第五話 三日前――不可解なキモチ
Three days ago
トラブルとの遭遇率が半端じゃない。
今更何を言い出すのか、と誰かに愚痴れば言われそうだが、それでもせめて心の中では言わせてもらおう。事実この街に来て以来ほぼ毎日のように厄介事が降りかかってくるんだ、誰にも異論はあるまい。
この街に来る前までがよい生活だったワケじゃない。むしろ生活水準で言うなら、こちらに来てからの方が断然上がっている。
ただ、連日のようにトラブルが発生するというのは、今までなら次の家へ移される直前・直後にままあることで、二週間もすればいい加減落ち着いてるはずなのだ。大体、そのトラブルというのも家人からの嫌がらせで、正直最早ただの恒例行事、トラブルと気に留めるものでもなかった。
それが今回は別の形で、しかも未だ続いているというのは、ミスティのどうこうが原因というよりは、周りにいる奴らのキャラが濃い所為だろうと思っている。
こんな事を今更言って何の意味があるかといえば、つまり特に言及する事も無いような普通の休日というのはなかなかに貴重なものなのだと噛み締めるべきだということだ。
そんな事を思ってしまうのは、その貴重な日常が終わる予感がしたからだろう。
……できることなら、こんな取り留めもない思考は一日の終わり、布団の中で睡魔に襲われつつある寝ぼけた頭でしたかった。そして次の朝目覚めた時には忘れている、そのくらいがちょうどいい。
だが今は真夜中には程遠い。赤い西の空がここマンションの玄関口からよく見える。手には数日分の食材が入ったエコバッグ。ちなみに今日の夕飯のメインは鶏の照り焼き。既にタレに漬け込んである。肉が焼けた香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
……もちろん、まだ焼き始めていないし、そもそも家の中にすらいない。ではどこかの少し気の早いお宅が夕飯の準備を始めたのだろうか。ノーだ。この辺りにビルマンションならともかく民家はない。料理店もないし、屋台も出ていない。
なのに、何故か近くから匂ってくる。
まあ、これだけなら無視も出来たさ。というかしていただろう。
問題は、その匂いが俺のすぐ目の前――「桜井」と書かれた郵便受けから匂ってくることだ。
実は隣の箱から、というオチは残念ながら無いだろう。だってコレ、明らかに鍵壊されてるから。
……開けたくないなあ。
中にあるものが予想通りなら強いて目に入れたいものではないのは確かだが、それはどうでもいい。単純に関わり合いになりたく無い、後の始末を考えるととても気が滅入る、そういうハナシだ。
だからって開けないまま放置するというワケにもいかないのが辛いところ。遠からずこの匂いは異臭に変わり、マンションの住人から苦情が殺到するだろう。中身を管理人にでも確認されたらまず警察沙汰だ、それは面倒臭い。
という訳で、さっさと箱の中身を確定させてしまおう。そういえば、あの実験って臭いとかどうなんだろう。開いて目で見るだけが箱の中身を知る手段ではないのだし。
とか考えながら開けたら、ああ、やはり猫箱でしたか。
ぎい、と蝶番が軋んだ音を立てる。
それは、いつかと同じ光景だった。
祭壇の前で跪く少女。その存在はこの場において従のはずなのに、その存在感は背中に目に見えない荷物でも括り付けられているのかと思う程重く際立っている。
神への祈りなどというものは相変わらず全く理解出来ない。する気も無い。それでも彼女が真剣であり、真摯であるというのは分かる。だからこそ、どうすればこの行為にそれだけの価値を見出せるのかがまるで共感出来ない。
「お前、神様がいると思ってんの?」
「いないと言うのがおかしいのよ」
振り向いてもいないのに普通に返事が来た。扉が開いた音で気付いてたらしい。前回もそうだったか?
