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霧幻冬のヘキサグラム  作者: 宇野壱文
第3章 Scythe × Sword
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第二十話 二重螺旋(前)

アップロードと一緒に第十七話を大幅に加筆修正しました。今回の話にも関わるところなので先にそちらを読んでおく事をお勧めします。

 退くことを、考慮しなかったわけじゃない。

 私があれに殺される明確なビジョンは浮かばない。けど命の危険が皆無と言うほど楽観できる相手でもない。

 そもそも当たり前の事なんだけど、なのに周防さん辺りは本気で勘違いしてそうでこれは私という人間への認識の差異について小一時間ほど『話し合う』べきかなと思うんだけど、それは心のスケジューラーにメモするに今は留めておくとして、

 もちろん私は命懸けの戦いなんてこれが初めてだ。

 それはどういうことかといえば、妥協点、退き際の線引きが曖昧だってこと。

 見る人から見たら私は今崖っぷちに立っているのかもしれないし、もしかしたらとっくに転げ落ちているのかもしれないけど、私自身はとんと自覚が無い。その危うさは、むしろ見ている人の背筋を凍らせる有様だろう。

 つまりそういった第三者的な視線の役割として、感情とは裏腹に理性は慎重論を訴えている。

 世の全てが命あっての物種と言うなら、ここは退いて次の機会を待つという妥協を受け入れるのも仕方ないと、頭の片隅で理性が囁いている。

 私は、心の中でひとつ頷いた。

 頷いて、丸めて捨てた。

 結局「片隅」で、「囁いて」いる程度の思考に過ぎないのね。

 何故って答えは簡単――命が何よりも最優先だなんて一般論(しこう)、一笑に付して斬り捨ててしまったからだ。

 所詮幾つもある判断材料のひとつ、その程度の認識しかない。

 とはいえ実際に命の危機に見舞われて緊張も萎縮もしてない辺り、我ながらどうかしちゃってる。

 けど仕方ない。だってようやく、ようやくなんだ。

 あの時から、ずっと探してたんだ。

 目の前にして、退けるもんか。

 ――私の世界!!

 そして、今。

 その結果の、紛れもない命の危機に、

 踵に触れたそれを、足首のスナップで持ち上げ掴み取る。

 その瞬間、今まで不足していた決定力の差が、埋まった。

 私にとって中学から始めた空手は、思いの外面白くてすっかりハマってしまったのだけど、所詮「趣味」の範疇にあるものに過ぎない。

 子供の頃から、他のどんな習い事を辞めても、決して辞めることを許されなかった唯一つのこと――それが「剣術」だった。

 剣道じゃない。ルールの決まったスポーツじゃあない。

 実戦用、命を取り合うための(すべ)。その習得を、半ば義務付けられた。

 理由は知らない。もちろん、家が剣術の大家なんてこともない。

 ただ、不満に思うこともなかった。

 剣術(それ)は、誂えたように私に嵌っていたから。

 正確には、嵌っていたのは剣そのものかもしれない。

 西洋剣、ナイフ、ククリ刀やジャマダハル、およそあらゆる刀剣類を身体の一部のように扱えるようになった。もちろん、今この手に握っている日本刀も。

 白木造りの鞘は一見すると木刀のように見えるかもしれないけど――木刀でも一向に構わないのだけれど――手にして鋼の重みを感じれば間違えることなんてないでしょう。

 身体に染み付いた自然な構えへ流れるように移行する。軽く握った柄から伝わる感触は、極めて普通の凡刀。社に奉納された御神刀の癖に、手入れの状態は余り良くない。

 しかし、如何な刀でも名刀に劣らぬ切れ味を引き出してこその剣士。

 鯉口を切る。口を大きく広げて押し寄せる枯れ木鮫へと、鞘に刃を走らせ一息に抜きはな――

 抜き――

 抜き――――

 ――――――――抜けない。

「――」

 さあっと顔から血の気が引くのがわかる。周防さんが何事か怒鳴っている。内容は頭に入って来ない。

 ただ、目前に迫った巨体を、反射的に鞘に入ったままの刀で受け止めた。

 ドンッ

「くうっ」

 もちろん受け止めきれる重量差じゃなくて、吹っ飛ばされて背中を社に叩きつけてしまった。

「かはっ」

 肺から空気が漏れる。まずい、すぐには動けない。この距離でそれは致命的――

「――こう、だったな」

 とん、と。

 周防さんが枯れ木鮫に側面から拳を押し当てた。そして。

 ぶるり、と躍動。全身運動による刹那の連撃。

 ――杭打ち(パイルバンカー)ッ!?

