Scene 28 滅亡を招く孕み神
大変、長らくお待たせしました。
ヒロイン回もといグロ回です。
さっちゃんは強い子。
澄んで無く、そして濁ってもいない。
ひたすらに、深く、深く、深い──深淵を闇としなければ、その宙に拡がる青の空は、深淵と形容できようか。
その空から見下ろされるは、地を覆い尽くす深緑。
そして、空間の中央に威厳ある様に佇む、黄金の神殿。
その中庭には、幼い少女と、その眼下の黒い異形。
「『黒山羊』を纏いますか。ふ、へへ。中々に美しい」
少女は、その容姿では想像もつかない不気味な笑みで、異形を見つめる。
「ですが、予想以上に芳しくは無い。桂馬咲月。その様な粗い力の使い方では、本当に『呑まれて』しまいますよ?」
問うた少女の眼は、異形の中央、黒の触手を千手の様に生やす球体へと向けられる。
だが、その問い掛けに、異形は生やす触手による敵意で答える。
「やれやれ。親切を無下にする、不躾な小娘ですね」
少女を貫くが如く伸長する触手が、様々な角度から迫る。
しかし、少女は口を吊り上げ、黒と緑の魔法陣を発現させる。
「『獰猛な蛇の絞殺』」
告げる魔法名により、ゼリー状の大蛇が魔法陣から這い出る。
それは、一頭だけでは無かった。
幾つもの大蛇は、触手を毟り千切ろうと、その尾を伸ばしてゆく。
牙を向ける大蛇は、触手へと接触。
双方は霧散し、だが、絶えず新たな加勢が現れ、大蛇と触手の軍勢は激しく鬩ぎ合う。
「ふむ。やはり、『黒山羊』。アビスの力を、吸収するでも無く、そして喰らう訳でも無い」
拮抗し合う攻防の中。
だが、少女──マシリフ・マトロフは興味深げに、その鬩ぎへと瞳孔を開かせる。
「その力を、自身とその周囲の『物質』と掛け合わせ、『産み出している』のですか」
感嘆とした声を漏らし、マシリフ・マトロフは更に黒と緑の魔法陣を発現させる。
「しかしながら、本当に残念です。その程度の精神力とアストラルでは、『そこまで』がやっとという所の様ですね」
嘆息と共に、露を払うかの如く手を振り下ろす。
「『不浄神の喘ぎ』」
魔法名と同時、周囲が壁にへばり付いた汚泥の様に、崩れ去ってゆく。
それは、『マシリフ・マトロフを除く全て』に作用された。
「う……あ、ああ!」
崩れゆく、黒の異形。
その球体の中心、苦しみ悶える少女の声が響く。
「ふ、へへ。所詮はその一部分を使っているに過ぎない。あなたの精神力を遥かに超越する力によっては『過負荷駆動』でもしないと、その『交配』は起動しない。さあ、どう切り抜けますかね?」
石段は風化し、辺りに茂る蔦の群は爛れる様に『腐食』してゆく。
「ぐ……この敵、強い!」
黒々とした球体の繊維が一つ、一つ溶解し、千切れてゆく。
徐々に薄れてゆく繊維網が、咲月の生命の宣告を告げるかの如く眼に映る。
「だけど──諦めてたまるかっ!」
だが、咲月に絶望という感情は無い。
その眼が映すは、人の真の平和を求める一人の少年の後ろ姿であった。
「さあ、おいで!」
両手を胸元の前に出し、その空の中心を毒々しい紫の氣が逆巻き、渦を巻く。
咲月は自身の精神力を絞り取る様にその中心へと凝縮させてゆく。
「う、ぐ……!」
咲月の精神の最奥、解読不明な野太い声色が響いてゆく。
それは、咲月の心を抉り込む様な狂気を容赦なく突き刺してゆく。
「『狂気の黒神獣』!」
だが、その苦悶を払い除けるかの如く、咲月の咆哮にも似た叫びから放たれたのは、幾重もの馬の脚を持ち、龍の鱗を纏うた漆黒の獅子。
「さあ、眷族よ! 障害となる物質を排除せよ!」
咲月を覆う球体が捲れ、現れるはその異形の怪物とそれに跨る咲月。
周囲を強烈に『不浄』とさせるマシリフ・マトロフの氣は、『狂気の黒神獣』の不気味な咆哮と共に、消え失せてゆく。
