86.助言に妨害
アンジェリカは王宮の一室に通されていた。
会う約束をした人物を待っている間、侍女が淹れてくれたストロベリーティーを飲んでいた。ほわほわと湯気が上がり、赤色の表面はゆらゆら揺れる。
カップの白い底が見えてくると控えていた侍女がそっと近寄ってきて淹れ直してくれた。感謝を伝えながら座っていると約束の時間から三十分ほどして、部屋の扉が開かれた。
「お待たせしてごめんなさいね」
「いいえ。フィオナ様こそ体調はよろしいのですか」
今日、王宮に来た用は王太子妃──フィオナに会うためだった。
青白い顔に、口元をハンカチで隠しながらフィオナはアンジェリカの方へ歩みを進める。
「吐き気がちょっと……でも、もう平気です」
そうは言っても顔色が良くない。お付の侍女も心配そうにフィオナを支えていた。
正式な挨拶をしようと立ち上がりかけたアンジェリカを制し、フィオナはゆっくり正面のソファに腰を下ろした。
「白湯をもらえるかしら。それか匂いの弱い飲み物を」
「直ぐにお持ちします」
ポットを持って一人退出する。
「…………あの、体調が優れないように見受けられます。また今度にしませんか? 私はいつでも大丈夫なので」
王妃より負担は少ないだろうが、王太子妃であるフィオナには公務が山ほどあるのをアンジェリカは知っていた。そのせいでこれまで会おうとしても調整がつかなかったのだ。
「おやすみになられた方が」
提案すれば、フィオナは首を横に振る。
「ヴィンスが一途に想うアンジェリカさまと話が出来る日を楽しみにしていたの。ようやく会えたのに逃すものですか」
翠の瞳に強い気がこもる。
「そんなに? と思われるかもしれませんが、ほんとうに楽しみにしていたのですよ」
今度はふわっと笑って手を叩いた。
「あの子ちょっと異性に興味が無いというか、あまりなびかない子だったから。どんな令嬢を伴侶に選んだのか知りたかったのです」
そこでようやく侍女が戻ってきて、フィオナに白湯が差し出される。湯気に乗ってか、柑橘の爽やかな匂いが漂ってくる。
フィオナはふぅっと息を吹きかけて冷ましながら喉を潤す。
「フィオナ様は幼少期の頃からラインハルト殿下の婚約者だったのもあってヴィンセント殿下のこともお詳しいのですよね」
「ヴィンスから聞いたの?」
「はい。それと先ほど『義姉上の話は半分聞き流してくれていいから』と仰っていました」
ここに来る前、せっかくだからとヴィンセントの執務室に顔を見せたのだ。彼は会議の時間が迫っていたようで、一言二言話していなくなってしまったが。
代わりに中にいた側近のテオと、十数分ほど会話してからここに来た。
「あらあら。そんなことを言っているのね。まったく失礼しちゃうわ」
怒っているそぶりを見せるが、次の瞬間にはフィオナはヴィンセントの本当の姉のように慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「純粋に想い合っての婚約で、わたくしとても嬉しい。遅くなってしまったけれど婚約おめでとう。そして、貴女のような方がヴィンセントを選んでくれてありがとう」
「…………こちらこそ、ヴィンセント殿下は私に勿体ないお方です」
家族になる人から直接祝福の言葉をもらえてアンジェリカも自然と笑顔になる。
フィオナはそんなアンジェリカの様子を見てから言葉を続ける。
「まだ早いけれど、アンジェリカさまは結婚後を覚悟しておいたほうがいいですよ」
「?」
「わたくしは出会った時からだったから。慣れてしまっていてそれほどだったけれど」
困った困ったという風に頬に手を当てる。
「お義母さまも大変だったと言っていたし……貴女も絶対に同じ道を辿るわ」
「何がですか?」
「王家の殿方は血筋の影響で伴侶、つまり愛した相手に甘いというか一途というか……蜜月の間、妻を離してくれないのです。終わっても今より溺愛ぶりが加速するばかりで」
(それは…………大いに困る)
ただでさえ、今の時点でアンジェリカの心臓は破裂しそうなほどなのに。先日ヴィンセントに会った時も、正体を知らなかった時とは比べ物にならないほどで。終始アンジェリカは顔が真っ赤だった。というか最近彼に会って、顔を赤くしない日はない。
ほんのりアンジェリカの耳が赤くなってしまい、フィオナは口元をゆるめる。
「ヴィンスが異性に愛を囁いている姿は想像つかないのですが、アンジェリカさまの様子から既に色々ありそうですね」
「…………」
「慣れるのが一番ですよ。頑張ってください」
「頑張るものなのですか……?」
「ええ。心の安寧を維持するためにも」
フィオナは頷く。そこでアンジェリカの頭上から影が差して。
「──義姉上、リジェに変なこと吹き込んでませんか」
後ろから抱きしめられる。見れば、ヴィンセントの顔がアンジェリカの横にあった。ふわっと嗅ぎなれ始めた彼の匂いがする。
「あら、もう妨害が……」
むうっとフィオナは眉根を寄せる。不服そうだ。
「妨害ではありません。義姉上こそ余計な真似をしようとしてましたよね」
ヴィンセントはフィオナを軽く睨む。そんな義弟をフィオナは華麗に無視してアンジェリカに尋ねた。
「わたくしはアンジェリカさまを心配して教えてあげていただけです。ね?」
肯定を求められてアンジェリカはとりあえず頷く。
「それよりもヴィンセント殿下、会議は?」
ヴィンセントと別れてから一刻も経っていない。会議ならば結構時間がかかると思うのだが。
「終わったよ。ちなみに兄上もいる」
「やあ」
扉からラインハルトが顔を見せる。ヴィンセントも端正な顔立ちだが、ラインハルトもまた顔が整っていた。
「フィナ、体調が悪いと聞いたよ」
その言葉にうっとフィオナが声を詰まらせたのをアンジェリカは聞き取った。
「ライン、それはその」
「私は言ったよね」
怖いくらいに微笑んだままラインハルトはフィオナの座るソファに向かう。
「アンジェリカ嬢に会いたい気持ちはよくわかるが、体調が悪い日は大人しく寝ていなさいと。最近は特に多い」
「…………でも。むっ」
言い返そうとしてフィオナは口を開けようとした。が、ラインハルトの指に防がれる。
「それだけでは無い。今朝私に『体調は万全よ』と嘘ついたね」
「…………ごめんなさい。わたくしが悪かった。あなたの好きなようにしてくれていいです」
しょんぼりとフィオナが俯いたところを、ラインハルトはさも当然のように抱き上げる。
「アンジェリカ嬢には申し訳ないがこれにて失礼してもいいかな。妻の体調は戻っていないようだから休ませたい」
抱き上げられたフィオナはすまなそうに目だけでアンジェリカに謝る。
むしろ是非とも休んで欲しい。了承すれば、ラインハルトはそのまま部屋を退出した。
すると残っていた数人の侍女もヴィンセントは部屋の外に下がらせ、二人っきりになってしまった。




