Scene 9 魅惑は、有象無象を虜にする
告知せず、だんまりと休載していて申し訳ありません。
これからは通常運行でいきたい所
「女子トイレの左から二番目に入れ……か。流石、マストゥーレさん、この支部内の構造を良く把握してるね」
一人部屋内のベッドで仰向けになり、咲月は頭上に拡げた小さい紙を見つめる。
直後、コンコンとドアを叩く音が響く。
「入ってもよろしいでしょうか?」
続いて聴こえた声は、アルバートの秘書であるキャシーの声であった。
「どうぞ」
感付かれている。
一寸の思慮から、咲月は即座に理解する。
ならば、それ以上の怪しむ行動は避けなければならない。
今はどちらとも、手探りで相手の尻尾掴みをしている状態である。
ここで、アメリカ支部に対して猜疑の眼を向けている事が顕在すれば、目標である『大海公の三又槍』が回収出来なくなる恐れがある。
「すみませんね。わざわざお越し頂いて疲れているのに」
ドアノブを捻り、キャシーは咲月の部屋に入ってきた。
柔らかい表情で笑む彼女の様子は、とてもではないがアウトサイダーと手を組み、アダムの崩壊を行おうとする連中の一人とは思えない。
そもそも、同じアウトサイダーである『強襲部隊』『禍』に襲われている現状、彼女はもしかしたら今回の件に関与していないのでは──?
「いえいえ。どうしました、突然?」
そんな思慮を潜ませて、咲月は明るく微笑みながら首を傾ける。
「社長からのご命令で、咲月様にこの大学の案内をする様に言われまして」
「そうなんですか。……うーん。大丈夫ですよ? それよりも、どうもアガリ症で新しい所は緊張してしまって……ちょっとストレッチして解そうと思うんで、私は一人でこの部屋にいます」
苦笑して、咲月は言う。
だが、キャシーはドアを閉めると、咲月の座るベッドに座る。
「そうですか。それは都合が良いです。私、よくアルバート社長にマッサージをしていまして」
「へ? わわっ!?」
同時、キャシーは咲月の足と腰を浮かせ、うつ伏せに押し倒す。
「ほら、ここどうです?」
咲月の腰へと騎乗したキャシーはその指を咲月の背中に押し当てる。
「うーわー! いだだだ、痛い! ……けど、アレ? 気持ち良い?」
キャシーは咲月の背中のツボを指圧しながら、全体を伸ばす様にマッサージする。
その絶妙な力加減と、流れる様な手捌きで、咲月の身体は徐々に解れてゆく。
「うふふふ。本当に、結構凝っていらしたのですね。これは、マッサージのし甲斐があります」
嬉しそうに声を弾ませながら、わしわしと手を動かして、キャシーは更にマッサージを続ける。
「あ、んんっ! そこ! 良い!」
気付けば、咲月はキャシーのマッサージの気持ち良さに夢中になっていた。
「あー、気持ち良い。凄いですねえ、キャシーさん。容姿端麗、おまけにこんなマッサージが上手いなんて……」
「いえ。これは紛れもない努力ですよ。社長が、マッサージに若い女を雇っていたのが悔しくて……ならば、自分がその肩代わりをしてやろうと、整体師の資格を秘書の仕事の合間に取ったんです」
「いやいや、その努力が凄いですよ……大企業の秘書をしながら、アダムの幹部の仕事をして、挙句にそんな資格まで取っちゃうんですから」
「ふふ。色々な業務も、慣れれば多少なりと時間が取れます。それに、社長の為でしたら……私は、何でも乗り越えて見せますよ」
涼しい顔で、咲月の身体をマッサージしながら、キャシーは言う。
『社長の為なら』、そう言うキャシーのひた向きなアルバートへの愛に、咲月は何故だか、自分を重ね合わせる。
京馬君の為──私は、何を努力してきただろうか。
確かに、その『想い』に、京馬の芯とした美しい『蒼』の意志への真っ直ぐさに、咲月は自分でも不思議な程、惚れ込んでいる。
その『想い』の為に、これまでに幾度も生死の境を潜り抜けてきた。
必死に力を蓄えてきたつもりだ。
その『想い』の勢いに、取り残されない様に。
だが……それでは駄目だ。
いつか、京馬を自分が助けられる程の、『何か』を身に付けたい。
「あっ」
そう思った途端、咲月がアダム本部で見た悪夢が蘇る。
