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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第4章 Ice × Fire
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第三話 四日前(1)――相似形の刃はよく刺さる

 Four days ago


 こおりちゃんは別に冗談を言わない訳じゃない。

 ただ、あの類の冗談は初めてだった。

 土曜日だから、昼近くまで起きてこないのはいつも通りだった。

「火力が欲しい」

 そんな事をぼやきながら昼食を作っていたこおりちゃんの元へプゥがてくてくと歩いていき、フラムの発動準備を始めたところへレリーフがお尻にプスリと頭頂の葉っぱを刺した。プゥはぴょんと飛び上がってこっちに駆け戻ってくるとレリーフを恨みがましく睨んだ。

 ちなみに昼食は炒飯と中華スープだった。十分美味しかった。

 その後、出かける用意をしていたこおりちゃんに何処へ行くのか尋ねたら、数秒考えて、こう言ったのだ。

「デート?」

 割と、機嫌が良さそうだった。



 待ち合わせをした男女が二人きりで出掛けることをその定義とするなら、デートで間違いないだろう。

 恋愛関係になるため、あるいはなっていることを条件とするなら、デートではありえない。

 そんな益体も無い事を考えながら、獅子堂と待ち合わせている駅前広場へ向かっていた。

 今日の目的は単純に遊びに出て来たというのも間違いではないが、メインは獅子堂から受けた相談にある。

 週の頭、放課後の生徒会室へ行く途中で、こんな話を聞かされた。

「サフィエルが暇を出された」

 俺の日本語解釈が間違っていなければ、サフィが獅子堂のメイドをクビになったということだ。おまけに、屋敷から彼女の私物が無くなっていたらしい。

 はて、土曜に会ったあいつからは全くそんな気配は無かったが。というかあれだけ獅子堂に心酔してるあいつが、はいそうですかと受け入れてる情景が見えてこない。ついこの前出会ったばかり――いや、本当は再会らしいが――の俺でさえそうなのだから、獅子堂が納得しているはずもない。

 事実その通りで、実家から連絡を受けた際に色々訊いてみたらしいが、詳しい話は聞けなかったそうだ。サフィ自身から話を聞こうにも、連絡が繋がらないらしい。

 ただ、どうにも大きなミスをやらかしたとか、獅子堂の家と縁が切れたとか、そういう雰囲気ではないらしい。まあそれはそうだろう、あいつは単なるメイドじゃなく『レオンハルト』の構成員でもあるらしい。故に軽々しく外に逃がす訳がない。

 結局憶測に憶測を重ねても意味がないということで、サフィエルから連絡があったら知らせて、私も何かわかったら教える、ということでその場は流れた。

 そして続報が入ったのが一昨日のこと。サフィの現在の所在が判明したという。ところが何故かその場では教えられず、こうして土曜まで待つことになったのだ。はて、今改めて思うと何故それだけの為にわざわざ休日に呼び出される必要があるのだろうか。そもそもサフィの事に気を揉んでいるのは獅子堂の方で、あいつの方で解決できたなら別に俺に教えてくれる必要はないのだけど。

 んー……。まあ、こうして友達と遊びに行くのが嫌な訳じゃないから別にいいんだけど。

 さて、休日の昼過ぎということもあって駅前広場はやはり人が多い。この中からたった一人目当ての人間を見つけるのは骨が折れるか。

 と思っていたところへポケットから携帯電話が鳴り出す。折り畳み式のそれを開くと、そこには獅子堂の名前が。ああ、こういう便利なものもあったんだっけ。

「もしもし」

『ああ周防……今見つけた。そちらへ行く』

 携帯を耳にあてた人間、を目印にして探したのだろう。プ、と通話が切れ、代わりに後ろに人が近づく気配。いや、足音くらい立てろよ、怖えって。

 で、振り向いた途端、

「…………は?」

 目が点になった。

「あ、久々ね、その反応」

 そこには、確かに獅子堂がいた。母親の形見という眼鏡もいつも通り。それがあの山で着けていた物なのか、旅館に戻った後付け替えていた予備の物なのかまでは流石に分からないが。

