第二話 五日前(1)――好意も敵意も
Five days ago
……もう金曜日になっちゃった……。
うあー、マズイ。これ絶対マズイ。
なにがマズイって、ここ一週間こおりちゃんとまともに話せていない。
全く話をしてないって事じゃない。伊緒や啓吾と一緒に普通に馬鹿話は出来る。
けど二人っきりになるとまるで話が出来ない。特に踏み込んだ話題なんて以ての外だ。というか、何かの拍子でそっちの話題に行っちゃうのが怖いから話せてないのかも。
そしてさらに悪い事は、その今の状況をこおりちゃんの方はなんとも思ってないらしい、という事だ。というか、気付いてすらいないんじゃないか?
でないなら、ねえ。
「ふあ……ねむ」
今こうして隣を歩くこおりちゃんの平然とした欠伸顔は、よっぽどのポーカーフェイスって事になる。うん、張り倒してやりたいね。
あーもう、気まずい。これがヤだからここんところ登校時間ずらしてたのに、なんでこんなことになってるんだか。ボクが二度寝しちゃったのが原因だよちくしょう。日課のランニング、サボったの何時以来だろう。しかもよりによって今。やっぱ疲れてるのかなぁ、主に精神的に。
いやあ、心には啖呵切ったんだけど、ね? 当の本人目の前にするとまた違う訳で。
あのまま、勢いに任せて口にした事を実行出来てたら話は違ったんだろう。けど現実として、あの場の状況はかなり混沌としていて思い通りに動けなくて結局こおりちゃんとは合流できず、要するにサフィエルが邪魔してくれやがったのが原因って事だ、あの野郎。
ああ、それだけじゃないな。あいつに言われた事が結構尾を引いてるんだ。どこまでも気に入らない、だからこそその言葉を簡単に無視出来ない。
恩返し程度で近寄るな。そう言った女は愛情を以って距離を取る事を選んだ。
「……妹、か」
隣をちらと見る。どういうことなんだろう。家族はもう皆亡くなってるって言ってなかったっけ。てかそれ以前に明らかに血の繋がりはないよね。訊いたら教えてくれるかな。
……そこで問いが口から出てこないのは、やっぱりボク自身がこおりちゃんに家族と認められてないからだろう。結構可能性が低いとは思ってるけど、万一「サフィエルはこおりちゃんの妹か?」という問いにYESと返ってきたら、それこそボクが家族になる余地が失われるような気がするんだよ。
余地というより意義かもしれない。一人でいるこおりちゃんを、独りにしたくないというのがそもそもの理由なんだから。サフィエルが家族だというなら、その意義は失われる事になる。
……いや。それを言うなら、もう意義は失われてる。ああ、レリーフは初めから数に入ってない。半分こおりちゃん自身みたいなものらしいし。
あまりにも、あっさり。こおりちゃんの隣に立ってしまった人がいるのだ。
と、いつの間にかこおりちゃんがボクの隣から消えていた。物理的な意味で。
振り返る。校門前にいた。誰かと話してる。あれは……
あ、違った。鳳さんだ。生徒会役員で、温泉にも一緒に行ったけど、正直よく知らない人だ。名前だけはよく聞くんだけどね、「おゝとり」の看板娘って。ボクは働いてるとこ見た事ないけど。
……なに話してるんだろ。全然表情が動かないから喜怒哀楽の判別もつかない。あ、終わったみたい。こっちに来て……通り過ぎてった。正面玄関から校舎の中へ。
「なに話してたの?」
同じように歩いてきたこおりちゃんに問いかける。……話しかけなかったら同じように通り過ぎてったなんてことは、流石にないよね。……ない、と思いたい。
「業務連絡」
答えは簡潔だった。
「生徒会の?」
「そりゃそうだろ。「おゝとり」の従業員になった覚えはないからな」
「今日って生徒会だっけ?」
「いや。面倒事が今朝も起きてたってだけ」
と言ってまだ眠たげなその顔からは、相変わらず生徒会の仕事に興味なさげなことが窺える。あ、また大欠伸。
「オ~ッス、こーりん!」
その油断だらけな姿に誘われたのか、伊緒が背中へタックルをかました。バフゥッと吸い込んだ空気が一気に吐き出される。
「ゲホッ、ゲホッ」
「あー、大丈夫、こおりちゃん……?」
むせるこおりちゃんに声をかける。頑丈だからダメージなんて無いだろうけど、タイミングが絶妙だったなあ。
「キリンもオッス! きょうもしんきくせーなあ!」
肩をバシバシ叩かれる。痛い痛い。何これ、なんかいつにも増してテンション高くない?
