93.貴方だから
振動で夢の中から浮上する。
「ヴィン、セン……トさま?」
ゆるりと開けた瞳に映ったのは白いシャツで。アンジェリカは顔を少し動かす。
「起こしてしまった?」
どうやらヴィンセントの腕の中にいるらしい。ソファのふかふかさが消えて、背中に腕を回されている。それに床が遠く、足がつかない。
「…………すみ、ません。起きて……いようと思ったの、ですが」
アンジェリカはうつらうつらしている。眠くて、微睡みの中にいた。頭はまだ覚醒していない。
「……いい匂い」
彼も入浴したのだろうか。入浴剤の香りがかすかに立ち上っていて、アンジェリカはヴィンセントの胸板に頬を擦り寄せる。
「リジェ、寝惚けているだろう」
柔らかい声が降り注ぐ。
「そ、う。ですね」
言いながらまた夢の中に沈んでいこうとしていた。瞳は完全に閉じている。ぎゅっとヴィンセントのシャツを握った。
「寝たい?」
そう、問われて。後先考えずにゆっくり頷けば、「分かった」と夢うつつの中返ってきた。
ヴィンセントはアンジェリカを抱えながら寝台まで移動する。綺麗にベッドメイキングされたシーツをずらして、そっと妻を下ろした。
頬に柔らかな感触が落ちて、ふわっと優しく上からシーツをかけられる。そうしてぎゅっと抱きしめられた。
「おやすみ」
「おや、す……み────」
(──なさい? あれ)
違和感に意識がはっきりする。アンジェリカはパチリと瞳を開けた。
目の前は暗く、白いシャツが見える。横たわったまま、ヴィンセントの腕の中にいるらしい。
もぞもぞ足を動かせば、彼の長い足とシーツに引っかかる。
(…………このまま寝てしまうの?)
これはおかしい状況なのではないか。
(初夜、よね?)
だから侍女達が気合を入れて就寝準備をしてくれたのだ。
(まさか私が寝ていたから?)
それしかない。一気に血の気が引いていき、焦ったアンジェリカはグイッとヴィンセントの服を引っ張った。
「ヴィンセントさま」
「ん?」
幸いなことにまだ起きていてくれた。アンジェリカが声をかけると彼もうっすら瞳を開けた。抱きつく形で眠りに就く所だったのでいつもより距離が近い。
「眠いのだろう? おやすみ」
ヴィンセントは微笑みながらあやすようにアンジェリカの頭を撫でる。
(そうじゃない)
「あっあの、寝てしまってよろしいのですか」
その言葉にヴィンセントは妻が何を言いたいのか察した。
「気にしなくていいよ。疲れていたのだから休んだ方がいい」
背中をぽんぽん優しく叩かれる。
──気遣われている。
いつもならとても嬉しいのだが。
(…………今日は違う)
初めての夜なのだから。寄り添って眠りに就くだけではいけない。それにアンジェリカは男性の方がこの手の欲が強いと聞いていた。
なのに彼は何も言わず、そんな素振りも見せず、眠ろうとしている。
何故なのか考えた結果、アンジェリカはひとつの答えに辿り着く。
「わたし……には、女性としての魅力が足りませんか?」
突然そんなことを言うものだから。ヴィンセントはぎょっとして、沈んだ面持ちの妻を見る。
「ありえないよ。私にはこれ以上ないほど魅力的な女性なのに」
「だってこのまま寝ようと……していますから」
「それはリジェが眠たそうだったし、起こして無理やりするものでは無い」
(…………でも!)
ガバッとアンジェリカは上半身を起こす。もうぱっちり覚めていた。
「そうなのですが! …………眠くて眠くて仕方がなかったら普通このような格好をしてソファで待ってません。先に寝台に行きます」
結局寝落ちしていたので説得力はないが、アンジェリカは待っていたのだ。ヴィンセントが来るのを。
「…………魅力があると言ってくれるのに、わたしに、何もしないのは、どうしてですか」
ヴィンセントは上半身を起こしてアンジェリカを真正面から見据えて答える。
「……リジェは行為自体に嫌悪感もあるだろう? だから急ぐ必要は無いと思っていたんだ」
(ベネディクトのことを言っているのだわ)
馬車の中、我を忘れて取り乱していたのは彼にとって鮮明に記憶されているのだろう。
けれども一年以上前の事だ。それに、ベネディクトとヴィンセントは違う。
「結婚したのだから機会はいくらでもある。周りが何を言ってこようと、今日にこだわる必要は無い」
アンジェリカを気遣っての発言。だけど今欲しいものでは無い。
「わたし、は」
言葉にするのははしたなく思えて、口にするか迷った末にぽつりと呟いた。
「──このまま寝たくないです」
視界が反転する。
気付けばアンジェリカは寝台に縫い付けられ、ヴィンセントが覆いかぶさっていた。ドクンっと一度、心臓が高鳴り顔に熱が集まってくる。
「ヴィンセント……さま」
目が合うと彼は大きくため息をついた。
「…………抑えていたのに。どうして易々と飛び越えてくるんだ」
先ほどとは打って変わって熱をはらんだ瞳がアンジェリカを射抜く。
彼はまだどうするか決めかねているようだったが、隠しきれなくなった──溢れてしまう欲情を、全てぶつける代わりに妻の首筋に吸い付く。
「んっ」
顔と首の一部にヴィンセントの髪がぱさりと触れ、アンジェリカはこそばゆくて声を漏らした。
唇が離れる間際にチリっと痛みが走る。
「………………今ならまだ間に合うよ。寝るかい?」
色気の含んだ甘い声で囁かれて。アンジェリカはドキドキしつつも、同じように相手を誘う甘い、掠れた声で返答する。
「いいえ──来て、ください」
はにかめばその瞬間視界を奪われた。
そうしてアンジェリカは夫の背中に手を回し、彼を受け入れた。