 しかしいつも学園でヘアバンドを付けている頭には、今日は違うものが付いていた。

 フリルのついたヘッドドレス。

 いやそれだけではない。全身真っ白の、フリフリ。まるで西洋人形のようなふんわりとしたいかにも可愛らしいドレス。

 なんていったか、ゴスロリ? いや、甘ロリ? よく知らない。

「あー……うん。パーティーにでも行くのか?」

「あら、いいわね。父様に頼んで用意してもらいましょうか? ふふ、貴方にもちゃんとタキシードを貸し出してあげちゃうよ?」

 カチャリ、と眼鏡を外しながら冗談めかしてそんなことを言ってきた。

「あ、外すの?」

「うーん、貴方にはもう知られちゃってるから、こっちの方が羽根伸ばせるかなぁって思ったんだけど……」

 と言いながらも、また眼鏡を掛け直す。

「どこで学園生と会うかも分からないしね。まあ、気分次第で外すとしましょう」

「ふぅん」

 まあ、それはいい。とりあえず今問題なのは、

「これは、私の普段着よ」

「はあっ!?」

 こっちの困惑を見越して答えてくれたのはいいが、は、何? それが普段着?

「そう。だから別にめかしこんできたとかいうことは無いわよ」

 いや、それはどうでもいい。いいのだが、

「え、てことはお前、寮の中でいつもそんな服装なの?」

「大体そうね」

「え、けどお前、こないだは普通のカッコだったじゃん」

「リムジンでの移動ならともかく、電車で、しかも現地でもいろいろ歩き回るのに、動きにくい格好は選ばないわよ」

「いや、え、でも」

「うるさい。子供の頃からこうだったんだから仕方ないじゃない。今更変えるのも変な感じなのよ」

 うわあ、またもや一般家庭とは違うところを見せ付けられた。

「大体服のセンスで周防にあれこれ言われる筋合いはないわね。姿見で全身見てみなさい、全然似合ってないわよ」

 余計なお世話だ。

「ん、そうね。今日はその辺から見て回るのもいいかもしれない」

 え、何? 何か知らないけど全然よくない。

「あ、俺唐突に急用を思い出したかもしんない」

「はいはい、無意味な抵抗しない」

 くるりと背を向けるとしかっと肩を掴まれた。

 いやだって、なんか嫌な予感がするですよ!?

