第九話 一日前(1)――輝燐ちゃん奮闘記
――というワケで。
その翌日から調査を始めようと思い立ったのだけれども、間が悪くその日は土曜日。調べるったって周囲への聞き込みくらいしか方法が浮かばないボクは、もちろん学園生の家を一件一件訪ねて回るなんて真似も出来ず、心が削られるダメージに耐えながら例のSNSを見て回るくらいしか手が無いのだった。
とりあえず昨日の資料でハンドルネームは分かってるので発言を追いかけていく。うわぁ、出るわ出るわクソ汚い言葉の数々。
けど自分がやったって仄めかすような発言は無し、か。常識的に考えればそりゃそうなんだけど、少しは期待してたりはした。ほら、こういう所に書き込みする奴らって、ただの迷惑行為を英雄的活動だと勘違いしてる節って無い?
その証拠にほら、コイツも昨日の手紙の犯人を褒め称えるような事書いてるし。……つまりハズレ? いや、自画自賛とか、ステマとかそういう可能性もある、んじゃないかなあ……。
……当てになんないかなぁ、ボクの勘。
結局一時間もしないうちに終わってしまった。ターゲット変えるのも一つの手かなあ、今度は逆にそれっぽい発言してるヤツのIDを資料の中から探すとか。……あんましやりたくないなあ、ぶっちゃけ顔見知りに当たるのが怖い。今さら何言ってんだと言われそうだが、知り合いの裏の顔を知ってしまうかもしれないと考えると相当覚悟がいるぞ、これ。それによく考えてみれば、そんな明らかに怪しいヤツがいればキョウ会長がそう言ってるか。うん、サイトで調べる事自体無意味に思えてきたぞう。
でっかい溜め息が思わず出たところで、新たなスレッドが立っている事に気付いた。
「……え」
目から脳に飛び込んできたそのタイトルに速攻リンクをポチッと押す。すると現れたのは。
こおりちゃんと優姫先輩のツーショット写真。
……そりゃ、確かに、デートとかそれっぽいこと言ってたけれども……! てかだからどうだってボクには関係ないハナシのハズなんだけども……!
うー、あー、と頭を抱えて悶絶する。その後の夕飯時なんて顔を合わせづらい事この上ないったらありゃしなかった。そんな雰囲気当然向こうは気付いてなかったけどな。
日曜日。駅前で啓吾に会って来た。
伊緒とは時間の都合が合わなかった。どうもこの二人をセットにしてしまうけど、休みの日くらいバラバラに行動してるのがそりゃ当たり前だよね。彼氏いるらしいし、未だに信じらんないけど。
とにかく、この二人の方がボクより格段に顔が広い。こおりちゃんに対する学園の状態だってそもそも二人から聞いたくらいだし。
だから、こおりちゃんを嫌いな人たちがどういう風に口にしてるのか、知っているだろうと思った訳だ。SNS? ダメダメ、あれこおりちゃんをディスることばかりに特化してて、とにかく相手を下げるっていう目的のための、ある意味で事務的な事しか喋ってないんだから。
そっちはそっちで本音には違いないんだろうけどさ、表向きどう言ってるのかってボク聞いたことないんだよね。――いや、あるか。だから、なのかもしれないと思いつつ――まあ要するに生の感情が乗った声が知りたいと思った訳よ。
「んなハナシわざわざ聞きたがるやなんて、苦労人っちゅうかなんちゅうか……」
例の犯人捜しをしていることを知らない啓吾からしてみれば当然の呆れたような口振りから始まった話によると、どうにもこおりちゃんのやる事為す事端から否定して批判してるらしい。これだけ聞くとぶっちゃけSNSと大差ないけど、やっぱりただの文だと伝わらないものが会話だと伝わって来ていた。
誰も彼もがビビって、そして意地を張ってなかった、という。
一度始めたことだから、後には引けないから、そんな意地が原動力じゃない、自分の正しさを疑っていないという事。皆一様にこおりちゃんを恐れているからそれが理由とも採れるけど、今度はその恐怖がどこから来てるのか。四強ってだけじゃ納得いかないレベルらしいよね。……キョウ会長の言葉を思い出す。刷り込み。いやまさか。