 その衝撃を嫌がり、逃れるように――つまり私にぶつかるコースから外れて旋回行動に移る。

「……ナニコレ。めっちゃ腕痛いんだけど」

 そう言って腕を抑える周防さんを、刀を抱えたまま立ち上がりながらも凝視していた。

「す、周防さん、今の」

「ん、お前が使ってたやつな。……いや、んなマジマジと見られても。ただの見様見真似だよ」

「そ、そんなあっさり真似できるものじゃ――」

「いや、そのセリフお前だけにゃ言われたくないわ。お互い様だろう(・・・・・・・)?」

「――」

 絶句してしまう。言われた意味が分からない、なんてことはなくて、分かったからこそショックを受けて。

 人間が出来る大抵の動きは、彼も(・・)三度もやれば習得を完了(・・)出来るのだと。

 私と同じように(・・・・・・・)

「周防さん、どうして」

「そんなことよりさ、その刀、抜けないの? 錆びてたとか?」

 知っているの、と続けようとして遮られた。ううん、多分本当に「そんなこと」だったから現状大事な方へ話をシフトしただけ。だから私も混ぜっ返したりはしない。

 ただ、口は重い。

「……ううん。たとえ錆びてても、鞘のままだって私には十分な獲物だよ」

 と言いながらも、刀を構えるでもなくさらにぎゅ、と抱き締める。

「でも、駄目なんだ」

 ああ、無様。

 わかってた。わかってたんだ、こうなるってことは。土壇場になったって突然何かが変わるなんてこと、ありはしない。

 抜こうとしても、構えようとしても。

 手が震え、身体が硬直する。

「今の私は、剣が使えない」

 人を斬ったあの時から。

 剣じゃなく、私自身がなまくらと化している。

 正確には、なまくらにしたがってる、と言うべきなのかもしれないけど。

「要するに、虚仮威しにもならないって解釈でオーケー?」

 周防さんはこっちの事情に頓着せず事実だけを確認してくる。ありがたい。その渋い表情を隠す努力をしてくれてればもっとありがたい。

「うん。私じゃ、張り子の虎にもなれない」

 肯定する。周防さんは渋面をさらに濃くする――のではなく、怪訝な色を覗かせた。

 ああ、気付いたかな? 私の言葉に含まれた、微妙なニュアンスの違いに。

「……あ。もしかして、『あっち』なら問題ない?」

 違わなかった予想に苦笑で肯定する。

 そう、『私』なら剣を振ることに躊躇いはない。それが私と『私』の最大の違い……というより、そのために『私』が生まれたのであって、その他の違いはぶっちゃけオマケに過ぎないんだよね、実は。

 母様ならああはならない――当時はそう思ってたけど、うん、違ったね。

 別に誰でもよかった。

 私でさえなければ。

 私でなければ、そもそも何故剣が振れなくなったのか……いや、この言い方は適切じゃあないか。

 何故、私が剣を振ることが本能的に封印(・・・・・・)されてしまったか、その理由を本当の意味で『理解』することが出来ないから。

 ……と言う私自身も理屈立てて説明してみろと言われたらお手上げなんだけど。

 知らないけど、()っている。

 『私』は識らないから、問題無い。

 それだけの話だから、誰でもよかった。

 けど、それはあくまで結果的に、だ。

 母様ならああはならない。当時の私がそう思ったのは揺るがない事実だし、今だって誰でも構わない、なんて思うはずが無い。

 尊敬する母様の模倣だからこそ『私』が生じたのだと、そう信じている。

 ……話は随分逸れたけど、なんにせよ『私』は支障なく剣を取れる。

 問題は、私を魔法にかけるスイッチが壊れてしまってる事。

 元々が伊達眼鏡だからレンズが割れてしまってるのは影響ないとしても、弦が一本外れてしまっていては掛けることが出来ない。片耳と鼻の頭で無理やり固定させても動いているうちに簡単にずれちゃうだろうなぁ。