立ち上がってこちらを向いた銀髪ちびっこ修道女。傲岸不遜に腕を組み、顰めっ面で改めて口撃を始めた。
「よりにもよって教会で主を否定するなんて、場を弁えないにも程があるわ。罰を与えるわよ」
お前がやるのかよ。
「別に否定しちゃいない。事実、似たようなものなら在ると思ってるし。ただ、それをお偉いものだったり祈る事に意味があるものだったりとは思ってないだけ」
例えば物理法則。宇宙を構成する絶対不変の法則。何者も侵す事が出来ず、何者も逃れる事が出来ないなら、これは神様と呼んで差し支えないだろう。だからこそ、俺たちにとって物理は神足り得ないと言ってしまえるが。それはそれで、別の法則が神の座に着くだけか。あるいは神とは打倒できるものなのか。なんにしても相違無いのは、祈ったところで揺れ動かないという事。
「要するに存在が人の手で証明出来るものでないと信じられないという事でしょう。小さいわね。そして嘆かわしいことね」
「だから否定はしてないって。認識出来ないなら、いてもいなくても同じだろうってこと」
そう、神がいる・いないなどどうでもいい。なのに、なんでこんな論争になってしまっているのだか。俺が不用意な一言を発したからか。やれやれ。
ああ、うん、そうだ。こんな言葉をこいつの前で口にすれば面倒臭いことになるのは分かりきっていたんだ。なのについ問うてしまったのは、
「――ここは、熱いな」
「は? 唐突に何よ? というか、むしろ寒いくらいじゃない」
「いや、熱いよ」
この前も体感した。強い熱量に惹き付けられるのは虫だけではない、つまりはそういうこと。熱いの嫌いなのに。
少なくとも、いるかどうかどうでもいい神様なんぞよりは気になるものだった。
「お祈りって日課じゃねえのかよ。よく毎度そんな入れ込めるもんだな」
「信仰があれば当然のことよ。貴方には一生分からないでしょうけど」
……ふむ。熱心なのはそれで納得していいんだが……果たしてそれは「必死」という形容をさせるものなのだろうか? それとも、やはり俺には分からないというだけのことなのだろうか。明野心という修道女が放っていた熱量は、何ら特別なものではないのだろうか。
「――そんなもんか」
しかしそれ以上追及する気は起きなかった。気になるといっても比較的に、という話で、結局は他人事である。こう断言出来る辺りが獅子堂の時との明確な違いだな。
「そんなもんよ」
それより、と明野の視線が若干下を向く。俺も同じものをちらと見た。
脇に抱えた段ボール箱。
「周防君、このまま回れ右して帰って頂けないかしら」
「そう言うな。とりあえずこれを見てくれ」
「嫌よ。なんだか、とても嫌な予感がするの」
鋭い。あるいはわかりやすいだけか。俺の態度以上に臭いが。
独特の香ばしい匂いを誤魔化すように芳香剤を一緒に詰めたところ、量が足りなかったのか隠し切れず絶妙にブレンドされた臭いが生まれてしまった。はっきり言って元の臭いより数段ヒドい。ふむ、明野がずっと顰めっ面なのは案外この臭気のせいなのかも。
「そう言わず頼むわ修道女。供養は得意だろ?」
と箱を床に置いて、有無を言わせず開いてしまった。むわり、と臭いが濃度を増す。
焼け焦げた肉と、芳香剤の混じった臭い。
その姿を包んでいた新聞紙を剥がす。
それは、そうなる前の形を保っていた。形だけは。
「……猫」
「そうだな。全身余すとこなく丸焦げでも、これを炭とは呼ばないな」
毛は失われ肉は炭に。動いていた頃とはまるで違う姿。それでもこれは猫なのだ。
「……趣味が悪いにも程があるわ」
「是非こいつを作ったヤツに言ってやってくれ。で、だ。葬ってやろうにもマンションの辺りはコンクリートジャングルだろ? 都合の良さそうな公園とか知らんし、勝手に埋めていいかも判らんし。そこでピンと来たワケだ。そうだ、専門家に任せればいいじゃない、って」
冠婚葬祭といえば宗教だろう。
「そう、頼りにしてくれて嬉しいわ周防くん。もしプレゼントとかぬかしてたら陰湿野郎以下のセンスに脱帽してあんたの顔面に投げ返してたところよ。で、あんたにはうちの周りに墓地があるように見える?」
肩を竦めて返事とする。
「教会っていっても礼拝堂以上の設備も、人員もないわ。葬式も結婚式もやった事はなし。祭りは……近所の子供たちを集めてのクリスマス会くらいかしら。地域密着型で結構だとは思うけどね」
「その口振りだと現状に不満が?」
「あるわよ、もちろん。ああ、勘違いしないで。不満はあっても不遇だと思ってる訳じゃないから。むしろ単純に任務内容だけ見るなら優遇されてるほうでしょ、あたし」