「それよりや、こんなつまらん事より、もっとオモロイコト知らへん? ん?」
そして、話題の中心がこおりちゃんとあっちゃ、話がデートの事に飛んでいくのは初めから時間の問題だったんだろう。「のうのう、なーんか本人たちから聞いてたりせえへんの~、ん~?」とか聞いてくる啓吾が実にウザくて、軽~く鼻先ぶん殴るのも、啓吾の金で飲み食いするのも当然の事だったと思うよ。
「ナンデ!? ワイが奢ってもらうハズだったやん!」
当然の事だった。うん、間違いないなんてない。
啓吾の財布が適度に寒くなったところで解散して、特に他の用もないし帰ってみれば、マンションの玄関先からちょうどこおりちゃんが出てくるのが見えたではありませんか。
電柱の陰に隠れる。……いやいや、何やってんだボク、意味分かんないぞ……なんだろ、あの段ボール箱。誰のとこに持ってくのか。
……馬っ鹿じゃないの、と自嘲して、出ていこうとして、
――思い止まったのは、ボクと同じように隠れてこおりちゃんを見てる奴を見つけたから。
そいつはまさか? それともやはり? 例のあいつで――
「――!?」
ボクと目が合った途端、マンションと反対方向に走り去った。まるで逃げ出すかのような勢いで。ボクは――今思えば何故だろう、こおりちゃんを追いかけた。
こおりちゃんに気付かれぬよう尾行して、辿り着いた先はくたびれた教会。多分、心の家だよね? ……なんか心持ち気が抜けた。そこでようやく自分の行動を省みて、何やってんだと苦笑い。
――それから約三十分、こおりちゃんが出てくるまでずっと教会の近くに張り付いていた。
……わかってる。言われなくてもわかってる、だがあえて言おう。何やってんだボク。
頭を抱えていると、扉が開くのが見えた。誰か出てくるようだ。今度こそ踵を返して、
「――ストーカーは犯罪」
――はんびゃあああ! と悲鳴が口から外に漏れなかったのは奇跡に近い。心臓が、心臓がッ!
慌てて振り向く。
「鳳さん!?」
「はろはろ~」
字面は陽気だけどまったく抑揚のない声で軽く手をふりふりする鳳さんがすぐ後ろに迫っていた。ぴっと指を指される。
「ストーカーは、犯罪」
「冤罪だよっ!」
大事なことだとでもいうのか、もう一度言った鳳さんに今度こそ否定する。
「え、え、なに、気付いてたの!?」
まだ混乱したままの頭で反射的に疑問を口にする。鳳さんが教会に入っていくのは見ていたけど、その時にはもうこっちに気付いてたんだろうか。
「ううん、(『異質性』を使った周防が何かに気付いたのに気付いたのは)心」
は、はあ? 中にいるんだよね? 監視カメラでもついてんの?
「見つけてくれたのは、この子」
真上を指さす。つられて見上げれば、ふよふよと浮く毛玉生物が下りてきた。鳳さんの腕の中に納まる。
「ミスティ……」
ぽかんと呆気に取られた。それでようやく混乱が収まって、けどだからこそ、
「え、ええっと、」
どうすればいいのか、何を言えばいいのか分からず、あたふたと無意味に手を動かすだけ。そもそも、鳳さんは何故接触してきたのか。と、両肩に手が載せられた。彼女の顔が間近に迫る。
「心は美人。それはわかる」
「は?」
「でもストーカーはダメ、絶対」
この時、こおりちゃんの、ではなく、心のストーカーと疑われたとは気づく由もなかった。
「いや、だから……」
ともかくもう一度否定しようとしたけど、その前にくるりとあっさりこちらに背を向けてしまった、用事はこれだけ、とばかりに。
何だったんだ、と首を傾げると同時に安堵して、しかし「忘れてた」と歩を止めてこう言った。
「心から伝言。「切った啖呵を飲み込むなんて無様過ぎる真似するんじゃないわよ」だって」
――後ろからガツンとやられた。せめて当人の口からなら気構えも出来ていただろうに、計算通りか、クソ。
そして月曜日。あの『最凶』が支配する場で、ちゃんとあいつの姿を見つけていた。呑まれっぱなしだったワケじゃないんだぞ。
