01.私の主(1)
テオ・デュ・グレンフェルが仕えるのはヴィンセント・サミュエル・ハインツ──この国の第二王子殿下だ。
八歳年下の王子には、テオが十五歳になった時からお目付け役兼次期側近として、父であるグレンフェル侯爵と国王直々にそばにいるよう命じられた。
「ヴィンセント殿下、これからよろしくお願いします」
翡翠の宝石瞳が瞬く。自室で積み上げた本を読んでいたヴィンセントはきょとんと首を傾げた。
「君が僕につくの?」
「はい」
「…………グレンフェル侯爵の息子だよね?」
「そうですが。それがどうかしましたか?」
ヴィンセントはパタンと書物を閉じ、山のてっぺんに乗せた。そして椅子から反動をつけてぴょんっと飛び降りる。
わざと靴音を鳴らしながらテオの前まで来たヴィンセントは、ぐいっと覗き込んだ。
テオが距離の近さに思わず後退すれば、ヴィンセントは難しい顔をしていた。
「僕はラインハルト兄上に君が付くと思ったんだよ」
「ああ、なるほど。ラインハルト殿下にはウォーレン公爵家のご子息が付くようですよ」
「ウィリアムか。今思えば既定路線だったけど……あっちが僕に付くと思ったのに」
そう思うのは、年齢の釣り合いからだろう。ヴィンセントはウィリアムと同い年、ラインハルトとは三歳年が離れている。
年齢で決めるのであれば、ラインハルトにテオを、ヴィンセントにウィリアムを付けるのが無難だ。
「それにしたって他にも候補はいただろうに」
ソファに座り直したヴィンセントは、テオに正面の席に座るよう促す。
「テオも僕でいいの? ラインハルト兄上に付いた方が出世できるよ」
「貴方様が仰るのですか」
「事実だもの。次代の王は兄上だしね」
侍女が注いだ果実水を飲みながら、ヴィンセントは淡々と言った。テオにテーブルに置かれた菓子類を勧めてくる。
「私は別に権力を保持したいと思ってませんから」
「ならいいけど……でも何でこの時期から僕につくの? 早くない?」
足をぶらぶらさせながらそんなことを聞いてくる。テオは隠す必要も無いと思ったので理由を口にした。
「ヴィンセント殿下は王位など興味が無いでしょう?」
「──無い。優秀な兄上を蹴落とすような真似をして、王位継承を泥沼化させるのは愚の骨頂。そこまで権力に囚われてないし」
「だからですよ」
「?」
「我が家門は穏健派ですので」
今上陛下の治世は比較的安定しているが、やはり過激派や革新派はいるもので。第二王子であるヴィンセントは今のところ野望を抱いていないが、それらの派閥が彼を言いくるめてしまったらどうなるか分からない。
そういう懸念を払拭するために、穏健派であるグレンフェル侯爵家のテオが早期に選ばれたのだった。
「ふーん、派閥問題は興味無いや。……テオでもいいけど、小言を言うようなお目付け役は勘弁してよね」
成長期を迎えたテオと違って頭ふたつ分くらい小さいヴィンセントは、テオの隣に再度座り、見上げる形でそう言った。
まだたった七年しか生きていないヴィンセントはあどけなくて。テオはつい彼の頭に手を伸ばす。
「殿下がきちんとしていれば言いませんよ」
つややかな蒼髪をくしゃりと撫でる。
「わわっ急に何するのさ!」
「お嫌でしたか? ラインハルト殿下にこうするといいよと教えてもらったのですが」
「……兄上、また余計なことを周りに吹き込んでる」
ふくれっ面をしたヴィンセントは手ぐしで髪を整える。
そして、んっと小さな手を差し出してきた。
「これからよろしく」
「こちらこそよろしくお願い致します。誠心誠意お仕えしますね」
ぎゅっと握った手のひらから温もりが伝わる。
そんな風にしてテオはヴィンセントの右腕になった。
◇◇◇
テオはヴィンセントに対して、可もなく不可もなくな平凡な王子だと思っていた。何でもそつなくこなすが、飛び抜けて秀でた部分はない。
『弟を見くびってもらったら困る。ヴィンセントは紛れもない天才だ』
そうヴィンセントの兄──ラインハルトがくつくつ笑っていても、テオは冗談半分くらいに聞き流していた。
(ラインハルト殿下の贔屓目に決まっている)
そんなことを考えていたのだ。
それが間違っていたと知ったのは、ほんの些細な出来事だった。
握手をした日から三ヶ月後、テオは王宮内部にある小さめの図書室に足を踏み入れていた。
本棚と本棚の間を通り抜け、光の差し込む窓際に、主であるヴィンセントはうたた寝をしていた。
(まったく。どこに行ったのかと思ったら……)
すやすや寝息を立てている。
大方書物を読み漁っている内に、気持ちの良い日光を浴びて眠気に襲われたのだろう。寝ている隣には書物が山のように積み重なっていた。
テオは一番上にあったものを手に取る。
(大陸で確認されている流行病の特徴──)
どう考えても、七歳の子供が読むものではなかった。
