第四話 四日前(2)――ペナルティ!
いきなりだが、獅子堂のあの服。そう、ゴスロリだか甘ロリだかいうヤツだ。
はっきり言ってしまおう。まるで似合っていなかった。
俺があれこれ言うまでもなく分かるだろう? 獅子堂の威圧感タップリな強烈オーラとメルヘンチックなフリフリ衣装。マッチするワケがない。違和感出まくりだ。本当なら服のセンスがどうこう言われた時に言い返しても許されたくらいだ。
しかし俺はそれをしなかった。別に情けをかけたワケじゃない。どうでもよかったワケでもない。
似合うに違いないと、分かっていたからだ。
「あ、お帰りなさい」
そうこちらに笑いかけた獅子堂の立ち姿は、老若男女問わず万人の心を虜にする、まさしくアンティーク人形のように可愛らしいものだった。
わずか数分前にはただ奇抜な服装というだけで集めていた人の視線を、今はその可憐さで強制的に奪い取っているのだ。
……ただし、ちょうど目の前の今は、それだけが理由でもないんだが。
当然と言っちゃ当然、人の目を惹くものは良くないものだって惹きつける。具体的には軽いノリの男とか、ガラの悪い男とか。甘い蜜を求めてやって来る蜂の如く。
だが残念、その花動くんだわ。自衛能力ハンパないんだわ。
しかも、今は普段と違って手が早いときた。
ここまで言えば何が注目を集めてるかお分かりだろう。何、勿体ぶるな? ふむ、では答え合わせだ。
Answer:屍山血河が出来上がっていた。
……たった数分目を離しただけでこれか……。
「いきなりで悪いけどここ離れよう。さっきから何故だかやたら男が寄ってくる」
何故だか? 今何故だかって言ったかこいつ? 無自覚ですかそうですか救えねえ。
「……眼鏡掛ければ? 結構注目集めたし、ウチの学生いたかもよ?」
そう促せば素直に眼鏡を掛け直してくれた。もっともらしい理由で原因の排除に成功する。
……こうして、その瞬間を見ていればどうにか気付けることがある。
眼鏡を掛ける前と後で微妙に、だが確かに顔の輪郭が変わっている。
言わなければ、否、言っても分からない奴には分からないくらいのわずかな差。しかし黄金比を崩すだけの確かな差。
おそらく顔だけじゃないんだろう。骨格、筋肉の付き方、獅子堂優姫を形作るありとあらゆるものが微妙に崩れているはずだ。
同一人物でありながら別存在へと成り果てる再構成が、一動作のうちに完了していた。
「どうしたの?」
「いつ見ても見事な変貌ぶりだなあと」
多分なんだが、あの群衆の中に霧学の生徒がいたとしても獅子堂だって気付かなかっただろうよ。ああ、でもあの屍の山を見れば話は別か?
「自分だとどれだけ変わってるのか分からないのだけどね。――それで、このまま一緒してもいいのよね?」
「? いいも何も、まだお前の要件だって済んでないだろう。ここで解散する道理がどこにある?」
「……貴方がそれでいいなら、いい」
無駄に含みのある言い方をなさる。まあ、今の獅子堂なら変に言い募ってくることはないだろう。
そもそも、特に何かを言われるほどの事はないのだけど。
A few minutes ago
不確かな足取りで公衆便所に入り、洗面台の前で頭を水で冷やしながら思考する。
周防こおりは『人間』であり、故にその身にかかる一切は他人事に過ぎない――その理屈は成り立たない。『同類』だからこその理が証明してみせた。
だから周防こおりは他人ではない――その思考に至ろうとして、失敗した。まるでそうとは思えなかった。
そして混乱した。俺は獅子堂の語る理を認めた。なのに自分の認識を修正できなかったから。
普通はそれで当たり前なのかもしれない。けど俺はそうじゃない。そういう生き物じゃあない事は自分で分かっているんだ。
面を上げ、鏡の中の自分と目を合わせた。
自分の顔。だというのに、相も変わらず首を傾げたくなる。
自分の顔だと認識できない訳じゃない。ただ、何と言うべきか。まるで下手な人物画を見せられて、それが「お前の顔だ」と言われているような気分なのだ。