けれど放課後。状況が大きく動いていた事を知らされる。
犯人が見つかったそうだ。
……ええぇ…………。
A day ago
これが今現在、ボクが食堂で突っ伏してる理由である。
「見当違いの上、徒労に終わってもーた、と」
愚痴を聞き終わった啓吾がボクのここ三日間を綺麗に纏めてくれた。咥えたストローをズズズと吸い上げるとパックジュースがべこりと凹んだ。事実をそのまま言っても傷つかないヤツなんてこおりちゃんくらいなんだぞー。
「ちゅうか良かったんか、んな事わいらに話してもうて」
「もう終わった事だしねー」
一応吹聴しないだろうくらいの信用はしてるし。
「んー……おおー……?」
なんか伊緒の首が左右に揺れまくってるんだけど……うん、気にしないどこう。
「まあ輝燐はん的には納得いかへんこともあるやろうけど、結果だけ見たらよかったやん。これでこの件は一通り片付きそうやろ?」
「まあねー……。まさかこっちも、なんてホント予想外なんだけどさ」
そう言ってピン、とテーブルの上のスマホを弾く。
こおりちゃんがその凶悪さ。あるいは冷徹さ、異常さ。そういうものを見せつけたあの一件。確かにあの直後、SNSは一時は大炎上した……のだけど、すぐ波が引くように静かになってしまった。というのも、これまで散々この場でこおりちゃんを貶していた連中が何一つ書き込みをしてこなかったからだ。
「こんだけ大事になったらヒートアップして騒ぎ立てるもんなんじゃないのこいつら?」
「ビビったんとちゃう? なんやこおりはん、ずいぶんヒドかったそうやないの」
「まあ、野次馬が静まり返っちゃうくらいには。うぅーん、でもオモテで煮え湯を飲まされたと思ったら尚更にウラで捗りそうなもんだけどなあ、陰口」
首を捻る。咥えたままのストローをふりふり、振り回された紙パックがテーブルにぶつかりぽっこんぽっこん間抜けな音を立てる。
「目が覚めただけと違う? ぶっちゃけこおりはん敵に回してもリスクばっかりでメリットないやん」
「メリットもクソも、初めから自己満足以外得られるものないじゃん」
周りのボクらが気を揉んでるだけで。
「せやから、その自己満足より恐怖の方がおおきなったんと違うん?」
「……まあ、あるかもね。そもそもいじめとして成立してないんだよね、元から」
腕力にせよ立場にせよ、何かしら相手より強いものがあるから出来るものでしょ、いじめって。よく「被害者がいじめと思えばそれはいじめ」っていうけど、この場合「加害者がいじめと思ってるだけ」だね。うっわ、自意識過剰もいいとこだよ。
「……ああ。もしかして、自分たちがこおりちゃんより強いって思いたかったのかもねぇ」
強いっていうか、上? そういうニュアンスで。
それでもまあ、昨日ので思い知ったんじゃない? 自分たちがやってることがチキンレースだったってことにさ。
「けど、まあ……どうでもいっか」
終わったことだし。止まっただけかもしれないけど。
何より、犯人は見つかったんだし。結局、なんの役にも立たないまま。
ぷう、と一息。紙パックがボコンと膨らむ。
「よし、わからん!」
わ、ビックリした。突然顔を上げ目をくわ、と見開き腕組みをして叫ぶ伊緒。どうやらさっきまでの怪しい挙動は何かを考え中って事だったらしい。と思ったらぐりんとこっちに顔が向いた。ギョッとして思わず身を引いたけど、そんなのこの子はお構いなしに踏み込んできた。
「なーなーキリン」
「お、おう」
「なにやってんだオマエ!」
…………はあ。
いや、まさか。ここまでの話、全く理解できてないとは思わなかった。そりゃあ、この子アホだなー、とか思うことがないワケじゃないけど、むしろよくあるけど、うん。
不思議と頭が悪い、と思ったことは一度もないんだよねえ。
だからこんな、頭が悪いタイプのボケは珍し
「こーりんとしゃべりたいならしゃべればいいじゃねーか! なにウダウダやってんだ!?」
い…………ッ!?