聖医師団の人殺しと呼ばれた男1
書きたかった番外編が一つ書けそうなので更新です。
「この薬はあなたを救う、神からの贈り物なのです」
男は涙混じりの声で囁いて、ベッドに横たわる女の痩せ細った手に、純白の錠剤をそっと渡した。
「じ、ぶんで……」
「ええ、分かりました」
か細い嘆願を聞き取って、男はどこまでも柔らかく笑む。そして、枯れ木のような手をとって、淡い色の唇まで運んだ。
「お水をどうぞ」
「……っ、ん」
男の力を借りて自らの手で錠剤を口の中に落とした女は、優しく添えられたグラスから、ひんやりと冷たい水を唇に含んだ。ゆっくりと口の中で冷たさを味わい、こくりと嚥下する。そして女は薄紅の唇を緩めて、安堵したように息を吐いた。
「はぁ……」
「天の国に生まれ変わった時には、どうか、あなたの望みが叶いますように」
ゆるやかな吐息とともにあどけない笑みを浮かべる女の頬を撫で、男は「私もすぐに参ります」と呟いた。
その優しい囁きに、女の唇はふわりと嬉しそうに綻んだ。
「ぁ……り……と……まっ、て……ます」
澄んだ夜空色の瞳から、透明な雫が窶れた頬を滑り落ちる。ゆっくりと瞼が閉ざされ、喜びに満ちた瞳は隠された。
今はまだ規則正しい呼吸を確かめ、男はごくりと唾を呑み、叫び出したい心を押さえ込んだ。
男は今、目の前の患者を殺したのだ。
***
「あ、見つけた!エリック先輩!」
「なにっ、……こらぁあああエリーーーック!」
「あ、エディと師しょ……グエッ」
聖女ルイーゼ率いる聖医師団の本部とされる中央研究施設。
お目当ての人物を視認した我らが師匠は、四十を目前にしているとは思えない健脚で廊下を全力疾走し、エリック先輩の首根っこをわし掴んだ。
「あなた、あの薬を無断で持ち出すなんて、何を考えているの!?」
師匠が先輩の首根っこを掴みながらガクガクと揺さぶる。
師匠が指しているのは、ほぼ完成してはいるが、まだ臨床試験の結果待ちをしている段階の持ち出し厳禁の劇薬のことだ。
「まぁまぁ師匠、落ち着いて!それじゃ先輩も喋れませんよ」
「エディは甘いのよ!」
僕は喚いている師匠を取り押さえ、太い首を押さえ込んでいる手を引き剥がした。先輩は青い顔をしてゴホゴホと咳き込んでいるから、わりと気道をがっつり絞められていたらしい。平均的な女の腕力程度しかないはずなのに普通に体格の良い男を締め落とせそうなのが、人体の構造をよく理解している師匠の恐ろしいところである。
「エリック!あなた、研究員でありながら、第一級危険薬を研究所外に持ち出すなんて、一体どういうつもり!?」
研究メンバーの一員である先輩が、律儀に薬品取扱書類に記入の上で、劇薬を無断で持ち出していたことが先ほど発覚した。
そのため青い顔をした師匠が、施設内を爆走しながら先輩を探していたのだ。
「……すみません」
「薬は!どこへやったの!?」
俯いて静かな声で謝罪を述べる先輩に、師匠は焦れた声で怒鳴った。師匠の言葉に顔を上げた先輩の目はやけに静まり返っていて、僕は直感的に「あぁ、これはダメだ」と悟った。
もう引き返せないところに立っている人の目だったから。
「今、……ミレ侯爵家に行ってきました」
「ミレ!?な、まさか……っ」
この修羅場に似合わない、先輩の淡々とした説明に、師匠が表情を強張らせる。目を見開いて己を凝視してくる師匠に、先輩はくしゃりと泣き笑いのように表情を崩して告げた。
「もう彼女は薬を飲みました。この眠りが覚めることはないでしょう」
「エリック!?」
悲鳴のように、師匠は信頼していた弟子医者の名を呼ぶ。常に沈着冷静で、どんな重症患者を前にしても動揺を見せない師匠が、明らかに取り乱して叫んだ。
「あの子には毒よ!?それも致死性の猛毒だわ!」
