12 おとぎ話
「もおおおおお。どういうことだよ」
先ほどから、プロタグニスタ騎士団のヴィリ=グルムバッハの嘆きが止まらない。
「今頃は、王都のうまい飯を食ってる頃だろう! 本当ならぁ」
「まあ、そういうな」
ここはシャイナーの貴族専用ホテル、ローテンベルガーの館の会議室だ。
プロタグニスタ騎士団の名によって借り切り、ヴィリともう一人、ベルノルト=フロイデンタールが目撃した多重事故についての現場検証と、再発防止を兼ねた調査を行っているのだ。
本来であれば、王都でもない場所での警察権限や、ましてや検察権限も持ち合わせてはいない。
ただ、事故が事故だ。
濃霧の中で起きた観光馬車と速度を上げてカーブを曲がり切れなかった荷馬車との事故。そして、それに後続の辻馬車が突っ込んでいったという、多重事故だ。
ただ、普通であれば、これほど大事にはならないはずだ。
たとえ死傷者があったにしてもだ。
この事故は、特筆すべきことが、あった。
事故の大きさにしては、死者が誰もいなかったのだ。
怪我人はいたが。
それだけでも驚きなのだが、ただ単に運がよかったからではない。
「なんなんだろうな。あの女の子」
ヴィリが、書いていたペンを鼻の下に置いて、唇をすぼめた。
「おいおい、不敬だぞ。あの子はメセトラーム侯爵家のご令嬢っていうじゃないか」
「へえへえ。だけどさ。俺ら、間近で見てたけど、普通にあれ、説明できないよな。あんなに濃かった霧だってすっかり晴れたし」
「確かにな。だから、俺たち、こうして下調べと事故についての見分をしているんだろ」
「だけど、こんなんであの女の子の力の素性とかわかるのかね」
「いや、それはわかるわけないと思うぞ」
「じゃあ、なんで、俺たちこんな面倒なことやってるのさ」
ヴィリが吠えた。
「うるせえな。調べた内容を精査できるのは、俺たちプロタグニスタ騎士団じゃない。あくまで、最高神ディアグ神殿の管轄だ」
「そうかよ」
ヴィリは、ふくれっ面をした。
「じゃあ、俺たち、こんなに調べなくてよかったんじゃねえか」
ベルノルトは、大仰に首を振った。
「いいや、これは、神殿からの正式な依頼だ。俺たちはそれに従うしかない」
「へえへえ。なあ、これさ」
ヴィリの目がその文書を見て真剣な色を帯びた。
そこには、この地方に伝わるおとぎ話をまとめた文書があった。
この地方一古い血筋を持つ家の女児に伝わるとある女神の逸話が書かれている。
「金の炎……」
ベルノルトが、目を瞬かせた。
「古い血筋って、まさか……」
「な。どういうこと、なんだろうな……」
ベルノルトは、重要の印を押し書類トレイにそっとしまった。
*
「誰……。誰なの……」
客間に寝かせられているミリヤム=メセトラーム侯爵家第二令嬢は、ひどくうなされていた。
「ミリヤム様……おかわいそうに……」
熱が完全に引くのは、まだ数日がかかるようだ。
ミリヤム付きメイドのアレイダ=ゼンデンは、そのまだ小さな手をしっかりと握った。
「アレイダは、ここにおりますよ……」
「アレイダ……」
その時、ミリヤムは瞬間的に意識が戻ったが……。
「お母様は……、お母様は、どこ?」
「ミリヤム様。大丈夫ですよ。すっかり良くなって、ゆっくりお休みでいらっしゃいますよ」
ミリヤムは、熱に浮かされた赤い顔のまま、安らかな笑顔を浮かべた。
「そう……」
ミリヤムは、また、そっと瞳を閉じる。
「……おかわいそうな、ミリヤム様」
アレイダはそっとミリヤムの汗を冷たいタオルでふき取った。
*
数日後、空気はすっかり秋の空気に入れ替わった。
ヴァウテルス家裏庭、小さな小川が滝を作って、その小川に色づいた葉が流れていく。
ガゼボには、書物を楽しんでいる人影があった。
ヘルハルト=ヴァウテルス元伯爵だ。
薫り高いお茶を片手に、白髪を風に遊ばせていた。
と、そこへ──。
「恐れ入ります。ヘルハルト=ヴァウテルス様でいらっしゃいましょうか」
堂々とした少女のよく通る声が裏庭に響いた。
「おお。いかにも、わしが、ヘルハルトだが……。君は?」
「名乗るのが遅くなりました。私は、ミリヤム=メセトラームと申します。……あなたの孫です」
ミリヤムは、そう言うと少しはにかんだ。
「おうおう。君が、私の孫……、ペトロネラの娘か。確かに……、目元がよく似ている……」
「そんなこと……初めて聞きましたわ。そんな風におっしゃって下さる方、今までいらっしゃいませんでしたから」
「うん……、そうか……。ミリヤム。もっと近くに寄って、顔をよく見せてくれ」
「はい……おじい様」
ミリヤムは、ヘルハルトに近づくと、照れ臭そうに笑った。