そうなのか。自分が関わってる分どうにも正当に測れそうにないが、表沙汰にならない、しかも小規模な組織の末端として働きながらもちゃんと学園に通えてるってのは、成程期待されてると見ていいのかもしれない。
「それはそれとして、日常生活の改善を求めるのは当たり前の話でしょう。……ホント、勝手にもの送りつけてくるくらいなら、せめて役に立つもの送りなさいよ……」
何やらブツブツ言い始め、舌打ちまで聞こえたが、生憎俺はお前の愚痴を聞きに来たワケじゃねーんだわ。
「とにかくさ、コレ埋めても問題無さそうなとこって知ってる?」
むう、と渋い顔になる明野。やがて、何かを諦めたかの様に一言。
「教会、墓地はないけど裏庭ならあるわ」
小さな墓作りは恙無く終わった。
庭の隅に明野から借りた園芸用スコップで穴を掘り、身を包んだ新聞紙ごと埋めた。盛り上がった土の上に大きめの石を載せる、刻まれる名前すらない簡素なものだ。
埋葬を終えた墓の前で明野が十字を切る。
再び礼拝堂へ。そこで改めて明野から経緯を問われた。
「どこにでもいるものね、クズって」
ハッ、と嘲る様がとてもよく似合ってるなあ、とか思ったら睨まれた。
「また面倒なヤツに恨まれたものね、あんた」
「俺とは限らないだろ」
あそこはそもそも遥香さんの家だ。宛名書きがあった訳でもなし、誰狙いだったかなんてわかりゃしない。
「でもあたしはあんただと思う」
「何それ、根拠は?」
「勘ね。あえて付け加えるなら、あんたならこのくらいの事されても不思議は無い、ってとこかしら」
なんという不条理。
「他人の神経逆撫でするような真似した覚えはないんだがなあ」
「どのクチが……」
おいおい、あんまり視線に殺意を込めないでくれよ。怖いじゃないか。
「あんたの何が犯人煽るって、あんた、ここまでの事されてもまるで堪えてないでしょう」
「んな馬鹿な。いい迷惑だと思ってるぞ」
「迷惑。手間。それって損害って意味じゃないでしょう。死体抱えて歩いてくるなんて、かなりのストレスよ。なのに「辛い」とかはまるで思わないんでしょ。あんたの精神、本当どうなってるのよ」
「いやいや。流石に不愉快には違いないみたいだぞ。どこの猫か知らないが、生命を軽く弄ぶこれは、度が過ぎてる」
「そこで何で……はあ、今さらこいつに言っても仕方ないか。それに、最低限の倫理観はあるみたいだし良しとしましょう」
失礼な。俺は一度だって生命を軽く見たことなんて無いっていうのに。
あと、流石に昨日の今日なんで、何を言いたかったか理解してないってことも無い。だからどうこうとは思わないだけで。
「で? 心当たりは……あるワケないわね、あんたの場合。誰に恨み買ってても「どうでもいい」ですもの。覚えがあるワケないか」
はん、と鼻で嗤う。どうでもいいけどこいつが肘掛のある椅子に肘載せてそういう態度取ると、傲岸な女王サマっぽく見えるなぁ。本当にどうでもいいけど。
「カミソリレターとかいう古典的な罠の事なら流石にまだ覚えてるけど」
「あら意外。あんた、下駄箱の中の手紙全部捨ててるじゃない。趣旨替え? 期待しちゃったワケ?」
「いや、輝燐がいただけ」
「……タイミング悪いわねえ、あの娘……」
まあね。ただ、あの時だけが偶然カミソリ入りだったという間の悪い話でもないだろう。いつから始めたのか知らないが、毎度毎度捨てられるにも関わらず仕込み続けるとか、この犯人実はドMではなかろうか。
「つまり、でしょうとは思ってたけど、犯人は学園生徒ってことね」
まあ、俺の行動範囲から見てそれ以外は元々考え辛かったわな。
「サフィエルに黙っておく?」
ぽん、とさしだされたお饅頭を素直に受け取る。
「貴女、いつの間にあの娘と繋がりが? ええ、当たり前ね。知られたら全校生徒を端から闇討ちしかねないわ」
とてもあり得る未来予想図だなぁ。
「――それはともかく、さらりと会話に入ってこないでよ真砂。吃驚するじゃない」
「全然そうは見えない」
明野へもお饅頭をプレゼント。
「心のストーカーの話しに来たら周防のストーカーの話してて私がビックリ」
「これ新作?」
美味美味。
「話の流れぶった切ってんじゃないわよ。美味しいけど」
「試供品。好評ならメニューに加わるかも。レビューよろ」
「……ふむ――」
「ふむ、じゃないっ! 何事もなかったかのように話し続けてんじゃないわよっ! 真砂も悪ノリしない!」
「冗談、冗談」
……え?