「怖がることないわよ。ただちょっとの間、着せ替え人形になるだけだから」

「そーゆーのはどう考えても俺の配役じゃない!!」

 しかしそんな抗議もむなしく。

 肩を掴まれたまま、デパートの紳士服売り場へと連行されていくのだった。



「ふむ……。ちょっと上着こっちに変えてみてくれる?」

「うぇーい……」

 一気に三着の上着を手渡された。

「背筋伸ばして。それじゃどんないい服着ても格好良く見えないわよ」

「と言われてもなぁ……」

 正直、服なんて機能性さえ十分ならどれでも同じだろ、と思ってる。今さら言ってもしょうがないけど。

 だがそれを抜きにしても、もう一時間だ、一時間。よく飽きもせず同じ事続けられるな、と感心と呆れが半々だ。

 試着室の中で服を脱ぎながら、外の獅子堂に話し掛ける。

「なあ、パーカー多くない?」

「ああ。フードにあの子(・・・)入れてあげたらいいんじゃないかなって」

「……流石にそこまで小さくないから」

 手で抱えるくらいはあるし。

「そう、残念。結構かわいい絵だと思ったけど」

 ……まさかその為だけに着せ替えやらされてんじゃねーだろーな。

「ああ、それはもちろんついでだから。最初に言ったと思うけど、あまりに服のセンス無いんだもの。こうして余計なお世話焼きたくなるくらいには酷いわ」

 むう。そこまで言われるほどなのか。

 まあ、心当たりはなくも無い。外で知り合いに会うと、全身を眺め回された後微妙な表情(かお)をされる事がままあるからだ。

「輝燐からは特に何も言われた事無いんだがなあ」

「……もしかして貴方たち、休日一緒に出かけた事もないんじゃない? 部屋着だから適当に着てると思われてるのよ、きっと」

 うーん、そうかも。

「まあ、見栄えとか気に留めた事ないみたいだし。どうせ俺のだからなあ」

「……」

「で、これはどうなんだ?」

 敷居をシャッと開け、幾度目かの評価をお伺いする。

「んー………………ま、後もつかえてるし、こんなものでしょう」

 随分悩んだみたいだが、、ようやく及第点を貰えたようだ。

「まったく……服選びにこんなに時間かかるなんて」

「え? 女の買い物は時間がかかるのが相場じゃないの?」

「私は即断即決派。今回が、というかお前が異例なんだ」

 などと言いながらじろりと睨みつけてきた。

「どうなってるんだお前。こっちは調和のとれた服を見繕ってるつもりなのに、いざ着てみると不協和音を引き起こすとか、服飾の神に嫌われているとしか思えないぞ」

「お前、神様とか信じる方?」

「信じない。でも神様っぽい何かならいる、いえ在るかも、とは思ってる。ああ、例のアレじゃあなくてね」

 言われなくても勘違いしない……いや、自分は勘違いしてないって言いたかっただけか。

 ミスティなんて、人とそう変わらない。神様なんてものには程遠い。

 ……『教会』とやらの目の前で言ったらどうなるか、明野で試してみようか。止めとこう、面倒臭いことになりそうだ。

 敷居を閉じて元の服に着替え、ようとしたら獅子堂に押さえられた。

「そのままでいいわよ」

「……え、買うの?」

「買わないならとっくに諦めてるわよ」

 ふむ、成程。だがな獅子堂、由々しき問題が一つ。

「俺、んな金無い」

 哀しいかな、人間社会なんて所詮これが全てなのよね。

「安心なさいな、立て替えといてあげるから」

 と平然とのたまうこいつは生来の勝ち組だ。

「……そこで「買ってあげる」じゃない辺り獅子堂だよなー」

 いや、一向に構わないんだけどさ。ただの金ヅルを友達なんて呼ぶ人間にはなりたくないし。

「だからコスパのいい店選んだのよ。まあ、強引に連れて来たのは私だし、半分は出してあげるから」

「お気遣いどーも」

 元着ていた服を店で貰った袋に入れ、会計を済ませて店を出る。

 ……でもな、獅子堂。あの店の店員には、絶対に俺が彼女のヒモに見えてたことだろうよ。別にいいけどさ。

「で、次は?」

「そうだな。周防が行きたい場所はないの?」

「どこか美味しいデザートが売ってる場所知らない?」

「一も二もなく食欲なのね」

 苦笑される。失礼な。味の探求と言って貰いたい。

「うーん……。それならどうせ後で行くから、もう少し私に付き合って貰っていい?」

「いいも何も、今日は元からそのつもりだったぞ」

「そう。じゃあ行こうか」

 そう言って向かった先は――

 ファンシーショップだった。

「おおう」

 思わず唸る。唸ってしまう。唸らざるを得ない。

 しかしこいつの本性を知っていれば、唖然とする程の事はない。それでもあれだ、普段とのギャップに唸るくらいは勘弁してほしい。

「男だとこういう所入るのは抵抗あるのわかるけど、付き合ってくれる? それとも待ってる?」

「いや、行くよ」

 どうも勘違いされたみたいだが、んなことで唸ったワケじゃない。女が大勢? 男が一人? だからどうした。

「付いて来いというなら女性下着売り場にだって」

「いや、そこは行かないから」

 …………チッ。いえ、行きたかったワケじゃないですよ? 所詮誰も着てなきゃただの布きれですし。獅子堂はどんな柄のがお好みなんでしょうねぇヒヒヒ、とかその程度の愉しみ方くらいしか考えていませんですよ、ええハイ。

 というワケで足を踏み入れたファンシーショップだが。

 こういう店って周りの女子たちみたくキャイキャイ笑いながらファンシーグッズに手を伸ばすのが普通だと、そう思うのだが。

 腕組みする獅子堂。

 目の前にはぬいぐるみが陳列された商品棚。

 その眼差しは愛でるというより、骨董品に対する鑑定士のそれで。

 ここだけ、すごい場違いな重い空気に支配されていた。その服装だけはこの場に似合っているからなんともシュールな絵面だ。

 おかげでこの一角に他の客が近づいてこない。店員が注意しようにも、獅子堂が何かをやっている訳ではなく、またそんな勇気があるヤツがいるはずもない。だからって俺を見られてもねえ、困ったように笑ってみせる以外、何が出来ると。