全身を血で染め上げられた京馬の死体、そして、それを嘲笑う──
「rhsmovf」
「うん? 咲月様、何か言いましたか?」
言葉を発した途端、咲月は思わずその口を塞ぐ。
恐ろしい。
言葉に出す事自体が、恐ろしい。
急に青ざめ、ガクガクと身体を震わせる咲月の様子は明らかに異常であった。
「……どうしました?」
予想だにしない、咲月の様子の変化。
キャシーは即座に異常事態と判断し、咲月の腰から起き上がって戦慄の表情で問い掛ける。
「い、いえ。何でも──」
「何でもない訳が無い。まるで、何か恐ろしいものを見たかの反応──失礼ですが、咲月様。私は、あなたを警戒しています」
「え……?」
「『神の実から生まれ出でるもの』を宿す存在……社長が言っていました。それは、最もこの世界から駆逐するべきであり、『この世界全体の悪』だと」
「そ、そんな事って……!」
「ですが、こうも言っていました。『それ程の存在が我々の味方になれば、非常に強力なカードになると』。咲月様、私の眼を見て下さい」
「それは、どういう……!」
キャシーの言葉に、咲月は思わずその瞳を見つめる。
その途端、言葉が詰まる。
美しい。
吸い込まれそうな程の鮮明な蒼の瞳は、想い人の彼の如く。
そして、息を呑みそうな艶美な瞳は、咲月を虜にしてゆく。
「私の眼、綺麗でしょう?」
「──あ。はい……キャシー、『様』」
この御方には逆らえない。逆らおうとも思えない。
私は、この御方の忠犬だ。
咲月の精神の中は、キャシーの忠義で埋め尽くされてゆく。
「ふふ。良い子ね。じゃあ、これから──」
人形の様に感情を失ったかの様な咲月の表情に、キャシーは満足気に笑みを浮かべて言葉を口にしようとする。
だが、それは途端に響くドアのノック音で遮断される。
「いますか、咲月様?」
「マストゥーレ……!」
キャシーは音を木霊させるドアを睨み付ける。
そのドア越しから響いてきた声は、『特務隊隊長』のマストゥーレであった。
絶好の機会に狙ってきたと言わんばかりの彼女の行動に、キャシーは内心、腹を立てる。
「しょうがないわね」
恨み節の様に低い声で呟き、その後、キャシーは咲月の耳元で囁く。
「私との『契約』は、合図があるまで忘れる事。私とは、マッサージをされた行動のみしか覚えていない」
「……はい」
咲月はコクリと頷き、そして元の向日葵の笑顔を振り撒きながら声を弾ませる。
「いるよー! マストゥーレさん」
明朗な声と共に、ドアノブへと手を掛ける。
「すみませんね。夕食の前に……あら? キャシー様?」
「お邪魔してます」
「マストゥーレさん、キャシーさんのマッサージ凄いんですよ! 緊張でガッチガチの身体が嘘の様にスッキリ!」
「そうですか。秘書業務に、アメリカ支部の会計も担当されている事も聞いています。他にも、ゴルフ、クラブ歌手なども趣味でやられているとか。本当に、キャシー様は多芸なのですね」
「ふふ。それはそっくりそのままお返ししますわ。マストゥーレ様も、あらゆるスポーツや文化に精通されているとか。中でも、ギャンブルが強いという話をよく聞きます」
「どれも、総統の道楽に付き合わされた結果ですよ」
謙遜して微笑するマストゥーレ。
その真意が全く見えないかの様ないつものマストゥーレの微笑に、しかし、キャシーは僅かに表情をひくつかせる。
「その一切崩さない表情……私も、アルバート社長の付き合いでギャンブルに興じた事もありますが、あなたと勝負すれば、きっと一筋縄ではいかなそうですね」
即座に、キャシーもにこやかに微笑む。
普通なら、全く違和感の無い微笑みである。
「確かに、キャシー様は嘘が苦手なようで」
しかし、マストゥーレは表情をそのままにキャシーへと『違和感』を告げる。
その言葉に、口元を僅かに引き攣らせたキャシーは、苦笑しながら言う。
「そ、それはどういった意味ですか?」
「深い意味は無いですわ。お気を悪くしてしまったのなら、すみません。只……キャシー様が少し羨ましくて」
「え?」
「従順する者への愛が満ち溢れているからです。キャシー様のアルバート様への忠愛に憧れます」