「……あんたが食べ物最優先だってことはよくわかったわ。ええと、何の話だったかしら?」
「饅頭美味しい、だろ?」
「ス・ト・ォ・カ・ァ、ねストーカー! 食べ物の話はNG! ……にも出来ないのよねぇ……」
はああと項垂れてしまう明野。「ちょっと待ちなさい」と言って奥に引っ込んでいってしまった。
明野がドアの向こうへ消えるのを見送ってぽつりと鳳。
「最近の心は愉快」
「ヒドい言い草だな、それ」
「そんな事ない、いい傾向。……だからかも」
言っている意味がまるで分からない。だがそんな事はどうでもいいと言わんばかりに鳳がずずいと詰め寄ってきた。
「周防。ストーカー見つけて」
NO、と出掛かった言葉を堪えて、別の言葉を口にする。
「何で俺に言う?」
「心が周防に「探せ」って言った。だから周防にはその力があると判断した」
成程。しかしそれと受ける受けないは別の話。
「貸し、返してもらう」
「……そうきたか」
ふわりと、鳳の傍に白い毛並みのもこもこした生物が浮かんでいた。
鳳のミスティ、ミンカー。そのSAは治癒能力。ついこの間お世話になったばかりだ。
要は治療費を払え、って事だ。
「OK、それなら否やも無い。何が出来るか分からんが、精一杯やらせていただきましょう」
色よい返事に鳳が親指を立てた。ミンカーも真似して手をちまっと突き出す。ノるとこにした。無言で親指を立てる。
するとあら不思議、鳳は手首を百八十度ぐるっと回して、
「やめなさい」
その手を両手で確保。何でいきなり喧嘩売られそうになってんの?
「――神の家で淫行に走ろうなんて、まさに神をも恐れぬ所業ね。神罰が下る日は遠くないわよ」
……ふむ。いつの間にやら戻ってきた明野が不穏なセリフを仰るがどういう事だろう。この鳳の手を両手で捕まえた仕草が口説いてるように見えたりするんだろうかあははまっさかー。ところで明野サン、貴女の隣で羊モドキの生き物がバッチンバッチンいってるのは何故でしょうか。
「神の僕たるこのあたしが与える罰、すなわち神の罰よ。自明でしょう?」
「わあ、それ私刑」
「まあまあ心」
どうやら鳳が宥めに掛かってくれるようだ。感謝しよう……いや元々こいつの所為だし必要無いな。
「私は結構悪い気はしない」
空いていたもう片方の手が俺の手に添えられた。
「ふうん」
明野の声が一オクターブ下がった。
わぁい、煽る気しか無いなこの割烹着メイド! 何故微妙に鼻高々なんだアホじゃねえの。あとバチバチって音がさらに高音になったのは気のせいか。
「やめて、私の為に争わないで――って言った方がいい?」
うん、お前もう黙れ。
それから冷めた視線で見られることの五分。
「まあ誤解だって事くらい初めから分かってたわ。ところでケーキ食べるかしら?」
「この文脈で出されて素直にいただきます言う奴ぁいねえよ……」
あと口振りから蔑みが抜けてねえし。
「む……風明堂のケーキ。裏切り?」
和風喫茶の看板娘が箱に描かれたロゴに目敏く反応した。
「極端でしょ、その反応。真砂だって洋菓子くらい食べるじゃないの」
「商売敵は話が別」
「いい後継ぎになるわ、あんた。それはともかく、あたしが買ったんじゃないわよ、これ。こんな贅沢品買う余裕なんてウチには無いわよ」
「つまり」
「そ、不審物よ。何が入ってるかおっそろしくて食べれたものじゃないわ。だからって生ものだからそうそういつまでも放置できないし、簡単に捨ててしまうのも食べ物を粗末にして罰当たりだし、ここまで扱いに困るものもそうそう無いわよ。まったく」
「そんなものを俺に食べさせようとしたのか、お前」
「大丈夫。何が入ってたって死にやしないわ、あんたなら」
冗談じゃない。命よりむしろ尊厳が危険なものの方が入ってる可能性が高いからヤバいんだろうが。
「当人に突き返すのがベストだと思う」
「犯人が分かってれば、利子付きでそうしてるわ」
……ふむ。
「いつどこで渡されたんだ、これ。本当にお前宛てなんだよな?」
「……昼過ぎに教会に置いてあったのよ。ご丁寧にあたし宛てのメッセージカード付きで」
俺が訊いてきたことが意外だったのだろう、訝しげな表情で、でも答えてくれる。
ふうむ、昼過ぎか。こういうプレゼントって渡した相手の反応が気になるもんじゃなかろうか。食べてるところを見たいと思うかもしれない。しかし、流石に時間が経ちすぎか。
ダメ元で波を広げてみた。
……?