否、それは『消失』では無く、『吸収』、否、否、『交配』。
『不浄』の氣を『交配』させた黒神獣の体から千切れ飛ぶ様に黒い肉塊が落ちる。
それらは、急激に膨張し、ロープの様な黒い触股を生やした様相と化す。
「ふ、ふひゃへへ! そうですか! 前言撤回です! そこまでの力を通常時でも出し切るとは……! 良い『検体』になりそうです!」
自身の力が打ち破られたにも関わらず、マシリフ・マトロフは口を吊り上げる。
「ふひひ、へへ、へ。これは、私も本気を出す気概になりましたよ」
マシリフ・マトロフの周囲を強烈な氣が纏わりついてくる。
それらは、マシリフ・マトロフのその体へと凝縮し、怪しく、神々しい輝きが放たれる。
「『人神統合』、『ドゥルジ』!」
言葉と同時、その輝きは一層に増す。
「嘘……!? この、力……! 信じられない……!」
黒神獣に跨る咲月は戦慄の表情でその光を見据える。
「そう。アビスへと赴き、帰還した私が得た禁忌の一つ──『人神統合』は、『本神』をも凌ぐ、人を人為らざる神へと昇華させる『技能』」
光が晴れ、露わになったマシリフ・マトロフの様相は、それ以前とは異なった存在となっていた。
腕や足は黒い甲虫を思わせる触腕、背中に生やすは幾重もの蠅の羽。
愛らしいツインテールの少女の顔は、一体となったガスマスクに覆われ、その膜内から睨み付けるは、血の如く紅い眼──
「さあ、物言わぬ生ける屍肉となりなさい!」
突き出す様に生えた八本の触腕を動かし、その切っ先から黒と緑の魔法陣を発現させてゆく。
「『蠢く羽虫の葬列』」
一斉に振り下ろされる触腕から放たれるは、幾重もの空間を縦横無尽に飛び回る羽虫の如く不規則な『不浄』の氣。
「そんなもの、『狂気の黒神獣』にとっては屁でも無いよ!」
だが、咲月はその『不浄』を意に介せず、手に持つ杖を振り払う。
「fuenx」
呼応する様に、黒神獣は野太い解読不明な叫びを挙げ、その獅子の口から黄金の吐息を放つ。
「『サーキュレーション・ヘキサグラム』!」
更に、咲月は黄金の六茫星を周囲に大量に発生させる。
「全弾、掃射! 『ヘキサグラム・シューティングスター』!」
告げると同時、多量の六茫星から放たれるは、火、水、風、土、闇、光。
『この世界』を司る『元の』構成元素、六属性の入り混じった虹色の光線がマシリフ・マトロフへと迫ってゆく。
「あの『黒山羊』の眷族の吐息は厄介ですね」
だが、咲月の放つ流星群の様に降り注ぐ攻撃は、マシリフ・マトロフの周囲から解き放たれた『不浄』によって、霧散されてゆく。
次いで迫る黒神獣の吐息は、顔を引き締めるマシリフ・マトロフの旋回軌道により、悉く回避されてゆく。
「く、ふひ、ふ、へへ。ああ……素晴らしい! 素晴らしいですよ!」
空を舞い、下卑た笑みを恍惚に変える。
咲月という『検体』を、涎を滴る眼で見つめ、マシリフ・マトロフは叫ぶ。
「『天地咀嚼』」
マシリフ・マトロフは、触腕の一つで携える群青色の鞭を天へと放り投げる。
宙へと放り出されたその『固有武器』は、紫の瘴気で空を覆い尽くし、幾重もの黒と緑の魔法陣を発生させる。
「ふひ、へへ。ありがとうございました! あなたの『魅力』、しかと伝わりましたよ!」
言葉と同時、空が、否、天が地に落ちる。
紫のぬめりと化した天は、ゆっくりと地へと降下し、空間全体を呑み込んでゆく。
「これは……!?」
迫る死。
咲月は、幾度かの戦闘で、その経験をしてきた。
だが、今回は明らかに、その中でも異質であった。
まるで、もがいても、もがき続けても逃れられない様な、不可避の死。
それが、いやらしく、ゆっくりと近付いてくる。
(──月! 咲月! これは、『避けられない』! 黒神獣を盾にっ!)