まるで他人のような顔。詰まる所そう思えてしまうのだ。
それを見て、数秒黙考する。不意にうん、と頷いた。
……特に不都合はないな、と。
疑問はあれど、即時どうこうといった問題は見受けられない。なら、今は別にいいだろう。
その結論に至ると同時に惑いは冗談のようにすうっと消え去った。
それが問題の先送りだと分かっていたとしても。そもそも解決しなきゃならない問題なのかもよく分からんし。
それよりは、今は友達とのデートの方が大事だろうと――
Return now
「水曜日だけど、覚えてる?」
「全校生徒が半日で帰宅する中、俺らだけ午後まで拘束されてた日の事だろ?」
「無駄に悪意の籠った言い方しないの」
びしっと額にチョップを喰らう。すみません。
まあ、別段大したことじゃない。年末の学校、そこで起きる毎年恒例の行事にちょっと関わっただけの事。
「で、推薦入試でなんかあった? だとしても俺らがどうこうするようなことじゃないと思うんだけど」
生徒会は受付とか準備とか、そういう雑務に駆り出されただけで、もちろん入試内容そのものにはノータッチだ。仮にそこでいざこざが起きていたとしても、解決するなり責任とるなりするのは教師、あるいは経営陣のやることだ。
「そうじゃなくて。あー……」
どこか言い辛そうにする獅子堂。しかし黙っていては話が進まないと思ったのだろう、重たそうに口を開いた。
「そのね。受験者名簿の中に……サフィエルの名前が」
「……マジですか」
いや、いやいや。落ち着いてよく考えよう。
別に、そうだ。サフィが霧学を受験するというのは何もおかしな話じゃない。私立の学園で県外から来た生徒もたくさんいる。獅子堂がいるというだけでサフィが出願する理由としては十二分だ。
そう、受験するだけなら。
――合格するワケないじゃん。
『ブリッジ』と敵対してる『レオンハルト』のオーナーだぞ? 誰が好き好んでスパイを抱え込むっつーんだ。いや、戦略とか政治とかでそーゆーこともあるのかもしれんけど、それでも限度……というか、人選はあるだろ。ぶっちゃけ、スパイっつーより爆弾だし。
そんなの『レオンハルト』側だってわかってることだろ? 落ちると分かってる受験を受けさせるなんて、はっきり言って時間と費用の無駄だ。
だからこそ。ああ、だからこそ。
――合格するんだろうなあ。
そうとしか思えない。そう決まってるとしか思えない。もう受験を受けたってこと自体形式以上のものだと思えない。
まあ、この女がいる事だって既に有り得ない訳だし? お偉いさんの思惑とか、そんなもん所詮は他人事だ。考えてもわかりゃしないし推し量るのも面倒臭いだけだ。
だから、肝要なのはその結果我が身に何が起こるかって事で。
「……来年からこの騒がしさに拍車がかかると。うわあ面倒臭え」
「甘い」
……え。
「来年から? 何悠長なこと言ってるの。サフィエルはもう動いてるのよ」
そう言いながら獅子堂の手元はスマートフォンを何やら操作している。
「……獅子堂サン? そろそろどこへ向かってるか教えて頂けないでしょうか?」
「この辺まで来たらいい加減予想出来てるんじゃない?」
……中心街からはとっくに外れた住宅街方面。視界の先には年代掛かった商店街のアーチが収まっている。
まさか夕飯の買い物って訳じゃあるまい。今の言葉からするとまったく予想外の場所って訳でもない。とすると、心当たりがある場所は一つしかなかった。
甘味処「おゝとり」。
ただお茶しに行く、ってワケじゃないんだろうなあ。
しかして、その場所に辿りつく。
「いらっしゃい」
すると、店の前に割烹着メイド、もとい鳳が立っていた。まるで俺たちを待っていたみたいに。
ふむ。ちらりと獅子堂の手元のスマホを窺い見た。
「入って。今なら表に出てないから」
流れるように店内、座席へ通される。ご注文は、の定番セリフに「いつもので」の返答がハモる。
「またせんべい?」
ここ「甘味」処だってのに毎度これですよ、こいつ。しかもなんか妙に赤いの。そもそもなんでメニューにある?