「あー、昨日から兄やん帰ってきとるんや……」
疑問に対して答えを返したのは疲れた顔をした啓吾。
「あー、ゆうべはおたのしみでしたね、ってヤツ?」
その発言に噴いた。こおりちゃん、ストレート過ぎ!
「ふはは、じゅーでんかんりょー! 伊緒にこわいものなどない!」
玄関前で仁王立ちで大声を上げる伊緒に注目が集まる。こおりちゃんの声がその耳に届いていたのかいないのか、微妙なところだ。ちなみに集まった視線は「あ、藤田か」の理解とともにあっという間に散っていった。
「邪魔」
「オウフッ」
とか思ってたら、なんと伊緒のお尻を蹴っ飛ばしましたよこのこおりちゃん!?
「ちょ、女の子相手になにやってんの、こおりちゃん!?」
肩を掴んで引っ張る。抵抗は全くなく、ととと、とたたらを踏んで、転ばずに踏み止まり、こちらを向いて、
「性別は関係ない。やられたら殺り返せはこの世の基本原則だ」
とか平然とぬかしましたですよ! ……え、今なんか変じゃなかった? 主にニュアンスとか!?
「いやいや物騒やろ! だからこの世から戦争が無くならへんのや!」
その物言いに啓吾も後ろから割り込んできた。
「いや、それは話広げ過ぎだし。つかそんな本気で蹴ってもいないし、騒ぎ過ぎだ」
「まー、あれもツッコミだな!」
うわ、蹴られた当人が一番ケロッとしてるし。それを見ると騒いだのが馬鹿らしくなってくる。
「ま、伊緒やからな」
「ああ、流石ロリコンに対して寛容なだけの事はあるよな」
「ちょっと!? それ今関係あらへんとちゃうか!?」
「ん? いたのか、ロリコンの弟、通称ドM」
「いましたよ、わかってましたよねぇ!? つか何さらっとワイまで貶めてくれてんの!?」
頭を抱えて唸りを上げる啓吾。もう注目も集まらないどころか人が離れていくレベル。つまりいつも通り。あー、やっぱこの面子だと気楽に話せるなあ。
「うー……まあ、伊緒だからこんなもんだけど、気の弱い子にやったら立派なイジメだよ?」
「気の弱いヤツだったらそもそも初めにタックルしてこないっての」
ごもっとも。
さて、いつまでもこんな所で話してたら遅刻する。遅刻はマズイ。何故なら、ボクらの担任の祈さんは体罰上等の鉄拳教師だからだ。ぬるま湯教育批判する前に自分のだらしないカッコを直してほしい。
そんな事を考えながら靴を履き替えていたら、あ。こおりちゃんがそそくさとゴミ箱へ向かうのを発見。
「ハァイ、こおりちゃんストォ〜ップ」
うへぇ、面倒なヤツに見つかった、って顔しない。
「なぁんど言えばわかるのかなぁ〜?」
「ハイハイ」
どうやら幾度にも渡るお説教はムダではなかったらしく、言い募る前に手紙の端をピッと千切った。
ポタリと、廊下に水滴が落ちる。
紅い。
「……ふむ」
顔を顰めてこおりちゃんが自らの指を見た。紅く染まっている。
「……紙で指切った? ダメじゃない、気を付けなきゃ」
と言いつつも、なんだろう、この肚の底まで嫌なものが響いてくる感覚は。
しかして、それは当たる。
こおりちゃんが、封の切られた封筒を振った。
からんと、血に濡れた平べったい金物が廊下に落ちた。
「うわっ、なんちゅう古典的な」
カミソリの刃。
「――ふざけてる」
一瞬で頭が沸騰した。
「まったくだな」
切った指を口に含んでこおりちゃんがさらりと同意した。自分のことなのに相変わらずの他人事の口振り。ああもう、こっちの気勢が削がれるじゃないか。
でもおかげで、わずかに頭を冷まされた。狙ってやってるなら大したものだけど。
だから、耳に届いた。
くすり。
微かな嘲笑い声にぐりんと首を振り向けた。びくっと肩を撥ねさせたのは二年生の女子生徒。