一人、この近くでこちらに意識を向けている人物がいた。しかし、こいつは……。
「何やってんだ、あいつ」
その方角に首を向けてぽつりと漏らした。
「? 何を言って…………『異質性』ね」
げ。
「頑丈さだって聞いてる」
「複数あるそうよ、イカサマ臭いことに」
へー、と感心したような鳳。明野と比べれば反応は薄い。こいつほどこの世界に浸かっていないってことかな。
「その事はともかく、肝心の『異質性』の内容はあんまり広めないでくれよ。今回の件、手貸すから」
「あら、どういう風の吹き回し?」
「そりゃあ、そこまで確信持った言い回しされちゃあ、いつまでもとぼけ続けるのも面倒臭い」
「何故手を貸すのか?」という意味だったんだろうけど、あえて違う意味で受け取る。それでいい、と鳳が頷いた。
聞き直される前に“Ripple”の説明をする。もちろん、他言無用と釘は刺して。
本当なら“Ripple”を使って探そうなんて思わないが、関わる事情が事情だ。出せる限りの全力も出さずに取り逃がす、あるいはずるずると事態を引き延ばすのは恩を仇で返すと謗られても仕方ない。
説明の後、明野から出た質問は、
「そっちを隠す方が、複数持ちってのを知られるより大事な訳?」
「そりゃそうだろう」
との即答に明野は眉根を寄せた。
『異質性』の仕組みを知っていれば、複数持ちなんてのはおかしなことでもなんでもない。能力そのものを見た時、はっきり危ないと思える“Ripple”を隠す方が重要だ。
もっとも、その仕組みを教える気はないが。
「その『異質性』を使えば、ストーカーが見つかる?」
「正確には、“Ripple”の範囲内に明野に邪な感情を向けている奴がいれば、だな」
「そんなのいっぱいいる」
そーですね。参ったわね、と優越感込み込みの表情で明野が髪を梳き流す。なんでこのチビがモテるのか俺は未だに理解が出来ない。
ともかく、だから“Ripple”について教えたワケだ。ただ波を広げるだけじゃ特定できないから、少々手を加える必要がある。
「というワケで、明日中に解決しちまおう。こんな質面倒臭いコト」
「真砂って、あいつに惚れてるの?」
教会からこおりが去った後。残った真砂に訊いてみた。
この娘との付き合いももうまるっと一年。平坦で抑揚の無い喋り方をするけど、中身までそうじゃないことはとっくに分かってる。
さっきの「悪い気はしない」って言葉。あれは冗談のようで本気だった、そんな風にあたしには聴こえたのだ。
「うん?」
「どっちよ」
頷いておきながら疑問形って、訳が分からない。
「納得がいかない」
「自分の恋愛感情に、ってコト?」
こくり、と頷く。理屈で動かないのが感情だと思うのだけど、そういうことじゃないのかしら。
「周防は私のタイプじゃない」
「よし、こおりなんかどうだっていいわ。そんなことより貴女のタイプ教えなさい」
「秘密」
「いいじゃないの、教えなさいよ。あたしのタイプだって教えてあげるわよ?」
「アウレリア=ペトラルカみたいな人。告ってきた男振る度言ってる」
「あら、そうだったかしら。そう言われると、あたしたち結構恋バナしてるのね、意外と」
「ただの愚痴を恋バナとは呼ばないと思う」
「それに一方通行だものね。貴女の話は聞いたことないもの」
興味があったのかなかったのか、それは分からない。でもそういうことへの関わりは薄かった。だから。
「現実と理想が食い違うなんてよくある話よ。ギャップに戸惑ってるだけじゃないのかしら」
「それは違う」
結構ありえそうなことを言ったつもりだけど、即答で否定されて意表を突かれた。
「違うの。現実とか理想とか、そういう話じゃない。理由がない。衝動がない。切っ掛けがない。気付いたら好きだったのでもない。そう――」
そこで頭を捻る。相応しい言葉を探すように。そして出てきた答えは、
「自分から生まれたものの気がしない」
……何か言おうと思って、言葉が見つからなかった。その間に真砂は首を振って、言い直す。
「自動生成。自分から生まれたものだけど、脅迫観念に近い。本能?」
違う。もっと上だ。
その言葉を呑み込む。それは、アレに直接遭ってない真砂には絶対理解出来ない。
在るだけで他者を屈服させる『存在』。まさか、そういう事なのか。
「……で、だから告ったりしないってワケ」
「私の中で擦り合わせが終わるまでは。どのみち、今言っても結果が見えてる」
そーね、と冷や汗を隠しながら同意する。
……耐えられないほどのものじゃない、か……。それに誰も彼も、もとい彼女もが無条件で否応なく惚れてしまうわけではないし(あたしは惚れてない、以上証明終了)蛇蝎の如く嫌ってる人間だっている。アレともまた違う?