「何を……マストゥーレ様だって、シモーヌ総統に忠義を持っているのは分かりますよ?」
「『あれ』が忠義、ですか。ふむ、そうとも言えるかも知れませんね」
キャシーの言葉に、マストゥーレは呟く。
どこか物憂げなマストゥーレの表情の変化に、キャシーは思わず目を丸くする。
それは、かつて見た事も無い彼女の激しい表情の変化であったからだ。
「では、マストゥーレ様がシモーヌ総統の御側にいるのは何故ですか?」
そう問うたキャシーの真意はある種の疑問、その一点のみであった。
常に総統と供にいる目の前の従者は、傍から見れば『絶対忠義』の存在である。
アダムにいる全てのものは、無茶過ぎると言ってもよい程の困難な総統の指令をこなす彼女にそういったイメージを持っているからだ。
「……秘密です」
キャシーの興味を埋め尽くすその議題に、マストゥーレは自身の人差し指を口元に当て、淡々と告げる。
「それは残念です。魅力ある方の内面を知り、一歩お近付きになれると思ったのですが……」
「ふふ。キャシー様の様な強者にそう言われると、私も鼻が高いですね」
残念そうに顔を沈めるキャシーにマストゥーレは告げ、ちらりと咲月を見やる。
「少し……咲月様、二人だけでお話があるので大丈夫でしょうか?」
「え? あ、ああ! うん!」
「という訳で、少し咲月様をお借りしますが、よろしいですか?」
「ふふ。大丈夫ですよ。もう、マッサージも終わりましたし」
「では、咲月様。私の部屋へ行きましょう。ああ、それと」
咲月の手を優しく握り、ドアへと手を掛けたマストゥーレは、思い出した様にうっかりとした表情で振り返る。
「キャシー様。先程の話もありましたし、今度、近い内に本当にギャンブルをやってみましょう。私の方はこの案件が終わるまではいつでも大丈夫ですので……それでは」
「ええ」
三人は咲月の部屋を出て、キャシーは彼方へと歩くマストゥーレと咲月へと一瞥する。
「……やっぱり、あの女は苦手だわ。真意が掴めない。ここで、私達に疑惑を深めさせるならば、一気にけしかけるのが得策でしょうに」
にこやかにしばらく手を振った後、キャシーは一人呟く。
「『保険』は掛けている。私の『魅了』が深く掛かってしまった咲月は、もうこちらの手の内……既にポーカーの手札は揃えているの」
僅かに口元を歪ませるキャシーは、それでも精神の奥底に潜む不安にもどかしさを感じたのであった。
「さあ、咲月様。ここにお掛け下さい」
「あ、ありがとう。マストゥーレさん」
一方、咲月は、マストゥーレの自室に案内されていた。
用意されていたコーヒーを差し出され、咲月はお辞儀と共に、そのコーヒーを飲む。
「さて、あちらも早速動き出した様ですね」
「え?」
「ふふ。あの『強欲』の考えそうな事。サイモン様共々、キャシー様は幼少の頃から良く知っているお人ですからね。『普通の人であった時の』恩義を彼女は深い、深い『愛』へと変えて、今も──」
マストゥーレは、ポットから自分のコップへコーヒーを注ぎながら、呟く。
「『魅了』……これは、中々に強固で解除が難しい。だからこそ、キャシー様はあのような思い切った手で咲月様を魅了させたのでしょうが」
「『魅了』……? どういう事? マストゥーレさん、私にも解り易く──ごばっ!」
突如、ずぶりと鈍い音が咲月の胸元へと響く。
感じるが先か、応えるが先か。
ぶぼっと、咲月は盛大な嗚咽と共に、血が床に垂れ落ちる。
咲月の眼は、深々と刺さるマストゥーレが発現させたクリスナイフを細長くした様な剣へと。
「悪く思わないで下さいね? 咲月様。これも、任務の為に必要な事です」
「な、何で……!? ぶっ、がはっ!」
血の池に倒れ伏せる咲月は、震える手をマストゥーレへと翳し、そして地へと堕ちた。
「何故? 『彼』を信用しているからです」
マストゥーレはその咲月へと無表情に告げ、剣を霧散させると部屋から出る。
「すみませんね。ですが……これが最良の方法なんです」
呟き、マストゥーレはポケットの携帯電話を取り出し、耳へと翳す。
「もう一暴れしてもらいますよ。『禍』」