「何笑ってんの。……まさか」
「ちっ、違うわ、ワタシじゃないわよ!」
続きを察して先に否定してくる先輩。けど、犯人じゃなくてもボクの中じゃ既に敵に認定済みだ。
「だからってこの状況で笑うとか、あまりにも非常識なんじゃない? 人としてどうなのさ」
「あんなの貰うそいつが悪いのよ」
……おい。なんだその言い種。
「大体そう思ってるのなんてワタシだけじゃないわよ。ここにいる人間の中にだって、何人「いい気味だ」って心の中で笑ってる事か――」
――勝手過ぎる。頭が怒りで爆発する。その前に、
「ふむ。つまり笑った事自体は否定しない、と」
「「え?」」
あまりにズレたことを言った誰かさんへ視線が集中した。
「うん? いや、お前誰が笑ってたのか見た訳じゃないだろ? あくまでそこの人がそれっぽい反応してたってだけで。で、今までのやり取りで言外に認めてたなあ、と」
「「……」」
うん……。確かにそうだったかもしれないけど、それこそ、
「まあ、どうでもいいけど」
……あー、なんでボクこんなヒートアップしてるんだっけ……。
そうやって毒気を抜かれた間に、走っていく先輩の背中が階段の上へ消えていった。なんだったんだ、あれ。感じ悪い。
『ワタシだけじゃない』
「…………」
周りを窺おうとして、
「あー、輝燐はんも人の視線とか疎い方やからなー」
……ん?
「どういう意味?」
中断して、何か知ってそうな啓吾の話を聞くことにした。
「んー、こおりはんってめっちゃ極端なんやわ。ホラこおりはんって結構人気あるってハナシしたやろ?」
「うん」
「全校生徒の半分くらいからは好意的に見られとるで」
「えっ、マジ?」
流石にそれは予想しなかった。
「ちなみに男女比四:六ってとこやな、ギギギ」
……女子の方が多いからか。おお、嫉妬で歯軋りがヒドいことに。
「まあ、それはどうでもええねん。肝心なんは、全校生徒のもう半分でな」
「めっちゃきらってる!」
飛び入りで伊緒が核心を突いた。
「……え、マジ?」
思わず呟いた。いや、不思議ではないんだけどね。かく言うボクだって当初はすっごく気に入らなかったし。唯我独尊、傍若無人。受け入れられるか、られないかであっさり評価は逆転するだろう。
味方も多いけど敵も多い、かあ。うん、むしろこおりちゃんらしいとすら言える。
「……でもこのやり方は……」
無いだろ、と言いたいけど、我が身を思い返すと結構陰湿な事やってなかった? 強く言える立場じゃないと気付いて頭を抱えたい……。
「言いたい事はわかるんやけど、こおりはんと真正面からどつきあおうなんて豪気なやっちゃこのガッコにゃそうそうおらんやろ」
「ふえ? 何で?」
「わすれたかキリン! こーりんはよんきょーだぞ!」
ああ、そういえばそんなのもあったなあ。
四強の一人。つまり学園最強の一角。
いったいどこのマンガさ、ってカンジの称号だけど、喧嘩OKという謎校則の学園じゃあそれなりの地位を示す肩書きだ。この面子を敵に回すなら顔出しNG、身バレ厳禁。そう考えるくらいには影響がある。ついでにボクもそんなのの一員ってアハハ、全く他人事じゃなかった。
「こーりんなめんな! 前からいけねーなら背中からさすくらいやれ!」
「いやいやいや! 何さらに物騒な方にシフトしてるのさ!」
「お? だってこんなもんじゃこーりんきにしねーぞ?」
「いや、気にするやろ? 前と違うて怪我しとるんやで?」
「んー……でもこーりんだからな。ほーふくするよりめんどーってうごかないんじゃね?」
ありえるけど、でも敵には容赦ないよ? あ、けどわざわざ探したりしないか?