戦慄と、恐怖に歪ませる顔の咲月を叱咤する様に叫んだのは、その内に宿る性愛の女神の声であった。
「……分かった!」
逃げ場の無い天からの死から庇う様に、黒神獣は咲月の上空へと飛翔する。
「ん、ぐ、あ、ああ、ああああああぁぁぁっ!」
圧倒的な氣を放つ天全体を包む『不浄』。
その不浄へと、黒神獣は拮抗し、激しい閃光と共に、両者は霧散する。
「ぐ、うう……」
満身創痍の咲月。
黒神獣へと多くの精神力を譲渡し、更には自身の中に狂気を溜めこみ、咲月は心身ともに疲弊していた。
「終わりです」
だが、その咲月の回復を待たす事無く、マシリフ・マトロフの追撃の不浄の光弾が牙を剥く。
「くっ……『シャイニング・ブレイズ』!」
それを、振り絞る精神力で放つ閃光を伴った炎で対抗する。
「う、わああああ!」
だが、その抵抗も虚しく、幾重もの『不浄』が咲月へと直撃する。
「い、痛、痛い、痛いよおおぉぉぉっ!」
それは、咲月の左腕、そして右足の皮膚を爛れ、溶かし、その髄まで露出させる。
「う、うあ、きょ、京馬、君……!」
涙と血を地に垂らし、咲月は倒れる。
「ふ、へへ。殺しはしません。そんな事をしたら、あなたの『黒山羊』が全く美しく無い『滅亡』を産んでしまいますから」
とても嬉しそうな笑みで、マシリフ・マトロフは咲月へと近付いてゆく。
「駄、目なの? 私は、また……」
その刹那──咲月はその悲劇の追憶を呼び覚ます。
「……礼を言うぞ。小娘。貴様のお陰で、私は現界出来た」
追憶の中、絶望の声が響く。
炎獄の地獄と化し、笑い合った仲間達が断末魔を挙げ、一瞬で消し炭となった。
あの天使──否、魔神と形容すべき災厄を招いてしまった自身の過去。
その魔神は、咲月の慕い、想い人となった少年が葬った。
だが、その自身が起してしまった悲劇は覆らず、そしてその犠牲となった人々はもう帰って来ない。
「──決めたんだ」
「……? 何をです? 『深淵』へと封じ込められる事をですか?」
咲月の呟きに、首を傾げ、マシリフ・マトロフは問う。
「決めたんだっ! 私は、どんな苦痛に苛まれても、闘う! 闘って、闘って……皆の犠牲は無駄じゃないと……そう言える様になる為にっ!」
のた打ち回りたい程に、痛い、苦しい。
でも、自身が生き続け、少年の『信念』と共に、自身が遺した犠牲と共に、闘い続けなければ、全てが無駄になる。
無駄にしちゃ、いけない。
足掻いて、足掻いて──
いつか、微笑みが絶えない、真の平和の世界で。
(咲月……咲月! 何をするつもり!? 止めて! これ以上は、私ももう制御出来ない!)
心の深層、自身へと力を化し、『復讐』を胸に秘めた美しい女神でさえも、その後の予想も付かない恐怖を訴える。
だが、この現状だ。
もう、『それ』に手を出し、更なる苦痛を乗り越えなければならない。
「gedrnv」
『黒山羊』は扉をゆっくりと抉じ開ける。
(あ、ああ! ああ! 駄目、咲月!)