「……駄目かな」

 見切りをつける。となると、この刀は私にとって手が塞がるだけの邪魔物だ。

「これあげる。使えなくても素手で殴るよりましじゃないかな」

 差し出す。周防さんは数秒逡巡する様子を見せたけど、すっと掌をこちらへ差し出した。

 その手へ刀を乗せようとして――ぶんぶんと払われた。

 眉を顰める私へ、

「そっちじゃない」

 広げていた手を丸め、人差し指だけを伸ばして示す先は、胸ポケット。

「危ない橋は渡らない。……普通に、勝とうか」

 その直後、ゆらり。

 世界が、揺らいだ。



 ああ、面倒になる。


 今さら言うまでもないだろうが、この状況、本当のところは絶体絶命でもなんでもなかったりする。

 そりゃそうだろう。

 やろうと思えば、俺にはこの状況を打破する手がいくらでもあるんだから。

 制限さえ無ければ。

 制限、と言っても実際のところ何ら強制力のあるものじゃあない。そうすると決めて、そうしているだけの、俺の心持ち次第でどのようにでも覆るものに過ぎない。

 しかし、だからこそ頑強だ。

 俺は、自分の生まれ持った力についての責任は重々承知している。責任を放棄した結果が六年前の惨状だし、今ここにいるのだってその責任の一環だ。

 その責任を、「自分が死ぬ」程度の理由で捨てられる訳が無い。

 いわんやそこから発生した制限を、だ。結果死ぬことまで了承済みでの制限なのだから。

 とは言っても普通は相手に合わせて制限を決めるもので、行動の選択肢こそ狭まっても、力不足で追い詰められることなんてない。本来グレートクラス相手ならもうちょっと緩く制限を掛けているし、事実一度はヒュドランまで喚び出した。

 そう、獅子堂(こいつ)の目さえなければ。

 こいつがただ巻き込まれただけのヤツならここまで隠したりしない。見られるのもお構いなしにとっととレリを喚び出している。

 自分からミスティを探していた、という事情もまあ、根本的には関係ない。後からとてもとても面倒臭いことになるのは目に見えているが、制限に加えるほどの理由じゃあない。

 重要なのはただ一点。

 獅子堂優姫。こいつがこいつであるということ。

 その存在そのものが制限に値する。

 こいつにレリを見せる訳にはいかない。いやミスティだけならもう仕方ない。だが俺が喚び出したという事実、オーナーという存在を認識させるのはこの上なく、最悪級に危険だ。

 自明のことだ(・・・・・・)説明の必要もない(・・・・・・・・)

 よってミスティは出さず、代わりに『隠し札』に使用を一度だけ認めたが、それも使い切った。

 自縄自縛もここまでくるとビョーキだな。この制限がかかったまま戦い続ければ、重傷は堅い。少なくともどちらか一人は。

 逃げの検討もしたけどやっぱダメか。だよねー、獅子堂だもんねー。

 その代わり、事態打開の手掛かりを得た。制限の見直しだ。

 現在の制限を掛けるに当たって用いた情報には、キョウ達によって意図的に歪められた情報がある。それを考慮に入れれば、制限を多少変えてそこから糸口を探ることも――

 うん、ないわ。

 ない、それはない。んな程度で都合よく変えるほど、俺に課した制限が安いつもりはない。

 もちろん完全な不動だなんて言う気はない。局面の変化には対応するし、制限の根っこが間違っていたと認めたなら、即座に覆すだろう。

 ただし、その根っこというのは思考・思想レベルのハナシだ。考え方の否定にまで及んで初めて制限を覆す。状況把握の間違い? んなもんただのミス、ヘマだろ。ポカの結果は甘んじて受け入れろ、アホウ。

 と、そこまでの思考を獅子堂に蹴られた脚を押さえながら組み上げた。

 結局のところ、あるものでどうにかするしかないという、何の進展もない結論に落ち着いて、

 獅子堂の足元に転がった刀を見て、全て白紙に還った。

 初めは予感。胸騒ぎ。

 しかし、獅子堂が刀を握った途端、早鐘を打った。

 ……駄目だ。

 駄目だ駄目だ駄目だ!!