 と、獅子堂が一歩踏み出す。徐に手を伸ばし、棚から一体のぬいぐるみを掴み取った。

「さ、行こうか」

「ああ、うん」

 レジへと向かう獅子堂。気のせいか、その手に納まったうりぼうのぬいぐるみの顔から、童謡の仔牛の様な哀愁が漂ってきた。



「少し休まない?」

 デパートを出てすぐの獅子堂の提案で、通りに並んだ自販機傍のベンチに二人腰掛けている。

 がさがさと、包装を剥がしてさっき買ったぬいぐるみが取り出された。

「ぬいぐるみ、好きなのか?」

「嫌いな女の子はそういないと思うな」

 口調がいつもより柔らかい。気付けば、いつの間にか眼鏡を外していた。

「周防さん、これなら出てきても大丈夫だと思うけど、どう?」

 一瞬何のことか分からなかったが、すぐ気遣われたのだと気付いた。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ゆらり、両腕の内で空間が揺らいだ。

 現れたものは、腕の内に納まるサイズの、一葉を生やしたデフォルメ球根。

 見た目はぬいぐるみだが、獅子堂のものと違ってこちらは生きている。

「一週間ぶり、レリさん」

 小さく手を振る獅子堂に葉を振って応えるレリ。前言撤回、ただレリに会いたかっただけだなこいつ。

 レリの事について、またミスティの事についてはあの後獅子堂に教えてある。というか訊き出されたというか、こいつにレリの姿を見せた時点で覚悟はしていたが。ただ、この街に来てから知ったミスティに関する一般用語については『先生』から聞いたことにしてある。つまり、今現在の事に関しては何も話していない。

 学園のこと、背後組織のこと、獅子堂の実家が大いに関わっていること、輝燐たちのこと。

 そういった周りのことは何一つ教えちゃいない。

 勝手に教えるのもどうかと思うし、何より余分な事だと思うからだ。

 ただ自分のミスティに逢いたい――それだけの彼女にとって本当に余分な事でしかない。

 だからね、獅子堂サン。そのおいでおいでと手招きする手を止めなさい。あんたにはそのぬいぐるみがあるでしょうが。

「……周防さん」

 なに、そのへいパース、って手は。あげないから。渡さないから。ああもう、普段じゃ絶対お目にかかれない膨れっ面とかしないの。可愛いけど。

『目がコワイよ、こおり』

「シッ、目を合わせちゃダメだ、襲われるぞ」

「そこ、変な印象吹き込まないでくれる」

 大丈夫、概ね間違えたことは言ってないはずだから。

「ところで、この為だけにそのぬいぐるみを買った、ってワケじゃないよな」

 それにしては真剣に選んでたし。

「もちろん。家に帰れば、この子の仲間がたくさんいるよ」

「代償行為?」

 少し無遠慮だったかな、と思う。獅子堂はまずキョトンとして、それから苦笑いを浮かべた。

「うん、はじめはそうだったかも。けどね周防さん、『可愛い』は時に何物にも勝る原動力になるんだよ」

「……俺にはその言葉が獅子堂の口から出ているという現実が信じられない」

「真実はいつもひとつだよ」

「違う、ひとつだけなのは「事実」だ。真実なんて人の都合でコロコロ変わる」

 言葉遊びと言わば言え。多面的解釈なんて必要ない。確かな一つがあればいい。


 そして確かな現実という奴は。

 理不尽で、大抵の場合容赦が無い。


「面白い言い分だけど……話、ずれてない?」

「そうかも……何の話だっけ?」

「ぬいぐるみが可愛いって話」

 そう言ってうりぼうの顔をこちらに向けてくる……のだが。

「可愛いか……それ?」

 まず目が据わっている。うりぼうということを考慮しても鼻がやけにでかい。口が不自然に半開き。そして頰に朱が差している。

 これ、酔っ払いじゃね?