「知っています」
「この……大馬鹿者ッ!」
「その通りです」
否定せず、ただ怒りを甘受する先輩を前に、激した師匠は目に涙を浮かべて叫んだ。
「あの薬は……魔力過剰症患者が生きるための薬になるはずだったのよ!」
あの薬と師匠が呼ぶのは、僕らが十年かけて開発した、魔力素の発生を抑制する薬のことだ。
不死の病のひとつ、「魔力過剰症」。
生まれつき魔力が過剰で、そのために肉体がもたなくなり致死的になる病だ。
早ければ生後すぐ、遅くとも十代前半で命を落とす。
幼くして病に命を奪われていく患者たちを救うため、この十年ほど僕らが取り組んできた研究の成果が魔力素発生抑制薬である。これは現在、魔力過剰症の画期的な特効薬となると期待されている。
おそらく……いや、確実に、この薬によって短命な患者たちの多くが救われるだろう。
実際、まだ臨床試験の段階だが、治験への参加希望者は驚くほど多かった。
それなのに。
「あなた、なんていうことをしたの!?」
師匠が泣き出しそうな顔で、真っ青な顔で口を覆って、その場に頽れた。
平均の百倍以上の魔力を待つ魔力過剰症患者にとっては神の福音となる薬だ。しかし、一般人が飲んだらあっという間に魔力が枯渇して生死の境を彷徨うだろう。
ましてや、もともと衰弱していた人間ならば、イチコロだ。
「あのご令嬢は魔力がほとんど巡らないのよ!?魔力素を抑制したらすぐに死んでしまうわ!」
ミレ家のご令嬢は「魔力回路形成不全症」、つまり、体内の魔力回路が生まれつき不完全な患者だった。
魔力量は正常範囲だが、魔力は体にうまく巡らない。そのため、酷使された回路から徐々に壊れ、末端から動かなくなっていく病だ。
魔力の尽きた場所は次第に朽ちて行き、感覚のない場所からの幻の激痛にのたうつことも多い。
世間では「人形病」「花枯れ病」とも呼ばれ、恐れられている難病だ。
「私たちの薬で、ミレ家のご令嬢を殺したの!?命を救うための薬を、あなたは、人殺しのために悪用したというの!?」
目に涙を浮かべ、過激な言葉で罵る師匠に、先輩は静かな目で告げた。
「……彼女は、延命を拒否していました」
「理由にならないわ!」
元から死ぬ運命であったとしても、先輩が行ったのは殺人もしくは自殺幇助だ。許されることではないだろう。
そんなことはわかっているはずなのに、ただ無言で見返してくる先輩に、師匠は怒りと悲しみを叩きつける。
「そもそも、私たちが彼女に行おうとしていたのは延命ではないわ!治療よ!?」
「けれど、治癒は見込めない」
叫んだ師匠にむかって、先輩は淡々と言い切る。そして、一拍おいてから、泣きそうな目で師匠を見つめた。
「ねぇ、師匠。進行を遅らせ、死を先延ばしにするためだけの治療は、果たして……治療と呼べるのでしょうか?」
「っく、」
その問いかけには、師匠も一瞬唇を噛んだ。
それは、僕らの間でもしばしば議論にあがるが結論の出ない、どこまでも難しい問題だった。
医学が進歩するほどに、出来ることと出来ないことの境界は曖昧になり、やるかやらないかの選択になる。
けれど僕たち聖医師団に属する医者は、やれる限りやる、救える限り救い続けるという道を行くと決め、ひた走っているのだ。
だから、多少揺らいだとしても、師匠の答えは変わらない。
「……そうだとしても、死を早めるべきではないわ。彼女の天寿はまだ先のはずだった!」
魔力回路形成不全症は不治の病であるけれど、寿命はそんなに短くない。適切な治療介入を行えば、時には幻の痛みに苦しみながらも、平均寿命に近く生きることだってあるのだ。
「鎮痛の方法なんていくらでもあるわ!あの娘は延命装置なしでも、まだ生きられるはずだったのに!」
