ」
「どうかしらね」
頬を膨らませた後,奈加子は続ける。
「それはあくまでもちょっとした探りであって,本番の実験はもっと確実に仁君の気持ちを確かめられるものだった。酒井さんに,私の異母姉妹である旨を告白させたの。異母姉妹の相続分も,私と同じ2分の1。酒井さんの告白によって,仁君は再び遺産が2分の1となることを知らされた」
最近の最高裁判例によって,異母姉妹,つまり非嫡出子の相続分は,嫡出子である奈加子と同じものに変更されていた。
「しかも,失踪した伽倻子と違い,酒井さんは今,仁君の目の前で生きている。仁君が奪われた私の相続分を取り戻すためには,酒井さんにいなくなってもらうしかなかった。ここで,Aの前提条件が生きてくるの。仮に仁君が遺産目当てならば,仁君は犯行がバレない今のうちに酒井さんを殺す。そうでなく,仮に仁君が愛ゆえに私との結婚を望んでいるとするならば,いくら犯行がバレないとはいえ,何の恨みもない酒井さんを殺そうと思うはずがない」
静かな部屋の中で,奈加子のため息が水を打った。
「結果は残念ながら前者だった。仁君は,犯行がバレない今が好機だと考え,酒井さんを『殺し』た。仁君の行動によって,私は,仁君が遺産目当てで私と結婚したがってたということを確認した。ゆえにこの時点で結婚式は不成立。結婚は白紙よ」
-なんてことだ。
俺はまんまと奈加子が掘った落とし穴に嵌ってしまったというわけか。
「殺人」というあまりにも明確な行動に表れてしまった俺の本心を誤魔化すことはできないだろう。
しかし,俺はどうしても認めることができなかった。
「奈加子,誤解だ! 俺を信じてくれ!」
「何を今更? 何が誤解だっていうの?」
「誤解なんだ! 何かの間違いなんだ」
俺は奈加子の足元で土下座をした。
「奈加子,この通りだ! これから奈加子の何でも思い通りにするから!」
「へえ,あんた,まるで金の亡者なのね」
「違う! 奈加子,信じてくれ! 俺は奈加子のことを愛してるんだ!」
「遺産目当てで酒井さんを『殺し』たのに?」
「それでも奈加子を愛してるんだ!」
奈加子が裸足で俺の顔面を蹴飛ばす。
鼻血がツーっと垂れるのを感じながら,俺はさらに額を地面に付ける。
「…奈加子,愛してる」
「あんたの『愛してる』なんて,久々に聞いたわ」
「それは,奈加子の方から『愛してる』って言わなかったから…」
先ほどよりも大きな衝撃が俺の顔面を襲う。
半分くらいしか開かなくなった目に映ったのは,無人島に来て初めて見る,奈加子の,演技ではない涙だった。
「あんたなんて大っ嫌い!!!!!」
(了)
明けましておめでとうございます。菱川あいずです。
この度は本作「それでも君を愛してる」をお読みくださりありがとうございました。
短編にするには仕掛けが大き過ぎたり,そもそも現在の菱川のキャパを超えたストーリーだったりしたため,本作は菱川の満足のいくような出来とはなっていません。
ただ,ここで反省点をつらつらと述べても仕方がないため,本作を書こうと思ったきっかけだけ述べさせてもらいます。
本作の最初の着想は,去年,生まれて初めて参加した友人の結婚式のことでした。
「殺人遺伝子」の後書きでも書きましたが,菱川は,以前,子供を産んだ友人に「出産おめでとう」とLINEしたところ,「へえ,あんたにも人間の心があったんだ」と返信が来たこともある人間です。友人の結婚式など祝えるはずがないと思っていたため,結婚式の招待はなるべく受けないようにしていました。
しかし,去年招待してくれた友人とは,なかなか濃密な付き合いもあったため,結婚式の参加を強行しました。
その友人の結婚式を心から祝えたかどうかさておき,その結婚式でのあるシーンが菱川の気に留まりました。
神父の「永遠の愛を誓いますか?」です。
そうです。例のあのシーンです。
あんな薄っぺらいシーンってありますか!!??(問題発言)
それを機に,「永遠の愛を誓いますか?」と尋ねる以外の方法で,永遠の愛を確かめる方法はないのか,と菱川は頭を悩ませるようになりました。そこで生み出されたのが本作ということです。
本作がバッドエンドとなってしまったのは,おそらく菱川が人間の心を持っていないからだと思います。
人でなしの作者ですが,本格ミステリーを書くことを目標に,今年は鍛錬の年としたいと考えております。本作はそのための試作品のようなものと捉えていただければと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。