ん、ていうか本人に直接聞いた方が早いか。
「ねえ、どうするのこおり……ちゃん?」
……あれ? 首を傾げる。
「こおりちゃん、どこ行った?」
いつの間にやら、その姿が影も形も見当たらない。
「きえた? トイレか?」
「保健室やあらへん? どっちにしろ一言ゆーてから行きゃええんに」
うううん? あれ? 何か、何だろう? 変な、モヤッとした感じ? するようなしないような?
「キリン、へんなかおだな」
「うるさいよ。……ううん、先教室行こっか。勝手にいなくなったんだし、わざわざここで待つ事もないでしょ」
「そやね」
首肯する啓吾。そのまま三人で教室の方へ足を踏み出して、
「しかし、あれだな。輝燐の言う通りにして怪我したんだから、これからはもう直で捨てちゃっていいってことで」
「なワケあるかあっ! ……って」
あれ? 後ろから聞こえた声に思わず突っ込んじゃったけど、
「こおりちゃん? いつからそこに?」
そう。どこかに消えていたはずのこおりちゃんがいつの間にかそこにいた。
「何の話だ?」
「こちらが今朝こーりんに奇襲をお掛けになって、見事返り討ちに遭われた方のお話ですか」
放課後になりました。本日は生徒会活動もなく、ただ今の生徒会室には一席にかける私、石崎杏李と以前私が腰掛けていた椅子の現在の主、遠見京之介さんの二人だけです。
もちろん人目を忍ぶ密会、いわゆる逢瀬ではありません。生徒会の裏のお仕事関連です。
「秒殺ですか。まったく容赦がありませんね、こーりんは」
手元の資料の記述にほう、と一息吐きます。こちらの情報源は、捕縛なされた襲撃者から問い質した証言だけではありません。『霧』の境界を越えて内部への干渉が可能でいらっしゃる念系及び電子機器への干渉が可能な雷系、その二系統のミスティさんのお力があれば、学園内部に設置された隠しカメラによって霧内部の撮影が可能なのです。
時刻はまだ大勢の生徒さん達が校門に集まられている登校時刻。であられるというのに、資料写真に写られている人のお姿はカメラに背をお向けになられたこーりんただ一人。いえ、隅の方に男性の頭部がお写りになられておりました。
「こちらの方は、やはり『レオンハルト』の?」
「いや、提携企業の社員のようだよ」
ふむ。『ブリッジ』と『教会』のような、協力関係ではありますが一枚岩ではない、というところでしょうか。
「どのくらい情報を絞り出せたのでしょうか?」
「それが、社員は社員でも契約社員のようでね、大した事は聞き出せ無かったよ」
とはっはっはと笑うキョウさん。あまり笑い事ではないのですけどね、容易く部外者に入り込まれているというのは。いえ、キョウさんもその程度の事はご承知の上でしょうが。
写真をめくります。動画を渡して頂ける方が分かり易いですし印刷の手間も省けると思うのですが。
背中をお見せになられているこーりんに飛び掛かる異界の生物、ミスティ。頭頂部と両肩に扇風機の羽根が付いた、明らかに機械の身体ですがそれでも生命体という区切りに収まりになるところがまたミスティの不思議さです。
めくります。
写真の中心には凍りついたミスティさん。奥には右手に大鎌を所持、左手の指に――これは、挟んでいるのでしょうか、それとも一体化なさっておられるのか――三枚の刃を伸ばされたこーりんが、未だ背を向けたままお写りになられていました。
次いで鎌を突き出し止めの一撃。『霧』が構築なされてから三十秒と経過されておりませんでした。その間、結局一度も後ろを向いておられません。
「完封ですね。こちらのミスティさんはどの程度でしたのでしょう?」
「レギュラーだな。特に強くも弱くもない。強いて言うならば、同クラスのミスティにあっさり瞬殺される程柔ではない、というところかな」
「これまでこーりんが戦われた方々と比べては?」
「同クラス限定で比較するならそう変わらんだろう。そういう状況だった、この結果はそれだけのことさ」
「もう少し詳しくお願い出来ますか?」
朧気に見えてきましたが、ここは先を促します。
「後ろからの奇襲で敵意丸出しだったというのが一番大きいだろうね。どの程度で済ませるか、悩む必要が無くて大助かりだったろうさ」
成程。だとすれば、こころんが今現在生き残っておられるのは、本当に御運がよろしかっただけということですね。
「後は、長い事拘ってたら遅刻する、というところではないかな」
「ありえそうで恐ろしい話です」
そう。恐ろしい人なのです。
ですがどのような恐ろしい人であろうとも、結局は人間です。しかるべき材料と手順さえ組み立てられれば、こちらの思い通りに動かせない方などおりません。
……本当に?