 この組み合わせ(剣と獅子堂)は致命的だ!!

 腰溜めに構える、素人には見えねえ、ふざけんな、マジふざけんなッ!! とっくの昔から爆弾のスイッチ入りっぱなしって事じゃねえか!!

 逃げろ、今すぐここから逃げろ、獅子堂の心配なんて無用だ、不要だ、余計な御世話だ意味が無え、自分の事だけ集中しろ。


 万が一が、あれば、

 一番起きて欲しくないことが、起きる。

 それは恐れることではなく。

 『人間』としてただ、ただ嫌悪すべき――


 ――落ち、着けっ! 万が一は万が一だ、あれ(スペイラー)相手に獅子堂が『成る』確率は極微小。

 だが、あの刀が曲者だ。ただ握った、それだけであいつという『存在』はどれだけ近付いた? 正確なところは本人にしかわかりゃしないが――そして、当の本人は全くの無自覚だろうから誰にも判らないって事だが――この上で抜いたら、ふとした刺激で『成り』かねない。

 そして最悪の起爆剤として、ここには『同類(おれ)』がいる――!

 逃げよう。絶対に刺激しないよう、影のようにひっそりと。

 ああ、でも、残念だ。危険なものというのは、往々にして魅力的に映るものなのだと俺は今知ってしまった。

 美しい。

 あまりにも貧弱な語彙で申し訳ないが、装飾を連ねれば連ねるほど本質から遠ざかるとしか思えない。

 一個の完成された芸術品。その本質は血風散らす凶器とわかっていても惹き込まれる。

 そんなだからほら、間に合わない。鯉口を切り、白刃が現れ――

 現れ――――

 ――――――――現れない。

 それどころか、獅子堂の『存在』が急速に縮小していく?

「――んだそりゃあ!?」

 肩透かし――とか言ってる場合じゃねえ、ヤバいだろコレ!?

 案の定吹っ飛ばされる獅子堂。追撃を受ける前に痛む足を無視して踏み込んだ。

 生身でこいつに効く技を記憶から検索。漁るまでもなく、まだ網膜に焼き付いてる。

「――こう、だったな」

 とん、とスペイラーに拳を当てる。次の刹那、足の先から拳へと一気に全身を躍動させ、衝撃をぶちこんだ。

 ――――!? ちょ、ま!! スペイラーが離れたのはいいけど!!

「……ナニコレ。めっちゃ腕痛いんだけど」

 信じらんない。こんなの、よく何発も撃ったな、こいつ。

 出来るか出来ないか、という心配は初めからしていない。ただ俺の知らなかった技術というだけであり、しかもお手本が綺麗だったから初っ端から高精度で使う分には問題なかった。ただ肉体的強度、それに完了形到達度が獅子堂の域に全く及んでいないというだけの事。

 俺たち(・・)にとって、当たり前に出来ることをやったに過ぎない。だろう、獅子堂?