「貴方こそ、この真冬にまたアイス?」
おうとも。季節がどうした。俺は別に寒くないし。口の中で甘さが溶けるの最高じゃん。
「売り上げに貢献してくれればなんでもいい」
看板娘は実にドライだった。注文の書かれた紙を手に厨房へ引っ込んで行く。
「……で? 鳳と組んで何を――」
「静かに」
口にしようとした疑問はその言葉と顔の前に突き出された掌によって遮られた。
「すぐに分かる。だから目立たないようにして」
「どう考えてもお前の格好が一番目立ってるけど」
むう、と獅子堂の口元が苦虫を噛み潰したように歪んだ。まあ、とはいってもここの割烹着メイドもそれなりに人目を惹く格好だし、言うほど目立ちゃしないか。
と思ってると、鳴り響いたドアベルが届いたのだろう、店の奥からその割烹着メイドが出てくる。
ただし、その肌の色は浅黒かった。
「イラッシャイマセ~」
瞳の色はルビー、ショートカットの上にはこれだけ他の店員とは違ってヘッドドレスを着用してる。客への愛想笑いはなんだかお面みたいにのっぺりしてた。
うん、暴走メイドことサフィエル=サザンウインドで間違いないな。
…………。
「その顔だとまるで予想外というワケじゃなかった、というところね」
「んなこたぁない」
そう。まさか、まさかだ。
「あいつがメイド服を着ていないだと……!? いや割烹着メイドだからセーフか……? しかしチョコレートの肌色が意外にも和装に似合っているとは……!」
「お前の着眼点は時々おかしい」
そして二人揃ってその店員に目を向けた。ちょうど来店した客を席まで案内したところだった。
「コレがメニューダ。決まったら呼ぶがイイ」
敬語の欠片もありゃしなかった。
「……随分上からな店員だな、オイ」
ご主人様、いや元ご主人様が頭抱えちゃってるよ。
だがまあ、仕事を疎かにする気はないようだ。口調こそあれだが手際は良く、本職メイドなだけのことはある。
「しかし、一体何故あいつがここにいるんだ?」
「私も一昨日鳳に聞かされて知ったばかりだ。なんでも来年の入学までこちらに住み込みで働かせていただくことになったらしい」
……いったい何がどうなればそんな突拍子もないハナシが出来上がるんだ?
「私の部屋に住んでる。びっくり」
注文の品を持ってきた鳳がそんな事を言うが、まるでびっくりしてるようには聞こえない。
「いいの? 自分の部屋ってかなりプライベートな空間じゃない」
「他に部屋も無いし。春までなら、なんとか」
「ちゃんと合格してればそうだろうが……」
ああ、うん。獅子堂には悪いけどその辺の心配、俺らはしてない。むしろ何かの手違いで落ちてくれた方が楽だと思うけど、それこそ希望的観測だ。
「鳳はいいのか?」
「いい悪いを言えるほどよく知らない。それに雇ってるのはお父さん」
そういう意味で訊いたんじゃないんだけどな。
「……ちょっとトイレ」
そう言って席を立つと店の奥にある個室に入る。ズボンを下げ……ずに、携帯を開いた。
電話帳から目的の人物を探し出してコール。
『やあこおりちゃん、キミから電話だなんて珍しいじゃないか。旧交を温めたくなったのかな? お題は学生お薦めのデートスポットなどで如何だろう』
「あー、キョウや。お前、サフィが「おゝとり」で働いてるの知ってた?」
はっはっはと意気揚々と電話に応じたキョウの声が、一言で固まる気配が届いた。どうやら知らなかったみたいだ。
『……いや待て待てこおりちゃん、馬鹿を言ってはいけない。真砂クンは『ブリッジ』所属のオーナーだ。その彼女の家で働く? 『レオンハルト』として許容される事ではないだろう』
「だよな。でも現に働いてるんだわ、これが」
事実としてそうなっている以上、有り得る・有り得ないの議論は意味が無い。「マイガッ……」と絶望の声が漏れ聞こえる。
「で、どういう事だと思う?」
『……ふむ。そもそも優姫クンのメイド業という(自称)天職はどうしたのだろうね?』
「ああ、それも知らないのか」
そこで現在のサフィの現況を伝えてみる。ふぅむと唸るキョウ。
『何らかの取引があった、と見るのが妥当かな』
「まあ、そうなるよな。しかしその結果がコレ、というのが」
『納得し難い、と』
納得出来なかろうが所詮他人事ではあるけれど。
『サフィをこの街に常駐させておきたい理由があるという所かな。どちらにも』