魔力回路形成不全症は、かつては痛みと恐怖のあまり発狂して自死する者がほとんどだった。しかし、今は師匠が開発した優秀な鎮痛剤のおかげで、苦しみながらも、師匠の言うところの天寿を全うする人が多い。
先輩の行為は犯罪であると同時に、僕らに対する重大な裏切り行為でもあった。
先輩は、聖医師団の理念を踏み躙ったのだ。
「あなたがすべきは、悲観した患者の望みをただ受け入れることじゃない!心と体の、悲しみや痛みのケアをすることだったわ!医者ならばそうすべきだった!それなのに……」
涙ながらに詰る師匠の後ろから僕は、これまで尊敬していた先輩をじっと見つめる。先輩は感情を殺した顔で俯き、師匠の怒りを甘受していた。
けれど。
「なぜそんな愚かな真似をしたの!?」
「っ、たとえ、愚かだったとしても」
師匠の罵倒に顔をあげた先輩は、泣き出す直前の顔で叫んだ。
「……けれど彼女は!これ以上、この体で生きたくはないと……そう言ったのです!」
これまで静かに語っていた先輩が、はじめて感情を荒げる。自分が救いたかった人の苦しみを、切々と。
「魔力を自分で巡らせられず、少しずつ失っていく感覚と動かなくなっていく体に、あの人は絶望していました。そして、自分の口で望みを伝えられるうちに、と」
潤んだ目で、先輩は師匠を睨みつける。いや、師匠を、ではなかったのかもしれない。
師匠の向こう側に見える医学の限界とか、歯向かいようがない運命だとか、そういった超越的存在への怒りだったのかもしれない。
「もはや自分で死ぬことも出来ないと泣くあの人に、僕は本人の望まない治療を行うよりも死なせてやりたいと思ったのです!」
治療をしなければ死は早く訪れる。しかし、末端から崩れ落ちていく恐怖と痛みに苦しむだろう。
治療をすれば、痛みは和らぐ。しかし、寿命の分だけ苦痛が長引く。
それは、魔力回路形成不全症の真実だった。
末期になれば鎮痛だけを行い、ほぼ眠らせてしまうこともできるが、彼女はまだ若く、その段階ではなかった。あと二十年眠り続けるわけにもいかないし、だからといって意図的に餓死させるわけにもいかなかった。
だから先輩は、手助けしたくなってしまったのだろう。
苦しみもなく緩やかに、痛みと恐怖から逃れる解放の手段を、と。
けれどそれは、僕らにとって禁忌だ。
「あなたは人の命を自分の判断で左右するというの!?ちっぽけな人間のくせに、神様にでもなったつもり!?」
激昂した師匠が、ぼろぼろと子供のような涙をこぼしながら怒鳴りつける。
「……ねぇエリック!あなた、医者じゃなかったの!?」
血を吐くような師匠の絶叫に、僕はそっと目を逸らした。
正直に言えば、僕は先輩の気持ちも分かる。分かってしまう。
見ていられない、助けてあげたい、希望を叶えたい。
そう願ってしまったのだろう。
……でも。
「医者です!でも……それよりも!」
でも先輩は、聖医師団の医者であるのならば、それだけはしてはいけなかったのだ。
「私は一人の人間として、あの人を救いたかったんだ!」
たとえ、そうだとしても。
僕たちは、命を奪うためではなく、命を救うためにあるのだから。
自分の薬が悪用、について、軍事転用されること以外にもきっとあっただろうなと思って「後世からの〜2」で『弟子の毒殺事件』となんとなく書いていたのですが……
「待て、なんで弟子が殺人なんかしたんだ?復讐か?」などと考えた後で、この集団の中ならば「助けるために殺す」判断をした人が出てくるかもなぁと。
何が正しいとかこうあるべきとか、そういうことはわかりません……こういう人出てきそうだなぁ、ルイーゼは認められなさそうだなぁ、としか考えてません……。
今回は説明が多くなってすみません。次話は会話メインの予定です。