「そんなことより、――」

 そして――

「今の私は、剣が使えない」

 ……そうか。

 こいつ、『成り掛け』た事があるのか。

 ならば納得だ。そんな経験があって、『成る』可能性を放置できるはずが無い。

 俺が『始原異質性』の幾割かを『霧幻の海』へ沈めて引き下げたのと同じ事を、こいつは無意識で行っているだけだ。

 だとすれば。

「……あ。もしかして、『あっち』なら問題ない?」

 答えは、やはりYES。

 ならば、後の問題はやはり俺の制限だけで。

 不要だと差し出される刀。それを見て、最後の確認をとる。

 理性理屈によって出した結論をではなく、己の心の裡の解析(スキャン)結果を。

 ……うん、間違いない。

 制限とか、どうでもいい。

 普段なら絶対あり得ない答えがぽんと出てきて、反論の意思すら出てこない。

 暴力的で身震いするような欲求がそれ以外を蹂躙し尽くして、優先順位の頂点へと踏み越えてきやがった。

「そっちじゃない」

 なら、いいだろう。

 その欲望を押し通す限りにおいて、

「危ない橋は渡らない。……普通に、勝とうか」

 今、あらゆる制限を忘れよう。


 ああ、面倒になる。

 この場を軽く切り抜ける代わりに、後々えらい面倒を抱え込むことになる。

 それが分かっていて止められない。止めるなど有り得ない。

 リスクがどうした。この選択によって生じるあらゆる不都合を甘受しよう。正確にはただ一つだけ天地逆転しても受け入れられない禁忌が存在するものの、むしろそれが解決されてしまったからこそ天秤の傾きが急逆転、その上修復の目処が立たない程壊れてしまった。

 実行にあたって瑣末な問題は残っているが、何、その程度はこちらで片付けよう。鑑賞の為の代価と思えば安いのか高いのかもう判別つかない程感覚がおかしくなってるが、まあ些細な事だ。

 本来のものより若干質は落ちるに違いないが、ああ、ああ構わないとも。それでいい、それがいい。

 存分に見せて/魅せてくれ。


 ……気になる事が一つだけ。

 俺は今、正気だろうか?


『馬鹿だなあ、正気じゃない人間は自分が正気かー、なんて気にしないよ』

「生憎と、狂った事がないもんでね。そう断言できる根拠がない」

『大丈夫だって。こおりは熱に浮かされてるだけなんだから』

「……そりゃ狂ってるってことじゃないのか? 真っ当じゃない事は間違いないだろ」

『違うって。狂熱っていうのはね、きっと正気じゃないのが正気なんだよ。こおりの言う「狂う」っていうのは変質でしょ? まるで別物だよ。こおりの(さが)は何も変わってない』

「……ああ。真っ当のまま、真っ当じゃあいられないってことか。つまり麻痺。成程、痺れてるとは言い得て妙だ」

『もっとも、元々のこおりを真っ当と呼べるかは甚だ議論の余地が残るところだけどね』

「ほっとけ」

 そんなやり取りを腕の中のレリと交わす。もちろんレリの言葉は俺にしか分からないが、そんなことまで気にする余裕はこの目の前の御方には多分無いだろう。

「――――」

 呆然。そう言うのが相応しく、そして獅子堂優姫という怪物に相応しくない有様だ。まあ、そういう効果を狙ってあえて正面から喚んだんだけど。

 説明の手間が惜しいし、別の展開に持ってかれるのも認めない。故に、少々既成事実的に話を押し進めさせてもらう。

 俺がレリを抱えるときは大抵融合する右腕か、あるいは両腕で持つが、今は左腕で抱えている。理由は単純、少しでも速く精密な挙動の為に利き腕を使いたかったからだ。

 結果“Ripple”で捉えた一瞬の虚を突く事に成功した。戦利品をレリの前に出す。

「!」

 当然それは獅子堂にも見えて、反射的に胸ポケットを押さえた。見つかる訳ない。そこからスッたんだから。苦い経験の産物だけど、まあこうして役に立ったんだから今更だけど許すとしましょうか、『先生』。

 さて、ここで怒らせてしまっては主導権が入れ替わる。感情が驚きから転化する前に、

「はい」

 それを差し返した。壊れた弦を、氷でくっつけた眼鏡を。

「……これ」

 当惑のままに受け取り、眼鏡の凍結部分と俺に抱えられた謎生物とで視線を行き来させる。そして最終的に、俺の顔で止まった。

「……ふーん、へぇー、なるほどぉー」

 ジト目で棒読み台詞。ああくそ、この後の事を考えるととんでもなく憂鬱で、面倒だ。

「……逃げられると思わないでね?」

 その予感を証明するように狩人の目を向けられた。やばい、こわい。けどあれだ、そのセリフは後回しにする、という明言でもある。や、当然の事なんだけど、その当然を当然と思えるほど冷静さを残しているかってのが一つの賭けだったから。