……それはともかく、と脇に置いておいてよさそうね。
「気をつけなさいよ、貴女。あいつが“Ripple”使ってるときにあいつのこと考えてたら、一発でバレるわよ」
「そんなの気を付けようがない……」
まったく同感ね。確かにこれは秘密にして然るべき能力だ、知られただけで排斥の対象にされかねない。救いは常時使ってる訳じゃない、ということかしら。あの普段の鈍さからそれは分かる。
……この力を使えば自分の方の犯人だってすぐに見付けられるでしょうに。使わない、というより探そうとも思っていない、という方が正しいのか。仮に見付けてやったところで恩を売れそうにないわね、これは。
「というかね、真砂。恩を売りつけてやったなら自分の為に使いなさいよね」
「気付かれた」
「当たり前でしょう、あたしを誰だと思ってるのよ」
自慢の銀髪を梳き払う。傲然と、そして優美に。
「地毛なんだよね」
「染めてこの色、この艶、この煌めきは出ないわよ」
この髪だけは親に感謝してあげてもいい。
「実はハーフだったりする? ……と、ごめん」
「別に気にしないわよ、今更。それより、話を逸らされた事の方がずっと問題ね」
うー、とか唸ってもダメ。
「……意図しない貸し付け、早めに始末したかった」
あー、持て余してたの。回復能力持ちなら感謝っていう名前の貸しは今までにもたくさん与えてるでしょうに。あれか、意識してるヤツだからか。
「ちょうどよく心困ってた」
「在庫処分品を格安で譲ってもらったワケね」
皮肉めいた言い方だけど、セールは嫌いじゃない。貧乏暮らしが心身に根付いてるのよ文句ある?
「うん、友達価格。それと」
言葉を切って視線を宙で彷徨わせる。それも一瞬の事、真砂は迷う口調でもなく続けた。
「もしかしたら、周防にまったく無関係な話でもないかもしれないから巻き込んだ」
「……どういうこと?」
「うん。こればかりは心には、というか当人にはわからない」
いや、それじゃ説明になってないでしょう。
「理由なんてそんなとこ。次に機会があれば自分で使う。その前に確信が欲しいけど」
はぐらかされたかしら。まあいいけど。
「「次」が来る前に誰かに獲られていないといいわね」
「面識ない女が惹きつけられてるだけのうちは問題ない。考える時間はある」
「近場がその気になるまでは、ね。一緒に住んでる輝燐とか、この辺にはいないけど明らかに好意持ってるサフィエルとか、一躍本命に急上昇した獅子堂先輩とか」
「ひとり抜けてる」
「……? 杏李先輩は違うと思うわよ」
「だからわからないって言った。出来ればずっとそのままでいて」
???
「ん、そろそろ帰る。今日も来る?」
「ええ、後からお邪魔させてもらうわ。いつも悪いわね」
毎週日曜は真砂のお宅で夕飯をご一緒させていただいている。節約生活には本当にありがたい話よ。
「今さら。……あ、驚かされる覚悟だけしといて」
「あたしの誕生日はとっくに過ぎたわよ」
今日は訳の分からないことばかり言うわね、と思いながら冗談で返した。
……ええ、驚くなと言う方が無理な話だったわよ。ていうかあんなのがいるならそう言えばいいだけの話でしょうが、わざと黙ってるとか人が悪すぎるわよ、この女。
気付いてしまった。
五人の少女たち=男主人公と対比する意味での女主人公であり、サブキャラクター=攻略対象であっても何ら問題はないということに……!
いえ、最終的にどうなるかはまだわかりませんケド。




