02.私の主(2)
「どうしてこんなところに」
テオが執務室に入ると、ヴィンセントが執務机の下で書類を捲っていた。
「兄上に見つかると仕事を増やしてくるから。隠れるしかない」
「もっといい場所があるでしょうに。目を悪くしますよ」
「視力が落ちたことないよ」
はっと乾いた笑いをし、そのまま書類を読み始めてしまう。異国語で書かれたそれはテオが習得済の言語ではなく、この国で読めるのは専門家とヴィンセントだけだろう。
「殿下は何ヶ国語分かるのでしたっけ」
尋ねれば、ヴィンセントは書類を捲る手を止めた。
「いきなり何?」
「ふと、気になりまして」
突然の質問に訝しみながら、それでも真面目に答えてくれる。
「数えたことないが……十はいけたはず。読むだけならほとんど読めるけど、話すのは無理だ。使わないし」
「つまり、必要に迫られれば話せるようになると?」
「皆そうだろう? めんどくさいから覚えてないだけで」
ヴィンセントはあくびをしながら興味無さげに答えた。
(スペック地味に高いんだよな。この殿下)
言語を覚えるのはめんどくさいだけでは片付けられない。人間の脳の容量には限界があるのだから。
そこで机上に置かれた書類の一部が目に止まった。
「これは殿下が手がけていた案件では……」
「ああ、それ? 最近見つけた優秀な人材が、研究者という職業は遊びだと家族に反対されているらしくてね」
手を止め、テオを見上げながら続ける。
「問答無用で黙らせる功績があれば、その才能を潰さずに済むだろう? だから了承を得て変更した」
だからといって相談もなしにひとりで勝手に決めるのはやめて欲しい。
(そもそも、仕える人間としては殿下の活躍を多くの者に知ってもらいたいのに、何故ほかの者に……)
側近の気苦労も知らないで、ヴィンセントは目立ちたくないからと、あまり自分の名前を出さず、今回のように家臣の手柄にしてしまうのだ。
そのせいで功績と名声が釣り合ってない。
この前も彼が担当した政策は、臣下である文官の手柄となっている。
『名声も富も必要以上にいらないよ。リジェを守り、甘やかし、不自由ない暮らしを保証できればそれでいい』
つい先日ヴィンセントがテオに呟いたことを思い出してしまった。
(野心が無さすぎるのもどうかと思いますが)
そんなことを考えていたので、ここに来た目的を危うく忘れるところだった。
「殿下、アンジェリカ様がお見えですよ」
「リジェが!? 痛っ!」
勢いよく立ち上がろうとした拍子に天板に頭をぶつけていた。頭を押え、悶絶するヴィンセントにテオはため息が漏れてしまう。
「──何処にいるの?」
涙を溜めながら頭をさすり、尋ねてくる。
「先ほど、王妃殿下方と一緒にいました」
「母上と? なら会いに行けないじゃないか。最近母上はリジェを離さないんだ。義姉上と一緒に囲い込んで私の愚痴を言っている」
ぼやきつつ目線は書類に再び落とされる。
「テオの用事はそれだけ?」
「……まあ、はい」
「じゃあ邪魔だからどっか行って。私の姿がないのにテオがここにいると兄上が不審に思う」
しっしっと手で追い払うヴィンセントにテオはぼそりと告げた。
「…………そこに居たら後悔しますよ」
「は?」
どういうことかとヴィンセントが顔を上げた時、テオの返答より前に可憐な声が聞こえてきた。
「テオ様、あの、ヴィンセントさまは……。あと、誰かとお話して」
扉からひょこり顔を出したアンジェリカは、室内を見渡す。そこにいるのはテオのみで。困惑した彼女は首を傾げた。
会議か何かが入って席を外しているのだろうか。それにしては、テオ以外の声も聞こえた気がしたのだが。
アンジェリカは室内に足を踏み入れ、テオの元に行こうとした。
「私の勘違いだったようで、殿下はここに居られないようです」
にっこり笑ってテオは執務机から背を向ける。
「まあそうですか。すみません、案内を頼んでしまって。居らっしゃらないなら、帰ろ────」