「心当たりは?」
『そりゃあキミだろう』
えー。
『むしろこの時期でそれ以上の理由など考えつかんさ。『ブリッジ』はともかくキミの味方であることは間違いないからね。意外と適所かもしれんな』
つまり味方が必要になる事を俺にさせよう、と。こいつらがかなり面倒臭い事を俺にやらせようと考えているのなんて、黙っててもそこかしこから伝わってくる。乗ってやる義理も義務も興味も感じないけど。
『さて、あまり長話している訳にもいかんな。女性をひとりで待たせるべきではないよ、こおりちゃん』
「そういう一般論あんまし好きくない。それにそういう関係でもないし」
まあ、好き嫌いはともかくマナーとしては認めてる。長居するのもおかしいしキョウの言う通りそこで通話を終わらせた。
……うん? 言ってないよな、連れがいるって。
首を傾げつつもまあどうでもいいか、などと思ってフロアに戻ると。
サフィの顔が床にめり込んでいた。
……あー、うん。何があったかなんて、わざわざ訊くまでもなく想像つく。大方、獅子堂を見つけたサフィが暴走して沈められたんだろう。
「それで合ってる。いきなり副会長の貸し切りにするって言い出した」
寄ってきた鳳が囁いてきた。まだ何も言ってないのに、どうして誰も彼も俺の心を読んでくるんだろう。
「起きて、サフィエル。邪魔」
容赦ねえなあ、こいつ。
むくり、とサフィが身を起こす。と、視線が合った。
「コーリ!」
満面の笑みとともに一歩を踏み込む。助走体勢と見てとると、はっと脳裏に浮かんだのは学校での跳躍。いつでも回避できるように身構えたのは仕方が無い事だと思う。
しかし二歩目。ダンッ、と力の籠ったそれは加速というより急ブレーキ。事実堪えるような急減速。
そして三歩目、静かに一歩踏み出し、両足を揃えて。
一礼。
「いらっしゃいまセ、お客サマ」
丁寧に顔を上げ、微笑んだ。
――ヨシ、パーティーダ! もちろんお二人からお代ナド頂きませン!
そんな事を真顔でほざいたサフィの頭には、大きなたんこぶが出来ていた。
「さて、サフィエル。訊かせてもらうぞ」
そのサフィは、現在並んで座った俺と獅子堂の向かいに着席している。
「貴女が首になったと聞いてとても驚いたわ。しかも屋敷からいなくなったとも。――いったい何があった?」
「……ペナルティ、デス」
しょぼんと俯いて、その言葉だけ絞り出された。
「罰か。まあそれはそうなんだろうが、たった一回のミスでこのレベルのって、何やったんだよお前」
と、自分の言葉にどこか違和感を覚えた。正確には俺とサフィの言葉に、だろうか。
「イヤ、メイドを休業になったのハサブ的なものデ――ハッ! サ、サフィがオネーサマの僕でアルことは生涯不変デスヨ!?」
「別に慌てて付け足さなくていいから」
むしろその言葉で困り顔になってしまう獅子堂。心奉されるって当人にその気が無いとうざったいもんだよねぇ。……飛び火する前に話を進めよう。
「んー、つまりメインは――学業?」
「というか社会勉強、みたいな感じでしょう。確かにこの子の生きてきた世界の狭さを考えると、必要な事なんじゃないかしら」
なんにしても、厳格な「罰則」という感じじゃないな、こりゃ。……ああ、そうか。さっきの違和感はこれか。同じ言葉でも、俺とサフィでどうにも重みが違うく感じられていたのだろう。
サフィの言うそれは、罰ゲーム。そのくらいの印象が適当か。どこか遊びが見え隠れするのだ。
ふむ? とすると、新たに疑問が浮かぶ。その遊びは、企業というものがやることだろうか。就学にしても、メイドという職に必須のものではない。金を出してまで通わせる理由が無い。期間は最低でも三年だ、それほどの時間本来の仕事を休ませるほどの意義を見出すだろうか。福利厚生の一種? その捉え方はペナルティと矛盾する。いや、それはサフィの主観か。社会勉強。感じられるのは親心、か? 利益の為の先行投資とは違う。やはり、企業というものの行動とどこか違う。
「ねえ、サフィエル。それ、誰の指示?」
同じ疑問に至ったのか、獅子堂の問い。サフィが渋い顔をした。
「……申し訳ありませン」
「そう」
あっさり引き下がった。獅子堂の頭の中で何人候補が浮かび、消えていっただろうか。