亜麻色の髪の女性が心に浮かびます。力の抜けた微笑みをお浮かべになるその方が、両腕をいっぱいにお広げになる。その一動作だけで閉鎖された空間がばりんと壊されるのを目の当たりにしました。同系統の力を保有しているが故に、すさまじいお力であると身震いするほどに理解出来ました。
……力をお持ちなだけ、でしたらよろしかったのですが。
旅行から戻りました後、私はすぐに『ブリッジ』の支部へ出向きました。どうしてもお伺いしなければならない事案が発生した為です。
無論、翠歌くんの事です。
何故翠歌くんが『ブリッジ』のお仕事をなされているのか。『ブリッジ』は確かに翠歌くんがオーナーであるとご存知ですし翠歌くんも『ブリッジ』の存在をご存知ですが、ただそれだけの関わりのはずでした。私のように『ブリッジ』の一員という訳ではありません。それが何故、それもサメさんと戦われるなどという事態にまでなられているのか。
私が『ブリッジ』の一員となる際に翠歌くんを関わらせない事を契約に盛り込んでおきましたのに、これは立派な契約違反です。その事を持ち出して、事務員さんに翠歌くんへ仕事を流した人物を洗い出して頂きました。基本的に私と『上司』の間を受け持たれるこの事務員さんとは既に友好的な関係を築いています。急なお願いにも快く引き受けて下さりました。
犯人はなんと私の直属の『上司』でした。もっと早く存じていたら面と向かって問い質しましたのに、と後悔しました。
その後彼女と連絡がついたのは深夜を回る頃。私個人から彼女へ連絡を取る手段はなく(逆はその限りでなく、時々事務員を通さず直で指令が来ることがある)支部で長時間待たされることとなりました。返ってきた弁明は、
『路銀が底をついたって言うからアルバイト紹介しちゃった、てへ♪』
と、まったく悪びれもなさらないお言葉でした。もう辞表を提出してしまっても構わないのでは、と思いましたが辛うじて早計と判断致しました。
「私との契約内容をお忘れでいらっしゃいますか?」
『うぅん、「忘れちゃった」って答えた方がまだ揉めないで済みそうだけど、ここは正直に言っちゃおう。覚えてたよぉ』
「では明確な契約違反となりますが、どのように責任を負われるおつもりですか?」
『違約金を支払うくらい構わないけど、そういう事じゃないよね。この契約内容自体、弟くんを危険な目に遭わせたくないっていう姉心なんだから』
知ったような事を仰います。付き合いきれません、と思いかけた時でした。
『じゃあこんなのはどうだろう。良かったね、杏李ちゃん。弟くんが死ななくて済むかもしれないよ?』
――完全無欠に意味不明でした。
「……脅迫ですか?」
『違うよぉ。将来的にそうなる可能性が高いってだけ。あ、別に未来予知とかじゃないから』
「どういう事でしょう、わかるように説明して頂けませんか」
『ムリだよぉ。杏李ちゃんの方に『理解』出来る下地が無いんだもん』
「それでも理解出来るように説明するのが責任者というものではありませんか? 大体、翠歌くんに死の危険があると言うのなら、それはあなた方の所為なのではないですか?」
『それは危険なお仕事だからそうなっちゃう可能性だってあるけど。わたしが言ってるのはそれ以外の話だよぉ』
「それ以外と仰ると、翠歌くんが自分から危険にお近づきになるというお話ですか?」
確かに、翠歌くんはご自分からトラブルに首を突っ込むという悪癖がおありです。翠歌くんが楽しそうなのであまり強く言い聞かせられない事が困りものです。ですが、ならばこそそちらから翠歌くんが興味を惹かれるようなトラブルを持ち込まないで頂きたいのですが。
『ううん、逆だよ。危険が弟くんの方にやってくるの』
「……はい?」