「なかなか個性的でしょう」

「それは認める」

 認めるが、可愛いどこ行った。

「一番目を惹きつけたのがこの子だったんだから仕方ないよ」

 ふむ、口に出さなくとも伝わって何より。

「他に気になる子もいたけど、際限なくなるから一月に一つまでって決めてるの」

「お前ならそれこそ店ごと買い占められるんじゃね?」

「そんな趣味の悪い真似しないわよ、安っぽい成金じゃあるまいし」

 今出来る出来ないは言及しなかったぞこいつ。突っ込んだことを訊くべきじゃないな、藪蛇に違いあるまい。

「ほら、味のある顔でしょう?」

 そう言って目の前に突き出されたぬいぐるみとじっと見つめ合う。

 この目を見ていると……なんだか……

 喧嘩を売られている気分になってきた。

「こいつブン殴ってもいい?」

「カウンターを喰らう覚悟があるなら」

 痛いのは嫌いだ。

「……悪い、どうも俺の理解の範疇を超えてる」

「そう、残念だね。やっぱり男の子には難しいかな」

 女でも難しいと思うよ。

「まあ、俺はそういうの疎いみたいだし。気にすることも無いだろ」

 しかし服のセンスはあるのにぬいぐるみの好みは謎って、ほんとよくわからな――

それだ(・・・)

「?」

 どれだ。というか何が。

みたい(・・・)ってなに。自分の事でしょう」

「そこか。つーか今更んなこと言われても」

「言わなかっただけ。『私』はそこまで踏み込む気なかったけど、私は気になったらどんどん訊いていくよ」

 もう知ってるよ、存分に。

「けどあれだ。自分の事だと言われても、むしろこんな自分だからどうでもいいと言うべきか」

「自分が嫌いなの?」

「いや嫌いというより無関心が正しいだろうな。他人事としか思えん」

「……もう少し、詳しく話して貰っていい?」

 その言葉を発した獅子堂の表情(かお)に変化はなかったが、瞳の色がわずかに濃くなったように見えた。

 断る理由もない、と口を開く。

 ――自分は『化け物』だから。

 ――『人間』が他人事にしか見えない『化け物』だから。

 ――自分は『化け物』でありながらも『人間』だから。

 だから俺自身が他人事なんだ。

 そういったことを話してみた。すると獅子堂は何をか、考える体勢に入る。

 その姿勢に首を傾げた。何を考える必要があるのだろう。俺は改めて口にしてみて筋が通ってると再認識したくらいなんだが。

 立ち上がり自販機の前へ。買うのは微糖の缶コーヒー。「冷たい」を確認してボタンを押す。

 ゴトンと落ちてきた缶を手に取って、プルタブを開けた。

「――誰の事も他人事としか思えない」

 ん、と獅子堂へ首を向けた。

「それはね、うん。私にも分かるつもり」

 つもり、などと謙遜する必要はないだろう。事実その通りの『同類』なのだから。

「だからかな、私には周防さんが他人とは思えない。周防さんは?」

「他人を友人って言う程心広くないんだよなあ、俺」

 その点こいつは俺より遥かに社会適合性があるだろう。あるいはそれも『眼鏡』の効果か。

 そっか、と頷き。じゃあね、と繋げて。


「私は――『人間』じゃないのかな?」


 ――――

 ――――――――?

 あれ?

「ちょっと待て……え? なにそれ、どうしてそうなる?」

 問うていた。

「私は貴方の友人で、貴方にとって『人間』は他人事なんでしょう?」

 問うまでもない事を問うていた。

「なら、必然的に貴方は私を『人間』と見做していない事になる」

「違う、そうじゃない」

 深く考えもせず否定が口をついて出た。

 確かに獅子堂は『化け物』だ。俺の『同類』だ。

 だからこそ言える、言わなくてはならない。

「獅子堂は『人間』だ」

 その事実は『化け物』である事と矛盾しない。同居出来る。

「例外はある。『人間』でも他人だと思わない人はいる」

 家族である父さん母さん。敬意を持った『先生』。ほら、紛れもなく人間でありながら他人と思えない人たちが確かにいた。

「悪いけど両親は除外してくれる? その人たちがいなきゃ自分は産まれてこなかった。それが『理解(わか)』ってれば他人扱いなんてする訳ない」

「……他にもいる」

「うーん、そっか。……どんな人かもわからないし理詰めであれこれ言うのは無理かな」

 諦めたように首を振る。どうやら追及(・・)はここまでのようだ。ホッとした(・・・・・)