「まさか。学園最強の副会長様から逃げおおせられるなんて考えたこともありませんって」

「あはは。どの口で言ってるんだろうね」

 強度確認のつもりか、眼鏡を指にひっかけて回す獅子堂。すっとぼけて見せる俺との間に、険呑とまではいかずとも張り詰めた空気が流れ――

「……ぷっ」

「……くくっ」

「「あははっ!」」

 何故か。

 二人とも、何の裏も無く吹き出してしまった。

「ははっ、なぁにがおかしいんだよ、お前」

「ふふっ、だって、おかしくなったんだもの」

 空気が一変した。未だ命の危機はそのままだっていうのに。

 まるで、テーブルの向かい合わせで茶を一服しているような雰囲気が流れていた。

「ひっどい人。こんなところまで来る意味なんて無かったのね。馬鹿みたい」

「だって面倒じゃん。俺、ストーカーに追い回されて悦ぶ趣味ないんだわ」

「まあ、本当ひどい。私、そんな粘着質だと思われてたの?」

「違うとおっしゃる? ならそもそもこんなところにいないだろう」

 くつくつと笑いを漏らして軽口を叩きあう。あー、なんだこれ。そんな状況じゃねーっつーのに、まだ馬鹿話を続けたいと思ってる。妙に居心地がよくて、だから――

「ふーん」

「ふーん、って何だよ。ニヤけ面しやがって」

「べっつに。大体、それを言うならお互い様じゃないかな?」

 んむ?

「いつもの仏頂面より、今みたいに笑う方がキミはずっとカッコイイよ?」

「……うわあ、何その口説き文句」

 今、俺が、笑ってる、って?

 当たり前だろう。

 楽しいんだから。

 特筆すべき事じゃない。お前に対しては(・・・・・・・)

 好いた惚れたの話に無理矢理持っていく必要もない。

 ごく当たり前にある、普通の光景。

「……ああ、そうだな」

 この関係を、何と呼ぶか。

「さっきの、いいぞ」

「ん〜?」

 何のことかわからないと言うように小首を傾げてみせる。いやわかってるだろ、目が笑ってるぞ。

 しょうがないヤツだなあ、全く。


「友達になろうか」


「お願いしますは?」

「ほほう、図に乗りに乗りまくっちゃいますか、このカマキリ」

「ふふふ、食べられたい?」

 そう返した獅子堂の、

 とろんと蕩けた眼差しは、他の誰より淫靡で、

 三日月に(マガ)った口許は、他の何より凶悪で。

 ひどく、そそる。

「……この悪女(ビッチ)

「だから処女(おとめ)だってば。食べてもらいたかったらもっと素敵になってよね。今は、『その子』の方が魅力的かな」

 獅子堂の指で回されていた眼鏡が、びん、と宙へ跳ね飛んだ。それを視線で追った、その一瞬で、

 ふわり

 頬と頬が触れ合う距離まで接近される。そして耳元へ唇を寄せて、

「――絶対に、逃がさない」

 流し込まれたのは、きっと甘い毒。我知らず伸ばした手を、ぺしりと叩かれる。

 ――駄目ですよ、はしたない。

 その笑みを最後に獅子堂が背を向ける。キャッチした眼鏡をそのまま顔へ。そこでようやく、

 脇役に転がり落ちた、哀れな生贄が意識に入る。

 こっちがあれこれやってる間にすっかり準備が終わっていたようで、ぼこり、と土が盛り上がる。彼我の距離が十分、こちらからは届かない。

 土が壁となり、壁が津波へ変じ


 る前に、横一線、根の足ごと両断される。


 そいつは、スペイラーの向こうにいた。この程度の距離は、剣士にとって一足の間合いなのだと言うように。

 抜き終わった姿勢、横に伸ばした刀を下げながら振り返る。

「さて――」

 硝子の向こうの冷厳な眼差しが異形の鮫を捉える。

「いざ、尋常に勝負」

 緩く構えた刃に背筋をぞくりと震わせ、同時にこの先の展開を見据えて、人知れず『準備』を始めた。

終わりませんでしたすみませんっ! あと一話!(+エピローグ)

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