これは、まったく意味がわかりませんでした。
『運命って信じる?』
「私が翠歌くんの姉として産まれてきたことですか?」
『わぁ、凄い返し方された。ちなみにね、わたしは信じてない。でも、ここでは一番わかりやすい言い方だから運命って言わせてもらうね』
「……要するに、翠歌くんに危険が迫る事が運命と?」
よくわかりました。
この方は頭がおかしいのです。
『そうだね。その運命に少しでも抗えるように、弟くんの『器』が鍛えられるようにしてあげようかなぁ、って』
「……ご忠告、ありがたく受け止めさせて頂きます。ですがお引き取り下さい。万一そのような運命が存在なさるとしても、その時は翠歌くんの姉である私が捻じ曲げて――」
『無理。そんな『器』も無いくせに何言ってるの?』
――甘ったるい声のままで、
血の通わない声が私を貫きました。
『少し勘違いしてるみたいだね。戦術、戦略を駆使して多くのミスティに勝ってきた。成程、きみは優秀だ。――で? きみ、それで自分が強いつもりでいたの?』
――強いかどうかなど。勝てればそれで良いのです。
『ハーモニアス・ドライヴってあるよね。あれ、きみはどう思う?』
――あのような曖昧なお力を頼みにされる方のお心が知れません。
『不安定な能力? そう思う事自体、きみの『存在』がちっぽけな証拠だよ。そんな有様できみよりおっきな弟くんの『存在』をどうやって抱える気?』
――貴女が翠歌くんの何を。知ったような口を。
――喉から、声になりません。
掠れた音が、漏れるだけ。
反論は無意味。己の語りが真実だと、押し付けられる感覚。
こんなものを聞いていては、私の総てが壊される。
――気がつけば、受話器を叩きつけていました。
「……」
瞳孔が開いていると思います。動悸が治まりません。ああ、震えが来ました。
あ、あの方は……『何』ですか?
あの方の仰る事が、さっぱり理解できません。ですが、伝わってくるものがありました。
あの方には、何か見えてはいけないものが視えています。
あの方がおかしいのは頭ではありません。
全てです。あの方の全てが――
プルルルル、と手元の電話が鳴り出しました。
恐る恐る、取り上げます。
『もお~、いきなり切ることないじゃない』
「……申し訳ありません」
『うん、よろしい。それで弟くんのことだけど。うん。わたしの方からどうこう言うことはもうしないよ。仕事も渡さない』
「……よろしいのですか?」
『まあ、杏李ちゃんの言う通り約束破りだしね。これ以上ワケのわからない理由で振り回されたくないでしょ? 最低限は備えさせたつもりだし、後は弟くん次第かなって』
……今さらそのような事を仰られても、かえって不安に陥れるだけだと愚考するのですが。
『ああそうそう、弟くんにお仕事頼んだ時××県にいたから、もうじきそっち帰ってくるんじゃないかなぁ?』
本来なら天にも昇る心地となるでしょうそのお言葉でしたが、
「そうでしたか。嗚呼、待ち遠しいです」
平常心へと立ち返る程度の効果しかありませんでした。
とかく、あの方と直接の繋がりが薄い事に安堵せざるを得ませんでした。
あれは人間ではありません。ヒトの姿をなさった何か別の生物です。ヒトの尺度で測れない、そのようなものと対峙するなど真っ平御免です。
まあ、あのようなものがそこら中におられるはずもないので、考えても杞憂に終わる事でしょう。今はこーりんのお話です。
「写真からですと何をなされたのかよく分からないのですが、これがSAなのでしょうか」
「ふむ……僕はEXを推そう。NAで創った刃を使っている辺り、派生くさいだろう」
EX……こころんの報告に出てきた創作技ですか。成程、と頷いて――写真中央、凍りついたミスティさんをトン、と叩きました。
