48.廊下でのこと
ウィリアムを見送ったアンジェリカとナディアは、料理が並べられている場所に移動する。
「これとかどう? あ、これもいいわよ」
ナディアはアンジェリカの持っているお皿にどんどん料理を載せていく。
「そんなに食べられないわ」
止めるタイミングを間違えて、こんもり山ができたところでようやくアンジェリカは制止した。
「あ、ほんとね。なら私が食べる」
そう言ってアンジェリカから皿を受け取り、近くの席に腰を下ろした。
回ってきた給仕から果実水をもらい、一口飲みながらナディアの食べっぷりを観察していた。
「ん~! これほっぺが落ちてしまうくらい美味しい! アンジェも食べたほうがいいわ。ほら、あーん」
スプーンで掬われたゼリーが口元に運ばれて、アンジェリカはぱくりと頬張った。
「美味しい?」
「とっても美味しいわ」
ニコニコとそんなことをしていたら、会場内がざわめき立った。
(ラインハルト殿下とフィオナ様だ)
上座へと続く道が開かれ、悠々と一組の夫婦が歩いている。人目も気にせず、恋人繋ぎをしているラブラブっぷりだ。フィオナの方が少し恥じらっているのが初々しい。
そんな二人の様子に室内の空気も幾分か柔らかくなった。
辺りから「お似合いね」「素敵だわ」「理想の夫婦」と好感度から発せられる声が聞こえてくる。
「──今宵の主役はここにいる全員だ。是非、楽しんでくれると嬉しい」
夜会開始の宣言を告げようとしたところで、横から侍従が現れた。侍従はラインハルトに耳打ちをして去っていった。
「中断させてすまない。では気を取り直して」
その言葉で正式に夜会が始まった。人々は思い思いのことをし始める。
オーケストラに合わせて踊る者、王太子夫婦に挨拶に行く者、置かれた料理を食べる者、ワイン片手に談笑する者。
アンジェリカの元にもいつもの友人が集まってきた。
「アンジェリカ様、本格的に社交界に復帰なさるのですね。お会いできて嬉しいです!」
そう言ってシャロンはナディア側の席に座り、一緒にいたポーラも同席する。
「ええ、まだ絞っての参加ですが……体調も落ち着いたので」
「もうしばらくは体調と様子見ってことですか?」
「そういうことになりますね」
グイッといい飲みっぷりを見せたシャロン。グラスの中身はすぐに空になる。
彼女は通りがかった給仕に空のグラスを渡して、新しいものをもらった。
「今日はフィオナ様のお姿を見られて、アンジェリカ様にもお会いできて、顔ぶれも新鮮で、とっても有意義な夜会です!」
「……シャロン様はフィオナ様のこと大好きよね。いつもその話が出てくるわ」
ナディアが笑いながら言った。
「だって従姉妹ですから。昔から可愛がってもらっていたので大好きなのは当たり前です」
フィオナを映すシャロンの瞳は蕩けていて、ほぅっと感嘆の息を漏らした。
「私、ちょっとお化粧室に行ってきても?」
友人達の会話に緊張がほぐれたのか、御手洗に行きたくなってしまって、アンジェリカは席を立つ。
「いってらっしゃい。ついていったほうがいい?」
「うーん、すぐそこだから一人で行けるわ」
こんなことでナディアの手を煩わせたくはない。アンジェリカは一人で出口に向かう。
幸いなことに何も起こらず、戻ろうとしたところ、エントランスホールの方から人の話し声が聞こえてくる。
廊下は静まり返っていたので、遠くの音も拾いやすかったのだ。
「────だから言いましたよね。完全な遅刻ですよ」
責めるような声色だ。
「声のトーンを落とせ。耳が痛くなる」
「──誰のせいでこうなっていると?」
「………私のせいだ。色は戻ってる?」
「見たところ平気です。ああ、全く……遅刻するなんて」
そんな会話が交わされ、靴音が近づいてくる。
やましいことは何一つないのだから堂々としていればいいのに、慣れない場所と突然聞こえてきた男性の苛立った声に、頭が真っ白になってしまう。
咄嗟に分厚い、床まで長さのあるカーテンの後ろに隠れた。
「ジャラジャラしていて煩わしいなこれ」
「我慢してください。これでも最低限の装飾ですよ」
(あっ)
顔を少し覗かせれば、月のあかりに照らされて、鮮やかな蒼が映えていた。
(ヴィンセント殿下……? そういえば居なかったかも)
彼はお付きの者とアンジェリカが隠れるカーテンのすぐ横を通り過ぎようとしていた。
前回とは違い、耳には重たそうな金細工の飾りを付けている。宝石が散りばめられていて、きらきら光り輝いているのが分かる。どうやら彼の言ったジャラジャラの正体はそれのようだ。
又、今回は片方だけ肩にかける黒のマントを羽織っており、白い手袋をはめる最中だった。
(殿下にだけは絶対に見つかったらダメだわ)
ただでさえ、先程、怪我した時のことを掘り返されて一悶着あったのだ。ヴィンセントに見つかり、そこを他の貴族が目撃したら今度は何を言われるのか……想像するだけで嫌な思いをする。
アンジェリカが無意識に一歩後ずさると、後ろの窓に体がぶつかってカタン、と音を立てた。
普通なら拾われないほどの小ささだが、静まり返った廊下では鮮明に聞こえてしまったのだろう。
ヴィンセントは不思議そうに後ろを振り返った。シャランと耳飾りが音を奏でる。
(ひゃっ! ま、まずい。バレちゃう)
息を殺して早く行ってくれないだろうかと願う。
「──殿下? 如何なさいましたか」
お付きの者が立ち止まったヴィンセントを訝しげに呼んだ。
バクバクと心臓が高鳴る。アンジェリカはぎゅっと瞳を瞑って、カーテンを握りしめた。
「何でもない。行こう。すきま風だったようだ」
靴音が遠ざかって、ようやくほっと安堵の息を漏らした。
(…………行ったかな? 殿下が会場に到着して間髪入れずに戻ったら……誤解されてまた難癖つけてくるかも。時間置こう)
そう思ってカーテンと窓の間に隠れていると。
体を包んでくれていた布が、あ! と思うより先に手からするりと離れていく。
驚きで目を見張る。
そうしてカーテンの代わりに、からかうような声が上から降ってきた。
「──誰から隠れているんだい? アンジェリカ嬢」