「まあ、いいんじゃないかしら。さっきも言ったけど社会勉強よ、大勢の同年代の中で過ごすなんてサフィエルは初体験でしょう。年上ばかりの屋敷で働くよりも、今だからこそ得られるものがきっとあるはずよ」
「オネーサマがソウ仰るナラ」
「話が纏まったなら仕事戻って。さっき休憩入ったばかり」
こちらの様子を見て鳳が言う。ひとつ頷くとサフィは立ち上がり、
「デハお二人とモ、ごゆっくり。ご用命の際にハ、万事ニ優先して駆けつけさせて――」
「仕事して」
口上を最後まで言い終えることなく、鳳に首根っこ掴まれて引っ張られていった。アー、とこちらに手を伸ばすサフィをお茶を飲み飲みスルー。
「――クビじゃなかったんだな」
そも、「はいそうですか」と聞くヤツじゃないんだよね。休業といっても、実質こっちで獅子堂のメイドを続けるようなもんだろうなあ。
「そこは、あの娘をこの街へ遣るにあたって形式上そうしたっていう、それ以上のものじゃないとは思ってたわ。ただ、肝心のその理由が、ただ学業に従事させる為だけとは思えないんだけどね」
ふむ。この間の事といい、サフィが普通じゃない裏の仕事に関わっている、くらいは気付いてるか。下手をするとミスティとの関連も疑ってるんじゃないか。
「ただ、長期の仕事だとしても……学校? 何を考えている、父様……?」
「お前の父親がやったことなのか?」
「それしか心当たりが無いっていう消去法な理由だけどね。けど無関係という事はありえない」
そりゃそうか。確実に何らかの事情を知っている人間のひとり、と。
けど、獅子堂の父親にどれほど権力があっても『レオンハルト』の人間だ。サフィを霧学に入れることは出来ない。いや、それを言うなら……
「でもそれならサフィエルが伏せる意味が無いし、それに父様らしい行動じゃない。これはサフィエルに対してもっと情があって、それでいて父様に意見できる人間……? いや」
次に出た言葉は、俺も見落としていた疑問だった。
「それ以上にサフィエルがおとなしく言う事を聞く人間……!?」
「あ……」
そうだ。あのサフィが、自分の存在意義と自称してもおかしくない獅子堂のメイド業から離れてるんだ。
はじめ話を聞いたときに有り得ないと思ったはずだ。了承するワケねえって。
なんで了承してるんだ?
サフィエルが普通なら聞くはずのない命令を承諾させられる人間。この線で考えた方が早いんじゃないか。
……ここでお互いの顔を見合ったのは、まあ仕方ない事だろう。すぐ顔を逸らした。
「……駄目、私の知らない人間だ、これ」
首を振って息を吐いた。どうやら完全に行き詰ったらしい。無い袖は振れんわな。ていうかこの話の流れだと、雇い主の言うことも聞かねえのかよ。
「そもそも、これ突きとめる意味あんのか?」
「一応私の専属だから。勝手に動かされるのは気分が悪い」
煎餅を一口齧って、それに、と続く。
が、その内容はバリンっという破砕音に遮られて届かなかった。
続けて怒号。ただし何を言ってるのかわからない。
音の発生源に目を向けた。頭の悪そうな髪型をした高校生くらいの男が二人。うち一人が立ち上がってサフィを真っ向から睨みつけている。
声は聞こえてくるけど話の内容は、っていうか男の喋っている言葉は全くわからない。ワァオ、すごい。あんなナリで外国語堪能だなんて。ふむ、アジア系の外国人という可能性もアリか?
「ねえ、獅子堂、ヤンキー語圏の国ってどこか知ってる?」
「我らが祖国とは思いたくないな」
その言葉を返したときにはもう立ち上がっていた。運無さ過ぎるだろ、あの二人。
三人へ近づいた獅子堂はまずサフィの腕を掴んだ。凶器を出す寸前でしたかそうですか。相手が悪いにしろそれは不味いね、店側に迷惑が掛かる。
次に獅子堂が二人へ何かを言っている。おおう、更にヤンキー語がヒートアップ。まあ、当然の流れかな。それでも言葉での解決を試みる獅子堂、お疲れ様です。
あ、手が出た。先に忍耐が切れたのは男の方。胸元へ手が伸びる。掴みやすいだろうなあ、あの服。フリルだらけだし。まあ、掴む前に手首を掴まれて捻り上げられたけど。
そのままぐい、と男を押して店外へ。もう一人の男も慌てて出て行く。途中、傍を通り過ぎる獅子堂に手を振ったら睨まれた。
「あ、すみませ〜ん、お茶おかわり」
この状況で普通に店員呼んだ俺に驚愕の視線が集まった。
一分後、獅子堂帰還。白い衣装にまるで汚れなし。お見事。