叫ぶ、『イシュタル』。
狼狽としたその声色は、充分にその後に待ち受ける試練の辛さを物語っている。
「わ、ああああああ、わああああああああっ!」
咲月の体が目まぐるしい色彩の閃光を放つ。
「正気ですか……! 馬鹿な子ですね! そんな事をすれば、折角の『世界』が消え去ります!」
その咲月の変化に、マシリフ・マトロフは今まで見せた事も無い戦慄の表情で、身構える。
「あ、あはは、あはははははっ!」
光が晴れ、咲月の姿が露わになる。
左腕に、へばり付く様に同化した巨大な猛獣の剛腕。
対し、右腕は多数の触手と化し、咲月の持つ『六茫星の杖』を巻き付ける。
両足は、巨大な蹄を持つ怪足に。
睨み付けるその左目は充血し、その周囲には血管が浮き彫りになる。
「くっ……! ここまで、聞きわけの悪い子だとは思いませんでしたよっ!」
唇を噛み、呟くマシリフ・マトロフへと、咲月は瞬迅の速度で迫る。
「ガアァッ!」
獣の叫び声を挙げ、咲月はその左腕を振るう。
それは、咄嗟に後退したマシリフ・マトロフの顔の側を通り過ぎ、空を切る。
「ぬ、んぐあっ!?」
だが、それはマシリフ・マトロフが『そう』感じただけであった。
怪物と化した咲月の反射神経を超越したその一撃は、ガスマスクを切断し、眉間を切り裂き、血を噴き出させる。
更に、その一撃は只の裂傷をマシリフ・マトロフに負わせるだけでは無かった。
「な、何ですっ!?」
裂かれ、噴き出したマシリフ・マトロフの血液。
それは、瞬時に形を変え、異形の怪物へと変化する。
「小癪なっ!」
腕を振り下ろし、マシリフ・マトロフは『不浄』によってその異形を消し炭にする。
だが、マシリフ・マトロフの表情に安堵は無い。
「あは、はは、あはははははっ!」
理性を失った咲月の高笑いと共に、二人を囲む世界は様変わる。
赤黒い空、連なる針葉樹群。
世界を照らす疑似太陽を影が喰い殺す。
「ガ、アアアアアアァァァッ!」
獣の叫び声を挙げ、プリズムの魔法陣と共に咲月は黒い球体を召喚する。
「あ、あれは、まさか……!」
唖然としたマシリフ・マトロフは、その球体を凝視し、その正体を目撃する。
それは、『何か』を中心とした黒の触手群が、見えない力の抵抗によって増殖を抑えられた球状の塊。
その所々から漏れ出る黄金の吐息は、毒々しい神々しさを放つ。
「──シュブ=ニグラスっ!」
驚愕、戦慄──そして、マシリフ・マトロフが初めて見せた、『恐怖』の感情。
そのマシリフ・マトロフの感情に呼応する様に、触手群はうねり、そしてその体色を虹色の如く変化させ始める。
「──あ、あ、駄目、駄目だよぅ……!」
だが、その脅威的かつ圧倒的な、膨大な力を前に、唇を噛み、咲月は一寸の理性を取り戻す。
「仕方ありません。『桐人』の代わり……一時的ですが、あなたにしなければ『私』のアストラルが消滅しそうですっ!」
その瞬時の隙、マシリフ・マトロフは意を決したかの様な突貫で、咲月へと迫る。
抉り千切ろうとする触手群を裂傷を受け、だがマシリフ・マトロフはどうにか咲月の眼前へと迫る。
「『精神寄生』!」
自身の体の一部、一部が異形の怪物へと変化してゆく中、決死の声色でマシリフ・マトロフは叫ぶ。
「こんな危険極まりない肉体……『黄泉』の『亡骸』を得る為の繋ぎとして利用させてもらいますよ」
「ううあ、わあああああぁぁぁぁっ!?」
悲痛な叫び声を挙げる咲月。
それを象徴するかの様なのた打ち回る触手群は、マシリフ・マトロフの肉体を突き刺し、抉り、バラバラに千切れ飛ばす。
殲滅の対象が消え、だが咲月が放った膨大な力は止まらない、止まれない──
世界──咲月が構築した『固有結界』の中、木、土、そして空までもが『交配』され、異形の怪物で埋め尽くされてゆく。
ぼたり、ぼたりと異形が世界に蓄積され、世界をはち切れんばかりに肥大されてゆく。
「やれやれ、厄介な娘でした……ですが、私の『個人』の目的の為に、良い力を手に入れましたよ」
口元を吊り上げ、咲月は呟く。
だが、それは以前の明朗な笑みとは異なった邪悪な笑みであった。
眩い光と共に、肥大した世界の『暴走』は鎮まってゆく。