しばらく後、ミリヤム用のカップも用意されて、取り急ぎの簡素なお茶会となった。
「それにしても、ミリヤム、君の体調は良くなったのかい。ここに来た時から、ずいぶん熱が出てしまっていたようだけれど」
「ええ。もうすっかり。お騒がせいたしまして申し訳ございません」
「ふむ。顔色も良いようだ。心配していたんだよ──、ところで。侯爵から、何か預かったり、言伝を頼まれたりとか、そんなことはなかったかい」
「ええ。今回のこの旅は、私がお父様にわがままを言って出していただいたの。本来であれば、使者は別の方になるようでしたわ。でも、私が、どうしてもおじい様のところに来たいといって、わがままを言ってしまいましたわ」
「そうだったのかい。今まで、会ったこともない、しかも、こんな遠くに住む爺のもとに訪れたというのはどんなことだね……?」
「おじい様……」
ミリヤムは、意を決して今回はるばる遠出した理由を告げた。
「そうか。ペトロネラは、そんな風に亡くなってしまったんだね」
ヘルハルトの頬に惜別の涙が伝わっていった。
「そうなのです。それでも、お母様は、あまり痛みを感じずに逝けたのではないでしょうか……」
「うん……そうだね……。あの子らしい……」
「あの……これを聞いてよろしいかどうか……」
「うん? 何だい?」
「これを、ご覧くださいませ。亡くなったお母様の寝室の中で見つけたのですが、こちらの手記をご覧ください」
ペトロネラが書き記したであろう、手記を手渡した。
その手記を確認したヘルハルトが、額に皺を寄せてミリヤムに顔を向けた。
「君、これは、どこで?」
「お母様が、亡くなられてしばらく経った後、お母様の日記の中にございました。この手記は、いったいなんですの?」
ヘルハルトはしばらく逡巡していたが、やがて、その重い口を開いた。
「ミリヤム……、君は、女神カリステを知っているかね?」
「ええ、その手記にて」
「それ以外には、どうだい? ペトロネラからは、本人からは何か聞いていないかい」
「ええ……」
ふと、ミリヤムは、視線をヘルハルトから外した。
「私、悪い子供だったのです。今、おじい様と、こうしてお茶を飲んでいるのが信じられないくらいの。そんな子供だった私に、お母様はお伝えしたくても、きっと伝えられなかったのですわ」
「そうか……。ん? 君は悪い子供だったのかい……」
ヘルハルトが目をむいた。
「ええ。両親をはじめ、姉のマリアンネや周囲の皆さんにかなりひどいことばかり、しておりました。今は、反省をしておりますわ」
それを聞いたヘルハルトは、紅茶を啜った。
「このことは、今の最高神ディアグ神殿の教えからはずいぶんそれてしまう異端の考えだから、伝えるべきか悩むが……」
苦渋の表情を浮かべたまま、言葉をつなげる。
「落ち着いて聞いてほしい、君は……今の君には女神カリステの力が宿っている」
うろたえたミリヤムは、持っていたティーカップを取り落としてしまう。
ティーカップは床に落ち、真っ二つに割れた。
「おじい様……それはどういうことですの……」
「ミリヤム……、正直に答えてほしい。君は、生き直しをしていないかい?」
息を呑むミリヤム。
「……それは、どこで、お聞きになったの? ……アレイダ?」
そばに控えていたアレイダは、ただただ驚愕している。
その様子を見て、ミリヤムは首を強く振った。
あの、処刑の後、過去に戻って生き直しをしているなど、誰が信じるだろうか。一番近しい友であるアレイダにも告げたことはないから、知っているわけがないのだ。
ヘルハルトが、大きなため息をついた。
「そうか……、ペトロネラがやっぱり、君を……いいえ、あなたを産んだんですね。女神カリステ……」
さきほどまでのくつろいだ口調が、すっかり改まっていた。
「おじい様?」
「私が、あなたの伝記を聞いたときには、まだほんの子供でした。ただ──」
ヘルハルトは、昔を懐かしむ視線をミリヤムに向けた。
「あなたの伝えようとしたことは、この胸にしっかりと伝わっております」
「おじい様。何を、おっしゃっているのですか?」
「どうか、カリステ様、そのお力の一片をどうかこの私にお見せください」
熱に浮かされたようなその視線で射られ、ミリヤムは悲鳴のような声を上げた。
「おじい様! おやめください! いかがなさったのです!」
その声に、ヘルハルトが正気を取り戻した。
「──ミリヤム……、すまなかった……」
「いいえ……ですが……、カリステとは、女神とは何ですの? どうか、どうか、教えてくださいませ」
「そうか、そうだね……、君は、なにも知らないのか……」
二人の間に、冷たい秋風が吹きすさんだ。