ヴィンセントが読んでいるならば、自分も読めるだろうと思ったが、何も頭に入ってこない。
書物を閉じて山の上に戻す。
「殿下、起きてください」
そっと肩を揺する。
「……っんぁ」
気の抜けた声と共にゆっくり顔が上がった。
「おはようございます」
「おは、よう」
眠そうに瞼を擦るヴィンセントの頭を、テーブルの上にあった紙の束でペしっと叩いた。
「授業をサボるとは何事ですか」
「……だってつまんないんだ。薬学とか実験ならいつでも歓迎だけど。座学の中でも地理とかは……」
ヴィンセントは欠伸を噛み殺す。
「それに、先生はテオでしょ?」
「私だったらサボってもいいと?」
「うーん、ちょっと違う。テオなら許してくれると思ったからだよ」
へにゃりと屈託の無い笑顔を向けてくる。
(卑怯ですよ殿下)
ため息をついて額を手で押える。
テオはたった三ヶ月で、見事年下王子に絆されていた。
なのでラインハルト曰く、親しい者にしか向けないというこの笑顔に弱い。
それに、臣下として仕えるお方というより弟のような存在だ。ついつい甘やかしてしまいそうになる。
(気を引き締めなければ)
頬を叩き、気合いを入れ直す。ヴィンセントは王位を継がないとはいえ、仮にも第二王子。ラインハルトに何かあった場合には国王となり、政治を主導する。
そうならなかった場合でも、王族としてある程度国政や他国の事情には通じてなければならない。
今後、大人になるにつれて段階的に執務や公務が増えていく。その際、困らないよう円滑に対応して行くための知識を与えるのが、テオの役割のひとつでもある。
テオはヴィンセントが枕にしていた書物の代わりに、持ってきた教本を差し出した。
「これを覚えてください。終わるまでは没収です」
チッとヴィンセントは舌打ちをしたので、テオは再度軽く頭を叩いた。
「癖になりますよ」
「一回だけなら大丈夫」
「なります。ダメです。今、無意識でしたよね」
「…………」
拗ねたのかぷいっとそっぽを向く。テオがそんなヴィンセントに視線を固定し続けていると、彼は観念したかのように言った。
「僕が悪かった。だから止めて」
「何もしていませんが」
「してるよ! その無言の圧力嫌いっ! 目が据わってる」
どうやらじーっと見つめていたのが堪えたらしい。ヴィンセントは若干瞳を潤ませながら上目遣いに尋ねてくる。
「…………覚えたら返してくれるんだね? 本来の授業時間より早く終わっても?」
「はい」
「約束破らないでよね。僕、本気出すから」
ヴィンセントはふんすと意気込み、教本を手に取る。
パラパラと最初から最後までページをめくる。そんな動作を二十分ほどして、教本とまぶたを閉じる。
三分ほど経ち、ぱっちり開いた翡翠の宝石瞳は、真っ直ぐテオを射抜く。
「──覚えた。返して」
「……はい?」
ヴィンセントはテオの手から書物をひったくろうとする。慌てて書物を背中に隠せば、後ろに回って奪おうとした。
テオは仕方なく手を頭の上にあげて、身長差で奪われないよう対策してから困惑を口にする。
「えっちょっと待ってください」
書物は指の第一関節分くらいの厚さだ。大人でも一日はかかる。子供に至っては読むのも難しいはずが、短時間読み込んだだけで暗記したとはにわかに信じ難い。
「アストロメリアの輸出品第一位は」
「穀物、次点で葡萄酒、その下は宝石」
「では、アストロメリアと国境が接している国を全部あげ──」
「ルルリーツェ、ヴェーダ、ルターシャ。接している面積順にすると、ルターシャ、ヴェーダ、ルルリーツェ」
「なんで分かるんですか!?」
テオはヴィンセントが一日でこれら全てを覚えられないだろうと高を括っていた。当初の予定では彼の集中力が切れたら、今日の授業を終わりにしようと考えていたのだ。
ラインハルトの発言が脳裏にちらつく。
(明らかに常人の能力から外れている)
「本当に、内容が頭の中にあるのですか?」
「そうだよ。覚えたって言ったじゃん」
煩わしそうにしている。
「ですがこれまで一度も……」
(このような能力使っている場面を見たことがない)
「してないよ〜〜する必要ないもん」
ヴィンセントは抱きしめていた教本をテオに返却した。
「これ普通に覚えるよりも集中力が必要なのと、倍以上疲れるんだ。だから普段はしない。早く覚えたとこで次々課題出されて良い事ないし」
ポケットに仕込んでいた瓶を取りだし、蓋を開けたヴィンセント。中身の金平糖を手のひらに出し、口に放り投げる。しまいには噛み砕き、呑気に水を飲み始めた。
そうして呆気に取られたままのテオから、満面の笑みで奪うのだ。
「ほらほら! 約束だから返してもらうね」
お久しぶりです。完結から半年もお待たせてしてしまいすみません。
番外編という名のその先のお話は、本編とは違って不定期更新になります。お付き合いいただける方はどうぞよろしくお願いします!