「こちら、系統は?」
「風系機種だ」
「何故炎系を寄越さないのでしょうか?」
今唐突に思いついたことではなく前々からの疑問です。氷には炎。子供でも分かる簡単な図式ではないですか。
「うむ、相性は定石だな。しかしこの場合、定石故に打ってはならない手というものがあるのだよ」
「……炎系に対するカウンター罠をお持ちという事ですか?」
「ああ、近い。ぶっちゃけ、こおりちゃんと戦う時の鉄則として、彼を追い詰めてはならない、というものがある」
……それはまた、矛盾も過ぎた鉄則です。
「正確には精神的に、だな。それが分かってなかったから『あの事件』は起きたと言っても過言じゃない」
こーりんを指して『あの事件』と仰るなら、それは大抵決まっています。
『白い死神』。
そういえば、その際のシフトは衝動的なもの、でしたか。
「あの時は真夏で、しかも敵は炎系という悪条件だったらしい」
「つまり、当時の再現を恐れていらっしゃる、ということですか」
学園に『レオンハルト』のオーナーが差し向けられるならば、その目的は大抵略取でしょう。施設ごと消し飛ばす危険性を含む行為は慎まれるでしょうね。
「まさに取り扱い注意の危険物ですか。それでも群がる人の数は絶えないのですね」
「彼一人動けば世界のパワーバランスが崩れるからね」
組織、ではなく世界ですか。
「杏李女史、ミスティの最も特異な点は何だと思う」
特異、ですか。この世界の条理に縛られない能力? 異次元空間の構築?
……いいえ。
「クラス、ですか」
「そうだ。「初めから勝敗が決まっている」だなんて、何とも無慈悲で圧倒的な法則だ。だからこそ、最上位クラスのミスティを手に入れたオーナーにどれほどの価値があるか」
「ですが、それはミスティのお話でしょう? 人間には関係しないではないですか」
故に、世界は言い過ぎではないでしょうか。確かにそのお力は脅威でしょうが、結局は個体戦力。近代兵器を逐次投入していく持久戦の構えならば、先に潰れるのはミスティではないでしょうか。いえ、この戦法を用いなければ倒せないという時点で、十分パワーバランスを崩されている気もしますね。
「どうかな? 果たして人間は本当にこの法則と無関係でいられるだろうか?」
「……まさか。人間とミスティは」
「異世界の自分である。そう唱える者もいるな」
違いますよ、と押し通す訳にもいきません。
缶に口をつけ紅茶を一口。まーこさんがいらっしゃらないので、お互い自分で購入なされた飲み物を飲んでいます。
さらに数点質問を致しまして、資料を机の上に置くことで一区切りの意を表しました。
……やはり、私に流されてくる周防こおりという方の情報は、ごく限定的のようですね。
そもそも『ブリッジ』の一員ではいらっしゃらないキョウさんが生徒会長を務めてらっしゃるというのがおかしな話なのです。やはりこーりんの幼馴染み、『最高のオーナー』の情報を蓄えていらっしゃるというのは大きな武器なのでしょう。
「ここのところ校内でこおりちゃんを敵視している人間の動きが目立ってきているみたいだがねえ、相手がどれ程の危険物か知らないというのは気楽なものだと思うよ」
「そのような状況に手を打たれることなく甘んじて受け入れておられる辺り、こーりんは実はドMさんでいらっしゃるのではないかと思うのですよ」
「ほほう? それは面白い見解だ。ああ、杏李女史よ、残念だ。昨日キミがあの場にいてくれれば、遥かに愉快痛快な方向へ飛んで行っただろうに」
「あらあら、詳しくお聞かせ願えますか?」
ですから、情報収集は積極的に行いましょう。
近い将来、あの方を私の掌の上に治めるためにも。