「違うっ! 私は居るよリジェっ」
ヴィンセントはガタガタと大きな音を立てて執務机の下から這い出る。
突然現れた彼に大きく目を見開いたあと、アンジェリカは口元に手を当ててくすりと笑う。
「ヴィンセントさま? まあ、なぜそんなところに」
「あっえっちょっとペンを拾っていたんだ」
ヴィンセントは書類をサッと隠し、あたかも今拾ったかのようにポケットからペンを取り出した。
「そうですか。あの、ほこりがついてます」
ヴィンセントのそばまで来たアンジェリカは、ちょんっと髪の毛に付着したほこりをつまむ。
「ありがとう。ところでリジェは母上達と一緒に居たのではなかったのかい」
「えっと、最初はお茶会に仲間入りさせてもらっていたのですが……」
一旦ソファに腰を下ろし、アンジェリカは話し始める。
「まず、王妃様が三度くしゃみをなさったら、どこからともなく陛下が現れまして……」
「ああ」
(王妃殿下が回収されたのか)
ヴィンセントも大方予想がついたらしい。少し遠くを見ている。
「程なくして今度はラインハルト殿下が」
「義姉上を連れ去ったのかな?」
「はい。どうして分かるのですか」
こくりと頷くアンジェリカにヴィンセントは苦笑する。
「思考が家族揃って同じだから」
「? よく分かりませんが、最終的に私が一人残されまして」
「うん」
「これからどうしたものかと途方に暮れていると、ちょうどテオ様が通りかかったのです」
テオは頷いた。
「帰宅するようなら、ヴィンセント殿下にお会いしませんか? と私が提案したのです」
なら、最初からそう言え。ヴィンセントからそんな圧力を感じる。
「あとは今起きた通りです」
「なるほど。ということはリジェはこの後時間があるのかな」
「予定はないです。ですがヴィンセントさまはお忙しいようなので、これにてお暇します」
ヴィンセントは立ち上がりかけたアンジェリカの手首を優しく、かといって離さない程度で掴んだ。
「ヴィンセントさま?」
困惑するアンジェリカを他所に、ヴィンセントは即座に指示する。
「テオ、東屋に茶の準備を」
「かしこまりました。手配致します」
「へ? あっあの?」
アンジェリカはテオとヴィンセントを交互に見遣る。
「そろそろ休憩を取ろうと思っていたから、私の息抜きに付き合ってくれる? ちょうど庭園に咲く花が見頃なんだ」
「休憩なら尚更お邪魔になるのでは……?」
「いいや、リジェに癒してもらうんだ」
「っ!」
頬への不意打ちのキスに、アンジェリカは赤面する。華奢な両手で顔を覆い、指の隙間からちらちらと様子を窺っていた。
「……たらしです」
「リジェにだけだよ」
ヴィンセントはアンジェリカの手をゆっくり下ろし、愛おしそうに今度はくちびるに口づけした。
(殿下、私の存在忘れてますね)
目の前で見せつけられたテオはわざと咳払いした。その音に、アンジェリカの肩が震える。
ヴィンセントの肩越しにアンジェリカと目が合ったテオは、にこりと笑った。
「ヴィンセントさま! も、もうおやめください。テオ様がそこに!」
恥ずかしくなったのか、アンジェリカはヴィンセントの胸元を懸命にグイッと押す。しぶしぶヴィンセントは離れた。
「じゃあ外に行こうか」
ヴィンセントはエスコートするために手を差し伸べ、アンジェリカは未だ真っ赤になりつつもそっと手を重ねる。
「テオ、また後でね」
「はい、準備出来次第向かいます」
廊下で別れたテオは、茶の手配をして庭園へ移動する。
外は曇りひとつない青空の下を、柔らかい風に乗った花の香りが支配していた。
眩しさに目を細めつつ、辺りを見渡す。
(さてと、殿下は何処に……ああ)
そこにあったのは手を繋いで仲睦まじく庭園を散策しているアンジェリカとヴィンセントで。
ちょうど摘んだ花をヴィンセントがアンジェリカの髪に挿しているところだった。
少し遅れて二人は幸せそうに笑いあう。
そんな温かな光景に、テオの表情は自然とゆるんだ。