「でも、そもそも理を詰める必要はないんじゃないかな?」

 ところが、獅子堂はまだ何かを言っていた。

「どういう意味さ?」

 少し語気が強くなったかもしれない。が、獅子堂に気にした様子はなかった。

「だってね――私はそんな理屈考えたことも無い」

「……?」

 何の話だ。お前の話じゃなく俺の話をして……。

 ……違う。

「そんな理屈なんて無くても、私には皆、皆他人事だった」

 それはお前の話で俺の話じゃない――

 ――違う。

「理屈じゃない。理由なんて分からない。私と彼らははっきりズレてしまっている、それはただの事実」

 こいつの話は、俺の話だ。

 似たように見える現象が起きているだけでその理由・理屈はお互い別のもの、なんて他の誰かが聞けばもっともと思える言い訳も出来ない。

 こいつは俺の『同類』で。

 これは『俺たち』という『存在』が抱える現象だという話なのだから。


「私は私。他人だと思ったことはないよ」


 成程、と極めて冷静に納得した。

 して、しまった。


 ガラン、と足元で音がした。

 自分が缶コーヒーを落としたのだと、認識だけはした。

 頭に鈍痛が走った。物理的に。

 どうやら、自販機に頭をぶつけたらしい。

 手を着いて身を離すとふらり、と後ろに倒れそうになった。

 ……なんだこれ?

「ねえ周防さん」

「……悪い」

 おぼつかない足取りで、獅子堂に背を向けた。

「ちょっと、トイレ」

「うん。待ってる」


 近くの店へ入っていく周防さんの背中を見送る。

 彼が受けたであろうショックの程は、道に転がったままの缶よりも、危なっかしい足取りよりも。

「――」

 未だここに彼のパートナーがいるという事が何よりも表していた。

「見過ごせなかった、っていうのは、やっぱり言い訳だね」

 正直、あそこまで動揺するとは思ってなかった。いやそもそも、一体何に、何故動揺したのか。立ち去る前に見せた困惑の表情からすると、きっと周防さん自身は分かってない。

 当然の事、自明の理だと思ってた事が真っ向否定されたのだ。動揺するとは思っていた。

 それでもそう酷い事にはならないだろうと思ってた。問題点さえ指摘すれば、後は勝手に自己解決するだろうと。

 安易な考え方だと非難する? でもこう言えば彼を知る人なら納得してしまうだろう、「だって周防さんだし」。

 動揺する、というのは想定内。

 動揺し続ける、というのが想定外。

 私がやった事は彼が信じていた理屈を勘違いだと突きつけただけ。

 正答は、どこにも示されていない。

 こう言ってしまうと周防さんは一から十まで全部教えてやらなきゃ理解してくれないのか、と解釈しそうだけど、そういう事じゃない。私は十が間違っていると教えたに過ぎない。きっとそこだけに注目してしまってるから答えが見えてこないんだね。

 と、こんな風に言ってしまったら何もかも分かってるように聞こえるだろうけど、もちろんそんな事はない。当人以外の目から見た方がわかる事があるだけで、さらに言うなら本当の意味で全ての答えが出せるのは当人しかいない。

 だから、これはあくまで推測なのだけど。

 周防さんは、一で勘違いをしてしまっているのだ。そしてその事に、まだ気付いていない。

 ……かく言う私も、周防さんの反応を見てから気付いて「しまった」と思ったんだけど。

 ……何故だかじっと見られてる。に、睨まれてるワケじゃなさそうだけど……うう、流石に居心地悪いよ。

 勇み足って言いたいのかなあ。でも、いずれはどうにかしなきゃいけなかったことじゃない。それは『私』だって同じ意見だ。

 結局自分は『自分』であって、『他人』では有り得ない。当たり前のこと。貴方だってそうなんだと――ん、これは違うか。

 それでいいんだ(・・・・)と、気付くようにしてあげないといけない。

 ……もっとも。絶対に私が(・・)やらなくちゃならない訳じゃないけど。

 ふと、思いついて訊いてみた。

「キミは――」

 知っていたの、と。

 止めた。流石に踏み入り過ぎだ。

 あと、訊く相手が消えていた。

 振られちゃったかあ、と物憂げに溜め息ひとつ吐いてみた。

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