「あれ、霧学の?」
「いや、近くの工業校。タチの悪い奴らの溜り場だ」
なに、不良校? そーゆーの現実にあるんだ、へー。
「ここ、霧学の生徒の溜り場だから。目付けられた」
そう言った鳳が獅子堂の前にお茶を置いた。あれ、それ俺の。
「出禁にしたんじゃなかったの?」
「サフィエルに説明忘れてた。最近ここらで見なかったから。副会長たちのおかげで」
……わあ。さぞ懇切丁寧にお引き取り願ったんだろうなあ。
「年が明けたくらいで喉元過ぎるなんて。どれだけ熱かったか、一度思い出させてあげないといけないわね」
彼らに死亡フラグが立ちました。合掌。
と、鳳の後ろで申し訳なさげにしているサフィに気が付いた。こちらの視線に気付くと、意を決して前に出る。
「……申し訳ありませン、お手ヲ煩わセて……」
「いいわよ、気にしないで。貴女のせいじゃないでしょう」
「イイエ……サフィやアノような下賤がお二人のデートニ水を差すナドあっては」
「「違う」」
早くもパターンと化してきたな、この手の遣り取り。
「私は付き合ってないと報告した」
さりげなく鳳が無罪を主張した。だが待て。
「報告ってなんだ」
「おっと、仕事仕事」
あからさまに逃げ出した。
「サフィが依頼しましタ。オネーサマとコーリの進展の程ヲ把握し、イザとなれバ影からお助けスルのがサフィの義務ですかラ!」
何故か胸を張って自供しましたよこいつ。誰かなんとかしてくれ。
「ソレで、アノ、誠に恐縮なのですガ」
何を今更言い淀むというのかこいつは。……あれ、それつまりやばい前触れってコトじゃ。
「ゼヒ! サフィにお二人の子ヲ取り上げ――」
セリフの続きは、脳天に落とされた獅子堂の踵により強制中断させられた。
「その口を開く前にもう少し自分の言葉を顧みることを学ぼうか、なあ」
獅子堂……もう遅い。すっごい周りの視線が痛々しいなあ。にしてもこれ、店員に暴行を加える悪質な客に見られてもおかしくないんじゃね? サフィの声が大きくて状況丸聞こえなのが救い……いや、恥か。
「サ……サフィは何かおかしナコトを言ったでしょうカ……?」
頭を抱えて蹲ったサフィは何故か困惑顔だった。ついでに涙目だった。
「それはお前…………私はまだ、子供が出来るようなことは……」
ふむ。後の方は小声になったけどこの距離ならばっちり聞こえました。流石にこういう話題には羞恥心がありますか、ほうほう。あ、やめて、睨まないで、ごめんなさい。
――ところが。
「……? 子供、出来る、コト?」
サフィよ、何故そこで首を傾げる。
「……! 子供とハ、「作れル」モノだったのですカ!?」
「「「…………」」」
…………。
……………………?
!!?
え、ちょ、マジ!? こいつ、このトシで「子供の作り方」知らないのかよ!?
「獅子堂!?」
「言うな。今は何も言ってくれるな、頼むから」
あ、こいつ知ってやがったな。
「驚いた。今時ありえない純粋培養」
「そう、純粋なのよ。だからあまりヘンなこと吹き込まないで――」
「いやいやいや。流石に、知らない方が不都合な年齢だろうが」
突っ込みにふいと顔を逸らす獅子堂。ああ、うん、成程。今までこういう話題が出るたびに逃げの一手だったワケね。獅子堂らしくないのか、らしいのか。
「サフィだけガ知らナイ……? もしかしテ一般常識なのデしょうカ?」
「そんなことないわ」
うわっ、流れるようにさらりと嘘つきやがった。しかしまあ、実際説明しろと言われると困る話題ではある。あと本日ご来店の子供連れの親御さん、俺が謝る義理はないけど一応謝っとく。ごめんなさい。
「わかった、私が一肌脱ぐ」
だからだろう、いつの間にやら話に戻ってきてた鳳の一言が蜘蛛の糸に思えてしまったのは。
「オオ、頼んダ!」
「任せる」
ぶっちゃけスケープゴートが見つかってよかったと考えたので。
その手段にまで思考が回らなかった。
「……もしもし、芦屋? 頼みがある。…………持ってない? 本当に? え、今はネット? ふぅん、そういうもの。じゃ、お勧めとかは? ……芦屋の性癖なんて興味ない。初心者向きの。何に使うって? もちろん、実物を見せるのが一番手っ取り早いから」
その日の夜、鳳宅から「ピャアアああ」となんとも情け無い悲鳴が響き渡ったというのは、こおりの知らない話である。